【画像】ほぼ裸の女性が横たわる「悪魔教」洗礼式
クロスフィットは、筋力・持久力・スピード・柔軟性などあらゆる身体能力を鍛える高強度トレーニングとして世界中で人気を集めてきた。誰もが参加できる”スケーラブルな”運動法である一方、その頂点に位置づけられる年に一度の国際大会「クロスフィット・ゲームズ」は、極限の競技性と過酷さで知られている。その舞台で起きた前代未聞の死亡事故は、運営体制、安全管理、そして競技そのものの在り方に深刻な問いを投げかけた。大会関係者の混乱、運営と遺族との食い違い、真相が公表されないまま進行した大会の継続──。これは、ひとりのアスリートの死を通じて浮き彫りになった”フィットネス業界の限界”をめぐる、重く、痛切な記録である。
セルビア出身、28歳の彼はクロスフィット界では朗らかな性格と終始絶やさない笑顔で知られており、多くのファンが真っ先に魅了される存在だった。その日、ドゥキッチが自信を持つのは当然だった。2024年クロスフィット・ゲームズの開幕戦、5.6kmのランと800mのスイムが待っていたが、彼は7歳から水泳を始め、元水球選手として抜群の泳力を誇っていたからだ。優勝候補の筆頭と見なされていた。
レース前日にInstagramに投稿した動画では、こんな発言もしていた。
「誰かに”クロスフィットってお前にとって何?”って聞かれたんだ。
レース直前、元クロスフィット・ゲームズ出場選手でありエマ・トール選手のコーチでもあるデイヴィッド・ショルンケは、フィニッシュライン近くで準備運動をしているドゥキッチと会話した。ドゥキッチは彼に水を求め、すでに朝から30℃近くまで上がっていたフォートワースの熱気のなかで「調子はいい。プランもある。勝てる自信がある」と語っていたという。
「彼の実力を知っていたから、勝つだろうと思っていた」とショルンケは語る。
そしてスタートのエアホーンが鳴るや否や、ドゥキッチは飛び出した。ランでは先頭を走り、スイムの大半でもトップを独走していた。テレビ中継のドローン映像や岸辺からの映像でも、彼が他の選手を大きく引き離し、ゴールに向かって悠々と泳いでいる様子が映っていた。
だが、最後の直線に入った途端、彼の姿が消えた。岸に上がってくることはなかった。映像を見ていた観客たちも困惑した。
ショルンケはゴールでエマ・トールの到着を待っていたところ、ドゥキッチの恋人アンヤ・パントヴィッチが青ざめた顔で近寄ってきた(彼女へのコメント依頼には応じてもらえなかった)。「ラザルが戻ってこないの。水から上がってくるのを見ていないのよ」と涙を流しながら告げた。
ショルンケは「大丈夫だよ。彼ならリカバリーエリアにいるかも。あれだけ泳げるんだから」となだめたが、心の中では違和感を覚えていた。
「もう水から上がってきていないとおかしい。何かがおかしいと、そのとき思った」
クロスフィットは過酷なトレーニングで知られているが、実はその怪我率は意外と低い。2013年の『ストレングス&コンディショニング・リサーチ誌』によると、クロスフィットの負傷率は1000時間あたり3.1件で、ウエイトリフティングやトライアスロンと同程度。特別に危険な競技というわけではない。しかしトップレベルのアスリート同士が限界を競い合う場では、身体能力を超えた無理が生じやすい。
クロスフィットのトレーニング法は、元体操選手でパーソナルトレーナーのグレッグ・グラスマンが1990年代半ば、カリフォルニア州サンタクルーズで考案した。特徴は「絶えず変化する高強度の機能的な動き」をベースとした1時間のグループセッション。このメソッドは誰でも参加できる”スケーラブル”な構成で、一気に世界的な人気を獲得した。「オリンピアンとおばあちゃんの違いは”程度”であって”種類”ではない」──グラスマンの名言どおり、クロスフィットは誰でも取り組めるプログラムとして支持されてきた。
一方、その頂点として位置づけられるのが「クロスフィット・ゲームズ」だ。世界中のクロスフィットジム(ピーク時で1万1000以上の公認施設)から選ばれた超精鋭たちが集まり、「地球上でもっともフィットな人間」の座をかけて戦う。
ゲームズは毎年2月の「クロスフィット・オープン」から始まるオンライン予選を皮切りに、春の地方予選、クォーターファイナル、セミファイナルと続き、8月に本大会が開催される。初期は週末アスリートによる小規模な競技だったが、今や多くの選手がフルタイムで取り組む”プロスポーツ”となり、競技人口もアメリカを超えてアイスランド、オーストラリア、バルカン諸国などに拡大している。
しかし、運営企業にとってゲームズとの関係は複雑だ。開催には巨額のコストがかかり、2017年の社内文書によれば、収益の50%以上をゲームズに投入しながら、25%しか回収できなかったとされる(この数字は関係者により否定されている)。また2020年には創業者グラスマンが人種差別発言やセクハラ疑惑で炎上、企業イメージも大きく揺らぎ、株式は投資会社バークシャー・パートナーズに売却された。
2024年の大会は、こうした背景からブランドの再起をかけた重要な場とされていた。筆者が『ニューヨーク・タイムズ』の取材で現地入りした際、運営側は「記憶に残る大会にしたい」と強調していた。大会を統括するのは元ネイビーシールズのデイブ・カストロ。彼は「話題になるためには、時に物議も歓迎する」と語っていた。
しかし、彼自身が予期せぬ形で”物議”の渦中に立たされることになるとは、このとき誰も予想していなかった。
2024年8月8日早朝、クロスフィット・ゲームズが初めてフォートワースで開催されるその朝、78人の選手たちはマリーンクリーク湖近くのごつごつとした敷地でウォームアップを始めていた。まだ日も昇りきらぬ6時35分、スタートの約30分前、プログラム責任者デイブ・カストロが突然選手たちを湖畔に呼び集めた。
前日、彼はホワイトボードを使ってレースコースを説明し、「湖に設置されたブイは必ず左側に置き、それを外れるとペナルティ」と明言していた。しかしこの朝、ルールは変更された。「ブイの位置はそのままだが、どちら側を泳いでもOK。ゴールにさえたどり着けばよい」というのだ。実際、映像には選手たちがブイから大きく外れて泳ぐ様子も確認できたが、ペナルティは科されなかったという。
こうした”当日変更”はカストロの十八番だった。「慣れてる」と語るのは選手のエマ・トール。彼女は「ブイがない可能性も想定して」対岸の目印になる木を事前に探しておいたという。「信頼してないんです、ルールを」。ブイは視覚的なガイドとして重要だった。ブイが曖昧になれば、選手たちは広い湖面でバラバラに泳ぐことになる。
安全対策も心もとなかった。選手には目立つ色のスイムキャップが配られ「常に着用せよ」と指示されていたが、カナダ代表のパット・ヴェルナーが「キャップを落としたら失格か?」と確認すると、「大丈夫」との返答。実質的に”着用義務なし”と解釈され、ヴェルナーは100mも進まないうちに「頭が煮えそうだ」とキャップを外したという。

ヘンリク・ハーパライネン、イェレ・ホスト、そしてラザル・ドゥキッチ(左から順に)、2024年クロスフィット・ゲームズのスタートラインにて(Michael Halpin)
午前7時20分、選手たちは靴を脱ぎ、湖へ向かうランプを駆け下りて800mのスイムへ。ランを終えた時点で気温はすでに摂氏34度を超えていた。だが湖の水温はさらに高く、「ジャグジーに飛び込んだみたいだった」とある選手は語る。
湖にはパドルボードに乗ったボランティアたちが待機していたが、半数は審判、半数は救護班。『Known and Knowable』の記者マイク・ハルピンによれば、彼らに水上救助経験があるかの確認はなく、緊急用のホイッスルや浮き具も支給されていなかったという。映像でも浮き具の姿は見えず、他の選手も「見た覚えがない」と証言している(これに対して大会関係者は「水上担当には水難救助の訓練を受けたスタッフがいた」と反論している)。
選手にはスポンサー提供のゴーグルが支給されていたが、すぐに曇り始めた。しかも日の出がちょうど目線に重なり、「真っ白で何も見えない」とヴェルナーは振り返る。
イタリア代表のエリサ・フリアーノは、この環境のなかでパニック発作を起こしていた。心拍数が急上昇し、方向もわからず、他の選手とぶつかりながら、やっとの思いで岸にたどり着いた。競技のことは頭になく、生存することだけを考えていたという。
「水から上がりたくて仕方なかった。だけど、周囲を見ても誰もいなかった」
18分後、フリアーノがようやくフィニッシュに近づいたとき、初めて赤シャツの救護スタッフを発見。「たった一人だけ。どこにいたの?」とショックを受けた彼女は、湖から這い出ながらこう感じていた。
「私はスポーツが好き。でもこれは違った。これは戦争だった。生き残るための闘い。私が好きなクロスフィットじゃない」
午前7時38分。ベルギー代表のイェレ・ホストがトップでゴールした直後、クロスフィットのアナリストで実況解説者のブライアン・フレンドが、同僚にこんなメッセージを送った。
「俺の読み違いだった。ラザル、沈んだっぽい(笑)」
彼の意図は「ドゥキッチが優勝すると思っていたが、ラストで失速して2位になるかも」という軽い冗談だった。しかし、その”冗談”が現実になるとは、誰も思っていなかった。
ドゥキッチはセルビア北部のヴォイヴォディナ州で育ち、アメリカでライフガードの訓練中にクロスフィットに出会った。過酷なトレーニング「マーフ」に一発でハマり、帰国後はすぐに「ゲームズ出場」を目標に掲げた。弟のルカと共にトレーニングを重ね、2017年にはセルビア1位、2021年には初出場ながらトップ10入りを果たしている。
水泳は日常的なトレーニングには含まれないが、ゲームズではしばしば登場する種目であり、多くの選手が苦戦する。だが元水球選手である彼にとって、水泳は得意分野のはずだった。
7時40分、続々と他の選手たちがフィニッシュする中、依然としてドゥキッチの姿はない。フレンドは動揺しながら「え、彼大丈夫?」と再びメッセージを送った。
その直後、観客席がざわつき始める。ある観客ジェシカ・スミスは「水中でもがいている選手を見た」と主張し、「溺れてる!」と叫びながらボランティアに助けを求めたが、対応は遅れた。彼女の恋人が助けに飛び込もうとすると、即座に制止されたという。
別の観客、二度のゲームズ優勝者ジャスティン・メデイロスの母親シャナ・メデイロスも「ほぼ確実に溺れている人がいた」と証言。だがスタッフは「全選手の所在は確認済み」と彼女に返答した。
7時41分、会場のアナウンサーが「ラザル・ドゥキッチ、まもなくフィニッシュ」とアナウンス。会場に安堵の空気が流れかけたが、実際にゴールしたのは彼の弟・ルカであり、アナウンスは誤りだった。

GDA/AP Images
ルカとラザルは、子どもの頃から一緒にトレーニングしてきた。ルカは元サッカー選手で、怪我によりプロの道を断念した後、兄のすすめでクロスフィットを始めた。今回、2人は2度目の兄弟そろっての出場だった。ラザルが5月の欧州予選で勝利した際には、ステージ上で「ルカとまた一緒にゲームズに戻れることのほうが、俺には大事なんだ」と語っていた。
ルカのほうが泳ぎが苦手であることは、周囲の誰もが知っていた。そのルカが先にゴールしたという現実に、フレンドは一気に不安を募らせた。
「あり得ない。兄弟の実力差を知ってる人なら、ルカが先にゴールした時点で”何かあった”と確信したはずだ」
レース開始から約1時間後、選手たちがアイスバスで体を冷やすリカバリーエリアに戻るなか、ルカとパントヴィッチは選手一人ひとりに「ラザルを見たか?」と問いかけて回っていた。だが、誰も彼の姿を見ていなかった。
一部の選手は「落胆して駐車場に戻ったのでは?」と推測し、また「逆岸に泳いで上がったらしい」という未確認の噂も飛び交った。だが、クロスフィットのスタッフの説明は一貫性がなく、事態は混迷していた。
ショルンケは「スタッフの一人が『ドゥキッチは把握していて、タイム計測も通過している』と言った」と証言する。しかし、事実ではなかった。にもかかわらず、カストロ本人がルカに「見つかった、大丈夫だ」と断言したこともあったという。
「でも、見つかっていなかったんだ」とショルンケは言う。
やがて8時前、主催者は警察へ通報。湖畔ではパドルボードのメディックやジャッジたちが岸辺を探し回り、ショルンケを含む一部関係者が、最後にドゥキッチの姿を見たエリアに飛び込んで必死に水中を覗き込んだ。しかし湖の水深は約12メートル、視界は極端に悪かった。観客たちは静まり返り、徐々に事態の深刻さに気づき始めた。
「彼なら他の岸に上がってるはず。溺れるなんて想像すらできなかった」とエマ・トールは語る。「だけど、時間が経つにつれて、現実を受け入れざるを得なかった。わかっていた。でも信じたくなかった」
8時には次のチーム競技が始まる予定だったが、中止が決定。SNS上ではすでに「水難事故」が拡散され、警察が現地入りし、捜索用のボートとダイバー部隊が湖底の捜索を開始した。周囲は凍りついたような空気に包まれていた。
ウォームアップエリアの隅に設けられた荷物置き場は、8時10分時点でほぼ空だった。
ただひとつだけ残されていたのは──ラザル・ドゥキッチのバッグだった。

ラザル・ドゥキッチの写真は、彼のInstagramアカウントに投稿されたもの。彼は昨夏のクロスフィット・ゲームズ中に命を落とした(GDA/AP Images)
クロスフィット・ゲームズの前身は、カストロの実家があるカリフォルニア州アロマスの牧場で開かれた素朴なイベントだった。だが数年でそれは何百万ドル規模のショーへと拡大し、競技場で開催される”フィットネス界の五輪”に変貌した。そして拡大と共に、カストロの「どこまで人間を追い込めるか」という野心も増していった。
元クロスフィット・ゲームズのメディック、アダム・シュルツ医師はこう言う。
「クロスフィットは他の競技団体と違って、選手のことを”消耗品”と見ている。命を預かっているという感覚がない」
シュルツは2015年、猛暑の中で行われた名物種目「マーフ」(軍用ベストを着てプッシュアップ、プルアップ、ランを繰り返す約40分の地獄)で、熱中症や横紋筋融解症で運ばれる選手たちを目の当たりにし、「これは危険水準だ」と警鐘を鳴らした。
水難事故もこれが初めてではない。2017年には57歳の選手ウィル・パウエルが水中で動けなくなり、他の選手に救助された。元王者マット・フレイザーも、水泳イベントで「死を感じた」と元コーチが証言している。
元クロスフィットジムオーナー、アリッサ・ロイスは語る。
「クロスフィット・ゲームズの精神は”どこまで限界を押せるか”。それは強さのテストというより、時に忠誠心か、あるいはただの無謀さのテストになる」
事故の翌日午後、競技会場のディッキーズ・アリーナは、異様な沈黙に包まれていた。
数百人の選手、コーチ、スタッフがアリーナ中央に集められ、カストロが登壇。帽子にタイトなTシャツといういつもの装いで、何かを話そうとして言葉を止め、しばらく無言で立ち尽くした。
やがて彼は短く告げた。
「ゲームズは続行します。ご家族の了承も得ています。質問は?」
会場は凍りついた。多くが地元報道で”ドゥキッチ死亡”の一報を知っており、医療検視官が「事故死」と認定したことも把握していた。
選手のカーラ・ソーンダーズが、沈黙を破った。
「それだけ? 誰かが死んだんですよ。まるで何もなかったかのようにゲームズを続けるって?」
カストロは「なかったことにするつもりはない」と弁明し、「ご家族が続けてほしいとおっしゃった」と繰り返した。
その場で2023年王者のローラ・ホルヴァートが無言で退場。他の選手たちも次々と会場を去った。残った人々の間でも議論は分かれた。「ゲームズは追悼イベントとして続けるべき」「賞金(約3億円)をドゥキッチの遺族に渡すべき」など様々な意見が飛び交った。
とくにドゥキッチと親しかった選手たちはショックから立ち直れず、その場で棄権を決める者もいた。一方で「毎日誰か死んでるだろ」と冷淡なコメントを残す選手もおり、会場内は分断された。
カストロは「ルカ(弟)と話し、”ラザルならきっと大会の続行を望んだだろう”と言っていた」とも語った。ソーンダーズらは疑念を抱きつつも、「家族の意向なら……」と渋々受け入れる選手もいた。後日、カストロは選手にメールでアンケートを取り、「多数が続行を支持した」と発表した。
その夜3時、ブライアン・フレンドは眠れずにルカに連絡。すると、ルカはすぐにビデオ通話をかけてきた。
ルカの話によれば、事故当日午後、ホテルの部屋で水着のまま呆然としていたルカのもとに、カストロとブランド責任者ニコール・キャロルが訪問。「兄を悼む形でゲームズを続けたい」と言われたが、ルカは動揺しすぎて判断不能な状態だった。
「もうどうでもいい。勝手にしてくれ」とだけ答え、「決断は俺がすべきじゃない」とも伝えたという。
それなのに、カストロは後に「家族の了承を得た」と公に発言。後日、ルカはInstagramでこれに反論し、カストロも「”家族の了承”という表現は間違いだった」と謝罪文を投稿した。
「人生でこんな状況は初めてだった。完全に間違っていた」と、彼は記した。
こうして──ラザル・ドゥキッチが命を落としてから、わずか30時間後、クロスフィット・ゲームズは再開された。
事故の週末、クロスフィットCEOのドン・フォールは筆者の取材に応じ、「すでに第三者調査を開始している」と明言。事実関係を把握し、改善につなげることが重要だと述べ、「透明性を持って対応する」と繰り返した。
だがその後、遺族や選手たちが求めた”透明性”は果たされなかった。11月、第三者調査が終了したことが発表され、「結果は取締役会に報告されたが、プライバシーおよび法的理由により内容は非公開とする」と通告された。
クロスフィットは調査結果を受けて、以下の施策を打ち出した:
新たな「安全管理責任者」の採用
安全諮問委員会および選手評議会の設置
当面の間、全てのオープンウォーター(水泳)競技の中止
2025年大会に向けた追加安全対策の準備
声明ではこう記されていた。
「ラザルの死によって、クロスフィットは根本的に変わりました。今回の件を軽視したという批判は事実ではありません。私たちはすべての安全対策を実行に移しており、今後も改善を続けます」
しかし、独立選手団体「アスリート・カウンシル」に所属するテイラー・セルフによれば、彼らが調査結果の開示を求めたところ、クロスフィットは拒否。「法的助言により、非公開を続ける」とだけ説明されたという。
クロスフィット側はさらに、「この悲劇的な死に関する詳細の開示を求め続けることは、コミュニティの建設的な未来に寄与しない」との見解も示した。
創業者グレッグ・グラスマンも、筆者とのインタビューでこう批判している。
「再発防止のために”何が起きたのか”を解明するのが最優先だろう? 調査しておいて”遺族のため”に内容を隠すだって? そんなの嘘だ。隠蔽だよ」
この出来事をきっかけに、多くのトップ選手が2025年の大会出場を辞退。パット・ヴェルナー、ブレント・フィコウスキー、チャンドラー・スミスらが、明確に抗議の意志を表明した。
スミスは言う。
「これは防げた事故だった。出場することは、クロスフィットを擁護しているように感じてしまう。もう限界だ。これ以上は変わらないと悟った」
その影響はアマチュア層にも及んだ。2025年の「クロスフィット・オープン」登録者数は前年比30%以上減少。公認ジムの12%以上が閉鎖もしくは提携を解除。背景には、2024年に導入された提携料値上げもある。
3月、クロスフィットの所有企業バークシャー・パートナーズはブランド売却を発表。「次の成長段階に向け、新たなオーナーを探す時」と述べるに留めた。
クロスフィット界の名コーチ、クリス・ヒンショウは「そもそも”湖の日”の設計自体に問題があった」と断言する。
「水上にはもっと多くの救助員が必要だった。個人用の浮き具を配るべきだった。ゴーグルだって自分のを使わせるべき。オープンウォーターやトライアスロンの常識を知らないまま、進めてしまったんだ。信じられなかった」
レースの詳細なタイムラインを作成したハルピン記者も言う。
「”数秒の隙に見落とした”なんて話じゃない。最初から、安全体制がちゃんと設計されていなかった。だから、こうなったんだ」
クロスフィット・ゲームズの約20年の歴史で、選手の死はこれが初めてだった。
だが、ブライアン・フレンドはこう語る。
「これは偶然じゃない。1万回分の判断ミスの積み重ねの”結果”だよ」
2025年大会のセミファイナル「フレンチ・スローダウン」の最終種目中、スイスの選手ミリアム・フォン・ロールが倒れ、右腕を痙攣させながら意識を失った。すぐにメディックが駆け寄り、ストレッチャーで搬送。迅速な対応によって彼女は無事回復した。
ドゥキッチの死の翌朝、残された選手たちは、簡素な追悼式に参加した。全員が黒いTシャツを着てアリーナに入り、無言のまま立ち尽くした。その後、スクリーンに彼の写真が流れる短いスライドショーが映された。
ルカ・ドゥキッチは、その写真をInstagramに投稿し、こう綴った。
「どんな追悼も、君を僕に返してはくれない」
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