「音楽は僕らの子ども時代を象徴しているんだ」と語るように、彼らの音楽にはニュージーランドの風土と文化が表象されている。冒頭からニュージーランドの国鳥であるキーウィの鳴き声がサンプリングされているなど、母国愛に溢れた『A Deeper Life』は、海のそばで育った子ども時代が反映されていることもあり、この夏のベイサイドのドライブミュージックとしても、完璧なチョイスとなるだろう。
ニュージーランドの大自然の中で遊び、同じ屋根の下で同じ音楽を聴いて育ち、そして同じヴィジョンを共有し、ミュージシャンとして成長してきた2人。ただ、そんな兄弟ユニットであろうが、完全な50:50でやっているわけがない。彼らがそれぞれに果たしている役割も本稿で理解できるはずだが、兄弟愛がなければ成立していないだろうということも分かるはずだ(どうやら仲の悪い音楽兄弟は絶滅危惧種らしい)。ラブリーな彼らの、ユーモアと固有名詞に溢れた話はどうも面白すぎる。彼らの音楽と共に、是非とも楽しんでほしい。

左から弟のベン・ヘリカー=ヘイルズ、兄のルイス・ヘリカー=ヘイルズ(Photo by Ophelia Jones - styling by Georgia Alice Currie)
「ハウスの伝統」に目覚めた瞬間
―もともとはお二人でバンドをやってたそうですよね。ご両親に教わったイギリスのバンドに親しんでいたけど、ボーイズ・ノイズやクラクソンズをきっかけにエレクトロニック・ミュージックに目覚めたとか。
ルイス:その2組は欠かせない存在だった。
ベン:そこから徐々にダンス・ミュージックへとクロスオーバーしていった感じかな。
―二人とも同時期にダンス・ミュージックにハマっていったのでしょうか?
ルイス:どちらかと言えば僕が先だった。父と一緒にマリブを旅行したとき、幼い頃に仲がよかった友人に再会したんだ。彼はもうナイトクラブの常連でさ。それで一緒にボーイズ・ノイズ・レコーズに所属していたShadow Dancerを観に行った。酒もろくに飲んだことがなかった僕にとってはすべてが衝撃だった。
ベン:当時は明確な方向性があったわけじゃないし、とにかく手探りでヒップホップのビートとかエレクトロニック・ミュージックを作ってた。「こういった音楽を作りたい」って制作に向き合えるようになったのは、それからしばらく経ってからだったかな。
―そこから現在の音楽性にも通じるような古いダンス・ミュージック、古いレコードにどのように目覚めていったのでしょう?
ルイス:ダンス・ミュージックを作り始めた頃は知識も浅かったし、正直トレンドを追っかけてただけだった。ニュージーランドにいた僕らにとって、UKファンキー、UKガラージ、エレクトロはやっぱり憧れだった。
ベン:ちゃんと理解できていたかはわからないけど、若い頃はいろんな音楽を聴きまくってた。今はハウス・ミュージックに関心があって、その歴史もきちんと知りたいと思ってる。僕の膨大なレコードコレクションのほとんどはハウスなんだ。
ルイス:ダンス・ミュージックについて知れば知るほど、実は多くのことは昔から変わっていないって気づく。僕らがやっていることも、すでに30年前には存在していた。だから僕らは、何か革新的なことをしようというより、伝統をつなぐトーチを絶やさないようにしたいと思ってる。
―ではハウスに関して、影響を受けたアーティストを挙げるとしたら?
ルイス:ラリー・ハード、ロン・トレント、ジョー・クラウゼル、デヴィッド・モラレス……サウンドにユニークさが表れてるアーティストが好きなんだ。
ベン:サン・ジェルマンとかも。
ルイス:あと、クニユキ(Kuniyuki Takahashi)。
ベン:あのオーガニックで生っぽいかんじ、すごくいいよね。シカゴ・ハウスも大好き。ブーティー(ダンサブルで肉体的)なDJとか、ポール・ジョンソンとか、そういうサウンドに惹かれる。
ルイス:それに、UKテック・ハウス。
ベン:Bushwacka!やテリー・フランシス、ミスター・G辺りね。僕らは特定のジャンルに縛られたくないと思ってる。ジャンルの垣根を越えた音楽表現をやりたい。
ルイス:想いや熱が伝わってくるような、そういう音楽に惹かれるんだ。
―新作の資料にはセオ・パリッシュの名前も挙げられていました。
ルイス:セオ・パリッシュは一度だけ観たことがあるんだ。昔ロンドンにあった「プラスチック・ピープル」っていうクラブで。ザ・ルーツのクエストラヴがバーカウンターで歌ってたりするような、狭くていい感じのクラブだった。そこでセオがプレイしてたんだけど、プレイ中にフロアに出てきて、自分の音がどう聴こえてるか確認しはじめた。「え、どういうこと、ブース離れていいの?︎」って思ったけど(笑)、真剣さが伝わってきたよ。遊びじゃなくて本気なんだって。彼のプレイをみれば、完全に音楽に没頭してるのが伝わってくる。全身で音楽と向き合ってる感じ。
ベン:彼のプロダクションはほんとユニーク。コピーする以外に再現できないよ。
ルイス:ムーディーマンもそう。
―セオ・パリッシュやムーディーマンは、トロピカルなサウンドなのに、決して晴天なイメージばかりではなく、曇天のビーチをイメージさせるような楽曲もあるところが個人的に凄いところだと思います。
ベン:(頷いてから)僕らも以前は、かなりダークなトーンのレコードを作ってきた。真夜中のセッションのために作った曲もある。でも今回のアルバムは、そういうエッジの効いたサウンドじゃなくて、美しいと思える音楽をやりたかった。
―ニュージーランドはジャズが盛んなイメージがありますし、Chaos In The CBDの音楽はジャズの影響も強く感じます。もともとジャズのバンドもやってたそうですね。
ルイス:年を重ねるにつれてジャズに惹かれるようになった。祖父が膨大なジャズ・レコードを持っていて、子どもの頃のBGMはいつもジャズだった。日本に頻繁に来るようになったのもきっかけのひとつ。10年以上日本に住んでいる友人のニック・ドワイヤーが『A Century in Sound』というドキュメンタリーを作ったんだけど、そのために300~400カ所もの音楽喫茶を巡ったらしい。彼が来日のたびに案内してくれるおかげで、デューク・エリントン、コルトレーン、マイルス・デイヴィスといったクラシックなジャズの世界を本格的に掘り下げるようになったんだ。
ベン:僕はどちらかというと、ジャコ・パストリアスとか、パット・メセニー、ハービー・ハンコックみたいなジャズ・ファンク寄りの後期のジャズっていうか、そういう方がしっくりくる。ちょっと哀愁のある感じとか、グルーヴがある感じ。
ルイス:そういえば、グラストンベリーでハービー・ハンコックのライブを観たことがあるんだけど、ベンは泣いてたね。あれは感動的だった。
ベン:自分たちで小さなジャズバンドをやってた頃、「Watermelon Man」をよく演奏してたんだ。生で聴いたときになんていうか、今まで歩んできた道がつながった気がしてさ。
―きっとお二人はフュージョンもお好きなんでしょうね。
ルイス:うん、大好き。ブロークンビートのシーンとも重なる部分があると思う。
ベン:Nathan Hainesなんかはまさにそう。彼は90年代後半のロンドン、特にウェストエンドのブロークンビート・シーンで中心的な存在だった。自分たちとは世代が違うからリアルタイムでは体験できなかったけど。
Nathan Hainesはニュージーランド出身のジャズ~ソウル~ブロークンビート系サックス奏者/プロデューサー/コンポーザー
兄弟の絆、ロンドンでの音楽体験
―音楽遍歴を伺ってきましたが、お二人がChaos In The CBDをはじめたのはいつですか?
ルイス:初めてDJをやったのが2009年だったから、そのちょっと前の2008年くらいかな。その前は「Beatmaster Ben」とか「Whizzy Wiggwood」っていうふざけた名前で音楽を作ってた(笑)。
ベン:その頃の音楽は誰にも聴かせたことないし、これからも誰にも聴かせない(笑)。
―ルイスが21歳の頃……つまり2010年頃に書いてたブログをたまたま見つけたのですが、そこでベンは「Fruity Loopsやソフトウェアで試行錯誤する担当」と紹介されていて、ルイスは「CDを焼いたりメールを送ったりする担当」と書いてありました。
二人:(爆笑)
―後者はもちろんジョークだと思いますが、お二人の役割分担を教えてください。
ルイス:当時はベンがメインのプロデューサーだった。音楽はすべて彼が作ってて、僕は初期のDJセットで使う曲のほとんどを提供してた。
ベン:うん、少なくとも90%くらい。
ルイス:当時はCDウォレットを持ち歩いて、焼いたCDでDJしてたから、それがまあ僕の「仕事」だった(笑)。毎日ブログをチェックして新しい音楽を探してたし、かなり熱心だったな。新しい音源をアップしたいがために、ベンに「早く仕上げてよ!」って急かしたりもしてた。思い返せばたしかに僕の役割だったよ(笑)。
ベン:僕らのキャリアが少しずつ動き出したのもそういう活動のおかげ。ブログで出会った人たちとAIMメッセンジャーで話すようになって、そこからSkypeしたり。そういえば、ブログで知り合った友達がニュージーランドに来て僕の家に泊まってくれたこともあった。フランスでツアーをすることができたのもそう。MySpace時代のネットワークからいろんな関係が生まれたんだ。
ルイス:ネット上での僕はかなり強気で、他のアーティストにもためらうことなく連絡してた。まず「ファンです!」ってメッセージを送るんだ。その繰り返しの中で自然と機会も生まれていった。
ベン:その時に知り合った人たちとの関係は今でも続いてるよ。
―いい話ですね。現在の役割分担はどんな感じですか?
ベン:音楽制作は今も僕がメインでやっていて、ルイスはサウンドのナビゲーター的な役割かな。例えば、僕がスタジオで何か作ってると、「いい感じだからそのままいこう」「これはこうしたら?」ってアドバイスをくれる。
ルイス:ベンは今の音楽シーンとかSNSにあまり興味がない。僕は昔からそういうのが得意だったし、今の音楽業界でやっていくには少なくとも必要なスキルだったりするから。
ベン:ああ、僕一人じゃ無理だったよ。もしルイスがいなかったら、たぶんずっと部屋にこもって一人音楽を作ってた(笑)。
ルイス:僕らはちょうど半分ずつ荷物を持ちあってるような、シンボリックな関係だと思う。いいバランスを取れていると思うよ。

Photo by Ophelia Jones - styling by Georgia Alice Currie
―ちょうど10年前、ペッカムに移住して名曲「Midnight In Peckham」を発表されましたよね。あの曲はペッカムでの生活とどう結びついていたんでしょうか?
ルイス: 当時の僕らはサウス・ロンドンのナンヘッドで一緒に住んでたんだけど、よく覚えてるのは、階段を降りると下着姿のベンが自室でPCに向かって黙々と「78 To Stanley Bay」という曲を作ってたこと(笑)。あの頃は自分たちの作ってた曲がほんとに誰かに届くのか、そういったことは考えてなかった。とにかく必死だったから、そんなこと考える余裕もなかったのかも。
ベン:なにせ、めっちゃ貧乏だったから(笑)。
ルイス:お金もなかったし、仕事もなかった。タバコを吸ってただけ(笑)。でも、とにかく学びたいっていう意欲があったから、いろんなパーティーに出向いて音楽を聴き漁ってた。
―当時のペッカムの音楽シーンからはどんな刺激を得ましたか?
ベン:僕らはレコードショップを運営していたから、そこに人が集まってきた。インストア・ライブもよくやってたから、有名なDJたちがプレイしてくれたし、隣には「Balamii」っていうラジオ局があって、毎日誰かのプレイを聴ける環境だった。仕事帰りのお客さんとビール片手に音楽の話をしたり。世界中からいろんな人が来て、友達の輪が広がっていく、まさにコミュニティが生まれていくような感覚があった。
ルイス:毎日音楽に囲まれてたね。音楽シーンについていえば、ブラッドリー・ゼロは特別な存在。彼はシーンの育て親だといってもいい(※「Rhythm Section International」の設立者、「Midnight In Peckham」は同レーベルからのリリース)。
ベン:あの頃に特有のサウンドがあったよね。
ルイス:「サウス・ロンドン・サウンド」って呼ばれてた。アル・ドブソン・ジュニアとか。
ベン:ユセフ・デイズ、ジョー・アーモン・ジョーンズ。
ルイス:それにデュヴァル・ティモシー。あの時代にはムーブメントがあったな。
アル・ドブソン・ジュニアは、2010年代以降のUKハウス/ジャズ/ロウファイ・ビートの交差点に位置する重要人物のひとり
ニュージーランドの原風景を音に
―かたやニュージーランドの音楽シーンでは、どんなアーティストに親近感を抱いてます?
ベン:Eden Burns、Cory Champion、Mongo Skato……。
ルイス:Fat Freddy's Dropは最近のなかだと、かなり影響を受けたバンドのひとつ。Lontaliusっていうシンガーも好き。
ベン:Julien Dyneもいいよね。
ルイス:あとは Christoph El Truentoに……。
ベン:Avantdale Bowling Clubもいいよね。
―ロンドンにいた頃から10年近くが経ち、この度発表されるデビューアルバム『A Deeper Life』では故郷のニュージーランドに立ち返っています。
ベン:そう、コンセプトは「故郷」。育った風景を思い起こすような、海にいるときや、自然の中にいるときの感覚を描きたかった。
ルイス:あるいは、落ち着く感覚。ロンドンで生活しているとどうしても家族との距離ができてしまう。改めてニュージーランドに関心を寄せたのは、僕らのルーツを思い返したかったから。このアルバムは僕らのふるさとの記憶を呼び起こしてくれるんだ。
ベン:家族や友人たちのことを思い出すよね。
ルイス:あとは、ニュージーランド人であることの誇り。そこで育ったからこそ培われた感覚を表現したいと思った。
―冒頭にトゥーイ(国鳥)の鳴き声がサンプリングされていましたが、幼少期の記憶、故郷の自然を表現するために、サウンド面ではどんなことを工夫しましたか?
ベン:前から自然音のライブラリを作りたいと思っていたから、ホリデーでニュージーランドに帰ったときにたくさんフィールドレコーディングをしたんだ。曲のイメージは頭の中にあったし、自然音を取り入れるのは自然な流れだった。
ルイス:今回のアルバムでは、鳥の鳴き声ひとつにしても、ただネットで拾うんじゃなくて僕らの手でレコーディングすることに意味を感じていた。川のせせらぎや波の音も自分たちで録ったよ。細部にこだわったから、アルバム全体に漂う海の音や満ち引きのリズムを感じてもらえると思う。

Photo by Ophelia Jones - styling by Georgia Alice Currie
―ニュージーランドらしさを表現するために、プロダクション面ではどんなところをこだわりましたか?
ベン:ニュージーランド出身のアーティストと多くコラボしたことかな。同じバックボーンを共有していることはサウンドを形づくる大きな要素だった。あと、トラック名も全部ニュージーランドにまつわるもので。
ルイス: 「Ōtaki」は僕らのおばあちゃんが住んでいた場所。「Ōtaki Beach」って場所があって、そこによく遊びに行ってたんだ。「Tongariro Crossing」は父と一緒に登った有名なハイキングコース。アートワークは今でも仲の良い高校時代の友人に頼んだもので、地元の人にとってなじみのある光景だよ。
―お二人にとっても思い出深い場所なんですか?
ルイス:ああ、家から車で5分くらいのビーチ。この間も行ってきたし、今回のプレスショットもそのあたりで撮影したんだ。後ろには大きな火山があって、フェリーで島に渡って火山に登ることもできる。アートワークを描いてくれた友人もすぐ近くに住んでいて、あの風景を見ると「ああ、帰ってきた」って思える。

Photo by Ophelia Jones - styling by Georgia Alice Currie
―お二人はビーチのすぐ側で育ったそうですね。
ルイス:そう、僕らはフェリーが交通手段の小さな町で育ったんだ。大学時代は毎日フェリーで通ってた。車で5分も走ればビーチがあって、放課後は友達と桟橋(ワーフ)から海に飛び込んで遊んでた。砂まみれで家に帰ってさ。それが日常だった。
ベン:ニュージーランドの文化では、そうやって飛び込むことを「マヌ(manu)」っていうんだ。水しぶきを上げて飛び込む遊びのこと。
ルイス: 帰省した時は友人とその子供たちも連れてビーチに行く。子供たちを見てると、自分の子供時代を思い出すよ。ロンドンでは何もかもがすぐに変わってしまうけど、ニュージーランドは昔と変わらない。幼い頃の風景も文化もそのまま残ってる。昔からのフィッシュ&チップス屋が今もあったり。
―今作のサウンドを聴いて「バレアリック」という言葉も思い浮かびましたが。
ベン:バレアリックって、ニュージーランドの雰囲気とすごく似てると思う。まあギリシャっぽさはないけど。
ルイス:よくいう例えは、イビサからクラブを取ったような感じ。自然は豊かだけど、クラブはない(笑)。
ベン:たしかに。クラブのないアフターパーティーみたいな感じ。
―なるほど(笑)。「Marlboro Sounds」は、バレアリックな90年代のイタロハウスから影響を受けたそうですね。
ルイス:ドン・カルロス、Keytronics Ensembleとか、あの時代のイタロハウスは最高。
ベン:その辺のレコードはたくさん集めてる。長い間集めてるから自然と僕らのサウンドに溶け込んでいったんだと思う。ちなみに、タイトルはちょっとした言葉遊びで、ほんとは「Marlborough Sounds」っていう昔よく行っていたリゾート地の名前なんだけど、僕がタバコ(マルボロ)をよく吸うから......ちょっとしたジョークだね(笑)。
過去に敬意を払い、タイムレスな音楽をつくる
―ヴィンテージなリズムボックスの音が心地よく、特に2曲目の「Mountain Mover」がお気に入りです。どんな機材を使ったのでしょうか?
ベン:メインはMPC2000を使ってる。あと、RolandのCR-78のサンプル。ディストーションをかけてテクスチャーを出したりとか。
―今回アルバムを作る上で、新たに使用した機材などはありますか?
ベン:新しい機材を買ったよ。例えばJuno 106、Prophet 6、Ensoniq ESQ-1、SP-2400。
ルイス:新しいプリアンプも何台か導入した。
ベン:リバーブユニットも新調したしね。今回は、ほぼすべてアナログ機材で制作して、RolandのSpace Echoもたくさん使ったよ。アナログ機材って一筋縄ではいかないから、制作には時間がかかった。「このケーブルの端、どこだ?」って、ギターケーブル一本探すのに2時間ムダにしたこともある(笑)。
ルイス:しかも、毎回ちゃんと片付けてるはずなのに、次に使おうとすると絶対どこか壊れてる(笑)。そういうのもあって、完成するまでに時間がかかったんだ。
―別のインタビューで、PCを使わずにビートメイクする方法を学んでいると話していましたが、今作にその成果は反映されていますか?
ベン:うん、僕はアナログで音楽を作るプロセスにすごく興味がある。あの頃の音を再現したいというか、あの頃の波形を形にしてみたいんだ。
ルイス:機材が交信しあってる、あの感じが好きなんだよね。
ベン:そう。僕にとっての瞑想みたいなもの。普段は頭の中がごちゃごちゃして集中できないんだけど、音楽を作ってるときは、気づいたら10時間くらい没頭してたりする。
ルイス:スキルが上がるにつれて、作り方も変わってきたりしてるよね。
ベン:そうそう。細かい音の揺れとか、機械が生きてるような感じって、ずっと見てられるんだ。実際に手で操作している感覚も飽きないし。

Photo by Ophelia Jones - styling by Georgia Alice Currie
―「I Wanna Tell Somebody」はジョシュ・ミランとのコラボ曲。彼とのコラボはいかがでしたか?
ルイス:実はジョシュとはまだ会ったことがなくて、リモートで一緒に制作したんだ。あの曲はインストの段階ですごく気に入っていたけど、もう一捻りほしいなと思ってた。それでボーカルをお願いすることになった時、真っ先に思い浮かんだのが彼だった。そうそう、彼を紹介してくれたのはイタリアのDJ、Volcov。ジョシュに連絡したらすぐに気に入ってくれて、一気に話が進んだ。
ベン:「こんな感じで、身近さを感じられる曲にしたい」ってことだけを伝えたら、彼はすべてを汲み取ってくれた。さすがプロだよ。あの曲はすごく気に入ってる。
ジョシュ・ミランは「Blaze」の一員として1980年代後半から活躍。鍵盤演奏から歌唱までこなし、ルイ・ヴェガなどNYハウスの重要人物とも共演。ソウルフルなハウスミュージックを切り拓いた
―「I Wanna Tell Somebody」のトラックはボサノヴァ的ですね。ブラジル音楽とハウスは密接な関係にあるように思いますが、そういった音楽からの影響も大きい?
ベン:たしか11~12歳くらいのとき、友だちにボサノヴァのドラムパターンを教えてもらったんだ。それがずっと染みついてる。踊り方とかもすごくロマンチックだよね。
ルイス:リズムとパーカッションがすごくいい。まあ、ルーツがドラムだからってこともあると思うけど。あと、ブラジルのバイレファンキも大好き。UKファンキーと同じでグルーヴを感じるというか、体が自然と反応する感じ。
ベン:2拍目と4拍目だけのリズムだけだとつまんないから、ちょっと足したいんだよね。踊るのも大好きだし。
―4曲目の「Tears」は90s R&Bが下地にあるように思いますが、この曲にはどのような背景があるのでしょうか?
ベン:僕はコントローラーズとかRuff Endzみたいな、80年代のファンクっぽいバンドに影響を受けてきた。ストリート・ソウルとか、LAの匂いがする感じ、ああいうプロダクションスタイルがずっと好きなんだ。「Tears」はそういった音楽へのオマージュ。Saucy Ladyのボーカルはよかった。彼女とはすごくスムーズに作業できたんだ。
―「Maintaining My Peace」はGファンクへのオマージュ。この曲に参加しているステファニー・クックには、プロダクションの面でかなり影響を受けているそうですね。
ベン:ディープハウスのボーカリストとして彼女をずっと尊敬してきた。ユニークでロマンチックな声の持ち主。DJで彼女の曲をかけることもあるよ、Blazeの「What Makes the World Go Round」は特にお気に入り。あと、ノヴェリスト!(※UKグライムのラッパー)僕は昔から彼の大ファンでさ。一度彼が家に来たことがあったんだけど、もう緊張しすぎて(笑)。曲を書く前にスタジオで話したんだけど、その会話が歌詞になってる。思い入れのある曲だよ。
ルイス:フックがほしいって思ったとき、「ステファニー・クックに頼めたら最高だよね」って話してたんだ。でもInstagramも見当たらないし……。まだ活動しているのかすらわからなかった。でも、マネージャー経由で彼女につないでもらったら、すぐに前向きな返事をくれたんだ。ジョシュ・ミランもそうだけど、「こんな人たちと一緒にやれるの?」って、ほんと信じられなかった。
―過去とのつながりを大切にしたアルバムでもありますよね。お二人は「In Dust We Trust」というレーベルを主宰されてますが、DJとして信頼している(Trust)過去の音楽を現代的に再提示するうえで、どんなことを大切にしていますか?
ベン:昔の音楽って、若い世代にとっても新鮮に聴こえると思う。いい音楽は時代を問わない。僕らがレーベルでやろうとしてるのは、タイムレスな音楽をつくること。ある時間の枠に収まるものじゃなくて、10年後も聴けるものを作りたいんだ。
ルイス:歳を重ねるなかで、僕はそれを責任感というより光栄なことだと感じてる。今は便利な時代だけど、昔は自分で探しに行かなきゃいけなかったから。(若い世代に)伝えていくことには特別な思いがある。
―歴史を学ぶことはどうして大切だと思いますか?
ベン:何をするにしても、ちゃんとリファレンスを知っておくことって大事だと思う。
ルイス:歴史を知ることで謙虚になれるんだ。歴史を知らないっていうのは、例えば、若くて無知な僕が曲を作って「これは大発明だ!」って一人で浮かれても、周りから「そんなの20年前にもうあったよ」って言われるようなこと。歴史を知れば、自分がどこに立っているのかが見えてくる。
ベン:ちょっと話が変わるけど、ひとつのことに人生を捧げる職人の精神ってロマンを感じるよね。それって日本の文化にも通じてると思うし、好きな理由でもある。
―日本には何度もいらっしゃってますよね。
ルイス:正直、自腹を切ってでも行きたいくらい日本が好きなんだ。子どもがディズニーランドに行くときみたいな感覚っていうか。
ベン:ツアーでいろんな国を回ってるけど、日本に来るのはワクワクするし、毎回すごく楽しみにしてる。
ルイス:ベンは、料理するのも好きで、食にうるさいんだ。日本でラーメンを食べるだけでもしあわせになれる。ほかのどの国にも似てない、ユニークな国だよね。
ベン:ああ、僕らにとって特別な場所なんだ!

Chaos In The CBD
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