ファンが長年願い続けてきた夢が、ついに現実になった──パルプが帰ってきたのだ。ジャーヴィス・コッカーが「2000年になったら、みんなで集まろう」と歌ってから30年、愛すべきブリットポップ・バンドがついに本格的に再始動する。2011年と2022年に成功を収めた再結成ツアーの後でさえ、『Different Class』や『This Is Hardcore』といった90年代の名作を生んだこのバンドが、再び新作を届けてくれると本気で期待する人はほとんどいなかった。だが今、まばゆいばかりの新作『More』がリリースされた。「最後のアルバムからもう24年も経ったんだ」と、ジャーヴィスは言う。「自分でも信じられないよ」
パルプは、自分たちの世代を代表する偉大な英国バンドとして歴史に名を刻んでいる。ジャーヴィスは、ロック界屈指のストーリーテラーであり、古着屋スタイルを身にまとったアイコン的存在だった。バンドは長らく誰にも注目されないインディーとして活動を続け、北部の製鉄の街シェフィールドで苦闘の日々を過ごしていた。やがて90年代のブリットポップ旋風のなかで、「Common People」のようなセックスとショッピングをテーマにしたヒット曲で一躍ブレイクを果たす。とはいえ、彼らは常に自分たちのスタイルを貫いていた。図書館とゴス・クラブの路地裏で出会った、70年代のグラム・ロックと80年代のシンセ・ディスコが融合したようなサウンド。そしてジャーヴィスは、辛辣なウィットを効かせた語り口で、何気ない日常の一コマを「Disco 2000」や「Do You Remember The First Time?」のような名曲へと昇華させてきた。
本日6月6日にリリースされた『More』でパルプが踏み込んだのは、未知の領域──それは「大人の人生」だ。「ある人に”年相応なアルバムだね”って言われたんだ」と、ジャーヴィスは語る。「それを褒め言葉として受け取るべきなのかどうか、正直迷うけど……まあ受け取るしかないね。だって、僕はもう大人なんだから」
この日、ジャーヴィスが腰を下ろしているのは、ロウアー・イースト・サイドでも伝説的な老舗食堂、カッツ・デリカテッセン。冷たい雨の午後、63歳の彼は、英国ロックスター紳士の風格をそのままに佇んでいる。ニューヨークのデリ料理を味わうのは今回が初めてだそうで、チーズ・ブリンツとチキンスープに興味津々だ。店内は長蛇の列ができるほどの賑わいで、スタッフは愛想のないことで有名だが、”ジャーヴィス・コッカーの魔法”が効いたのか、この日はなぜか皆、彼が何時間もリラックスしておしゃべりするのを気前よく許してくれる。誰も彼に気づかないが、それは問題ではない。ジャーヴィスがその場にいて迷惑だと思う人なんて、自然の法則として存在しないのだ(ふと見上げた壁にジェリー・ルイスの額入り写真を見つけて、思わず「おっ」となり、スマホでパシャリ──それが彼がその日、唯一スマホを手に取った瞬間だった)。
今回のパルプの新曲のいくつかは、昔のスケッチを仕上げたものだが、大半はまったくの新曲で、2022年の再結成ツアー中のサウンドチェックやリハーサルを通じて丁寧に作り上げられた。「『Grownups』が一番古い曲だね」と彼は言う。「ずっと『Grownups』というタイトルはついていたんだけど、歌詞がまったく書けなかった。
新作を生み出した「きっかけ」
バンドの再結成というと、どこか切ない空気が漂うことが多い。金銭的な事情だったり、感情のもつれだったり──だが、今回のパルプの再始動には、もっと温かく、穏やかな気配がある。パルプは今も、地元で育った仲間たちによるバンドだ。ドラマーのニック・バンクス、ギタリストのマーク・ウェバー、キーボーディストのキャンディダ・ドイル──この長年の核となるメンバーに加えて、現在は弦楽セクションを含む10人編成へと拡張されている。アルバム全体のムードを象徴するのが、人生半ばのラブバラード「Farmers Market」だ。「僕らは夢を試着してるつもりだった」と、ジャーヴィスは歌う。「まさかその夢を、残りの人生ずっと着続けることになるなんて、思ってもみなかった」
2000年代初頭、パルプは息切れするように活動を終えたが、メンバーたちはそれぞれの人生を歩み始めた。そのなかでも、ジャーヴィス・コッカーはずっと、世界のポップシーンで最も求められる存在のひとりであり続けている。彼のバンドJarv Is...は、2020年に傑作『Beyond the Pale』を発表。パンデミック下のアンセムとも言える「House Music All Night Long」で注目を集めた。
今回の新作『More』を生みだす最大のきっかけとなったのは、長年の仲間であるスティーヴ・マッキーの死だった。彼はパルプのベーシストであると同時に、ジャーヴィス・コッカーのソロ活動でも右腕のような存在だった。「スティーヴが亡くなったとき、よくある言い方だけど、”現実に引き戻される”ような感覚があったんだ」と、ジャーヴィスは語る。「その出来事が、自分たちにはまだ創造できる時間が残されているってことに気づかせてくれた。今この瞬間にも、何かを作ることはできる。まだ生きてるならチャンスはある──だったら、今やるしかないって」
そうして、彼は昔の仲間たちに声をかけた。「”来年のはじめに集まって、ちょっとリハーサルしてみない?”って言ったんだ。
2022年の再結成ツアーで驚かされたことのひとつは、新曲に対して観客が熱狂的な反応を見せたことだった。「古い曲もあるけど、もう一度息を吹き込むことができたんだ」と、ニューヨーク公演でジャーヴィスは語り、続けて観客が最も聞きたがらない”あの6語”を口にした──「それじゃあ、新曲をひとついいかな?(So how about a new song?)」
こういう場面では、たいていの観客がバーカウンターかトイレに向かうものだ。だが、パルプのオーディエンスは違った。歓声を上げ──いや、悲鳴を上げるほどに──新曲を歓迎したのだ。とりわけ熱狂を呼んだのが、「Spike Island」だった。ボウイ風のシンセ・グラム・アンセムで、ジャーヴィスはかつての夢──ロックスターになるという若き日の幻想──がどのように消えていったかを振り返る。〈僕はパフォーマンスするために生まれてきた。
「もうひとつ大きかったのは、6月に結婚したことだと思う」と、彼は語る。「長いあいだ一緒にいた相手だったんだけど、2018年に一年間だけ別れて……そのあとまた一緒になった。あの関係を取り戻せたのは、本当に運がよかったと思ってる。人生のコツって、変化にどう向き合うかなんじゃないかな──まあ、人生のコツなんて偉そうに言える立場じゃないけど、経験上そう思うんだ。僕はずっと”変化”ってものがあまり好きじゃなくて。でも、流れにただ飲まれるんじゃなくて、その波にうまく乗っていく努力はしないといけないよね」
パルプの「いびつさ」とメンバーの個性
今回のアルバム制作は、たった3週間で完成した。かつてのやり方とは大きく異なるスピード感だった。「すごく早く仕上がったよ。まあ、中には昔からあった曲もあるけどね」と、ジャーヴィスは語る。「たぶん一番驚いてたのはバンドのメンバーたちだったと思う。
ジャーヴィスはこれまで数多くのアーティストと自由奔放にコラボしてきたが、『More』には確かに「パルプらしさ」が刻まれている。『His N Hers』や『Different Class』に漂っていた、あのくたびれたグラム感が蘇っているのだ。「パルプがパルプっぽく聴こえるいちばんの理由は、ドラマーのニックがとにかくメチャクチャ大きな音で叩くからだと思う」と、ジャーヴィスは語る。「それで、他のメンバーもみんな”自分の音を聞かせなきゃ”ってなる。だから常に、すごくエネルギーがあるんだ。みんな必死で、ニックの上から自分の音を通そうとしてるからね」
「それに、キャンディダには動作の制限もある」──彼女は10代の頃から関節炎を抱えている──「だから自分の体でできる範囲で、どうやってパートを成立させるかを考えなきゃいけない。そうやって、メンバーそれぞれが自分の事情を抱えながら、互いに噛み合うように工夫して演奏する。そういうバランスのなかから”パルプの音”が生まれるんだよ。僕は彼らがいてくれて本当に良かったと思ってる。まあ、ときにはイラっとすることもあるけどね。ドラマーっていつも”テンポ速くなってるよ!”って注意されがちだし。まあ、『Common People』なんてBPMが20も速くなってるけど、そこがあの曲のエネルギーの源でもあるわけでさ」

プロデューサーのジェームズ・フォード(アークティック・モンキーズ、フォンテインズD.C.等)も、パルプの「いびつさ」を隠そうとはしなかった。「そもそも僕たちがバンドを始めた頃って、ああいうやり方しか知らなかったんだよ」とジャーヴィスは言う。「当時はPro Toolsなんて存在してなかったから、あとから演奏を整えることなんてできなかった。タイミングを完璧に揃えるとか、そんな加工は無理だった。でも、人間が音楽を作る意味って、そういう”ズレ”とか”癖”があることなんじゃないかな?」
パルプ解散後も、ジャーヴィス・コッカーは公の場で活動を続けていたが、他のメンバーたちは地元シェフィールドに戻り、それぞれの「普通の生活」を選んだ。2014年のドキュメンタリー映画『Pulp: A Film About Life, Death, and Supermarkets』には、ドラマーのニック・バンクスが、10代の娘のサッカーチームのスポンサーをしていることを自慢げに話す一方で、娘は「パパのダサいバンド」と呆れ顔をする、という微笑ましいシーンがある。
「ニックはいま、エヴァリー・プレグナント・ブラザーズっていうシェフィールドのバンドで活動してるんだよ」と、ジャーヴィスは誇らしげに語る。「有名曲をフォーク風にカバーして、歌詞を南ヨークシャーのネタに変えるっていうスタイルでさ。たとえば、シェフィールドにはHendersons Relishっていう名物ソースがあって、コールドプレイの『Yellow』を『It was all Hendos(ぜんぶヘンダーズ)』に替えちゃうんだ」
ロックンロールのきらびやかさなんて、どこへやら。「キャンディダはカウンセラーとして、ストレスを抱えた人たちと向き合う仕事をしてる。マークは昔から実験映画に関心があって、その分野で本も何冊か出してる。でも、音楽活動となると、マークもキャンディダも、ここ何年もやってないね」
では、彼らが再び音を鳴らそうと思ったきっかけは何だったのか?「ただ、電話したんだよ」とジャーヴィスは言う。「みんなで僕の家──シェフィールドのちょっと外れなんだけど──に集まって、ただ話をした。それから一度だけ、試しにリハーサルをやってみたんだ。運良く録音なんてされてなかったけど、僕のリビングで楽器を持ち込んでさ。たしか4曲くらいやったかな。で、”うん、やってみようか”って感じになったんだ。なんだろうね……単なる好奇心だったのかもしれない」
2011年に行われたパルプの最後のツアーは、完全にヒット曲オンリーに徹したものだった。新作アルバムを売り込むことは一切せず、これまでの楽曲を誠実に演奏することに誇りを持っていた。しかし、それは同時に、心の中に残っていた「感情の整理」をつけるための旅でもあった。「あれは自分なりの後片付けだったんだと思う」と、ジャーヴィスは打ち明ける。「パルプって、あまり良くない形でフェードアウトしてしまった印象があってね。それに、ギターのラッセルがバンドを辞めたことに、ずっと引っかかりを感じていたんだ」
ラッセル・シニアは1997年まで在籍していた主要メンバーで、パルプの創造的な原動力のひとりだった。バンドが絶頂期にあった頃に脱退し、今では地元でアンティーク商を営んでいる。「2011年のツアーのとき、彼をもう一度誘ったんだ」とジャーヴィスは振り返る。「最初は一緒に数回プレイしてくれて、アメリカ公演にも来ようとしてたんだけど……もう飛行機に乗らないって決めててね。船で渡ろうとしたけど、それもダメだった。で、結局あきらめちゃったんだよ」
あのツアーを観ることができた幸運な人なら誰もが語るだろう──それは音楽的にも、商業的にも、そして何より感情的にも、圧倒的な成功だったと。「僕としては、あれで終止符を打つつもりだったんだ」と、ジャーヴィスは言う。「きちんとした形で締めくくり、少し痛みを伴う記憶じゃなくて、心地よく思い出せるものにしたかった──ちゃんと、そうなったと思うよ」
このコアメンバー4人には、何十年にもわたる共通の歴史がある。「それがまた、いいところなんだよね」と、ジャーヴィスは語る。「僕らって、実はそんなに友だち付き合いしてるわけじゃないんだ。顔を合わせることはあるけど、今回またバンドを始めるまでは、年に1、2回会うくらいだったと思う。でも、また一緒に演奏できて、何かを一緒に作れるんだって実感できたのは、本当にうれしかった。みんな、そのことをすごく喜んでると思うよ」
ステージ上での彼らの仲の良さは、客席から見ていてもはっきりと伝わってくる。「そう見えてるならうれしいよ。まあ、僕たちが単にナイーブなだけかもしれないけどね」と、ジャーヴィスは笑う。「リンジー・バッキンガムがまだいた頃のフリートウッド・マックのライブを観たことがあるけど……彼が観客にすごく熱心に話しかけすぎてて、ちょっとイラっとするのもわかるんだよね。他のメンバーも、見てて明らかに”ふぅ……”って感じだったし。その点、僕たちはまだ誰も誰かを怒らせたりしてない。残念ながらね。いまだにちゃんと口きいてるしさ」
10代における性的な混乱、ディランからの学び
パルプは常に、地元シェフィールドとの深い結びつきを持ってきた。1992年のエレクトロ・スリーズなカルト曲「Sheffield: Sex City」のように、街へのオマージュを捧げた楽曲も生まれている。最新作『More』のハイライトのひとつ「My Sex」では、ジャーヴィスと彼の妹がそこでどのように育ち、労働者階級の母親のもと、女性たちに囲まれて過ごした幼少期が描かれている。
「僕が育ったのは、男たちが誰もいない地域だった」とジャーヴィスは振り返る。「父親はみんな出ていっちゃったんだ。僕の父親も、叔母の夫も、母の親友の旦那も。まるで同じ時期に一斉にいなくなったみたいだった。たぶん数カ月の間にね。母の兄も亡くなっていたから、あの頃僕の周りにいた唯一の男性は祖父だけだった。で、その祖父がセックスをしている姿なんて、想像すらできなかった。だから僕は思春期を迎えながら、それについて知りたいと思うようになった。けど、手がかりが何もなかったから、母とその友人たちがこっそり話している内容を盗み聞きして学んだんだ。みんな恋愛やデートのことを話していて、”いま何が起きてるか”を共有してた。そうして僕は、すごく女性的な視点から性について学ぶことになったんだよ」
そうした環境は、彼の10代における性的な混乱の一因にもなった。「僕はもともとかなり内気だったから、誰かと付き合い始めるだけでも十分大変だった」と、ジャーヴィスは語る。「さっき話したような”混ざり合ったメッセージ”があったせいで、余計にややこしくなったんだよね」
しかし、まさにその複雑さこそが、ジャーヴィス・コッカーを異色のセックス・シンボルとして唯一無二の存在にしてきた。90年代の他のブリットポップ・スターたちと違い、彼は常に女性キャラクターへの強い関心を抱いてきた──「Inside Susan」や「Underwear」といった名曲に見られるように。
「僕は昔から、男性よりも女性と友だちになるほうが自然だった。というのも、女性と一緒に過ごす経験のほうが多かったから。それはそれで、まったく問題ないと思ってる」と彼は言う。「これまで何曲か、女性の視点から書いた歌もある。厚かましいかもしれないけど、女性としての感覚を完全に理解してるわけじゃない。でも、そういう曲の多くは、僕自身の行動を女性の目線から見直してるんだ。そうやって、自分自身を問い直すような感覚なんだよ」
『More』制作時の新たなインスピレーションのひとつは、それまであまり注目してこなかったロックの詩人だった。「ボブ・ディランを聴き始めたんだ。人生で初めてね」と、ジャーヴィスは語る。「きっかけは電車だった。ヴィクトリア線ってすごくうるさいんだよ。あの音を我慢するには耳を塞いで乗るしかない。でも、どうせなら指を突っ込む代わりに、ボブ・ディランを聴こうって思ってさ。最初に聴いたのは『Blood on the Tracks』だった。『Tangled Up in Blue』で完全にハマったよ。で、次の曲はなんだったっけ……『Simple Twist of Fate』か。彼のストーリーテリングって本当に魔法みたいなんだ」
ポップカルチャーの「チープさ」をこよなく愛することで知られるジャーヴィスだが、意外にも現代のラジオシーンにはほとんどアンテナを張っていない。チャペル・ローンからビリー・アイリッシュ、オリヴィア・ロドリゴに至るまで、現代の若きスターたちは、ジャーヴィス的な「ガラクタの美学」を感じさせる語り口で物語を紡いでいる。だが、それらについて尋ねられると、彼はにこやかに微笑み、「チェックしてみるよ」と答えるばかりだ(ちなみに最も顕著な例を挙げれば、「Pink Pony Club」なんて、もしパルプが手がけていたら完璧なバンガーになっていただろう)。
「現代のポップについては、まったく無知なんだ」と、彼は率直に認める。「昔はイギリスのチャート番組を毎週日曜に聴いてたけど……最後に聴いたのはたぶん2000年代に入る前だね。だから、僕が思い描く”ポップミュージック”像は、かなり古びたものになってる。テイラー・スウィフト? マークの娘が大ファンで、何度か一緒にライブに行ったらしいけど……僕自身は、正直あまり曲を知らないんだ」
パルプの楽曲がTikTokで若い世代に発見されていると伝えられると、彼は少し驚いたように言う。「本当に? TikTokなんて一度も見たことないよ。まずTwitterを試したけど、あれは本当に耐えられなくて……30分でやめた。でもInstagramは気に入ったな。絵葉書を送るみたいで、いい感じなんだよ」
「成長する」ということ
とりわけアメリカでは、パルプの評価はいまや現役時代を遥かに超えるものとなっており、『More』のリリースはまさに絶好のタイミングと言える。だが、世代や国を超えたこの広がりについて、ジャーヴィス自身は正直に困惑を隠さない。「僕は本当に、人生の多くを曲作りに注いできたんだ」と彼は語る。「そのせいで、現実の人生がうまくいかなくなることもあった。だって、曲の中では恋人にすら言えないようなことを平気で言ってしまうんだから。それでトラブルになったこともあるし、正直いいことじゃない。でもさ……そういうのって、自分で完全にコントロールできるものじゃないんだよ」
「曲を書こうと思って机に向かっても、まったく何も出てこないこともある。それは本当に苦しい瞬間だ。だから、これまで何度か”もうやめよう”って思った。でも、結局は戻ってきてしまう。まるで魔法のようなものなんだ。自分でもよくわかっていない”何か”と繋がっている感覚があって、でもそれを理解しようとしたり、操ろうとしたりすればするほど、すっと逃げていってしまう。つかまえようとした瞬間に、ふっと消えてしまうんだ」
「Grownups」は、長年にわたって”つかもうとしてきた”曲だった。そして今や、『More』というアルバムの中心に位置する一曲となり、ある意味で彼自身とこの曲は、共に成長してきた存在とも言える。〈松葉杖で震えてた/生きてるというより死んでた/1985年のクリスマスだった〉──そう歌うこの曲は、彼が22歳のときの、自堕落だった若き日の自伝的な物語だ。
「あれは退院したときのことなんだ」と、彼は回想する。「窓から落ちて入院して、クリスマスの前日に退院したんだよ。たぶん、あれが成長(growing up)の一歩だったんだと思う。学校は辞めて、バンドを頑張ろうとしてたけど、うまくいってなかった。結局、窓から落ちる羽目になって……それでたっぷり考える時間ができた。そして決めたんだ。もうシェフィールドを出て、何か別のことに挑戦しなきゃって」
その冬、ジャーヴィスはのちに長く続くことになる恋愛関係にも足を踏み入れることになる。「『Grownups』のなかで描いている夜、初めて彼女の家に行ったあの夜は、自分にとってすごく重要な瞬間だった」と、彼は語る。
「実はちょっと奇妙だったんだけど、翌朝、チャレンジャー号が爆発したというニュースが流れたんだ。当時の僕は、外の世界で起きる出来事すべてに”兆し”のような意味を感じ取ろうとしていてさ。子どもの頃なんて、”大きくなったら宇宙に行くんだ!”って本気で思ってた。でも、あの宇宙船が爆発したのを見て、”ああ、もう宇宙には行けないんだ。君は今、恋愛関係にいる。それで終わりだ”って考えちゃった。まあ、ものすごく未熟な思考回路だったよね」
だが、かつて未熟だった22歳の彼は、その後も何年もかけてこの曲を育てあげ、「Grownups」は最終的に壮大な決意表明のような楽曲へと昇華していった。「最後に仕上げたのは、語りのパートだった」と彼は語る。「別の惑星に行く夢の話で、自分がいた場所を振り返って見てるんだけど、もうそこには戻れない……そんな夢を10年前に見たんだよ。それが曲の雰囲気にすごく合ってるように思えたんだ。『Grownups』は一番古い曲だけど、今ではアルバムの中で一番長い曲になった。歌詞の量も一番多い。だから、ようやく形にできた裏では、それなりに手間もかけたって言えるんじゃないかな」
偶然の幸運と奇妙な災難に満ちたキャリアの果てに生まれた『More』は、ジャーヴィスとパルプの仲間たちが歩んできた年月の総まとめのような作品だ。「すごく自然にできたんだよね」と、少し申し訳なさそうに微笑みながら彼は語る。「怠けてるように聞こえるかもしれないけど、これはひとつ学んだことなんだ。物事が本当にうまく動いているときって、こういうふうに”するっと”進むものなんだよ」
「大事なのは、メッセージが来たときにそれをちゃんと受け取る準備ができてるかどうかなんだ。もし頭で考えすぎてると、そのメッセージは跳ね返っちゃう。でも、心を開いていれば、それはすっと自分の中を通り抜けていく。そして自分なりに少し手を加えながら形にしていく。でもそれは、”自分が作った”というより、”通り過ぎた何か”を受け取って調整しただけなんだよね。今回の曲の中には昔のものもあれば、新しく書いたものもある。でも、どれも”今だからこそ生まれた”ものだと思う。これまで経験してきた、あまり楽しくなかったことも含めて、すべてを通り抜けた”この瞬間”にしか、形にできなかった作品なんだ」
幸運というものに対してどこか用心深い彼ではあるが、ようやくそれを受け入れるすべを見つけつつある。「音楽って、本来シンプルなものなんだ」と、彼は言う。「いや、人生だって本当はシンプルなはずなんだけど、そうはいかないことが多い。でも、物事がシンプルに進むときって、本当に素晴らしいよね」
From Rolling Stone US.

パルプ
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