現在23歳、SNSの投稿を通じて若きボサノヴァ・シンガーとして注目を浴びた彼は、フランスのレーベル〈Nice Guys〉の導きによって自らの生活を物語るSSWとしてのキャリアを歩みはじめたばかりだ。ウォーミングな音像を操る英国のプロデューサー、スキンシェイプとの相性は抜群。最新作『Mostrando os Dentes』では最小限のサウンドで、都会の喧騒が吹き抜ける風のように描写されていく。
インタビューの最中、密やかなサウンドと自身の心情の関係について尋ねると、彼は「静かな音の流れる風景こそ、今の私にとって最も心地良い環境なんです。だから自分で作りました」と語った。どこかトロピカルで、逃避的で、厭世の影すらも窺えるペドロ・ミズタニの詞世界。そのルーツから現代におけるボサノヴァの役割に至るまで、表現の源泉を訊いた。
─最初にあなたのことを知った時、日本をルーツに持った若いシンガーがリオで活動していることにまず驚きました。なのでまずは生い立ちについて教えてください、どのような家庭で育ったのですか?
ペドロ・ミズタニ(以下、ペドロ):多くのブラジル人と同じように、私には様々な民族的バックグラウンドがあります。父方の家族はスペインから、母方の家族は日本からサンパウロの田舎へと移住してきました。そして両親は私がとても幼いときに離婚し、それからは母と姉、祖母と一緒に暮らすことになります。その頃には母が引っ越し先のリオの日本人コミュニティに所属していたため、私も同様に日本文化へと触れるようになりました。
─ギターとはどのようにして出会ったのでしょうか?
ペドロ:父は家にアコースティック・ギターを置いていました、ブラジルでは普通のことですね。彼は家で簡単な曲を弾いていて、小さい頃の私はうっとりしながらそれを聞いていました。そのあと音楽教室に通い始めて基礎を学び、今は独学で弾き続けています。


─その時にコードや運指を研究した曲は何ですか?
ペドロ:私は音楽理論を深く学んでいないので、研究らしい研究はしたことがないんです。代わりに、ボサノヴァやMPBのレパートリーを自分なりに簡略化して学びました。ジョアン・ジルベルト、カエターノ・ヴェローゾ、トッキーニョ……彼らは私に多くのボキャブラリーを与えてくれました。
同時に、TikTokへ定期的にカバー曲を投稿していたことが、ある種の「訓練」として機能したんです。おかげでブラジル音楽の中からジャンルも時代もさまざまな曲を探しては演奏するという習慣が身についたんです。
─確かに、ボサノヴァやMPBなどブラジル音楽への知識と理解が深いように見受けられます。現在のリオでも、そういった音楽は当たり前に聞かれているのでしょうか?
ペドロ:私は母の影響でボサノヴァなどを聞くようになったのですが、今でもこういった音楽は一定の評価を得ているように思われます。しかし、どこかニッチなもの──特に知的・経済的なエリートや観光客が楽しむものになってしまったようにも感じています。残念ながら、かつてのような大衆的な魅力は失われてしまった。
─なるほど。あなたが最初にTikTokに投稿したカバー動画は「João E Maria」でしたね。どのようなきっかけで投稿することになったんですか?
ペドロ:私は昔から音楽やアートが大好きでしたが、それらはとてもパーソナルなものでした。周りにアートに明るい人がいたわけでもなく、私自身もすごく内気だったんです。だけどパンデミックの後、秘密にしていた側面を開放してみようと決心したんです。ちょっとした気の迷いでしたね(笑)。それが19か20歳の頃でした。
@pedromizutanif
─メイ・シモネスやレイヴェイなど、クワイエットな要素を作品に取り入れたい時にボサノヴァを引用するシンガーが世界中で増加しています。現代のポップスにはないボサノヴァの響きについて、どのような魅力を感じていますか?
ペドロ:メイ・シモネス、大好きです! 数カ月前にTikTokで彼女を見つけました、思いがけない美学をボサノヴァと融合させているのが面白いですよね。
「現代のポップス」をどう定義するかは難しいですが、ボサノヴァには内省的なエネルギー──それはメランコリーやある種のロマン主義ですね──があると個人的には考えています。それが自分の性格に合っている気がするんです。
ペドロ・ミズタニ作成のプレイリスト。ガル・コスタからメイ・シモネスまで収録
─今のブラジルにはボサノヴァ以降のMPBを新たに解釈して自分の表現に反映するアーティストがインディーシーンを中心に活躍している印象です。ミズタニさんが彼らの作品から自身の創作にフィードバックしたものはありますか?
ペドロ:トロピカリア(1960年代末のブラジルで発生した前衛芸術運動)のミュージシャンやノーヴォス・バイアーノス、ロー・ボルジェス、カズーザ……みんな私の音楽や歌詞に対する考え方に大きな影響を与えています。ブラジル音楽は私にとってあまりにも広大かつ根源的な存在なので、もはや「酸素について語る」ようなものなんですよね。
─中でも、自身のスタイルとのシンパシーを感じるアーティストはいますか?
ペドロ:私は時代や場所を越えて、様々な音楽家と深い繋がりを感じています。ある日はエリオット・スミスやカズーザのような過去のアーティストだったり、またある日はSoundCloudで見つけたばかりの無名の誰かだったり、毎日のようにシンパシーの対象は変わります。どうであれ、私にとって大切なのは、むき出しの何かをサウンドに変えて伝えてくれる誠実な態度なんです。
─そんな現在のご自身のスタイルを3語で表すとしたらどうなりますか?
ペドロ:ボッサ、ポップ、ミニマリスト。
ベッドルームから奏でる「静かな違和感」
─最新作『Mostrando os Dentes』についても聞かせてください。まず、このタイトルの由来は何なのでしょうか?
ペドロ:『Mostrando os Dentes』は「歯を見せる」と直訳できます。

─『Mostrando os Dentes』はベッドルームのゆるい空気をそのまま吹き込んだようなサウンドになっています。作品全体として、どのようなアレンジを目指したのでしょうか?
ペドロ:このEPは、ロンドンにあるウィル(スキンシェイプ)のスタジオに二人で籠り、5日間かけて一気に録音したんです。とてもパーソナルで、人間味のある空間でした。音色や機材、ミキシングといった面で、はじめてウィルと作業したときから目指すべき美学は明確にイメージできていたんです。あとはサウンドの方向性に合うように、既存の曲を選んだり、新しい曲をいくつか書いたりしました。
作品の一貫性は、そうしたウィルのセンスと使用した機材によって自然に生まれました。一方でそれぞれの曲には異なる目標があって、例えば「Deixar」ではトコの「Outro Lugar」のような雰囲気を思い描いていましたし、「Sozin」ではもっとダークでありつつ、同時に軽やかなものを目指していました。自分の直感を信じて、そのヴァイブに従って作った結果が『Mostrando os Dentes』です。
─「Deixar」のように、特定のリファレンスを設けて作った曲はありますか?
ペドロ:「Canal」はトッキーニョからインスピレーションを受けましたし、「Deixar」はトーコの他にブルーノ・ベルリの要素も少し入っています。それ以外の曲は、すべてゼロから生まれたものです。
─『Mostrando os Dentes』の歌詞からはリオでの生活が伺えると共に、一人のアーティスト(もしくは大人!)として成長する上での苦悩も滲んでいるように感じられました。
ペドロ:これまでの作品と比べると、『Mostrando os Dentes』には成熟の影が写し取られています。歌詞でも社会的な違和感について語る一方で、ふとした瞬間の美しさや静けさに耽ることの尊さについても述べています。そういう実感をアートを通して表現するのは、「必要だから」ということに尽きるんです。日常生活の中で、自分が本当に思っていることや感じていることを言葉にする機会は、ほとんどないですからね。静かな音の流れる風景こそ、今の私にとって最も心地良い環境なんです。だから自分で作りました。

─最後に、アーティストとして今後挑戦したいことはなんですか?
ペドロ:デビュー・アルバムを作っている最中なんです!ようやく実現に向かいはじめました、すごくワクワクしています!
これまで発表してきた作品では、ボサノヴァが一貫した美学の核になっていましたが、今はプロダクションやミキシングにおいて、もっと自由な表現を目指しています。なのでアルバムでは、新しい音の風景やジャンルをもっと積極的に探っていきたいと思っています。少なくとも今の自分にとっては、それが次のステップです。

ペドロ・ミズタニ
『Mostrando os Dentes』
配信:https://idol-io.ffm.to/mostrandoosdentes
Pedro Mizutani:https://linktr.ee/pedromizutanif