「愛する父、ブライアン・ウィルソンが亡くなったことをお知らせするのは、胸が張り裂ける思いです。今は言葉が見つかりません」と、家族はSNSに投稿した声明で述べた。「私たち家族は今深い悲しみの中にあります。どうかプライバシーを尊重してくださいますようお願いいたします。私たちの悲しみが世界中の皆さんと共有されていることを実感しています」
家族は死因を明らかにしていないが、2024年2月には、ビーチ・ボーイズの伝説的存在であるウィルソンが認知症と闘っていることが公表されていた。
We are heartbroken to announced that our beloved father Brian Wilson has passed away.
We are at a loss for words right now.
Please respect our privacy at this time as our family grieving.
We realize that we are sharing our grief with the world.
Love & Mercy pic.twitter.com/sIe7TUUdOm— Brian Wilson (@BrianWilsonLive) June 11, 2025
ウィルソンの遺産には、ビーチ・ボーイズとしての数多くのヒット・シングルが含まれており、「I Get Around」「Help Me, Rhonda」「Good Vibrations」の3曲は全米1位を獲得した。1960年代、ビーチ・ボーイズはアメリカでもっとも成功したバンドであるだけでなく、ビートルズと並び世界的な覇権を争っていた。また『Pet Sounds』のようなアルバムにおいて、ウィルソンは豪奢でオーケストラ的なプロダクション手法によってロックンロールの音のパレットを大きく拡張し、レコーディング・スタジオそのものを一つの楽器として機能させる可能性を示した。
ブライアン・ウィルソンの生涯
1942年6月20日、カリフォルニア州ホーソーンに生まれたウィルソンは、音楽に没頭し幼い頃から弟たちにハーモニーを教えた。父マリーは作曲家志望だったが専制的な人物で、ウィルソンは自伝で「父は僕たちに心理的・肉体的虐待を加えた」と回想している。
1961年、兄弟のデニス、カール、いとこのマイク・ラヴ、友人アル・ジャーディンとビーチ・ボーイズを結成。
ウィルソンは作曲家としてさらなる高みを目指し、「I Get Around」では重厚なサーフギターとファルセットのボーカルを導入。だが1964年、ヨーロッパツアー中に神経衰弱に陥り、以後はツアーを離れてスタジオ作業に専念。こうして完成したのが名盤『Pet Sounds』である。ビートルズの『Rubber Soul』に刺激を受けて制作された同作は、ビートルズの『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』での実験精神を後押しし、後世のミュージシャンに絶大な影響を与えた。ポール・マッカートニーは「God Only Knows」を「史上最高の曲」と称賛している。
1966年には「Good Vibrations」を発表。テルミンや重層的なボーカルを駆使し、6か月・当時最高額となる1万6000ドルの制作費をかけたシングルは、ウィルソンの音楽的探求の頂点の一つとなった。その後、ウィルソンはさらなる高みを目指してスタジオに戻り、アルバム『Smile』の取り掛かった。彼は友人たちに、これを「神へのティーンエイジャー交響曲」と呼んでいた。作詞家ヴァン・ダイク・パークスと共に、ポピュラー音楽のあり方を一新しようと、精緻に構成された音楽組曲を制作し始めたが、セッションは次第に頓挫。
2024年2月、長年のマネージャーで二人目の妻だったメリンダの死から数週間後、家族はウィルソンが認知症を患っていることを公表し、継続的なケアのため後見制度の申請が行われた。当時家族は声明で、「家庭環境が大きく変わらぬよう配慮し、ブライアンと同居する子どもたちもこれまで通り適切なケアを受けながら同じ家で暮らせるようにします。ブライアンは家族や友人たちとの時間を楽しみ、現在進行中のプロジェクトや希望する活動にも引き続き取り組めるでしょう」と述べた。
【追悼】ビーチ・ボーイズ大名曲「God Only Knows」1966年の秘蔵ライブ映像
From Rolling Stone US.