通算10枚目となるニューアルバム『LESS IS MORE』は、ザ・ホワイト・ストライプスやアークティック・モンキーズなどを手がけてきたヴァンス・パウエルをプロデューサーに迎え、2024年に米ナッシュビルで制作。わずか4日間で収録され、生のライブの熱量を見事に捉えている。そんな本作のコンセプトに影響を与えたのが、トランセンデンタリズム(超越主義)を代表する19世紀アメリカの思想家、ヘンリー・デイヴィッド・ソロー。彼の著書『ウォールデン 森の生活』はエコロジー思想やポスト成長論の先駆けとも言われており、もうひとつの代表作『市民的不服従』では、不正な国家に対して市民が良心に従い不服従を示すべきだと主張。キング牧師やガンジーにも大きな影響を与えた。
『LESS IS MORE』には、彼らが実践している「ポスト成長」という考え方が反映されている。メジャーレーベルや投資ファンドとの契約を一切拒み、アルバム制作やツアーもすべて自己資金で調達。農業でも音楽でも、彼らは徹底して自給自足のスタイルを貫いてきた。ローレント・ラクロウ(Vo, Gt)とマシュー・ジョーダン(Dr)による2人組の本質に迫る、Rolling Stoneフランス版のカバーストーリーを完全翻訳。

2009年のフジロック出演時の映像
バンドと地元の深い絆
4月下旬の金曜の夕暮れ、日差しが降り注ぐアンドレ=エ=ギー・ボニファス競技場(※仏ランド地方にあるスタジアム)。地元ラグビー界の伝説的な兄弟の名を冠したこの場所には、緊張感が漂っていた。
この日ばかりは、場内アナウンスのフランス語とガスコーニュ語がスタンドの誰にとっても理解できる言葉として響いていた。そしてモン=ド=マルサンが前半を圧倒すると、アナウンサーがダックスに痛烈な一言を放つ。「arre(アッレ)」――ガスコーニュ語で「何もない」という意味。アウェイのダックスが30分間スコアレスだったことへの皮肉だ。
モン=ド=マルサンの勝利は、残留争いを続けてきたチームにとって大きな安堵だった。ジ・インスペクター・クルーゾのメンバーであるローレント・ラクロウは父親からのメッセージを受け取る。「昔ながらの姿に戻ったな――ランド県の王者はまだ生きてる。いい夜を!」
バンドとクラブの関係は、長い歴史に根ざしている。
その連帯の精神には、ガスコーニュ語で特別な名前すらある。「ayudère(アユデール)」——お互いに助け合うという意味だ。ローレント、マシュー・ジョーダン、そしてローレントのパートナーでありバンドの非公式な3人目のメンバーでもあるナタリーが、エール=モンキュブの農場で学校の子どもたちやサント=アンヌ病院の精神科患者たちを定期的に迎えているように、地元ラグビーチームもこの農場を訪れている。
たとえば、アスリートたちが25キロのトウモロコシの袋を担ぎ、急斜面を登って羊の放牧地まで運ぶ姿を想像してみてほしい。彼らもきっと気づくことになる——「これ、ジムのトレーニングよりキツいかもな」。
土と音で築かれた「生態系」
その農場の話をしよう。「モン・ドゥ」と地元で呼ばれる町の中心から車でおよそ30分。天気が良ければピレネー山脈が一望できる尾根の上、くねくねと曲がる道のカーブを抜けた先に、ふいに姿を現す——まるでその名の由来にもなった巨大な樫の木と、かくれんぼでもしているかのように。ガスコーニュ語で「Lou Casse(ル・カス)」と呼ばれるその木は、ただのランドマークではない。
この敷地に数歩足を踏み入れるだけでわかる。仮にまだ疑いが残っていたとしても、ジ・インスペクター・クルーゾにとって「ミュージシャン兼農家」という肩書きが、決してロマンチックなブランディング戦略なんかじゃないということが。「ロック農夫(Rockfarmers)」というレッテルも、パフォーマンスではない。
たった数歩で、彼らがいかに、そしてなぜ頑なに「自分たちのやり方」で道を切り拓いてきたのか、その手触りがはっきりと見えてくる。最初から自分たちのルールと信条に従って築いてきた、まさに独立独歩の道なのだ。
土に根ざした「生態系」と、音で築かれた「生態系」——その二つが、ここではしっくりくるほど交差する。というのも、いまの音楽業界において、世界の片隅からすべてを自力で掌握するなんて、ほとんど幻想に近い話だ。ツアーのブッキングからアルバムリリース、世界中に散らばる18人もの広報エージェントのマネジメントまで。それらすべて自分たちでやってのけるなんて、ほとんど狂気の沙汰に見えるかもしれない。
では、2013年に30年間も放置されていた農場を引き継いだことについては、なんと言えばいいだろう? その農場は、周囲の住民にとって「ラクロウ家の農業の血筋」に根ざした、まさに存在そのものが象徴的な場所だったのだ。
とはいえ、彼らがその農場を引き継いだ当初、近隣住民の多くは半信半疑だった。2017年に出版された伝記『The Inspector Cluzo: Rockfarmers』で、ジャーナリストのロマン・ルジュンは地元の元農家ダニエル・デュクルノーの言葉を引用している。
「彼らがエール=モンキュブにやって来たとき、私たちは思ったものさ。”ヒッピーが来たぞ”って。最初は詩人かと思った。でもすぐに、彼らはちゃんとわかってやってるんだって気づいたよ」
ロック農夫が実践する「市民的不服従」
12年後、その証は土に刻まれている。彼らの意志は——たとえ天に書かれていなかったとしても——この大地に深く刻まれ、今や現実のものとなった。現在そこにあるのは、15ヘクタールにわたる土地で、家畜の飼育と農学が密接に結びつき、互いに作用し合う、まさに”生きた農場”である。これはふたりがよく口にする誇りのひとつだ。
家畜の大半を占めているのは、「グレー・ランド種」のガチョウ。絶滅危惧種に指定されている品種だ。毎年この地で、約80羽の親ガチョウと200羽のヒナが生まれ育つ。
そして、先に触れた約25頭のランド地方原産の羊たちもいる。ル・カスは、この血統を守り続けている地域内わずか57軒の農場のひとつなのだ。羊もガチョウも、すべて自家栽培の有機トウモロコシを餌にしている。しかもその栽培には緑肥(グリーンマニュア)という有機的な土壌改良技術が用いられており、ローレントとマシューはその方法について、土の上に立ったまま何時間でも語り、実演してみせることができる。
「可能な限り”自立した”農業を、最初から目指していたんだ」とローレントは語る。「もちろん、完全な自立なんて神話にすぎない。エネルギーには限界があるし、制約もある。でも食料システムや生態系のバランスに関しては、かなりのところまで自力で到達できたと思う。12年間かけて僕らが作ってきたのは、ビオドープ(生物群系)なんだ。動物も野菜も穀物も、互いに支え合って存在している。ガチョウが生き延びてこれたのも、それを可能にする環境、つまり彼らが暮らすエコシステムがあったからなんだよ」
「ロック農夫」という言葉の意味は、ここに来てはじめて本当の重みを持つ。
ローレントが指し示すのは、ごく現実的な事実である。ル・カスの農場は、これまでに6度の鳥インフルエンザ流行を生き延びてきた。ただの運ではない。運営の仕方そのものによって、それを乗り越えてきたのだ。つまり、工業型農業に抗うことは、単なるイデオロギーではなく、現実的に「有効」な手段にもなり得る。たとえそれが、”上”からの命令に背くことを意味するとしても。
そして、ヘンリー・デイヴィッド・ソロー流の「市民的不服従」は、まさにジ・インスペクター・クルーゾの精神そのものでもある。後にガンジーやマーティン・ルーサー・キングJr.にも影響を与えたソローの哲学は、単なる引用で済まされるようなものではない。彼らにとっては生き方であり、音楽的ステートメントでもあるのだ。
たとえば、最新アルバムのタイトル曲「LESS IS MORE」を聴いてみればいい。あるいは、燃えるようなアンセム「Rules」の反抗的なフレーズを耳にすれば、彼らの姿勢は明白だ。〈羊の群れにはなれない/ルールを押し付けられたら、ぶち壊すだけさ〉──彼らにとっての不服従とは、つまりこういうことなのだ。
鳥インフルエンザが流行していた時期、ガチョウたちを殺処分するよう命じられたにもかかわらず、彼らはそれを拒否した。なぜなら、ガチョウたち自身は病気ではなかったから。たとえ衛生当局が強硬に主張しても、彼らは一歩も引かなかった。
「僕らのモデルは機能している。そうでなければ、今ここにいることすらできなかったはずだ。ずっと、ちゃんと機能してきた。そもそも人間には多様性が必要なんだ——システムにも、やり方にも。工業型農業にも居場所はある。でも、有機農業にだってある。音楽と同じさ。インダストリアルな音楽にも、オーガニックな音楽にも価値がある。だけど僕らが不服従を選ぶなら、それは説明と共に行わなきゃいけない。扉を開いて、他の人が見て学び、もしかしたら共に歩むことができるようにしなくちゃ。暴力では絶対にだめだ。だって、正直なところ——自分より暴力的な奴なんて、いくらでもいるからさ」
几帳面なスケジュール管理が生んだ新作
決意。忍耐。粘り強さ。そして頑固さ。これらの言葉は、土に対してだけでなく、音楽にも等しく当てはまる——少なくともこの二人組にとっては。年月をかけて、彼らは農業と音楽という二つの世界、二つの時間軸とのあいだに、繊細なバランスを築いてきた。
土曜の朝、サン・ロックの朝市を歩いてみれば、その「二面性」が絶妙に交錯する瞬間を目撃できるだろう。そこには、こぢんまりとした屋台を営む彼らの姿がある。隣には友人のコレット・ルマゼイユとジャン=ルイ・ユゴンという、自家蒸留酒のバ・アルマニャックをつくるふたりが並ぶ(そのボトルは、ジ・インスペクター・クルーゾが最後にパリのラ・マロキヌリでライブを行ったときの物販テーブルにも並んでいた。そしてきっと、2026年初頭の次回公演にも姿を見せるだろう)。もう一方には、予約済みのランド産黄鶏を丁寧に並べるダニエル・ドゥヌゲがいる。その様子は、いわば南西フランス流クリック&コレクトといったところだ。
通りがかる人々の目的は、ジ・インスペクター・クルーゾの手作りリエットやコンフィを求めるためであり、同時に彼らのレコードやCDを買うためでもある。そしてもちろん、ただ世間話をしに立ち寄る人も少なくない——そんな場所なのだ。運がよければ、1976年にモン=ド=マルサンで伝説のパンク・フェスを立ち上げた人物、アンドレ=マルク・デュボスが、砂肝の買い出しに訪れるところに出くわすかもしれない。
だが、彼らの音楽的な情熱の炉に本当に近づきたいのなら、やはりル・カスに戻るしかない。もっと正確に言えば、それは母屋の2階——建物の全長にわたって広がる開放的なスペース。アルバム『LESS IS MORE』はまさにここで生まれ、ナッシュビルへと旅立ち、名プロデューサー、ヴァンス・パウエルの手に委ねられた。彼は過去にも『Horizon』(2023年の前作)、『We the People of the Soil』(2018年)、『Rockfarmers』(2016年)のミックスを手がけた人物だ。
すべてはここで始まる。本棚にずらりと並んだ本たち——アメリカ文学の古典(ジョン・ファンテ、チャールズ・ブコウスキー……)と、年季の入った百科事典、そして昔ながらの蒸留酒の瓶が肩を並べる空間。その静かなまなざしのもとで。
ここで、楽曲の執筆が始まる——あるいは、気分次第ではアコースティックギターを手にポーチに出て、外の空気の中で作曲することもある。
ここで、リハーサルが行われる。歌詞の書き直しも。試行錯誤の連続も。
1階にいるナタリーにとってはたまらないことだが、マシューがサーフィン帰りにキックドラムを炸裂させれば、床全体が揺れる——大西洋沿岸までは車で1時間ほど、彼の日曜のサーフィンは”神聖”な儀式のようなものなのだ。
スタジオの扉のそばにある大きなホワイトボードにも、その几帳面さは表れている。色分けされた週ごとのタスクが、相互に参照できるかたちでびっしりと書き込まれている。なにもかもが計画的に仕込まれており、ひとたびスタジオに入れば無駄が一切ない。その成果が、『LESS IS MORE』の制作スケジュールにも表れている。録音にかかったのはたった4日間。ミキシングも3日で終えた。
「ヴァンスは俺たちのやり方を理解してくれたんだよ」と、ローレントは笑う。「その結果、アルバムの音も良くなった。誰かの好き嫌いは別にして——そこは重要じゃない。演奏も、昔1カ月かけて作ったアルバムよりずっといい。もちろん、経験の積み重ねってのもあるけど、それ以上に大事なのは”効率”だと思ってる。たとえ曲を書いて、それを何度も繰り返し演奏しながら2年かけて準備するとしても、それだけ準備する価値はあるんだ。だって俺たちには、他にもっと本気で闘うべきことがあるからね」
自分たちが選んだ道を守り続けるために
彼らが挑んでいる「闘い」は、すべてひとつの目標へと収束する——独立という目標に。それは、音楽業界に迎合することを拒む姿勢であり、ストリーミング・プラットフォームが広めようとしている幻想——「音楽は無料であるべきだ」という欺瞞——に屈しない姿勢でもある。まるで一部のスーパーマーケットが「サラダは木になる」と思わせるかのように。
それはまた、巧妙な脅し文句による”脅迫”にも負けないという意志だ。「忘れられない言葉があるんだ」とローレントは付け加える。「”君たちがこの世から……いなくなるように手配しようか”って言われたことがあってね」
それでもジ・インスペクター・クルーゾは、自分たちが選んだ道を信じている。自ら彫り込んできた”グルーヴ”を信じている。そして、その道を守り続けるためなら、どれだけ手間がかかっても、時間がかかっても、ずっと耕し続けるつもりだ。
何しろ、彼らの古くからの隣人デュクルノーは、バンドの活動を追った2022年のドキュメンタリー『Running a Family Farm』のなかで、ウィンクしながらこう言ったのだから——「大聖堂の隣には、小さな礼拝堂だってあっていい」
それでいい。
それが、Cluzoの「あるべき姿」なのだ。
Q&A:『LESS IS MORE』の裏側
─『LESS IS MORE』は10枚目のスタジオ・アルバムですね。8枚目や9枚目と比べて、”10枚目”という節目に特別な意味を感じましたか?
ローレント・ラクロウ(L.L.):うん、もちろんどのアルバムもそれぞれ大事なんだけど、やっぱり今回は特別だったね。というのも、ずっと「惰性でアルバムは作らない」って決めてて。だからこそ、9枚目よりも面白い作品にしなきゃいけなかったし、最低でも”違う”ものである必要があった。あとは聴いてくれた人がどう感じるかだね。
─制作のプレッシャーも大きかった?
L.L.:いや、それが逆だったんだ。前作『Horizon』のあと、正直にいうと続けるべきかどうか真剣に悩んでさ。かなり時間をかけて考えたし、ヴァンス・パウエル——プロデューサーであり、友人であり、メンターでもある彼とも話したんだ。
そしたら彼が「なあ、逆に”どうにでもなれ”って感じのアルバム、作ってみたくならない?」って言ってくれて。それがまさに欲しかった言葉で、すーっと肩の荷が下りた感じだった。曲はもうできてたし、結果的にこれまででいちばん楽に作れたアルバムのひとつになったと思う。
─そもそも、その迷いって何がきっかけだったんですか?
L.L.:音楽業界の行き先が見えなくなってきてるってことかな。僕らみたいに、完全に独立した経済モデルでやってるバンドにとって、自分たちの居場所がまだあるのかなって。今の業界って、ユニークなバンドが生き残れる余地がほんとに少ないんだよね。つまり、ジャンル分けが難しいとか、DIYで職人的に音楽を作ってるようなアーティストが弾かれやすくなってる。
80年代の農業とすごく似てるんだよ。当時、小さな農家がだんだん消えていって、大きな食品会社や農業協同組合に飲み込まれていった。市場で自分の作物を売って生きてた地元の農家が、中央集約型の流通とかスーパーに押し出されてね。今の音楽も、まさに同じ方向に向かってる気がする。
─もし仮に明日、「音楽業界のルールに従うか、それとも身を引くか」という選択を迫られたとしたら……?
L.L.:その選択はもうとっくに終わってるよ。俺たちは「身を引く」って決めてる。
マシュー・ジョーダン(M.J.):即、農業にフルコミットだね。迷いなんて一切ない。
L.L.:それで恥ずかしいなんてことも全然ないよ。俺たちにとって大事なのは価値観なんだ。育ってきた環境もあるし、何を優先するかって話でもある。マシューがいつも言うように、「業界がムカつくこと言い出したら、俺たちには農場がある」ってね。気候変動が差し迫ってるこの時代、そっちのほうがよっぽど重要だし。後先を考えないのかって? それがロックンロールってやつさ。

Photo by Philippe Salvat
─最新アルバムは、ヘンリー・デイヴィッド・ソローの思想に強く影響を受けているそうですね。彼の哲学をひと言でまとめると、どんなものだと思いますか?
L.L.:ソローはアメリカの哲学者であり博物学者でもあって、自分で建てた小屋で2年間森の中で暮らしたんだ。周囲の自然と向き合うことだけに集中してね。その体験をもとに本を書いた。
彼の哲学って、人生の問題を「実践」で解決しようっていう姿勢に尽きると思う。理屈だけじゃなくて、ちゃんと行動に移すこと。それは俺たちにすごく通じるところがある。
もうひとつ大事なのは、「市民的不服従」っていう考え方。これが2冊目の本のテーマなんだけど、たとえ法律であっても、それが不正なものなら非暴力で堂々と従わなくていいっていう主張なんだ。この本はガンジーやキング牧師にも大きな影響を与えていて、ソローはしばしば”最初の環境主義者”って言われてる。成長至上主義を疑った最初の人物とも言われるし……まさに”LESS IS MORE”だよね。
─その「市民的不服従」の精神は、楽曲「Rules」にも表れていますよね。でもその姿勢って、アナーキー(無政府主義)に近いとも受け取られかねません。いわゆる分別のある年齢に差し掛かってなお、そういうスタンスを掲げるのは合理的だと思われますか?
L.L.:いや、そこは違うよ。市民的不服従の本質って、あくまで”非暴力”なんだ。実際にそういう状況に直面したことがある。鳥インフルエンザが流行したとき、当局から「ガチョウを殺処分しろ」って命令されたんだけど、うちのガチョウは病気じゃなかった。だから拒否した。でも暴力的にじゃなくて、「うちの農場を公開します。見に来てくれて構いません。現場を観察して、判断してください」って姿勢で対応したんだ。それが市民的不服従の精神だよ。破壊するんじゃなくて、ちゃんと”超えていく”ことなんだ。
─アルバムには、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング「Almost Cut My Hair」のカバーも収録されています。ライブでは以前から演奏されていますが、なぜ今、正式にアルバムに収録されたのでしょうか?
L.L.:一つには、デヴィッド・クロスビーや仲間たちの世代がほんとに面白い世代だからってのがある。今も活動してるニール・ヤングとかね。あの人たちは”平和的な反抗”の達人だった。言葉を使って、自分の立場をちゃんと説明する。そういう姿勢があった。
この曲も最高だよ。ベトナム戦争のこと——というか戦争全般について歌ってるんだけど、それだけじゃなくて、言葉の響き、どう歌うかってところにもフォーカスしてる。あの声には、生々しい自由の感覚が詰まってる。言葉の伝え方ひとつで、ズバッと心に突き刺さってくるんだ。
─おふたりは18歳の頃から一緒に演奏していますが、ジ・インスペクター・クルーゾとして、当初思い描いていた場所に辿り着いたと感じてますか?
M.J.:正直に言うと、まったくそんなふうには思ってない。初めて一緒に演奏し始めたとき、「バンドを組んで、ずっと一緒にやって、キャリアにして……」みたいなことは一度も考えてなかったよ。
ただ出会って、楽器が好きで、音楽が好きで——当時はパール・ジャムとか聴いてて——「一緒に演奏できたら楽しいじゃん」って、それだけだった。1年ぐらいそういう感じでやってて、ある日ローレントから電話がかかってきたんだ、「デモ録ったんだけど、ドラム入れてくれない?」って。
ジ・インスペクター・クルーゾとして動き始めたときも、それが自分たちの本業になるなんて思ってなかった。ましてや農場付きで、なんてね。でもライブをやるうちに、少しずつ「この感じ、いいね」って思ってくれる人たちが現れて……広がっていって、続いてきた感じ。
─バンドの活動を続ける中で、「ジ・インスペクター・クルーゾらしいやり方では表現しきれない」と感じたテーマやアイデアはありましたか?
L.L.:あるよ、間接的にはだけどね。前作に入ってる「Horizon」なんかがいい例だな。あの曲、実は1枚目のアルバムの頃にはもう原型があったんだ。でも全然完成しなくてさ。歌詞がどうしても弱かった。曲に比べて言葉が浅い感じがしてね。そこから結局、9枚アルバムを出すまで完成させられなかった。でも、ある日突然うまくハマったんだよね。不思議と「これだ!」って。
─音楽的な意見の食い違いって起きたりします? そういう時はどう解決されるんですか?
L.L.:正直言って、めったにないなぁ……。
M.J.:「絶対ダメ! それは無理!」みたいなこと、言ったことない気がする(笑)。
L.L.:俺たちって、ただの仲間ってだけじゃなくて”人生の友”なんだよね。ほとんど兄弟みたいなもん。だから音楽のことでケンカすることなんてないよ。エネルギーは”本当の闘い”のためにとっとくんだ。その”闘い”ってのは、俺たちの間じゃなくて、外の世界にあるものだから。
──アルバムのブックレットに、おふたりが卓球してる写真がありましたね。正直なところ、普段はどちらが勝つんですか?
M.J.:(笑)直近の試合? ローレントが勝ったよ……
L.L.:俺たち、スタイルが全然違うんだよ。俺は「ただ楽しむ」って感じ。でもマシューは守備一辺倒。まるで壁(笑)。
M.J.:で、君がイラついてくるんだよね(笑)。
L.L.:いやいや、俺は攻めるタイプだから。リスクを取って攻めて、それでミスして負ける(笑)。まあ、マジメな話、実力は……だいたい互角かな。たぶんね。

ジ・インスペクター・クルーゾ
『LESS IS MORE』
発売中
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