※この記事は現在発売中の「Rolling Stone Japan vol.31」に掲載されたものです。
田中 まずはアイデンティティの話から始めましょう。音楽的なアイデンティティじゃなくて、実際のエスニシティやナショナリティについてですね。
張太賢/てひょん(Vo) 僕は韓国出身です。育ちは日本で、タイやカナダで暮らした時期もあります。
登山晴(Gt) 僕は香港生まれで、高1で日本に来ました。
西山心(Key) 僕は湘南育ちの純ジャパ(笑)。
清水直人(Dr) 僕は千葉で生まれ育ちました。
高橋継(Ba) 僕も日本で生まれ育ちましたが、浜松の教会に通っていました。
田中 人を作り上げるのは環境が持つ構造と関係性だという考え方もあるにはありますよね。なので、3人のように日本で生まれ育つと、アイデンティティについて考えることって少ない。
てひょん 考えざるを得ない環境でした。
登山 めちゃくちゃ考えた時期がありましたね。
清水 僕の大学はすごく国際的なんですけど、自分の文化やルーツを意識せずに受動的に受け入れていた気がします。(高橋)継のようなキリスト教徒って日本に多くないよね?
高橋 僕は小学校までチャーチ・スクールで学んで、そこでゴスペルを聴いて、教会文化の中で育ったんですけど、中高もミッション系で、やっぱり友達と話していても宗教観が違うなって感じますね。
てひょん だから、(高橋)継に共感することは多いんだよね。僕の場合は日本の小学校では肩身が狭いことが多くて。「クリスチャンで韓国人」というダブル・マイノリティとして生きてきました。特に海外に初めて出た時、そのことについて考えさせられましたね。
高橋 ただ、自分は日本人だなと思います。留学先の家でめっちゃ「日本人」を発揮しちゃったことがあるんだよね。すっごい気を遣って、シャンプーを使い切っちゃったことを言い出せなくて(笑)。
「アジアン・ソウル」というアイデンディティ?
田中 (笑)。ただ、R&Bというごく一般的には日本語文化圏の磁場には根付いていない音楽をやっている。
高橋 そうですね。僕らは海外のR&Bをやろうとしているけど、現地のミュージシャンはもっとラフにやっているのを目の当たりにして、すごくギャップを感じました。だからこそ、僕らの音楽にはオルタナティブ性が宿るかもしれない。僕らには僕らのオウン・サウンドがあるんじゃないかなって。
田中 じゃあ、すごく乱暴な質問です。皆さんそれぞれのアイデンティティと、HALLEYの音楽の接点って何だと思います?
清水 ……ムズいな(笑)。
登山 自分は母が香港系カナダ人で、父が日本人なんです。僕が通っていた日本人学校では日本語をしゃべるんですけど、家庭では広東語を話すんですね。でも、教育を受けたわけじゃないから読み書きは出来ない。なので、自分は「日本語を話す広東人」で、香港人だとも日本人だとも思ってないんですね。
田中 その通り。
登山 だから、分かりやすく一つのアイデンティティのど真ん中にいるわけじゃないという意味で、こういう音楽を日本でやっていることは自分のバックグラウンドには合っていると感じます。
田中 行き場のなさ、あるいは、マージナルな感覚――どちらでもあるけど、どちらでもないという感覚――がどっかフィットしている?
登山 そうですね。自分たちの音楽を「アジアン・ソウル」と言っているんですけど、「アジアン・ソウルというアイデンティティを持っている」という意味ではないんです。アジアで発生したR&Bに名前を付けた感覚で、それを代表しようとは考えていなくて。
てひょん 僕はタイに行った時、韓国人コミュニティの人から「あなたは日本人でしょ」と言われた経験があるんですね。でも、結局、日本に戻ってもフィット出来なかったし、自分も(登山)晴のようにアイデンティティについての思考を放棄したのかも。
田中 ただ、アイデンティティって、突き詰めていくと、結局、個人に行き着きますよね。
てひょん そうですね。音楽も、「大衆はこれが好き」と言っちゃうと多面性が失われる。HALLEYにしてもメンバーの出自はバラバラ。でも、好きな音楽は似ていて、嗜好が広がっても互いに尊重したり共鳴したりしてる。だから、5人の共同体を作ったあと、もう一度バンドを作り上げている段階なんです。
清水 あと、「アジアン・ソウル」という言葉って、日本に囚われていないことの表明にはなっていると思うし、HALLEYを日本のバンドとはあまり言いたくないところもあるし。
田中 つまり、「J」って付けちゃうと――。
てひょん ネイションが出てきちゃいますから。
田中 なので、文化圏やエリアを指している?
てひょん 「多国籍バンド」という形容だとどこか珍しいものを見せる動物園っぽさみたいなものが出ちゃうじゃないですか。だから、僕らの自然体や、ごく普通だと思っている生き方を表すためにも、地域や文化にフォーカスすべきだなって。
清水 例えば、僕が日本でゴスペルをやっている限り「日本人がゴスペルをやっている」という枠を超えられないんですよ。でも、HALLEYにいることで「日本人の○○」というところから音楽的に解放されて、すごくカンファタブルなんです。
ゴスペル音楽と信仰
田中 実際、HALLEYが鳴らしている音楽にとって、ゴスペルってすごく重要ですよね。ただ、そもそもゴスペルは世俗の音楽ではない。信仰を持っている2人はそのことを考えたりしたことは?
高橋 僕は精神性とサウンドは違うと思ってます。ゴスペル要素を含んだ音楽ってR&Bをはじめたくさんあるし、そこは分離させて考えてもいいんじゃないか?って。
清水 そもそもブラック・ミュージックはゴスペルなくして語れないし、僕や(登山)晴、(西山)心にしても音楽的にかっこいいと思う要素は少なからずゴスペルにあるんですね。だから、そのサウンドをアジアの人間として継承している感覚ですね。
田中 ただ20世紀半ばのアメリカでは、それまでゴスペルをやっていたレイ・チャールズやサム・クックが世俗の音楽を作った時に、何かしらのバックラッシュを受けた歴史もあるにはありますよね。
高橋 確かにアメリカにはそういう文化がありますよね。僕が向こうで出会った友達には、「クリスチャンなのにそんな音楽を聴くの?」と言われたこともあります。
てひょん 僕の感覚ではHALLEYは世俗の音楽だけど、プレイヤーの5分の2がゴスペルで育ったという精神性はある。ただ、「なぜ僕自身が歌っているのか?」ってことと信仰はやっぱり密に関わってるんです。なので切り離せない。
J-POPのトレンドは高速のオン・グリッド音楽?
田中 じゃあ、例えば、この1年間のJ-POPの顔と言えば、Mrs. GREEN APPLEですよね。で、彼らの曲にはBPM 150を超えたテンポで、ギターの単音がずっと16を刻んでいたりする。バックトラックでは32で刻んでいたり、とても高度なことをやってる。ただ押しなべてオン・グリッドなんですよね。で、これは歴史のお勉強になっちゃいますけど――オン・グリッドじゃない、酔っ払ったようなビートの発祥は、J・ディラがハードウェアに手打ちでグリッドからズレたビートを打ち込んでいったことにある。その後、それを生バンドで再現、あるいは、発展させていこうという流れがあって、今がある。で、皆さんに「HALLEYを作った5枚」として挙げてもらった作品のうち、ディアンジェロの『Voodoo』にしろ、いわんやJ・ディラが参加してたスラム・ヴィレッジにしろ、その特徴のひとつがそういったビートなのは間違いない。HALLEYの音楽を語る上でも、このビートのことは外せない。となると、現行のJ-POPのトレンドとはかなり乖離しているとも言えるわけです(笑)。
■HALLEYを作った5枚
The RH Factor『Hard Groove』(2003年)
DAngelo 『Voodoo』(2000年)
Robert Glasper『Black Radio Ⅲ』(2022年)
Slum Village『Fan-Tas-Tic Vol.2』(2000年)
PJ Morton『Gumbo』(2017年)
てひょん いや、まさにそこが僕らの音楽を楽しんでもらう上での難しさに繋がっちゃうのかなと思うこともなくはないというか。
清水 グリッドからの距離が(笑)。
てひょん オン・グリッドからの距離=音楽的な難しさ(笑)。
西山 なるほどね、そこだったんだ?
てひょん いやいや、そんなことないと思うけどさ(笑)。ただ、僕が好きな音楽は、クラスの良くて1人か2人が共感してくれるものだったような気がする。でも最近は、藤井 風さんやVaundyさんが以前の日本の市場の真ん中にはなかった音楽をメインストリームに押し上げてる。だからこそ、僕らのポップ・センスも通用するんだと間接的に感じる場面は多いです。
田中 僕もそう思います。今が2000年代だったらHALLEYの音楽は理解されなかったかもしれない。ただ、2010年代半ばには、やはりオン・グリッドではないビートを志向してるWONKが出てきたり、ceroのアルバム『Obscure Ride』もリリースされた。なので、取り立てて気にしない方がいいって話なんだけど(笑)。
てひょん と思うし、日本では過去にPファンクがめちゃくちゃ人気だった時代があるんですよね? それなら、なんでも聴けると思うんです。
西山 ほら、(ハービー・)ハンコックが出演していた〈ライヴ・アンダー・ザ・スカイ〉とかの映像を観たりすると、「なんでこんなにたくさん人がいるの!?」って思うよね(笑)。
てひょん だから、やっぱり大衆って多面的なんだと思います。このゴールデン・ウィークの制作期間も、それをすごく信じて、やってましたね。
西山 ただ、意味付けも必要だよね。
シングル「24」が持つナラティブ
西山 だから、次に出すシングル「24」は、歌詞の世界を明確に打ち出した曲なんです。
てひょん この曲って24歳になる前に歌詞を書き始めて、24歳になって書き終えたんです。音楽的な葛藤や悩みを抱えて、バンドが変遷していた期間に書いた曲なんですね。「でも、これって自分だけが感じることじゃないな、24歳という年齢特有のことかも」って思って。周りには会社を辞めた同期もいるし、婚約したけど破談した友達もいる。そうした同世代的な感覚を書いたら、より共感してもらえるんじゃないかなと思ったんです。なので、ミュージック・ビデオは(登山)晴の生まれ故郷である香港で撮ったんですよ。でも、以前はもっと音楽的な快楽にドライブされて、曲を書いてた。
西山 「24」って田中さんがライブに来てくださった時に、「あのビート、どうなってんの!?」とおっしゃっていた曲です。
田中 俺が大騒ぎしてた曲だ(笑)。俺ね、基本的に唯物論者なんですよ。特定の信仰もないし、極端なことを言うと、人の感情とか、いわんやソウルなんて存在しないと半分思っているんです。だから、「あそこの和音とメロディはどうなっているの?」、「あそこのビートはどういうこと?」っていう興味が先に立っちゃうの。
西山 あ~、なるほど、そういうことか。
田中 ただ一方で、現代のポップ音楽が多くの人々に共有されるために何がもっとも重要なのかについての答えは明白で、その曲が持っているナラティブなんですね。僕自身、40年以上、ポップ・ミュージックを聴いてきて、多分ここまで曲のナラティブやリリックの内容が重要になった時代はない。だから、2010年代以降、このトレンドだけは避けられないんです。
てひょん 分かります。
田中 とは言っても、音楽って音ですよね(笑)。それ自体は何の意味も持っていないはずのパルスの連なりに間違いなく人の心は震わされる。だから、やはり音楽を作る上で最も重要なのは、その不思議にいかに取り組むかだと思うんです。「何故この曲にこんなに心が震えるんだ? それはビートなのか? 和声なのか? メロディなのか?」って。で、今、その謎、その不思議に真正面からアプローチしている日本のバンドはHALLEYなんじゃないか?と僕は思っているわけです。
一同 お~!
田中 とある方の「魂の唯物論的擁護」という言葉があるんですけど。つまりは音楽や映画といった表象作品をひたすら唯物論的に語ることで、実際に存在するかどうか分からないソウルというものを立ち上がらせることが出来るか?――それが僕の仕事のひとつなんですね。
西山 でも、それはすごく大変ですよね。
ドランク・ビートが表象するもの
田中 はい(笑)。なので、上手くいくかどうか分からないんですけど、もう少し付き合って下さい。じゃあ、もう一回、ディラ・ビート――オン・グリッドじゃないビートの話。そのビートに心地よさを感じるようになったのは、どのタイミングで?
清水 それこそゴースト・ノートの「Nod to Dilla」っていう曲がかなり明確なドランク・ビート――J・ディラ・タイプのビートなんですけど、それを聴いた時はとにかく衝撃で。でも、「何これ?」って思いながらめちゃくちゃノってたんですよ。ただ当時はタイトルに「Dilla」って書いてあるけど、J・ディラから来てるんだという知識まではなくて、皆んなにいろいろと教えてもらったりとかしてる間に辿り着いて。
西山 俺は普通に気持ちよかったかな。あ、ほら、だから、その衝撃的な入り口がアーロン・チューライのライブなんだよ!
清水 (恵比寿の)BATICAでしょ?
西山 そうそうそう。だから、そんなにこれが特殊なビートだとかっていう認識もなくて、ひたすら気持ちよくて。
高橋 僕の場合はHALLEYと出会ってから。だから、最初はディアンジェロの『Voodoo』も結構キツい時期はあったけど。
西山 キツいよ、最初は(笑)!
高橋 僕ももともとゴスペルばっか聴いてたから、16(ビート)か、プレイズ・ブレイク(賛美ブレイク。教会で行われるシャウト)のビートしか知らなくて。裏でずっとクリックが鳴ってるような音楽ばっかり聴いてたから、最初は「何これ?」みたいな。
田中 しかも、バンドでディラ・ビートやるには、ベースが一番大変だって話もありますよね?
高橋 そうなんです。絶妙な位置に入れなきゃいけなくて。今まで聴いてた音楽のキックが「ドゥン!」だとすると、「ドゥルル!」みたいに鳴ってて、「やりすぎでしょ」みたいな感じ。
てひょん そうそう。スネアしか聞こえないんだけどっていう(笑)。
清水 でも、実はそれは、それまで存在したビートとの連続性の中にあるっていうね(笑)。
高橋 っていうのが、皆んなといる中で、「あ、そういうものなんだね」って分かるようになってきて。
清水 それこそ(『Voodoo』収録曲の)「Chiken Grease」とか。
西山 そうだね~。
清水 僕の場合はクリス・デイヴ――(ロバート・)グラスパーのドラマーがすごい好きだったし。で、(高橋)継もデリック・ホッジが好きで、(西山)心はグラスパーが大好きで。そいつらがやってるJ・ディラ・トリビュートを「これ、かっけーなー」って。
西山 YouTubeで発見して、「うわ、これはもうこのままコピーしてやろう!」ってなって。
てひょん だから、HALLEYの歴史でモメンタムなのは、YouTubeに転がってるライブ動画なのかも。ディラのトリビュートとか、あとPJモートンと誰だ?
西山 グラスパー。PJモートンの「Go Thru Your Phone」をやってるやつね。
てひょん そういうライブ映像にめちゃくちゃグッときて。その引力が強かった気がします。
清水 グラスパーとかPJモートンは、当時から直感的にかっこよかったんですよ。だから、「J・ディラを学んだら、彼らと同じ言語を話せるのかもしれない」みたいな感覚はみんな持ってたんじゃないかな。
てひょん 「これ、分かったら最強なんじゃね?」みたいな流れというか。だから、R+R=NOWっていうグラスパーとテラス・マーティン辺りが中心になってやってる一晩限りの――。
清水 大好きだよ! 僕が大好きなジャスティン・タイソンっていうドラマーもそこにはいまして。R+R=NOWはとにかく「インプロヴィゼーションしまくって、そいつらが暴れたらどうなるのか?」みたいなバンドなんですよ。例えば、曲のコンポーズの段階から15/8拍子の曲を作って、それでもひたすらみんながそれを取っていくみたいな。
高橋 だから、当初はプレイヤーに対する憧れが強かったのかも。自分たちが好きなプレイヤーがこの辺りのミュージシャンを尊敬してるからっていう。
てひょん そうだね。当初は「この音楽を作りたい!」というよりは、「彼らの言語が話せるプレイヤーになるんだ!」ってことの方が強かったんじゃない?
清水 俺は完全にそうだわ。J・ディラの影響を受けて再解釈されたドラマーのプレイイングがいろいろと開拓された時代だったわけじゃない? クリス・デイヴはこうやってる、クエストラヴはこうやってる、じゃあ、彼らを勉強するには「まずはディラをインストールしておく必要がある」って感じてたというか。
登山 俺だけ違うかも。
てひょん あ、ホント?
登山 だって、ギター入ってないじゃん(笑)。
てひょん ギター入ってないね。
登山 自分の話になっちゃうんですけど、高校の時の軽音楽部の顧問の先生がブルースとかが好きだったんで、その時はブルースばっか聴いてたんですよ。アルバート・キングとかB. B. キングとかをめっちゃ聴いてて。
田中 俺の世代と同じだ、それ(笑)。
登山 それで毎週CDを漁りに行ったりする生活をしてて、そっから多分、ジャケ買いで知ったんじゃないかな、ディアンジェロとか。でも、コロナ禍が始まって、CD屋さんで新しい音楽を探すってルーティンがなくなっちゃったんですよ。それで今度はインターネットで探しまくってて、その時にアーロン・チューライを知って、めちゃくちゃ好きになって。で、彼がFKDさんと石若俊さんと3人でやってるFICってユニットがあって。それがさっき話が出たBATICAでのライブなんですけど。
田中 なるほど、なるほど。
登山 その時はちょうどMFドゥームとかも好きになり始めたぐらいだったんですけど、彼らの音楽にはジャズ系譜とヒップホップ系譜の両方があるものだから、その日のライブはとにかく刺さって。で、アーロン・チューライがJ・ディラに傾倒してた人だったんで、そこからディアンジェロとかエリカ・パドゥを聴き出していった、みたいな経緯ですかね。
西山 で、それが(登山)晴が大学1年生の時じゃん? HALLEYって年齢がバラバラなんですよ。そこの時差はかなり重要で。コロナの時期もずれてて。
清水 僕が大学3年生の時にHALLEYを組んだんですよ。その頃にWONKとかの存在は知ったりしてて。あとは、MILLENNIUM PARADEとか。
てひょん そうね。先陣を切ってやってた。
清水 だから、そこに『Voodoo』とか、(ロバート・)グラスパーとかが一気に流れ込んできた感じなんですよね。
田中 なるほど。じゃあ、ディラ・ビートの話でかなりの読者を置いてけぼりにしたところで、最後にもうひとつ音楽オタクの質問で締めてもいいですか?(笑)。
ドミナント・モーションは敵? 味方?
田中 これ、皆さんのショーを初めて観た直後から絶対に訊こうと思ってた質問なんですけど。ここ最近、「どんなジャンルにしろ、西洋音楽に基盤を置いてる音楽というのは、結局ドミナント・モーションにどう向き合うかなんじゃなのか?」と思うことがあって。例えば、20世紀初頭のブルースはそれをすごく簡略化した。でも40年代にはビバップが出てきて、めちゃくちゃ複雑になる。その後にモーダルなジャズが出てきて、コードよりも音階/スケールなんだってことになる。でもって、一気に時代を飛び越えると、サンプリング基盤のヒップホップとかって調性とかどうでもよくね?っていうところに行き着いたりもするわけじゃないですか。そんな流れを前提とした時に、HALLEYというバンドは、このドミナント・モーションとどう向き合って曲を作っていくと思いますか?――というのが最後の質問です。
清水 最近、制作合宿をしてたんですけど、そこでちょうどドミナント・モーションの話をしたよね。僕、てひょんの作るコード進行ってめっちゃ面白くて大好きなんですよ。ただ、てひょんの書いたコードを「R&Bのど真ん中じゃないよね?」みたいな話を俺がしたと思うんだけど。で、俺と(西山)心は「それって、ドミナント・モーションにあるんじゃないか?」って言ってて。
西山 まさにシルク・ソニックの話だよね。
清水 そう。キーシャ・コールもそうで。俺は1小節ディミニッシュ7thがあって、マイナーに戻るみたいなコード進行って、R&Bらしいと感じたりするんだけど、てひょんが「でも別にそれは、ひとつの時代の話だよね?」みたいなことを言ってて。実際、最近のR&Bとか、ネオソウルを聴いてると「5度から1度に行ってねえわ」みたいなことがすごく多いんですよ。ドミナント・モーションの瞬間の度数がもうやりたい放題というか(笑)。そういうのがもう許されちゃってる。「だからこそ、R&Bはもう次の時代に行ってるんだ」みたいなことをコードからも感じたりもしてて。
西山 ビバップだよね。
清水 でもさ、ビバップの場合は、まだトゥー・ファイヴ・ワンとか、バックドアとか、その範疇に収まってるんだけど、テヒョンが♯4度の7thから1度に降りて来るのを「このコード進行いいと思うんだよね」って言ってて。「なんでそれにしたの?」とは思うんだけど、でも、全然イケてるんですよ。だから、それってZ世代のコード進行だなと思ったりとか。
田中 なるほど、なるほど。
清水 でも、「Billet-Doux」とかを作ってる時はドミナントをかっこよく使おうぜって言って、ちゃんとGからCに帰結するみたいな瞬間もあったんですよ。だから、今の僕らって、曲ごとに器用に使い分けてみようかなって思ってるところにいる気がします。
てひょん 僕もすごくドミナント・モーションしたくない時期があったんだよね。中2ぐらいからギターをずっとやってたんですけど、コードを書く時にドミナント・モーションだと、めちゃめちゃ見えやすいんですよ。
登山 ボイシングが絞られてるから。
てひょん 縛られてるし。で、それが嫌だなって思って、何度もこねくり返してる中で変なやつが生まれるんですけど、でもそれが皆んなにもちゃんと届くみたいな(笑)。だから、ドミナントに恋はしてるから、それをうまくどうにか活かしたい、けど……。
西山 素直になれないところを、めっちゃやばいボイシングで突破するみたいな(笑)。「ここ、オン・コードで!」とか(笑)。
清水 とか言ってる西山心が一番くっせえコードを弾いたりするし(笑)。
西山 最近、解放されたから「もう1度、長3度、5度、ドミナント7thでバーン!」って(笑)。
てひょん 「それ!」とかね(笑)。
清水 だから、探求中じゃない? でも、ドミナント・モーションはまさにバンド内でのトピックだったから、すごい嬉しかったりもして。音楽の表情を作る秘密って、ドミナントの扱い方にあるなと僕らもちょうど思ってたところだから。
てひょん ドミナントとテンションだよね。
清水 かつ、ドミナントのテンションもあると思う。だから、そういうのをちゃんと手中に収めていたいと思いつつも、てひょんが作ってるコード進行を見たりすると、「手中には収まらんな、これ」って(笑)。
てひょん たかがトゥー・ファイブ・ワン、たかがドミナント・モーションなんだけど、分からないことだらけだよね。
登山 どこか音楽理論のアップデートに挑戦してる気がするんですよ。今まで反則だって言われるようなことを突破しようとしてるわけだから。
てひょん めっちゃそう。
清水 1stアルバムの時はもっとノン・ファンクションなコード進行とかを好んで使ってたんだけど――「Breeze」を書いたり、「Comfy」を書いたりしてる時は、ドミナント・モーションがあるか/ないかを別に意識はしてなかったというか。「このコード進行気持ちいいね」っていうのを感覚的にやってたんだけど、今はよりそれを念頭に置き始めてるから、そこにちょっと成熟の過程が見えるような気がします。
てひょん ただ逆に、より一層頭を抱えるところもありますよね(笑)。しかも、コード進行だけじゃないところでみんなが感動する音楽が成立するわけじゃないですか。そう考えると、もうやってらんないよね(笑)。
田中 じゃあ、大半の読者を完全に置いてけぼりにしちゃったところで終わろうと思います(笑)。
LIVE
HALLEY & Friends
『The Late Night Show with HALLEY & Friends』
公演日:2025年11月30日(日)
時間:Open 17:15 / Start 18:00
会場:東京・キネマ倶楽部
チケット:前売 ¥4,500+1D
U-20前売 ¥3,000+1D

最速先行チケット申し込み:
8/2(土)10:00~8/17(日)23:59
イープラス
https://eplus.jp/halley/

Digital Single「24」
HALLEY
配信中
https://yellah.lnk.to/24_HALLEY
4月に配信されたシングル「Can We Talk」に続く新曲。タイトルはてひょんの年齢にちなんでおり、リリックは音楽活動を続ける中、あるいは社会で生きていく中で抱えた葛藤や思いが綴られている。フューチャー・ファンクの要素を取り入れたオルタナティブR&Bソングでありながら、終盤でビートが高揚感溢れるドラムンベースに急変するドラマティックな構成が特徴的。「24」のアーティスト写真とジャケット、ミュージック・ビデオは、登山が中学卒業まで過ごした香港で撮影された。メンバー全員で同地を訪れ、ルーツを辿るヴィジュアル表現が音楽と融合したことでHALLEYならではの「アジアン・ソウル」が展開されている。
HALLEY
「アジアン・ソウル」を掲げる東京のバンド。2021年、早稲田大学のサークル「The Naleio」で出会った張太賢/てひょん(Vo)、登山晴(G)、西山心(Key)、高橋継(Ba)、清水直人(Dr)で結成。ジャズ、R&B、ゴスペル、ファンクに影響を受けつつもポップな音楽性が特徴。2024年に1stアルバム『From Dusk Till Dawn』をリリース、「SXSW」に出演し、シングル「Chicken Crisp」と「Billet-Doux」も配信。2025年にはシングル「Can We Talk」と「24」、ライブCD『2nd One-Man Tour ”CUVICLE”』を発表。