米テキサス州オースティンで毎年3月に開催される、世界最大級のビジネスカンファレンス&フェスティバル「SXSW(サウス・バイ・サウスウエスト)」。その歴史は古く、1987年に音楽フェスとしてスタートし、今では様々な業界関係者が参加する見本市へと成長を遂げている。
【写真】打首獄門同好会 at SXSW
打首獄門同好会もそのうちの1組なのだが、その因縁は深い。2020年に初出演が決定していたものの、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大を受けて、イベント自体の開催が中止。それから4年後となる2024年にリベンジを果たそうとするも、ビザの発給が間に合わず出演は叶わなかった。しかし、今年は三度目の正直で見事にオースティンの地を踏むことに成功。しかも、たまたま彼らのライブを観に来ていた現地の大物の目に留まったことで、今、新たな道が開けようとしている――。大澤敦史(Gt/Vo)に「打首獄門同好会とSXSWの歴史」について語ってもらった。
―大澤さんはSXSWの存在をいつ頃から認識していましたか?
めちゃくちゃ昔ですね。打首獄門同好会が駆け出しの頃。当時から知り合いだったバンドにつしまみれがいて、彼らはわりと定期的にアメリカへ行ってたんですよ。そのときに、「ああ、そういうイベントがあるんだ」って知った気がします。
―SXSWに対してどんなイメージを持っていました?
「世界最大の音楽の祭典」みたいな漠然としたイメージでしたね。「なんか大きなお祭りがあるらしい」っていう、ふんわりした感覚しかなかったです。でも「とにかくでかいイベント」っていう印象は強くありました。
―では、実際に出たいと思うようになったのはいつ頃なんですか?
それもまた、漠然としたものでしたね。アメリカに行ってライブをしたい、とは思ってたけど、「このライブハウスでやりたい」とか具体的なビジョンはなくて。とりあえず、アメリカにでっかい音楽イベントがあるなら、そこに出たいよねっていう。それはもう、バンドの初期の段階からぼんやり思ってました。
―大澤さんはもともと洋楽好きですもんね。せっかくなので、大澤さんの洋楽的なルーツについても聞かせてください。
小学生の頃、日本のバンドでいうと、BzとかX JAPANとかそういった存在に影響を受けてギタリストに憧れを持つようになったんですけど、中学2年の頃には、生意気にも、日本の音楽はちょっと物足りないな、もっと歯ごたえのあるギタープレイが聴きたい、みたいな気持ちになって(笑)、当時はネットがなかったから雑誌とかで情報を集めていたんですよ。で、あるとき近所のCDレンタル屋に行ったときに、ヴァン・ヘイレンとMR.BIGのCDが並んでるのを見て、「あ、これは雑誌で見たやつだ!」と思って借りてみたのが洋楽との最初の出会いですね。
―大澤さんの世代的に、その頃のヴァン・ヘイレンというと『Balance』ですか?
そう、まさに『Balance』です。そこで、ヴァン・ヘイレンとポール・ギルバートのプレイに出会って、「海外の人ってこんなの弾くんだ!?」と衝撃を受けて。そこから一気に洋楽にハマっていきました。
―それをきっかけに、スキッド・ロウとか、他のバンドも聴いていく感じですか?
そうですね。なぜか兄弟がスキッド・ロウとかボン・ジョビのCDを持ってたんですよ。それからもう少しあとになって、モトリー・クルーを知りました。その一方で衝撃を受けたのがジャーマンメタル、ハロウィンですね。自分はXを好んで聴いていた影響で「速くて激しくてメロディはキレイで」っていう音楽を探していた時に知って、雑誌で「新譜が出る」って紹介されてたので買ってみたら「これだ!」って。
―L.A.メタルはどんなところに惹かれたんですか?
やっぱり、とっつきやすさですね。ギターはすごくカッコいいのに、メロディは日本のヒットソングのような親しみやすさがあるというか。それは今自分がやってる音楽の曲構成や歌メロの作り方に影響を与えていると思います。重たいバッキングなのにメロディはポップ、みたいな。
左から、Junko(Ba)、河本あす香(Dr)、大澤敦史(Gt, Vo)
5年越しのSXSW──「国境を越えて」証明したこと
―では、SXSWに話を戻します。打首的にはかなり因縁のあるイベントですよね。
そうですね。いろいろありました。
―最初は5年前に出演する予定で、それに合わせたツアーも組んでいました。
そのときはキュウソネコカミと一緒で、「これは楽しいぞ!」っていうプランだったんですけど、コロナ禍でダメになっちゃって。
―そして、それから4年後となる昨年、再び出演のチャンスが訪れたのですが……。
こっちのほうがより苦い思い出です。ビザの取得が間に合わなくて出演できなかったという失態ですね。
―ビザって、ここまでに提出物が揃えば間に合うという明確なラインがないそうで。
特にここ数年は、ビザ取得までの期間がだんだん長くなってきてるらしくて、ややこしいんですよ。去年なんて本当にギリギリでしたから。
―すごい綱渡りですね!
はい、3本目のライブも危ういくらいでした。ちなみに、SXSWは2本目で。
―その3本が自身初となるアメリカでのライブになりました。西海岸を回ったそうですが、いかがでしたか。
いやあ、手探りでしたよ。全部が初めてで言葉も通じないし。でも不思議なもので、どこで知ったのかわからないけど、うちのことを知ってる人が来てくれて、ちゃんと楽しんでくれてて、「(「筋肉マイフレンド」の曲中に)スクワットするぞ!」って言ったらスクワットしてくれて(笑)。
―あはは! それはうれしいですね。
そういうリアクションがあったことで、一定の手応えは感じました。
―数年前、別の媒体で大澤さんに話を伺ったときに、いつか海外でライブをするときは歌詞を英訳してVJで出すと話していましたけど、実際にできたんですか?
はい、ちゃんとやりました。ビザよりもうまくいったくらいで(笑)。飛行機の機内に持ち込めるサイズのプロジェクターを見つけたり、スクリーンも折りたたんで持ち込んだり、いろいろ考えました。結果的に、VJありのライブはしっかり成功しましたね。
―お客さんの理解にもつながったと。
そうですね。面白かったのは、スタッフがフロアの反応を見てくれていたんですけど、字幕を見ながら、「ああ、今はこれを歌ってるのか!」って笑ってる人がいたみたいで。特に「はたらきたくない」っていう曲の<ボスがこわい>って歌詞がアメリカ人にめっちゃウケてました(笑)。逆に、「日本の米は世界一」みたいな曲は全然響いてなかったみたいですね。
―確かに、それは日本人向けのテーマかも。
日本人だったら「そうそう!」ってなるけど、外国人からしたら「ふーん、そうなんだ」くらいで。
―「へ~、それはよかったね」っていう(笑)。
そうそう(笑)。でも、そういう「歌詞の距離感」が違うのが面白いなと思いました。
―サウンド的には、どう受け止められましたか。
映像を後から見返して印象的だったのが、かなり年配の方が最前にいて、「うちのことを知ってて来たのかな? 大丈夫かな?」と思ってたら、曲中にすごい勢いでヘドバンしてたんですよ。
Photo by 森リョータ
―それはうれしい。
見た目は、少なくとも70代、もしかしたら80代だったかも。
―ということは、打首のサウンドはアメリカに馴染めていたんですね。
少なくとも、白けた雰囲気はなかったし、ちゃんと盛り上がってくれてたので、イケてるんじゃないかなと思ってました。で、今年、ようやく5年越しにSXSWに出られました。
―会場となっていたオースティンの街はどうでしたか?
うろうろしたくなる街でした。今回は中心地から離れた場所にホテルを取ったので、次は街中に泊まって気ままに歩いて帰ってくるのもいいなと思うぐらい、雰囲気のいい街でした。
―街全体がお祭り状態なんですもんね。
本当にそう。あちこちで音が鳴ってて、それを街が受け入れてる感じがすごくいいなと思いました。普通なら絶対苦情がきそうな音量でも誰も文句を言わない。あれを街中でできるのはいいですよね。「そういう街だから」っていう前提でみんな住んでる。
―SXSWはどうでしたか。
思ってたよりよかったですね。ちゃんと盛り上がったし、聴いてもらえてた。下手したら、誰も来てくれないんじゃないかっていう心配もあったんですよ。うちは大々的にプロモーションしてるわけでもないし、知名度もそんなに高いわけじゃないので、ガラガラになる可能性も全然あって。でも実際には、「なんでこんなに?」って思うくらい人が来てくれて、ちゃんと会場が埋まって、それは嬉しかったですね。たまたま立ち寄ってくれたのか、日本の音楽に興味があるのか、漏れてくる音を聴いて興味を持って入ってきてくれたのか、実際のところはよくわからないですけど。
―その場にどんな人がいるかわからない状況に対して、どう臨んだんですか?
その点は、日本のフェスやサーキットと似てますね。その場には来てるけど、目当てがうちじゃないかもしれない、次の出演者のために待ってるだけかもしれない、たまたまそこにいただけかもしれない。そういう状況には慣れてるので、あまり深く考えず、フラットにそのままぶつけようっていう気持ちでした。
―奇をてらわずに。
そうそう。変に狙っても当たるかわからないからこそフラットに。あと、熱心なファンがいるかもしれないということも意識しすぎず、「初めまして」くらいの気持ちでやるようにしました。実際にはファンの人も来てくれてたんですけどね。
―でも、打首のライブって、初めて観る人にとってはかなりインパクトがあるじゃないですか。
そうですね(笑)。いきなり魚が飛んできたら、そりゃびっくりしますよね。だから一応、丁寧にはやろうと思って、うちのベースがちょっと英語ができるので、事前に「このあとマグロが飛んできますよ!」って説明してもらってから曲に入る、みたいな段取りは組んでました。
―今年もスクワットはやってくれたんですか?
何人かやってくれましたよ。ただ、去年の西海岸3本のほうがスクワット率は高かった気がしますね。それを思うと、やっぱりSXSWは、業界の人とか、様子見で来てる人が多い印象でした。
―確かに、SXSWには業界関係者が多く参加していて、実際、打首も向こうの業界の偉い人から褒められたそうじゃないですか。
はい。終演後に片付けをしていたらめちゃくちゃご機嫌な人が話しかけてきて。「お前ら、最高だったぞ!」って。で、自分は英語がよくわからなかったんで、英語がわかる関係者を呼んだら、「あんた、すごい人に話しかけられたよ」って言われて。
―えっ、それは誰だったんですか?
ジョンっていう、日本のアーティストがアメリカへ行くときに色々サポートしてくれる第一人者のひとりらしくて、「なんであの人がここにいるの!?」ってざわつくレベルの人だったらしいです。
―それはすごい。その後、話は進んだんですか?
はい、「一緒にやろうぜ!」ということになって、「こういうツアーがいいんじゃないか」とか「お前は本当に猫を飼ってるのか」みたいな話もされました(笑)。どうやら猫の歌(「猫の惑星」)が引っかかったみたいですね。セットリストに入れててよかったです。
―あはは! その出会いだけでもう、SXSWに出演した意味があったという。
本当に。あの出会いだけでも元取った気がしてます。
―そういう出会いが欲しくて、みんなSXSWに出るわけですもんね。だから、一番いい形でそれが叶ったというか。
最上級の叶い方をしたなって。そう思うと、つくづくこの5年が惜しいです。これが5年早かったら、また違ってたかもしれない。
―でも、その方が5年前にいたかどうかもわからないですしね。
そう、結局は今年だったからこその出会いなのかもしれない。
”ガラパゴス音楽”の逆襲──海外進出のリアル
―いろんな経験を踏まえて、SXSWはどういう場所でしたか?
もう、いい印象しかないですね。ちゃんといろんな出会いがあって、夢がある場所だったなと胸を張って言えますよ。いろんな人に紹介できます。ただ、欲を言えば、さっきも言ったようにホテルは街中のほうがよかったなって。もっと雑多な出会いができる環境だったらさらに面白かったかもしれない。あと、何より思ったのは、「英語、勉強しよう」って。
―それ、初めて海外に行ったアーティストはみんな言いますよね。
ですよね。やっぱりコミュニケーションが……。
―いくらスクリーンに字幕を出したとしても、少しでも現地の言葉を喋れるほうが円滑にステージを進められますもんね。
そう。ライブが終わった後にお客さんからすっごい笑顔で話しかけられても、「え? なんて?」ってなっちゃうのが歯がゆくて。
―今後、SXSWを目指す日本のアーティストに向けて、何かアドバイスはありますか?
うーん、サウンドはみんな日々磨いてるだろうし、そのままぶつければいいと思うんですけど、やっぱり英語。多少でも喋れるように、聞き取れるようにしていったほうが絶対いいです。あともうひとつ、ビザの準備は早めに! これは若い人たちに伝えたいです。
―「まだ大丈夫でしょう」って思いがちですよね。
でも、「決まったらすぐ行動」です。海外に行くことが決まったら、経験者にすぐ聞いてほしいですね。
―最近は海外に進出する日本のアーティストも増えてきて、情報共有も進んできてますよね。
そうなんですよ。この前、花冷え。と対バンしたり、その前はCrystal Lakeとも一緒にやったんですけど、打ち上げではそういう話になります。「海外ではこうだった」「こうやったらうまくいった」とか。あと、みんなそれぞれ、海外でのスベらない話を持ってます(笑)。
―そうですよね(笑)。日本のバンドが海外へ出ていく状況についてはどう思いますか?
めちゃくちゃいいと思いますね。日本の音楽シーンって、「国内で出して国内で買う」っていうガラパゴス的な文化として長らく続いてたんで。もちろん、日本人が海外の音楽をもっと聴くのもいいと思うけど、それと同じくらい、日本の音楽が海外に広がっていくのもいいことだと思います。海外で活躍してるアーティストたちを見てると、「いいぞ、やれやれ!」って思うし、自分たちもそれに続いていきたいですね。
―ちょっと前までは、「日本の音楽なんて海外で通じるわけないじゃん」みたいな自虐的な刷り込みがけっこうあったように思うんですけど、そこから徐々に脱却しつつあるのかなと。
そうですね。「いや、日本のバンドはレベル高いし、全然海外で通じるよ!」って実体験として言ってくれる人が出てきたのがすごく大きくて。そうすると「じゃあ、俺らも挑戦してみようかな」っていう気持ちになりますよね。
―だから、もっとポジティブに、自信とプライドを持って向かっていけばいい結果につながる時代になってきてると思います。
そう思います。うちもレコーディングの時は、いつも本気で世界と勝負できる物を作るつもりでミックスとかやってますから。
―逆に、今の欧米の音楽シーンはヒットの仕組みが完成しすぎてて、売れ線に寄せすぎてるように感じる部分もあって。
それはありますね。最近のアメリカのシーンを「うーん……」と思いながら見てるバンド周りの人間はけっこう多いです。
―そういうこともあって、相対的に見ると、最近は個性的な音を出している日本人が増えているようにも感じるんですよね。
一説によると、日本人の細かさが功を奏してるって話もあって。海外から見ると、日本人は機材の扱いとかセッティングとかの突き詰め方のレベルが高いらしいんですよ。海外のバンドがツアーで来日すると、ローディーとか楽器周りの日本人スタッフを指して「お前を連れて帰りたい」って言うぐらい喜ぶらしくて。それくらい日本人の仕事ぶりは評価されてるみたいです。
―それは興味深いですね。こういう時代だし、もはや「洋楽/邦楽」じゃなくて、もっとぐちゃぐちゃに混ざったほうが面白くなりそう。
それぞれの民族性や文化的な特色があって、それが武器になると思うんですよね。白人はこう、黒人はこう、みたいなイメージがあるように、日本人には日本人の卓越した武器があるんじゃないかって。
―その武器に自覚的になることで新しいものが生まれそうな。
もしかしたら、日本語を貫いていることがめちゃくちゃ面白いところに着地する可能性もあると思ってます。
―まさに打首なんて海外には絶対ないタイプの音楽ですもんね。だから、唯一無二のメタルとして海外のメタルフェスに出ることも現実味のある話なんじゃないかと思ってます。今回の経験を経て、今後の活動も徐々に変わっていきそうですね。
そうですね。海外を視野に入れ始めたということでツアーの組み方も変わってくるだろうし、もしかしたらちょっとだけ英語で歌詞を書くことも出てくるかもしれないです(笑)。
―打首の年内の活動はどんな感じになっているんですか?
国内では対バンツアーを始めてて(「ついに対バンミステリーツアー2025」と「ついに対バンしてみようツアー2025」)、若手とか今まで一緒にやってこなかった相手と積極的に対バンしていく予定です。国内は国内でマンネリ化しないように、フレッシュさを意識して、海外ではさらに新鮮な気持ちで臨んでいきたいですね。
配信シングル
「WAZA」
打首獄門同好会
5月28日配信開始
https://orcd.co/waza
"ついに対バンミステリーツアー2025"
5月31日(土)Zepp Nagoya
6月1日(日)Zepp Osaka Bayside
6月15日(日)Zepp Haneda (TOKYO)
■一般発売中
https://eplus.jp/uchikubi/
"ついに対バンしてみようツアー2025"
9月1日(月)岡山 LIVEHOUSE image
9月2日(火)兵庫 THE LIVE HOUSE CHICKEN GEORGE
9月4日(木)京都 KYOTO MUSE
9月9日(火)長野 LIVEHOUSE ALECX
9月10日(水)山梨 KAZOO HALL
9月18日(木)埼玉 HEAVEN'S ROCK SAITAMA SHINTOSHIN VJ-3
9月30日(火)宮城 Rensa
10月2日(木)新潟 NEXS NIIGATA
10月15日(水)愛知 DIAMOND HALL
10月17日(金)広島 LIVE VANQUISH
10月20日(月)福岡 DRUM LOGOS
10月22日(水)香川 高松MONSTER
10月30日(木)静岡 UMBER
11月5日(水)Shinjuku (TOKYO)
11月8日(土)北海道 KLUB COUNTER ACTION
11月9日(日)北海道 KLUB COUNTER ACTION
11月18日(火)大阪 BIGCAT
11月25日(火)沖縄 Output
11月27日(木)沖縄 桜坂セントラル
12月5日(金)Zepp Haneda (TOKYO)
https://uchikubi.site/2025/
その存在は、90年代から「Japan Nite」という日本人アーティストに特化したショーケースを展開してきたこともあり、日本でも音楽ファンを中心によく知られている。90年代には、Thee Michelle Gun Elephant、NUMBER GIRL、ギターウルフなど、近年はVaundy、millennium parade、Awichらが出演している。
【写真】打首獄門同好会 at SXSW
打首獄門同好会もそのうちの1組なのだが、その因縁は深い。2020年に初出演が決定していたものの、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大を受けて、イベント自体の開催が中止。それから4年後となる2024年にリベンジを果たそうとするも、ビザの発給が間に合わず出演は叶わなかった。しかし、今年は三度目の正直で見事にオースティンの地を踏むことに成功。しかも、たまたま彼らのライブを観に来ていた現地の大物の目に留まったことで、今、新たな道が開けようとしている――。大澤敦史(Gt/Vo)に「打首獄門同好会とSXSWの歴史」について語ってもらった。
―大澤さんはSXSWの存在をいつ頃から認識していましたか?
めちゃくちゃ昔ですね。打首獄門同好会が駆け出しの頃。当時から知り合いだったバンドにつしまみれがいて、彼らはわりと定期的にアメリカへ行ってたんですよ。そのときに、「ああ、そういうイベントがあるんだ」って知った気がします。
記憶が曖昧なので自信はないですけど。
―SXSWに対してどんなイメージを持っていました?
「世界最大の音楽の祭典」みたいな漠然としたイメージでしたね。「なんか大きなお祭りがあるらしい」っていう、ふんわりした感覚しかなかったです。でも「とにかくでかいイベント」っていう印象は強くありました。
―では、実際に出たいと思うようになったのはいつ頃なんですか?
それもまた、漠然としたものでしたね。アメリカに行ってライブをしたい、とは思ってたけど、「このライブハウスでやりたい」とか具体的なビジョンはなくて。とりあえず、アメリカにでっかい音楽イベントがあるなら、そこに出たいよねっていう。それはもう、バンドの初期の段階からぼんやり思ってました。
―大澤さんはもともと洋楽好きですもんね。せっかくなので、大澤さんの洋楽的なルーツについても聞かせてください。
小学生の頃、日本のバンドでいうと、BzとかX JAPANとかそういった存在に影響を受けてギタリストに憧れを持つようになったんですけど、中学2年の頃には、生意気にも、日本の音楽はちょっと物足りないな、もっと歯ごたえのあるギタープレイが聴きたい、みたいな気持ちになって(笑)、当時はネットがなかったから雑誌とかで情報を集めていたんですよ。で、あるとき近所のCDレンタル屋に行ったときに、ヴァン・ヘイレンとMR.BIGのCDが並んでるのを見て、「あ、これは雑誌で見たやつだ!」と思って借りてみたのが洋楽との最初の出会いですね。
―大澤さんの世代的に、その頃のヴァン・ヘイレンというと『Balance』ですか?
そう、まさに『Balance』です。そこで、ヴァン・ヘイレンとポール・ギルバートのプレイに出会って、「海外の人ってこんなの弾くんだ!?」と衝撃を受けて。そこから一気に洋楽にハマっていきました。
―それをきっかけに、スキッド・ロウとか、他のバンドも聴いていく感じですか?
そうですね。なぜか兄弟がスキッド・ロウとかボン・ジョビのCDを持ってたんですよ。それからもう少しあとになって、モトリー・クルーを知りました。その一方で衝撃を受けたのがジャーマンメタル、ハロウィンですね。自分はXを好んで聴いていた影響で「速くて激しくてメロディはキレイで」っていう音楽を探していた時に知って、雑誌で「新譜が出る」って紹介されてたので買ってみたら「これだ!」って。
―L.A.メタルはどんなところに惹かれたんですか?
やっぱり、とっつきやすさですね。ギターはすごくカッコいいのに、メロディは日本のヒットソングのような親しみやすさがあるというか。それは今自分がやってる音楽の曲構成や歌メロの作り方に影響を与えていると思います。重たいバッキングなのにメロディはポップ、みたいな。

左から、Junko(Ba)、河本あす香(Dr)、大澤敦史(Gt, Vo)
5年越しのSXSW──「国境を越えて」証明したこと
―では、SXSWに話を戻します。打首的にはかなり因縁のあるイベントですよね。
そうですね。いろいろありました。
―最初は5年前に出演する予定で、それに合わせたツアーも組んでいました。
そのときはキュウソネコカミと一緒で、「これは楽しいぞ!」っていうプランだったんですけど、コロナ禍でダメになっちゃって。
―そして、それから4年後となる昨年、再び出演のチャンスが訪れたのですが……。
こっちのほうがより苦い思い出です。ビザの取得が間に合わなくて出演できなかったという失態ですね。
―ビザって、ここまでに提出物が揃えば間に合うという明確なラインがないそうで。
特にここ数年は、ビザ取得までの期間がだんだん長くなってきてるらしくて、ややこしいんですよ。去年なんて本当にギリギリでしたから。
SXSWを含めた2本ができなくなって、後半の3本だけなんとか間に合って。でも、その3本も相当ギリギリだったんですよ。アメリカ行きの飛行機が出る日の昼に郵便局に駆け込んで、「今からここに届く書類をすぐに受け取りたいんでお願いします!」って頼み込んでその場でビザを受け取って、そのまま羽田へ向かって……。
―すごい綱渡りですね!
はい、3本目のライブも危ういくらいでした。ちなみに、SXSWは2本目で。
―その3本が自身初となるアメリカでのライブになりました。西海岸を回ったそうですが、いかがでしたか。
いやあ、手探りでしたよ。全部が初めてで言葉も通じないし。でも不思議なもので、どこで知ったのかわからないけど、うちのことを知ってる人が来てくれて、ちゃんと楽しんでくれてて、「(「筋肉マイフレンド」の曲中に)スクワットするぞ!」って言ったらスクワットしてくれて(笑)。
―あはは! それはうれしいですね。
そういうリアクションがあったことで、一定の手応えは感じました。
だからこそ、「SXSW、もう一回リベンジしよう!」って自然と気持ちが向かっていったところはありましたね。自分たちのどこを気に入ってくれたのかはわからないですけど、「音楽は国境を超える」っていうのは本当にあるんだなと実感できました。
―数年前、別の媒体で大澤さんに話を伺ったときに、いつか海外でライブをするときは歌詞を英訳してVJで出すと話していましたけど、実際にできたんですか?
はい、ちゃんとやりました。ビザよりもうまくいったくらいで(笑)。飛行機の機内に持ち込めるサイズのプロジェクターを見つけたり、スクリーンも折りたたんで持ち込んだり、いろいろ考えました。結果的に、VJありのライブはしっかり成功しましたね。
―お客さんの理解にもつながったと。
そうですね。面白かったのは、スタッフがフロアの反応を見てくれていたんですけど、字幕を見ながら、「ああ、今はこれを歌ってるのか!」って笑ってる人がいたみたいで。特に「はたらきたくない」っていう曲の<ボスがこわい>って歌詞がアメリカ人にめっちゃウケてました(笑)。逆に、「日本の米は世界一」みたいな曲は全然響いてなかったみたいですね。
―確かに、それは日本人向けのテーマかも。
日本人だったら「そうそう!」ってなるけど、外国人からしたら「ふーん、そうなんだ」くらいで。
―「へ~、それはよかったね」っていう(笑)。
そうそう(笑)。でも、そういう「歌詞の距離感」が違うのが面白いなと思いました。
―サウンド的には、どう受け止められましたか。
映像を後から見返して印象的だったのが、かなり年配の方が最前にいて、「うちのことを知ってて来たのかな? 大丈夫かな?」と思ってたら、曲中にすごい勢いでヘドバンしてたんですよ。

Photo by 森リョータ
―それはうれしい。
見た目は、少なくとも70代、もしかしたら80代だったかも。
―ということは、打首のサウンドはアメリカに馴染めていたんですね。
少なくとも、白けた雰囲気はなかったし、ちゃんと盛り上がってくれてたので、イケてるんじゃないかなと思ってました。で、今年、ようやく5年越しにSXSWに出られました。
―会場となっていたオースティンの街はどうでしたか?
うろうろしたくなる街でした。今回は中心地から離れた場所にホテルを取ったので、次は街中に泊まって気ままに歩いて帰ってくるのもいいなと思うぐらい、雰囲気のいい街でした。
―街全体がお祭り状態なんですもんね。
本当にそう。あちこちで音が鳴ってて、それを街が受け入れてる感じがすごくいいなと思いました。普通なら絶対苦情がきそうな音量でも誰も文句を言わない。あれを街中でできるのはいいですよね。「そういう街だから」っていう前提でみんな住んでる。
―SXSWはどうでしたか。
思ってたよりよかったですね。ちゃんと盛り上がったし、聴いてもらえてた。下手したら、誰も来てくれないんじゃないかっていう心配もあったんですよ。うちは大々的にプロモーションしてるわけでもないし、知名度もそんなに高いわけじゃないので、ガラガラになる可能性も全然あって。でも実際には、「なんでこんなに?」って思うくらい人が来てくれて、ちゃんと会場が埋まって、それは嬉しかったですね。たまたま立ち寄ってくれたのか、日本の音楽に興味があるのか、漏れてくる音を聴いて興味を持って入ってきてくれたのか、実際のところはよくわからないですけど。
―その場にどんな人がいるかわからない状況に対して、どう臨んだんですか?
その点は、日本のフェスやサーキットと似てますね。その場には来てるけど、目当てがうちじゃないかもしれない、次の出演者のために待ってるだけかもしれない、たまたまそこにいただけかもしれない。そういう状況には慣れてるので、あまり深く考えず、フラットにそのままぶつけようっていう気持ちでした。
―奇をてらわずに。
そうそう。変に狙っても当たるかわからないからこそフラットに。あと、熱心なファンがいるかもしれないということも意識しすぎず、「初めまして」くらいの気持ちでやるようにしました。実際にはファンの人も来てくれてたんですけどね。
―でも、打首のライブって、初めて観る人にとってはかなりインパクトがあるじゃないですか。
そうですね(笑)。いきなり魚が飛んできたら、そりゃびっくりしますよね。だから一応、丁寧にはやろうと思って、うちのベースがちょっと英語ができるので、事前に「このあとマグロが飛んできますよ!」って説明してもらってから曲に入る、みたいな段取りは組んでました。
―今年もスクワットはやってくれたんですか?
何人かやってくれましたよ。ただ、去年の西海岸3本のほうがスクワット率は高かった気がしますね。それを思うと、やっぱりSXSWは、業界の人とか、様子見で来てる人が多い印象でした。
―確かに、SXSWには業界関係者が多く参加していて、実際、打首も向こうの業界の偉い人から褒められたそうじゃないですか。
はい。終演後に片付けをしていたらめちゃくちゃご機嫌な人が話しかけてきて。「お前ら、最高だったぞ!」って。で、自分は英語がよくわからなかったんで、英語がわかる関係者を呼んだら、「あんた、すごい人に話しかけられたよ」って言われて。
―えっ、それは誰だったんですか?
ジョンっていう、日本のアーティストがアメリカへ行くときに色々サポートしてくれる第一人者のひとりらしくて、「なんであの人がここにいるの!?」ってざわつくレベルの人だったらしいです。
―それはすごい。その後、話は進んだんですか?
はい、「一緒にやろうぜ!」ということになって、「こういうツアーがいいんじゃないか」とか「お前は本当に猫を飼ってるのか」みたいな話もされました(笑)。どうやら猫の歌(「猫の惑星」)が引っかかったみたいですね。セットリストに入れててよかったです。
―あはは! その出会いだけでもう、SXSWに出演した意味があったという。
本当に。あの出会いだけでも元取った気がしてます。
―そういう出会いが欲しくて、みんなSXSWに出るわけですもんね。だから、一番いい形でそれが叶ったというか。
最上級の叶い方をしたなって。そう思うと、つくづくこの5年が惜しいです。これが5年早かったら、また違ってたかもしれない。
―でも、その方が5年前にいたかどうかもわからないですしね。
そう、結局は今年だったからこその出会いなのかもしれない。

”ガラパゴス音楽”の逆襲──海外進出のリアル
―いろんな経験を踏まえて、SXSWはどういう場所でしたか?
もう、いい印象しかないですね。ちゃんといろんな出会いがあって、夢がある場所だったなと胸を張って言えますよ。いろんな人に紹介できます。ただ、欲を言えば、さっきも言ったようにホテルは街中のほうがよかったなって。もっと雑多な出会いができる環境だったらさらに面白かったかもしれない。あと、何より思ったのは、「英語、勉強しよう」って。
―それ、初めて海外に行ったアーティストはみんな言いますよね。
ですよね。やっぱりコミュニケーションが……。
―いくらスクリーンに字幕を出したとしても、少しでも現地の言葉を喋れるほうが円滑にステージを進められますもんね。
そう。ライブが終わった後にお客さんからすっごい笑顔で話しかけられても、「え? なんて?」ってなっちゃうのが歯がゆくて。
―今後、SXSWを目指す日本のアーティストに向けて、何かアドバイスはありますか?
うーん、サウンドはみんな日々磨いてるだろうし、そのままぶつければいいと思うんですけど、やっぱり英語。多少でも喋れるように、聞き取れるようにしていったほうが絶対いいです。あともうひとつ、ビザの準備は早めに! これは若い人たちに伝えたいです。
―「まだ大丈夫でしょう」って思いがちですよね。
でも、「決まったらすぐ行動」です。海外に行くことが決まったら、経験者にすぐ聞いてほしいですね。
―最近は海外に進出する日本のアーティストも増えてきて、情報共有も進んできてますよね。
そうなんですよ。この前、花冷え。と対バンしたり、その前はCrystal Lakeとも一緒にやったんですけど、打ち上げではそういう話になります。「海外ではこうだった」「こうやったらうまくいった」とか。あと、みんなそれぞれ、海外でのスベらない話を持ってます(笑)。
―そうですよね(笑)。日本のバンドが海外へ出ていく状況についてはどう思いますか?
めちゃくちゃいいと思いますね。日本の音楽シーンって、「国内で出して国内で買う」っていうガラパゴス的な文化として長らく続いてたんで。もちろん、日本人が海外の音楽をもっと聴くのもいいと思うけど、それと同じくらい、日本の音楽が海外に広がっていくのもいいことだと思います。海外で活躍してるアーティストたちを見てると、「いいぞ、やれやれ!」って思うし、自分たちもそれに続いていきたいですね。
―ちょっと前までは、「日本の音楽なんて海外で通じるわけないじゃん」みたいな自虐的な刷り込みがけっこうあったように思うんですけど、そこから徐々に脱却しつつあるのかなと。
そうですね。「いや、日本のバンドはレベル高いし、全然海外で通じるよ!」って実体験として言ってくれる人が出てきたのがすごく大きくて。そうすると「じゃあ、俺らも挑戦してみようかな」っていう気持ちになりますよね。
―だから、もっとポジティブに、自信とプライドを持って向かっていけばいい結果につながる時代になってきてると思います。
そう思います。うちもレコーディングの時は、いつも本気で世界と勝負できる物を作るつもりでミックスとかやってますから。
―逆に、今の欧米の音楽シーンはヒットの仕組みが完成しすぎてて、売れ線に寄せすぎてるように感じる部分もあって。
それはありますね。最近のアメリカのシーンを「うーん……」と思いながら見てるバンド周りの人間はけっこう多いです。
―そういうこともあって、相対的に見ると、最近は個性的な音を出している日本人が増えているようにも感じるんですよね。
一説によると、日本人の細かさが功を奏してるって話もあって。海外から見ると、日本人は機材の扱いとかセッティングとかの突き詰め方のレベルが高いらしいんですよ。海外のバンドがツアーで来日すると、ローディーとか楽器周りの日本人スタッフを指して「お前を連れて帰りたい」って言うぐらい喜ぶらしくて。それくらい日本人の仕事ぶりは評価されてるみたいです。
―それは興味深いですね。こういう時代だし、もはや「洋楽/邦楽」じゃなくて、もっとぐちゃぐちゃに混ざったほうが面白くなりそう。
それぞれの民族性や文化的な特色があって、それが武器になると思うんですよね。白人はこう、黒人はこう、みたいなイメージがあるように、日本人には日本人の卓越した武器があるんじゃないかって。
―その武器に自覚的になることで新しいものが生まれそうな。
もしかしたら、日本語を貫いていることがめちゃくちゃ面白いところに着地する可能性もあると思ってます。
―まさに打首なんて海外には絶対ないタイプの音楽ですもんね。だから、唯一無二のメタルとして海外のメタルフェスに出ることも現実味のある話なんじゃないかと思ってます。今回の経験を経て、今後の活動も徐々に変わっていきそうですね。
そうですね。海外を視野に入れ始めたということでツアーの組み方も変わってくるだろうし、もしかしたらちょっとだけ英語で歌詞を書くことも出てくるかもしれないです(笑)。
―打首の年内の活動はどんな感じになっているんですか?
国内では対バンツアーを始めてて(「ついに対バンミステリーツアー2025」と「ついに対バンしてみようツアー2025」)、若手とか今まで一緒にやってこなかった相手と積極的に対バンしていく予定です。国内は国内でマンネリ化しないように、フレッシュさを意識して、海外ではさらに新鮮な気持ちで臨んでいきたいですね。

配信シングル
「WAZA」
打首獄門同好会
5月28日配信開始
https://orcd.co/waza
"ついに対バンミステリーツアー2025"
5月31日(土)Zepp Nagoya
6月1日(日)Zepp Osaka Bayside
6月15日(日)Zepp Haneda (TOKYO)
■一般発売中
https://eplus.jp/uchikubi/
"ついに対バンしてみようツアー2025"
9月1日(月)岡山 LIVEHOUSE image
9月2日(火)兵庫 THE LIVE HOUSE CHICKEN GEORGE
9月4日(木)京都 KYOTO MUSE
9月9日(火)長野 LIVEHOUSE ALECX
9月10日(水)山梨 KAZOO HALL
9月18日(木)埼玉 HEAVEN'S ROCK SAITAMA SHINTOSHIN VJ-3
9月30日(火)宮城 Rensa
10月2日(木)新潟 NEXS NIIGATA
10月15日(水)愛知 DIAMOND HALL
10月17日(金)広島 LIVE VANQUISH
10月20日(月)福岡 DRUM LOGOS
10月22日(水)香川 高松MONSTER
10月30日(木)静岡 UMBER
11月5日(水)Shinjuku (TOKYO)
11月8日(土)北海道 KLUB COUNTER ACTION
11月9日(日)北海道 KLUB COUNTER ACTION
11月18日(火)大阪 BIGCAT
11月25日(火)沖縄 Output
11月27日(木)沖縄 桜坂セントラル
12月5日(金)Zepp Haneda (TOKYO)
https://uchikubi.site/2025/
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