女性に愛されたニンテンドーDS
ニンテンドーDSを初めて開けたときの記憶は、正直あまりはっきりしていない。子どもの頃に手にした新しいおもちゃや電子機器、ゲーム機の多くと同じように、きっと誰かからのプレゼントだったのだと思う。私のニンテンドーDSはライト版で、カラーはコーラルピンク。内側のマットなピンク色に合わせた、小さくて短いタッチペンが付いていた。
当時はまだ「古いiPhoneがキッチンの引き出しや空の靴箱に溜まっていく」ような携帯電話の墓場現象も存在しなかった。私は兄たちから苦労して奪い取った、テープで留められた充電式バッテリーパック付きの使い込まれたゲームボーイアドバンスSPを使っていた。でも、ニンテンドーDSは、我が家で初めて「完全に自分専用」のゲーム機だった。
ゲーム史の中で、携帯ゲーム機は往々にして「どの企業が今もっとも勢いに乗っているか」「どの企業が競争に後れを取っているか」を象徴する存在となる。任天堂にとってのDS──標準的なチノパンのポケットにも収まる、タッチ操作対応の二画面ポータブル機──が登場したのは、ちょうど新たなライバルであるPlayStation Portable(PSP)と時を同じくしていた。DSはリスクを伴う賭けだったが、結果的に史上最も売れたゲーム機のひとつとなる大成功を収めた。DSの開発や、その人気ソフトのいくつかが「偶然の産物」として語られることもあるが、この先進的なマシンが成し遂げたのは単なる新しいゲーム機の誕生にとどまらなかった。それは、ゲームという文化そのものの裾野を広げ、「ゲームとは何なのか」「誰のためにあるのか」という定義を押し広げていったのである。
ニンテンドーDSが採用した数々の大胆なデザインは、ゲーム機としての使いやすさだけでなく、その独自の美しさにもつながっていた。PSPのように親指操作のスティックを新たに搭載するのではなく、あくまでゲームボーイ以来のボタン操作を基本に据えたことで、DS向けのクラシックなゲームはすべてボタン操作に最適化される必要があった。一方で、タッチスクリーンやマイク、タッチペンの存在によって、従来のシューター系タイトルなどの操作に不慣れな人でも楽しめるゲームが多数登場した。そしてデュアルスクリーンの導入は、ライフスタイル系ゲームの爆発的な成功を生み出し、「どれだけ多くの女性ゲーマーが存在していたか」という事実にも、世の中が大きく気づくきっかけとなった。
ゲーム業界は常にジェンダーの偏りを抱えてきた。「女性を取り込むことに関して、当時のゲーム業界がどれほどひどい状況だったか、いくら強調してもしすぎることはありません」──ガーディアン紙のゲーム編集者ケザ・マクドナルドは、昨年11月にRolling Stoneの取材にこう語っている。「広告では、あからさまな性差別的表現がほぼ無制限に許されていました」。しかしニンテンドーDSでは、同機の売上上位タイトルの多くが「女の子向けゲーム」と位置づけられる作品だったことを、もはや無視するのは難しくなっていた。
『ニンテンドッグス』(2005年)では、子犬をお風呂に入れたり、散歩させたり、トレーニングしたりと、プレイヤーは次々と子犬の世話をすることができた。しばらく世話を怠ると、ノミだらけでクンクン泣く子犬に出迎えられることになる。一方、定期的にプレイすれば、健康で訓練された賞を総なめにする立派な犬舎を作り上げることもできた。この流れの中で、『どうぶつの森』、『クッキングママ』、あるいは筆者自身が「お気に入りの失敗作」として挙げる『ザ・アーブズ シムズ・イン・ザ・シティ』といった、今でいう「cozy系」(プレイヤーにストレスや緊張を与えず、リラックスした空間でまったり楽しめるジャンル)に近いタイトルも次々と登場していった。
さらに『脳を鍛える大人のDSトレーニング』(2005年)は、パズル、単語記憶、数独といった教育系ミニゲームを取り入れ、毎日DSの音声認識やタッチ操作を使ってプレイすることが推奨された。『脳トレ』は2008年までにアメリカ国内でDS用ソフトの売上トップ10入りを果たしている。一方、『ニンテンドッグス』は全世界で2000万本以上を売り上げ、『マリオカートDS』すら上回るヒットとなった。そしてその成功は、これまであまり知られていなかった、あるいは誤解されていた統計も浮き彫りにした。DSユーザーのほぼ半数は女性だったのである。
初めてのオンライン体験、デジタルコミュニティとの出会い
ライフスタイル系ゲームへの注力とその評価によって、DSは単なるゲーム機から「世代を象徴するデバイス」へと進化した。多くのZ世代ゲーマーにとって、DSは初めて手にしたスマートフォンのような存在だった。デザインは洗練されており、持ち運びもしやすく、つまりはバックパックやロッカーにこっそり隠すのも簡単だった。まだ「無制限のテキストメッセージ」など存在しなかった時代、DSの無線機能によって『ピクトチャット』は、友人同士が自由に会話や交流を楽しめる無制限のコミュニケーション空間となった。
@ourladyofsrrows チャペル・ローン、ニンテンドーDSで彼女のライブを撮影しているファンを見つけて「ちょっと、それってDS?(Bitch, Is That a DS?)」「そのままDSで撮り続けて」
その後のモデルではカメラも搭載され、今となっては「史上最低画質の動画」とも言える映像を撮影できるようにもなった。プレイステーションよりも安価な価格でDSを手に入れれば、ほんの2年前なら「実験的」と評されていたであろう様々なゲーム体験の世界に飛び込むことができた。友だちがDSを持っていれば、そこにはもう「コミュニティ」が生まれていたのだ。
多くのZ世代ゲーマーにとって、DSは「初めてのオンライン体験やデジタルコミュニティとの出会い」を象徴する物理的な存在でもある。特に多くの女の子にとっては、持ち運びやすいDSが、それまでの大型コンソールではなかなか得られなかった「自分だけの所有物」としての感覚を初めて与えてくれた。さらに、DSには非常に印象的なビジュアルがある──2画面、パカッと開くヒンジ、ボタン周りをタッチペンでなぞるときのあの感触。後継モデルでは新機能が追加されつつも、こうした象徴的な特徴は一貫して維持され、Z世代にとっての強烈なノスタルジーの対象となっていった。
Verizonの調査によれば、コロナ禍ではゲーム利用が75%も増加したという。このゲーム需要の高まりは、ノスタルジーブームとも結びつき、かつて自分たちを変えたゲーム機への再評価を促すことになった。イベントやパーティー、コンサートにDSを持ち込むファンも現れ、それ自体がミーム化。コメント欄では、音割れしたサウンドや役に立たない動画であっても、あの2画面が掲げられている光景には「やっぱりこれだよね」という共感が集まっていた。
今では、あの頃のニンテンドーDSを手元に残している人はほとんどいない。中学最後の年に画面の調子が悪くなったとき、修理するには高額すぎると感じた。なにしろ、すでにiPhoneを持っていて、「Instagram」という新しいアプリが指先ひとつで同じような体験を提供してくれる時代になっていたからだ。けれどパンデミックの最中、私は忘れ去られていた箱の中から、かつての相棒の残骸を見つけ出した。
私はそれを開き、小さなプラスチックの重みを手のひらに感じながら、スタイラスをボタンの上やスピーカーの小さな凹みにそっと滑らせた。電源は入らなかった──それでも、まるで信じられないほど素敵な贈り物のように思えた。
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From Rolling Stone US.
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