公開から50年を迎えるいま、同作は映画史における一大転換点として再評価されつつある。ドキュメンタリーや展覧会、記念上映といった企画が各地で展開されており、その文化的影響の大きさを改めて示している。本稿では、『ジョーズ』の創作過程とその持続する魅力を、当時の空気感とともに振り返る。
70年代を代表する「SF映画」ランキング50
サメは言うことを聞かなかった。主役の船は水を吸い込むように沈みかけた。若い監督は、実際の海にこだわるあまり、心の奥に小さな傷を残した。後に本人が語ったように、それは長く尾を引く種類の体験だった。出演者たちの間には、静かに火花を散らすような緊張感があり、年長の英国俳優は若手を”未熟な小僧”と見なしていたし、その若手もまた、相手のことを”酔った上に自信過剰な古株”だと感じていた(残る一人は、海辺で黒いトランクス姿のまま、日光を浴びながら、必要なときにだけ審判役を務めていたようだ)。
小さな島に暮らす人々は、自分たちの世界に踏み込んできた映画撮影隊を、あまり快くは思っていなかった。制作が行き詰まりかけたころ、スタジオのトップが直々に現地へ赴き、状況を見定めていた。現場の空気はどこか湿っていて、遠くの空には黒い雲が立ち込めていたような気配があった。
50年という歳月が流れた今となっては、『ジョーズ』のそんな裏話も、ひとつの物語として楽しめる。1975年6月20日、3人の男と1匹のサメの物語が、ついに劇場のスクリーンに姿を現した。それは、映画という名の古びた列車に新しいエンジンを積み込み、思いがけないスピードで走り出すような出来事だった。興行記録を塗り替え、人々の暮らしや想像の風景に深く入り込み、サメという生き物に思わぬイメージを与えることにもなった。あの二音だけのテーマ音は、誰もが知っている「運命」や「ハッピーバースデー」と同じくらい、耳にすっと入ってくる。
『ジョーズ』は、”ニュー・ハリウッド”という一つの時代の終わりを告げたとされることもあれば、逆に、夏が来るたびに浮かび上がる”あの種類の映画”の始まりだったとも言われる。その後の海に浮かぶ多くの物語と同じように、この作品も数多くの懐疑の声を背に受けながら、静かに、しかし確実に岸へと辿り着いた。波間で生まれた物語が、陸地にある芸術のあり方を塗り替えてしまうという皮肉めいた真実は、今なおほろ苦く胸に残る。
ブロックバスターという怪物の誕生
今年、その50周年を祝う催しがいくつも用意されている。
冒頭、夜の海に泳ぎ出た若い女性が、暗がりの中で静かに消えていく場面を思い出してみてほしい。そのとき観客の一人だったスティーヴン・ソダーバーグは、ドキュメンタリーの中でこう語っている。「最初の5分でここまでやるなら、この先に何が待っているんだ?」と。彼の問いに対する答えは明快だ。サメが獲物をくわえて揺さぶるように、映画もまた観客の神経を揺らし続ける。ただし、騒がしくなく、むしろ静けさをまといながら。
あのシーンを久々に観返すと気づくのは、襲撃の激しさではなく、その周囲にある”時間の質”のようなものだ。スピルバーグは、まるで海に潜むサメのように、無闇に動かず、最適な瞬間をじっと待っている。
このような緩急の感覚――感情や状況の陰影を手のひらでゆっくり確かめるような感覚――それこそが、いまのブロックバスター映画(※巨額の制作費をかけ、広範囲なマーケティングと大規模公開によって莫大な興行収入を狙う映画)には少し欠けているものかもしれない。半世紀という時間を隔ててみると、『ジョーズ』は未来を先取りした作品であると同時に、その時代特有の空気をたっぷりと吸い込んだ作品でもある。スピルバーグが描いたこのモンスタースリラーには、たとえどこかが過剰であっても、どこかしら緩やかで、古びた家の床下に染み込んだ雨水のような、1970年代特有の湿り気がある。

撮影中の様子:左から、ロバート・ショウ、ロイ・シャイダー、スティーヴン・スピルバーグ、リチャード・ドレイファス ©UNIVERSAL STUDIOS/GETTY IMAGES
海辺の群衆、役場の会議室、どこを切り取っても、そこには風景に馴染んだ地元の住人たちがいて、架空のアミティの町に、マーサズ・ヴィニヤード島の穏やかな表情がそのまま流れ込んでいる。スピルバーグはその小さな島とそこにいる人々を、まるで古いロックウェルの絵のように慈しみをもって描いている。
とはいえ、そこにいる人々の顔、服装、会話の抑揚、そして広がる不安感や混乱は、どれも70年代のアメリカそのものだ。
いまも孤高の頂点に立つ一作
映画の歴史に『ジョーズ』を置いてみると、それが『エクソシスト』(1973)と『スター・ウォーズ』(1977)の中間に位置する作品だということがはっきり見えてくる。ウィリアム・フリードキンの『エクソシスト』は、じっと手をこすり合わせるようにして観客の胸元をつかみ、やがて震え上がらせるような力を持っていた。どこか格式張っていて、それでも観る者をひざまずかせるような迫力があった。一方、ジョージ・ルーカスの『スター・ウォーズ』は、幼い頃に何度も遊んだおもちゃ箱を思い出させるような、即効性のある楽しさに満ちていた。その中間地点にある『ジョーズ』は、熱すぎず、冷たすぎず、手のひらにちょうどよく収まる湯呑みのような温度感を持っていた。そこには登場人物の感情や、不信感や、制度への皮肉がうっすらとにじんでいて、そしてまた、観客の感覚をじわじわと刺激する力があった。

1975年、『ジョーズ』目当てに並ぶ観客(Photo by STEVE KAGAN/GETTY IMAGES)
そして何よりこの映画には、「ただ観る」という以上の体験がある。だからこそ、人々は何度も劇場へ足を運んだ。スタジオの幹部たちが、その繰り返しの観客行動を新しい鉱脈として見つめ始めたのも、ある意味当然だったのかもしれない。たとえばリチャード・ドレイファスが語るホホジロザメ――「これは完璧な機械だ……進化の奇跡だ。
もっとも、それゆえに『ジョーズ』は、「映画の終わりの始まり」とも揶揄された。あまりにも多くの”ベビー・ジョーズ”たちがそのあとに生まれ、やがては海を干からびさせてしまうことになったのだ。だがスピルバーグが築いたもの――それは金曜の夜のわくわく感、土曜の昼の高揚、そして日曜の朝の不思議な疲労感を全部ひとまとめにしたようなもの――は、いまも孤高の頂点に立っている。
そこには、若い監督とその仲間たちが、過去の映画から拾い集め、未来へと渡したいと願った視覚と言語の片鱗が詰まっている。たとえば、あるジャンプスケア――あまりに効果的で、ロサンゼルスの編集者の自宅プールでわざわざ撮り直されたもの――は、今でも「ドキッとさせる演出」の最高峰として語られている。そして、物語の後半一時間は、70年代特有の人物描写にたっぷり時間を使い、最後の15分はただ前へ前へと突き進む。さらには、戦争と記憶が入り混じるU.S.S.インディアナポリス号のモノローグもある。それは”誰が書いたのか”をめぐっていまだに議論の絶えない場面だが、語られる言葉は『カサブランカ』の「パリでの思い出」や、『ゴッドファーザー』の「いつかきっと」の会話と同じように、映画史にそっと沈んでいる名場面のひとつでもある。
いまの映画が、こうした要素のうち一つでも持ち合わせていれば上出来かもしれない。でも『ジョーズ』は、それらすべてを、まるでエンジンの部品のように整然と搭載している。
from Rolling Stone US