【画像】三浦大知、撮り下ろし(全5枚)
―6月26日にゲームクリエイターの小島秀夫さんが監督を務められた『DEATH STRANDING 2 : ON THE BEACH』(通称・デススト2)が発売されます(※インタビューは6月上旬に実施)。三浦さんは今作の挿入歌を担当されただけでなく、ゲームの登場人物としても関わられているそうですね。
三浦:そうなんです。僕は小さい頃から小島さんの大ファンなので、未だに信じられない気持ちで。なんか……すごい状況になっているな、という感じがしています。
―1998年に発売された『メタルギアソリッド』をきっかけに、ファンになったそうですね。
三浦:そうです。あの作品が小島さんを知るきっかけでしたね。
─お二人が初めてお会いになったのは、2018年の対談企画でした。
三浦:ちょうど『デススト』の1作目を開発されていた時だったので、開発途中のムービーを見つつ、対談をさせていただきました。お話をする中で、お互いにクリエイターとしてリンクする部分がいろいろあって。対談後に連絡先を交換したんですね。いわゆる社交辞令で終わるのは嫌だなと思ったので、「何もない時に遊び行ってもいいですか?」と聞いたら「ぜひ、どうぞ」と言ってくださったので、小島さんのオフィスの近くに寄った時に「今、何をされていますか? ちょっと寄ってもいいですか?」と連絡をして。そこからご飯を一緒に行かせていただくようになり、プライベートのお付き合いが始まりました。
─小島さんとは、どんなお話をされるんですか?
三浦:小島さんのクリエイティブは世界中で愛されていて、僕とは規模が全然違いますけど、やっぱりお互いにシンパシーを感じるところがあるんですよね。小島さんはコジマプロダクションという、自身の会社を持っていらっしゃいますけど、1人のクリエイターとしてはいろんな人に協力をしていただきながら、アイデアを出したりモノを形にしたりする一方で、どこか孤独な部分がある。僕と環境は違えど、その孤独という面ですごく共鳴する瞬間があって。お互いにモノ作りをする中で「今、こんな状況なんですよね」と近況を話したり、小島さんが制作されている作品の話を聞かせていただいたり。また、それとは全然関係のないご飯の話もしますね。
―その後、クリエイティブでも交わる機会が生まれます。2019年発売の『DEATH STRANDING』で、三浦さんはミュージシャン役としてゲーム内に登場されました。
三浦:小島さんとの関係が築かれていく中で「よかったら、隠れキャラ的な感じで『デススト』の世界に入ってみませんか?」と声をかけてくださったんです。本当に大ファンだからこそ、自分が小島さんの作品に入る想像ができなくて。何より自分が入ることで世界観を壊してしまうんじゃないか、と考えてしまって。当初は「いや、作品が一番大事なので僕が出るなんて……」とお断りして、家で泣こうかなと思ったんです。
─断腸の思いでお断りしようと(笑)。
三浦:でもよくよく考えたらこんな機会は一生ないよな、と思って。小島さんに「僕でいいんですか?」と言って出させていただきました。
―YouTubeチャンネル「三浦大知のゲーム実況」で『【俺に会いに行きました】三浦大知の「デスストランディング ディレクターズカット」』というタイトルをつけて、プレイする様子を公開されていましたね。かなりやり慣れている印象でしたけど、三浦さんが思う『デススト』の魅力は?
三浦:なんと言っても”新しいモノ作り”というのが一番にありますよね。小島さんはゲーム業界の中で、”ステルス”という1つのジャンルを生み出した人ですし、常に他のゲームにない試みをされている。例えばファストトラベルと言って、街から街へボタン一つで瞬間的に移動できるシステムがあります。それがないと、10分とか20分近く操作して街から街へ歩くのは、ゲームのテンポ感的には煩わしいと思うじゃないですか。
─『デススト』のミュージシャン役を経て、今回の『デススト2』で三浦さんは本人役として登場されますが、お話を聞いた時のご心境は?
三浦:最初はよく分からなかったです(笑)。三浦大知が三浦大知役として出るってどういうことだろう?と。でも小島さんって『デススト』『メタルギア』をはじめ、これまでも実在される方達とたくさんコラボレーションされているんですよね。現実と仮想空間の境界線をなくすゲーム作りをされている方だと思うんですよ。それによってゲームをプレイした人の人生が豊かになったり、プレイした知識を得て何か考えるきっかけになったりとか。ゲームと現実を切り離さずに、ちゃんとグラデーションで映し出して、ゲームを学びとして捉えて作られている方だからこそ、という気持ちもとあると思うんです。そこのバランスは小島さんにしか作れない角度ですし、改めてすごいなと思います。
─僕は三浦さんの1歳下で、まさに『メタルギア』世代なんですけど、やっぱり小島さんの生み出すクリエイティブは他のゲームと明らかに違うというか。プレイしながら物語の切なさや心苦しさを感じさせるほどの没入感を与えるのは、当時から新しかったですよね。
三浦:そうですよね。だからこそ、世界情勢のこと──紛争だったり戦争のことだったり、まさに『メタルギア』もそういう流れがありますし。『デススト』に関して小島さんは元々そのつもりはなかったと思いますけど、特別な力を持った主人公・サムが物を運ぶことで人と人を繋ぎ直していく物語は、コロナ禍というパンデミックを予知するような形で、世界中が分断されて、誰も外に出ることができなくなった世界とシンクロする結果となった。そこも自分たちが生きてる世界と、小島さんのゲームが繋がっている。そういう感覚にさせてくれるモノ作りを常にされている方だと思いますよね。それこそ20年前に作られた『ボクらの太陽』では、外にゲーム機を持って行って、太陽の光を(カートリッジからはみ出た部分に取り付けられた太陽センサー)を感知させることでプレイできる、という仕組みを作られた。「家にこもってゲームばっかりしてないで、外に行って遊びなさい」と親が子供に言っていた状況を逆手に取って、外に出ることでゲームが遊べるプロダクトを作られたわけです。現代社会の中でゲームがエンターテインメントとして、どういうことを提示するべきか? そこと向き合ってこられた方だからこそ、新しいモノが生まれるんだろうと思いますね。
─改めて挿入歌の「Horizon Dreamer」と「Polytope」は、どのように制作されたのでしょうか?
三浦:元々『デススト』でご一緒した時から、小島さんは「次はもっと深くモノ作りをしましょう」と言ってくださっていて。その中で『デススト2』の制作が始まり「楽曲も含めて一緒に何かやりましょう」と声をかけてくださったんです。そんな流れの中で奇跡的なことが起こりまして。
─奇跡的なこと?
三浦:今回『デススト2』には船が出てくるんですね。
―まさにじゃないですか!
三浦:そう! これはすごいことが起こっているかもしれない、と感じて。自分は元々小島さんの大ファンだし、Naoさんの大ファンでもある。だからこそ、絶対にここは交わるべきだろう、とずっと思っていて。この2人が一緒になったらとんでもないモノが生まれるはずだから、自分が架け橋になれないかなって前々から考えていたんですね。
─それが今だと。
三浦:ここだ!と思って。

─最初はどちらから制作されたんですか?
三浦:ほぼ同時でした。というか、最初は何曲作るのかも決まっていなかったんです。
─あ、そうだったんですか!
三浦:まず、小島さんが「『デススト2』に三浦大知が三浦大知として存在しているので、いわゆるタイアップみたいな作品をイメージした楽曲を作るのではなく、三浦大知の新曲として成立していて、かつ強度のある曲を作ってほしいです」と言ってくださったんですね。一方で、その時に『デススト2』関連の映像や資料を見させていただいたので、Naoさんと長年ご一緒した身としては、きっとNaoさんの中に見えている絵や映像があるだろうな、と感じていたんです。小島さんに言っていただいた楽曲の要望はありつつ、もしNaoさんが話し合いの中で聴こえてきた音があったら、曲数とか関係なく作ってください、とお伝えました。そしたらNaoさんから「Horizon Dreamer」のデモが届いて。それとほぼ同時で「実は、もう1曲こんなのも生まれました」と送っていただいたのが「Polytope」。そっちは、思いきり『デススト』の世界観を凝縮したような1曲に仕上がっていて。そうして生まれた2曲だったんですよね。
―「Horizon Dreamer」はサムが走りながら荷物を運んで人に渡していく画が浮かびつつ、三浦さんのミュージシャンとしての想いを歌っているようにも感じました。
三浦:そうですね。そこはNaoさんがそういうバランス感でやってくださったんだろうな、と思います。僕が曲を聴いて感じたのは、土埃というか原始的で土着的な雰囲気や、孤独感もありながら、軽やかに未来に対する希望も歌うポップスとして成立しているな、と。あのサウンドとメッセージ性を、ああいう形で1曲に仕上げるNaoさんのすごさを感じましたね。
―「Polytope」を初めて聴いた時は、どのように感じましたか?
三浦:いやぁ、自分の中にいる”全俺”が拍手でした。
―ふふふ。
三浦:鳥肌が立ちましたね。ドンって心臓を突きつけられるような、理屈抜きでとんでもないモノがこの世に生まれた感じがしました。いい意味で聴いてはいけないモノを聴いた感覚、というか。そういう鬼気迫る凄まじさをこの曲から感じたので「これを俺が歌うのか…」という喜びと緊張を覚えましたね。「こういう楽曲を三浦大知が歌ったら面白いだろう」もそうですし、「『デススト2』の世界の中でこれがあったらいいんじゃないか」とNaoさんが全力で容赦なく投げてくださった感じがしたので、それがすごく嬉しかったですね。表現する側として思いっきり投げていただけるのは、それだけ信頼してもらえている裏返しでもあると思うので、それにしっかり応えたいし、期待を超える気持ちでレコーディングした記憶があります。
─6月9日に小島さんのラジオ「コジ10 小島秀夫の『最高の10時にしよう』」で「Polytope」が初O.Aされた直後から、歌詞の内容について皆さんが考察されていますね。
三浦:そうなんですよ。「ここはこんな意味じゃないか?」「こういう意図があるんじゃないか?」という声が上がっていて。いいプロダクトって、きっとそういうことだよなって思いますよね。その人によって様々な解釈ができるのは、とっても素敵なこと。そういう作品が僕も好きなので、皆さんの心の中で意味や意図を探してほしいですね。
―「Polytope」の聴きどころや魅力はどこだと思いますか?
三浦:「ここがポイントです」とお伝えするのは難しいですけど、最後のとんでもなくボルテージが高まっていくところは、カタルシスに到達する緊張感と解放感が詰まっていて、ものすごいモノがあると思うので、そこは一つの聴きどころかなと思います。
─楽曲のラストにハーモニカの音が入っていますよね。あそこは『デススト』との繋がりを感じました。
三浦:あの音を入れるアイデアは、僕がお二人に提案をさせていただきました。前作の中で、サムがミュージシャンからもらったハーモニカを吹くことができるシステムが実装されていたので、「Polytope」の最後にハーモニカが鳴り響くと、サムのこともそうですし『デススト』の情景が思い浮かぶんじゃないかな、と思ったんです。ちなみに、小島さんがすごいと思うのがハーモニカをプレゼントされた時、サムは吹くのが下手なんですよ。でも、ゲーム内で何回も吹かせていると、徐々にうまくなっていくんです。ただ吹かせるんじゃなくて、ちゃんと成長していく仕掛けは小島さんっぽいと思いますね。今回の『デススト2』は前作の11カ月後を描いているので、これはNaoさんのアイデアでもあるんですけど、ハーモニカの音を入れるなら、技術のあるハーモニカ奏者の方に吹いていただいた方が、音楽的にもカッコいいし成長したサムの姿が想起できる、という話であの仕様になりました。

―振り付けに関しては、どのようにお考えになったのでしょう?
三浦:どちらも『デススト2』の世界観を意識していて。「Horizon Dreamer」に関しては、ゲーム内の場面、各キャラクターの特徴的な動きや要素を散りばめた振り付けに落とし込んでいます。あとは縄を使うゲームですし、曲調もカントリーとかブルーグラスっぽい感じがあるから、カウボーイのような縄を回す動きを取り入れることで、『デススト2』とリンクするようにしました。「Polytope」は『デススト』内のとある部分をオマージュした振り付けになっていて。振り付けを見てから『デススト2』をプレイして、ゲーム内で「Polytope」を聴いていただくと「そういうことか! だからああいう振り付けなのか」とハッとしていただけるように作っています。
─改めてニューシングル『Horizon Dreamer / Polytope』は、三浦さんにとってどんな作品になりましたか?
三浦:ベタな言葉で言うと、”奇跡のプロジェクト”になりましたね。当時『メタルギア』をプレイしていた自分は、まさかこんなことになるとは、もちろん思っていませんでしたし。こんなに深く一緒にモノ作りをさせていただいて、Naoさんが生み出してくださった楽曲を自分が振り付けして、それが『デススト』の世界の中で存在する。自分の想像を超えた世界に今いるので、本当に幸せだなって思います。
──作品以外の大きなトピックといえば、今年はデビュー20周年を迎えられました。お気持ちはいかがですか。
三浦:大好きな歌って踊ることを続けられているのは、感謝しかないですね。しかも20周年と言っても、”ソロデビュー”から数えての20周年。グループ(Folder)でデビューさせてもらった時から数えると、もっと長いんですよね。それだけ続けさせてもらえているのは、すごいことだと思うんですよ。どんな時も応援してくださる方がいて、三浦大知の音楽やエンターテインメントを楽しみに待ってくださってる方がいてこその20年だと思うので、本当に感謝です。
―今回は20周年という大事なタイミングだからこそ、10代から30代に至るまでの人生観や表現の変化をお聞きしたいと思いまして。勝手ながら……自作で三浦大知の年表を作ってきました!
三浦:えっ! すごい丁寧に書いてくださって、ありがとうございます。めちゃくちゃ嬉しいです!
―三浦さんは2005年の17歳の時に1stシングル『Keep It Goin' On』でソロデビューをされましたが、10代の頃はどのように過ごされていましたか?
三浦:2000年から5年間ほど喉の変声期のこととか、諸々の事情で休業していまして。とはいえ、休業中もダンスレッスンをずっとしていたので、(音楽から)離れていた感覚は正直あんまりなかったんですよ。それでもソロデビューが決まり「ようやく歌とダンスの世界に戻ってこれた」「また楽曲をリリースできるんだ」という喜びがあったのは覚えていますね。10代で言うと、19歳の時にリリースした6thシングル『Inside Your Head』(2008年)は大きな転機になった作品。
これがNaoさんとの出会いなんですよ。曲を聴いて「なんだ、この人は!?」と衝撃を受けましたね。あとは、それまでにも自分でちょこちょこライブ用の振り付けをしていたんですけど、シングルでがっつり振り付けをする機会はなかったので、自らスタッフさんに直談判をして。自分が考えたダンスの振り付け見てもらって「いいじゃん!」と言っていただけた。それを機に、自分で振り付けをするようになりました。
―Naoさんとの出会いもあったし、本格的に振り付けをするきっかけにもなっていると。
三浦:出会いの話に繋げると、18歳で出した4thシングル『No Limit featuring 宇多丸 (from RHYMESTER)』(2006年)もそうですね。
宇多丸さんはFolderの時からずっと応援してくださったので、誰かとコラボレーションするとなった時に、やっぱり1人目は宇多丸さんにお願いしたい、と心の中で決めていて。それが実現できたのも嬉しかったです。そこからKREVAさんを紹介いただいて、20歳の時に7thシングル『Your Love feat.KREVA』(2008年)をリリースさせてもらえました。
自分がイチファンとして、大好きで聴かせていただいたKREVAさんと音楽で共鳴することができて、一緒に曲を作らせていただけて。自分のパワーになりましたし、歌い続けてきたからこそKREVAさんとも繋がることができたんだな、と思えた瞬間だったので、そこも大きかったですね。
─そのまま20代での大きな転期を聞かせてください。
三浦:歌唱で変わったのは、23歳の9thシングル『The Answer』(2010年)だと思います。
変声期は歌っていなかったので、デビューする少し前ぐらいは声が出づらくて。そこからボイストレーニングに通って、発声を整えたりとか歌の勉強をしたりしつつ、ソロデビューに向かって調整していたんです。ただ、デビュー後もどこか発声が完全に育ちきってないと言いますか、不安定な状態だったんです。ちょうど『The Answer』を出すタイミングに、喉が枯れやすかったりなどの不具合もあったりして。それでボイストレーナーの方を紹介していただいて。その方に発声とか自分の声帯に合った歌い方を教えてもらったんです。それで今の発声に繋がったので、歌の転換期的にはそこが大きかったと思いますね。
―20代中盤以降はいかがですか?
三浦:ライブの作り方とかクリエイティブにどっぷり入って行ったのと、より自分のスキルを伸ばしていく期間でしたね。あとは、当時も「今までにない面白いことをしっかりやっていこう」という気持ちがあったので、25歳でリリースした13thシングルの表題曲「Right Now」(2012年)では、自分が好きなサンディエゴのダンサーと一緒に振り付けを作らせてもらって。27歳の17thシングル『Unlock』(2015年)では(菅原)小春と踊ったこともあって、新しい繋がりもありました。
ライブに関して言うと、別にそういう決まりがあるわけじゃないですけど、アルバムを出したらその作品を引っ提げてツアーをする流れが多い中、「DAICHI MIURA LIVE TOUR 2013-Door to the unknown-」(2013年に開催された全国ツアー)では、未発表のアルバム楽曲をバババっと披露して、その後にアルバムを出す試みもしました。みんなは初めての曲を初めてのパフォーマンスとともにライブで観る。それが、そのアルバムを味わう初めての体感という、新しい体験を生み出そうとしましたね。
─30代に入ってから印象的なことはありますか?
三浦:30歳の3月にベストアルバム『BEST』(2018年3月)を出して、それまでやってきたことに一度区切りをつけたんです。そして、その年の7月に出した7thアルバム『球体』(2018年7月)が”三浦大知の第2章”だと思うんですよね。何より『球体』を作ったことは、30代で一番大きかったです。
─と言いますと?
三浦:この時にライブでもよく思っていたのが、いわゆる普通の音楽ライブと、舞台とか演劇などの音楽劇のショーとして魅せるステージがある。三浦大知のパフォーマンスには、その両軸があると感じていたんです。それを行ったり来たりしながらツアーを作っていたんですけど、もっとアート的な文脈で振り切ったものを作りたくて。3年半ぐらいかけて作り上げたのが、この『球体』だったんです。自分の中で『球体』は死ぬまで続いていくプロジェクトだと思っていて。未だにライブでもずっと歌い続けていますし、応援してくださってる皆さんの中でも、特殊な一枚として認識していただいている。このアルバムが生まれたことで、それ以降の楽曲も変わってきたので、大きな転換点となる作品だと思います。
―ソロになられて20年の間に、「あそこで挫けずに踏ん張ったから、今も活動ができている」と思う起死回生の場面はありましたか?
三浦:あの時は危なかった、みたいな瞬間が個人的にはなくて。「何か新しいことができないか?」「何か面白いことができないか?」という一心で続けさせてもらえているから、すごく幸せな音楽人生なんですよ。でも…やはり『球体』は大きかったですね。多分、リリースした時には「これが何なんのか」が全然伝わりきっていなくて。でもライブをやったり様々なところで歌ったり、毎年”再上映”みたいな形でYouTubeで欠かさずプレミア公開をしていく中で、皆さんの間で「『球体』って面白いな」と浸透していった。今の時代って作品が生まれるスピードも早いですし、本当はそんなことないのに、数ヶ月前の曲が昔の曲に聴こえてしまう現象が多分にあるじゃないですか。
─よくわかります。
三浦:だからこそのすごさもあると思うんですけど、僕が『球体』を作り・歌い続けていく中で、楽曲が色褪せることなく少しずつ皆さんに浸透して「すごい作品だ」と評価していただけることは、音楽的にも大きな希望だと思うんですよ。そういう作品をあのタイミングで生み出せたからこそ、今に繋がっている気がしますね。そこには、前の年に作らせていただいた21thシングル『EXCITE』(2017年)が『仮面ライダーエグゼイド』のタイアップだったこともあり、ドンと三浦大知を知っていただけるきっかけになったのも大きくて。
その流れの中でベストアルバムが出来て、それもチャート的には大きく世間にアプローチできた。その次に『球体』を出せたというのは、三浦大知としてすごく太い大黒柱を建てることができた瞬間だったのかな、って。ぶれない両軸を作れたことで、また新しいことにチャレンジできたと思いますね。
―今は表現者として、どういうフェーズにいますか?
三浦:根本的なところは昔からあまり変わっていなくて。とにかく面白いものを作りたい。三浦大知チームにしか生み出せない「これは何なんだろう!?」みたいなジャンルを模索して、いろんな枠を飛び越えたい。まだ名前のついていないような新しいエンターテイメントを生み出して、それを皆さんにお届けして「何これ? でも、めちゃくちゃ感動するな」とか「カッコいいな」「これに救われたな」と思っていただけるような面白いものを、ただただ作りたいんですよね。
―ここ数年の間に、日本でもダンスがポピュラーになって、踊りや歌のレベルが高いアーティストも続々と生まれていますよね。そんな中で「これは他の人には真似できないんじゃないか」と思う部分はありますか?
三浦:どうなんでしょうね? でも……まあ、これは分からないですよ。他のアーティストの方とか、業界にいる方がどういう気持ちでやられているのかは分からないですけど──僕は子供の頃から歌とダンスが楽しいと思って、それは今も変わってないんです。なんなら増えていってる。「音楽ってすごい!」みたいな。それこそが自分の強みかな、と思いますね。途中で歌うことが嫌になるとか、踊ることがしんどくなる瞬間が、今まで一度もなかったんですよ。子供の頃から歌とダンスが好きで楽しくて。何十年経っても変わらないのは、僕の特殊能力かなと思いますね。その力に自分自身も救われてきたなって。
―若手のアーティスさんにインタビューをしていて思うのが、いい意味で皆さんがクレバーというか打算的な印象があるんですよね。それは素晴らしいことでもある反面、”好き”よりも「どうやったらバズれるか?」「どうやったら、のし上がれるか」に執着するあまり、途中で苦しくなったり、自分が今どこに立っているのかが分からなくなったりする方も多い。三浦さんは世界的なパフォーマンス力を持ちながらも、「歌って踊ることが好き」と言ったのがすごいなと思って。確かに、それは圧倒的な才能ですよね。
三浦:売れる・売れないって世間の流行りに左右されるけど、「好き」ってブレようがない感じがしますよね。だって好きだから(ニッコリ)。好きって誰にも邪魔されないじゃないですか。どの数値にも表せられないし、何かと比較することもできない。自分の絶対的な気持ちなので、それが子供の頃からずっと変わらずに持てている。でも、それはこうやって音楽を続けさせてもらえている環境に自分がいるから、ってことだと思いますけど……自分の長所かもしれないですね。

―「ずっと好きでいられることが才能」というのは、若い頃から感じていたわけじゃないですよね? いつそう思うようになりました?
三浦:今、話していて「そうだな!」と再認識しました。普段はあんまり意識はしてなくて、むしろどの瞬間も思っているんですよ。例えば、振り付けが思い浮かばない時はしんどいですけど、でも向き合い続けていると「キター!」となる瞬間が必ずあって。誰もいないスタジオでめっちゃ盛り上がっているんですよ。その姿は誰にも見せられないぐらい(笑)。
─ハハハ、そんなに!
三浦:「キタキター!」みたいな喜びって、今も変わらなくて。ライブをやらせてもらったら、皆さんと繋がりを感じるたびに「音楽はすごいな」と思うんです。自分の大好きなことで、こんなに最高の瞬間を一緒に作らせていただけているんだな、って。「めちゃくちゃすごい!」って毎回思うんですよ。この前で言うと、最近はライブが続いていて、あまりレコーディングをしていなかったんですけど、久々にとある楽曲のレコーディングしたら「レコーディングってこんなに楽しかったけ!?」と感動して。僕……全部楽しいんですよ。それを毎秒思っていますね。
―三浦さん、今めちゃくちゃ目が輝いている。
三浦:ハハハ。もちろんライブ制作する時は「自分のアイデアは沢山あるけど、今回はこれも難しいかも、あれも難しいかも」とか、うまくいかないことの方が多いんです。でもそれと向き合って「いや、何かもっと面白いものはないか? これはできないけど、それに代わる新しいアイデアは……!」とバーっと考えていると、何かが生まれる。それを会場で皆さんに見てもらって「最高だ!」と思っていただけて、みんなとのエナジーが混ざり合う瞬間にたどり着くと、それまでの苦しみを全部忘れられるし「このためにあったんだな」って。それをずっと繰り返しているので、毎秒楽しいんですよ。これは特殊能力かもしれないですね。
<リリース情報>

三浦大知
『Horizon Dreamer / Polytope』
2025年6月25日(水)発売
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=収録内容=
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1. Horizon Dreamer
2. Polytope
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4. Polytope -Instrumental-
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Horizon Dreamer~Polytope -Live Edit Video from LIVE TOUR 2025 (2025.5.1 LaLa arena TOKYO-BAY)-
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