ロック系アイドルグループの元祖・メロン記念日が結成25周年を記念して、1年間限定で復活を遂げた。今回、オリジナルメンバーである大谷雅恵は本人の意志を尊重し、残念ながら不参加という形にはなったが、現在3人は15年ぶりとなる全国ツアー「メロン記念日25 LIVE TOUR~熟メロン~」の真っ最中。
【ライブ写真ギャラリー(計7点)】
ライブは、本インタビューでメンバーが話しているように、かつてと変わらぬ攻撃的なセットリストで、楽曲に負けぬパワフルなパフォーマンスを展開。聴きたい曲が聴きたいタイミングで鳴り、歓喜の拳を突き上げる瞬間が何度も訪れた。観客の盛り上がりも当時を彷彿とさせる激しさで、ステージとフロアの間を強烈なエネルギーが飛び交った。その一方、セクシー系の楽曲では、表現力豊かなステージングで魅せ、かつてのファンだけが喜ぶような身内ノリではなく、新たなファンを獲得しようとする貪欲さすら感じさせた。これは、既存のファンはもちろんのこと、解散後に彼女たちの存在を知ったアイドルファンにも積極的にオススメしたいツアーだと断言できる。
このインタビューは、そんなツアーがスタートする数日前に、都内にある某スタジオで行われた。リハーサル前ではあったが、3人は柔らかな笑顔でインタビューに臨んでくれた。
―メロン記念日は、今につながるロック系アイドルの先駆けだったと僕は思っています。もちろん、それを狙っていたわけではないと思うんですが、今、ロック系アイドルシーンの活況を生み出すきっかけのひとつが自分たちの存在だったということについてどう思いますか。
3人 (恐縮しながら)ええええ~!?(笑)
斉藤瞳 狙ってできることではないので、本当に全く予期せぬ反応で。
―それは、現役の頃にそれに続くグループがいなかったからだと思うんです。
斉藤 ChatGPTが出たばかりの頃、試しに「メロン記念日って知ってますか?」って聞いてみたんですよ。そうしたら、「のちに、ももいろクローバーZのような盛り上がり方をするグループでしたね」みたいなニュアンスで返ってきて、ChatGPT的にメロン記念日はももクロちゃんみたいな雰囲気の位置付けにいるのね、と思って(笑)。
―アイドルとロックがクロスオーバーしてるような。確かに、そういうグループはももクロだったかもしれないですね。
柴田 メロン記念日はデビュー当時、ゲスト出演のライブはあったんですけど、ワンマンができるまで他のグループよりもちょっと時間がかかって、2002年の冬にやっとできたんですけど、ライブが始まったと思ったらお客さんがダイブをしだして、2階にいる関係者の皆さんも、私たちじゃなくてダイブしてるお客さんばかり見てたんです。私たちとしては、アイドルとしてアイドルのライブをやったつもりだったのに、なんだかすごい光景になってしまって……あれはなんだったんでしょうね。異様ですごい景色だったなと。
―それまでのライブでは何の予兆もなかったんですか?
柴田 なかったと思います。なので、「ええ、なにこれ?」って。
村田めぐみ あの頃のライブは、お客さんの盛り上がり方も今とはまた違ってて、「香水」のようなミディアムバラードでもすごく盛り上がってた気がします。
―あはは!
村田 今はみんな静かに聴いてるんですけど、そのときは声を出してたような気がする。
―やっぱり、初の単独公演という興奮がそうさせたんですかね。
村田 それが爆発したのかもしれないですね。本来私たちは、前へ出ていくというよりは、ちょっとおとなしく整列してるようなタイプなんですけど、ロックが融合するようになったことですごく前に出る感じになって、そこはいつも不思議だなと思います。ステージで化けるタイプなんですかね。
斉藤 あははは!
―お客さんの盛り上がりに感化されるところもあるかもしれないですね。
村田 そうですね、確かに。
―僕が初めてメロンの単独ライブを観たのは、2003年春の「メロン記念日ライブツアー2003春~1st Anniversary~」のZepp Tokyo公演だったんですけど、その頃にはすでに「メロンのライブではモッシュとクラウドサーフが起きる」って噂になっていて、実際、この日のライブでもクラウドサーフが起こって大興奮したのを覚えてます。でも、あまりの盛り上がりに、その後のライブではモッシュ・ダイブ禁止令が出ました。そういったこともあって、その後のシングルが「チャンス of LOVE」から始まるセクシー路線に切り替わったのかと僕は当時勘ぐっていました。
斉藤 でも、つんく♂さんって同じ路線でいかないのがらしさというか。私たちも「そっち(ロック)じゃないんだ」って思ってましたから。
―ああ、そうだったんですね。
斉藤 でも、「これがつんく♂プロデュースか」みたいな雰囲気はあったかもしれない。変化球がつんく♂さんらしさというか。私たちは自分で曲をつくれるわけでもないし、「こういう曲が欲しいです」と主張できるほど確立したスタンスもできていなかったので、いただいた曲を一生懸命やるだけでした。毎回、「こっち!?」って思ってましたけど(笑)。
村田 どんどんセクシー路線が進んでいって、最終的には「肉体は正直なEROS」までいって、「とうとうここまで来たか!」と思ったんですけど、カップリングでは明るい弾けた曲も多かったのでバランスは取れていたのかもしれないですね。ただ、ライブではもう少しヲタモダチのパワーと闘えるロックな曲を増やしたいなっていうのはずっと思ってました。
―ああ、そういうことを思ってはいたんですね。その後、2010年にグループは解散して、15年の時を経て、今年の元旦に大谷雅恵さんを除いた3人による期間限定再結成が発表されました。みなさんはあの発表までどんな気持ちでいましたか。
斉藤 今年は、お正月がない……っていう言い方はおかしいですけど、もう全てメロンに捧げた時間でした。
村田 私も大晦日どころではなくて、「ゆく年くる年」を見ながらこんなに緊張したことはないっていうくらい、「来る来る来る……!」みたいな。ドキドキがすごかったです。
柴田 私はそれまでSNSをずっとやってなくて……。
―そうでしたね。
柴田 今ではインスタは割とできるようになってきたんですけど、Xが未だにわからなくて……。去年の年末の時点では今以上にわかってなかったので、クリスマスに村田と会って、2人で告知の文章を再確認するという作業をしてました。それ以降もずっと、「何月何日にこれをするから、こうしてこうして……。で、Xはこうやって……」って準備を重ねてました(笑)。
柴田あゆみ
―結果として、すごい盛り上がりになりましたけど、あれは想定内ですか?
斉藤 いや、上回ってくれたところはありました。解散から15年の間に単発でハロー!プロジェクトのステージに立たせてもらうことはありましたけど、こういった形で再結成を表明するのは15年ぶりなので、果たして私たちを待ってくれている人はどれくらいいるんだろう、と。
―なるほど。
斉藤 デビュー25周年というアニバーサリーイヤーだから何かをしたいというのは、私たちのわがままじゃないですか。これまで私たちは、「これがしたい、あれがしたい」ということを言ってきたグループではないんですけど、今回は私たち発信で事務所の方にお願いして進めてきたんです。とはいえ、どれくらいの人が待ってくれているかは未知だったので、不安もありました。なので、みなさんの反応は嬉しかったです。
―再結成の発表以降、YOSHIKO先生の主催イベント「445ナイト vol.2」に出演したり、ロフトプラスワンでトークイベントを開催したり、今回Blu-rayとして再発された『メロン記念日 FINAL STAGE "MELON'S NOT DEAD”』の爆音上映会があったり、様々な形でファンを喜ばせてくれていますよね。これらはどうやって進行した企画だったんでしょうか。
斉藤 当然、私たち3人だけでは到底ここまでは行き着かなかったし、以前の所属事務所であるアップフロントさんで解散当時のチーフマネージャーだった方が先頭に立ってアドバイスをくださって……私は今、新潟に住んでるし、柴田はママだから、できないこともあるんですけど、できる範囲でみんなでスケジュールを調整して、やれるものはやろう、と。で、今、こういう状況になっています。
―スタッフの方がいろいろとアイデアを出してくれたんですね。
柴田 ラジオの方々も、再結成の告知をしたら「お仕事お願いしたいです!」って連絡をくださったり。15年前はADだった子がプロデューサーになっていたりして、長い年月を経てまた呼んでいただけたりして、みなさんには本当に感謝でございます。
―なかでも、3月に行われた「ひなフェス」(「Hello! Project ひなフェス 2025」)出演は大きなトピックのひとつだと思います。
村田 正直、不安はすごくありました。いろんな方々がネットで復活を喜んでくれているのは見ていたんですけど、ハロー!プロジェクトの大きなステージで、どれだけの人が実際にメロンの出演を喜んでくれるのかというのはすごく不安で。でも、客席が一面メロン色に染まりまして、その光景を見てすごく安心しました。
―柴田さんは泣いてらっしゃいましたよね。
柴田 はい。それはホッとしたのもあるし……私はもう、新人のつもりで、私たちのことを知らない人が8割9割だと思いながらステージに出ていったんですよ。昼公演の1曲目は「香水」だったんですけど、当然、自分の足で歩かないとステージには行けないじゃないですか。それがまず緊張で。
―ああ……。
柴田 しかも、イヤモニをしてるので、自分の耳の中はシーンとしてるんですよ。メンバーの顔を見たいけど、一列に並んでるからまっすぐ前しか見えない。もちろん、後ろも振り返れない。だから、ステージまでの数十秒がすごく緊張したし、ステージに立って、ちょっと暗めのステージにオルガンの音色が響いた瞬間の静寂もめちゃくちゃ緊張して。でも、パッと照明がついたときに感じたみなさんの温かい視線に、「これはヤバい……」と。もう、泣きそうで。あと、「香水」は「オー、イェー」っていうつんく♂さんの声がイントロで入るじゃないですか。それが、「大丈夫だよ、みんないってらっしゃい」って言ってくださってるようにしか感じられなくて、それがすごく心強くて。この曲は私が歌うパートが多いんですけど、大谷(雅恵)もいるし、つんく♂さんもいる――心でそう感じながら歌えました。何年ぶりかのステージだったけど、今の自分の最高のパフォーマンスができたので、私にとってすごい1ページになったなと。あと、こうやって過去を振り返るだけの価値がメロン記念日の10年間の活動にはあったんだな、と改めて感じました。
―めちゃくちゃいい話じゃないですか。
柴田 もう、すごい感動しちゃって。最高でした。
―斉藤さんはどうでした?
斉藤 昼と夜でセトリを変えるというチャレンジをしたのが、「攻めてんな」と思いました。でも、みなさんの期待に応えたいというか、25周年という1年の活動をここにいるお客さんに応援してもらうぞっていう気持ちだったし、いいものを見せないといけないという気合は入ってました。
―すごい。
斉藤 やっぱり、私たちのステージパフォーマンスを観るのが初めてだという方が大半だったと思うんですよ。あのときもMCで聞いたんですけど、メロンのパフォーマンスを観たことがあると手を挙げてくれた人は半分くらいだったかな。あとの半分は生では観たことがないということなので、その人たちが私たちのライブにまた来てくれるようにしないといけない、と自分の中で気を張ってた気がしますね。
―それは、今回の再結成がただの記念ではないという気持ちの現れですよね。そこまで攻めたセトリを組んだというのは、新規のお客さんを掴みたいという現役のときと変わらぬ強い気持ちがあるということだと思いました。
斉藤 でも、「なんでこんなにもこの曲が定着しているんだろう」「なんでこんなに盛り上がってくれるんだろう」「なんでこんなにコールくれるんだろう」って考えると、ハロー!プロジェクトはありがたいことに私たちのホームで、そこにいる後輩ちゃんたちが、ずっと私たちの歌を歌ってくれていたお陰で曲が生き続けられたんですよね。それでも、自分たちが本家であるということは譲れなかったし、「私たちが歌うとこうなるよ」というのはどうしても見せたかったんです。
―本家としてのプライド。
斉藤 それはありました。
斉藤瞳
―今、おっしゃっていたように、後輩たちがメロンの楽曲を歌い継いできたことは大きかったと思います。そのことについてはどう感じていますか。個人的には、道重さゆみさんが自身の卒コンで「赤いフリージア」を歌ったことがすごく印象に残っているし、Juice=Juice、アップアップガールズ(仮)、こぶしファクトリーなど、いろんなグループが音源やライブでカバーしていますよね。
村田 他のグループは、誰かが卒業して、新しい人が入って……という形で名前は続いていくし、曲も歌い継がれていくんですけど、メロン記念日は4人でデビューして、そのまま4人で解散していって。それでも、ハローのみなさんがメロンの楽曲をカバーしてくれることでファンの方も一緒に楽しんでくれているのは、すごく幸せなことだと思います。
―いろんなグループがカバーしたという話を聞くたびに気になるんじゃないですか?
村田 うん、気になりますね。「どんな感じで歌ってくれてるんだろう」「どんなふうになってるんだろう」っていうのは話を聞くたびに思います。
村田めぐみ
―「ひなフェス」のあとには15年前の解散ライブ「メロン記念日FINAL STAGE ”MELONS NOT DEAD”」の爆音上映会が池袋の映画館で開催されました。僕も参加させていただいたんですけど、ただの上映会と思いきや、なんだかとても感動的で。ちょっと独特な空気を感じました。
柴田 それが……私たちは「この後にツアーの告知ができる……!」っていう気分で観てたので……(笑)。
―告知で頭がいっぱいだったんですね(笑)。
柴田 「早く言いたい~!」みたいな。
斉藤 でも、改めて「いいグループだな」「いいライブしてたな」「これを形に残せて本当によかったんな」と思いました。
村田 私は昔の映像を観るのが本当に苦手で、ライブ映像もこれまでそんなに観たことがなくて。MVでさえあんまり観ていなくて、活動が終わってからやっと見られるようになってきたんです。
―そうだったんですね!
村田 だから、「MELONS NOT DEAD」の映像も指で数えるぐらいしか観たことがなくて、ちょっと印象が薄くなっていたので、「あ、ちゃんとやってたんだな」って客観的に思いました。上映会では、私たちが最前列で観ていて、その後ろにお客さんたちがいたので、一緒に盛り上がってくれてすごく心強かったし、いい上映会だったと思います。
柴田 私は解散ライブを観ると、いつも感動して涙しちゃうんですよね。だから、この上映会で決まってからは、このライブはしばらく観ないようにしようと思って我慢してたんですよ。で、上映会で「よし、泣こう」と思ったら、あのときは泣けなかった(笑)。でも、あれはメロン記念日史上最高のライブだったと胸を張って言えますね。
村田 いまだにあのライブを観れないっていうお客さんも多数いたので、それを25周年というタイミングでみんな一緒に観ることができたのはすごくよかったです。
―本作はBlu-ray化されて、7月30日にリリースされました。こちらも拝見したんですけど、映像がすごくキレイで、非常に意味のあるBlu-ray化だと思いました。
3人 (無言で笑う)
斉藤 ごめんなさい……一昨日サンプルをもらったんですけど、まだ観れてなくて……(笑)。でも、最高傑作をキレイな形で残していただけたというのは本当に幸せです。
村田 そうだねえ。
斉藤 当時は今以上に高額だったBlu-ray化にも耐えうるくらい、ハイクオリティな撮影をしてくださっていたということですからね。
―確かに、そのとおりですね。
村田 ……ということは、あの長いMCもキレイな映像で残っているんですね……。長くなかったですか?
―正直、ちゃんと長かったです。
柴田 あはは!
―トータル約3時間ですからね。
斉藤 長かったですね! 当時、終演が遅すぎて家に帰れなかった人もきっといたと思います。
村田 あの……私が「赤いフリージア」の曲紹介を何度も失敗しているのも入ってました? あれは人生の最後まで覚えてると思います。
―そんなに後悔してるんですか? しっかり入ってますよ(笑)。
村田 あ、そうなんだ……。
柴田 でも、あれのおかげで緊張がちょっと和らいで、「赤フリ」がちゃんと歌えたよ(笑)。でも、あともう1回間違えてたら笑って歌えなかったと思う(笑)。
斉藤 私はあのシーンを残せてよかったと思うよ。
村田 えー、本当にぃ?
斉藤 それがらしさだからね。最後の最後まで「メロン記念日の村田めぐみ」だったよ。
柴田 ただカッコよく終わらないっていうね(笑)。
村田 爆音上映会のときはMCが入ってなかったんで、もし家で観るとしたらすっごい遠くから観ます。徐々に近づいていきます。
斉藤 なんでだよ!(笑)
―あはは! 何にしても、しっかり高画質だったので、DVDを持っている人でも手に入れる価値があると思いました。
斉藤 そんなにキレイなんですね。嬉しい。
―今回の再結成は、解散後から15年にわたる生活があったからこそ実現したことだと思うんです。今振り返ってみて、この15年はみなさんにとってどういうものだったのか、今のメロン記念日に何を与えているのかお聞きしたいです。
斉藤 結局、15年間メロンから離れていたけど、やっぱり人生の一部であることに変わりはなくて。メロン記念日で築き上げたものが、斉藤瞳個人として生きていく上でも支えになっていると痛感せざるを得ないシーンがたくさんあって。私は今、ラジオパーソナリティとして活動していますけど、これまでの経験を活かせる職業につけたのも、メロン記念日があったからだと思います。あのときに得たものによってさらにパワーアップして、当時だったらできなかったことができるようになって、15年後の今に活かせている。この15年の道のりはずっと繋がっていて、一度も途切れていないんです。やっぱり、15年ともなると人生はいろいろあって、すっごい苦しいタイミング、悲しいタイミングもいっぱいあって。でも、後悔しないのが一番。今回も、15年という時を経て、「メロンをやりたい」と願ったらできた。もちろん、そんな簡単なことではないですけど、それを実現できるところまで持っていく原動力になっていたのは、自分がメロン記念日だったことなんですよね。結局、なんでもメロン記念日に戻ってくるし、原動力の全てはメロン記念日なんですよね。
―「元メロン記念日の斉藤瞳」ではなく、いち個人の「斉藤瞳」として見てもらいたい、メロン記念日の呪縛から逃れたい、みたいな感覚はありませんでしたか。
斉藤 一度も考えたことないですね! ちょっと角度の違う答えになってしまうんですけど、個人でお仕事をするにあたって、それまでが恵まれすぎていたということを痛感せざるを得なくて。いろいろと用意していただけること、段取りを組んでいただけること……。今は全部自分でやらなくちゃいけなくて、そもそも何一つできないところからスタートして、「あの頃の自分は恵まれていたんだな」と。だから、逃れたいというよりはこれまでの経験を生かさなきゃダメだという気持ちでした。もともと気が強いこともあると思うんですけど、「そういう世界にいたのにこんなこともできないの?」って思われたくなくて。
―ああ、その気持ちは想像ができます。
斉藤 そう思われてしまうと、メロンにも傷がついちゃう。「こんなにできないヤツがメロン記念日やってたの?」って思われたくなくて、メロンのイメージを崩さないように意識していました。私自身が今でもこうしてメディアに携わっていられるのは、そういう気持ちがあったからかもしれない。
―柴田さんと村田さんは斉藤さんとは立場が違うと思います。この15年の経験は、今のご自分に何を与えていますか。
柴田 私は、メロン記念日が解散してからソロで3年ほど活動させていただいて、その間、シングルとアルバムも出させていただいて、そこで自分ひとりの実力の限界を感じました。やっぱり、みんながいたから、メンバーがいたからなんだな、と。あとは、女性としての自分の人生を考えたときに、結婚して家庭にはいることにも憧れて、いろいろとタイミングが重なって結婚し、出産して、30代の10年間はずっと子育てをしていました。でも、メンバーとはちょこちょこ会って、子供にも会いに来てくれたりして、本当に感謝の日々だったんですけど、子供たちもだんだん大きくなってきて、自分の時間が増えてきたときに、「このままでいいのか」と。2013年には、カウントダウンライブ(「Hello! Project COUNTDOWN PARTY 2013 ~ GOOD BYE & HELLO! ~」)に出させていただいたり、「ハロ!フェス 2018」にお声をかけていただいたりはしていたんですけど、メロン記念日が2025年に25周年を迎えるにあたって、「なんかやりたいよな……」とだんだん考えるようになって。そんなときに、去年、ハロー!プロジェクトの先輩である太陽とシスコムーンの輝くステージを観て、「私ももう一度あっち側のステージに行きたいな……」と。”◯◯ちゃんママ”じゃなくて(笑)、あのキラキラした”あっち側”にまた行ってみたいなってすごく思うようになってきたんです。子どものためじゃなくて、自分のために。で、自分が頑張ってる姿、楽しんでる姿を子どもたちにも見せたいなと思うようになって。それで、いろいろとタイミングが合ったことと、以前のスタッフの方が「やりなよ」と背中を押してくださったり、サポートをしてくださったことで、こうなりました。
―そうだったんですね。村田さんはどうでしたか。
村田 私は、メロンが終わってから1年ほどそのまま事務所に所属して、舞台やラジオをやらせてもらってたんですけれども、自分の方向性がわからなくなって、「このままだと違うな」と思って、スパッとやめたんですね。そこからは、芸能とはまったく違う道を探ってみたいと思って、自分の場合、会社員の友達もいるし、「そっちの方向に行ったらどうなるんだろうな」と思って資格を取ったり。結局、知り合いの紹介でとある企業に入ったんですけど、その頃は電話を取るところから始めて、目の前の仕事に一生懸命で、もう何もわからなくて。でも、「メロン記念日の人が入ってきた」ということは会社全体に知られていたので、「みんなでカラオケ行こうよ」と誘われまして。でも、その頃は全然歌ってなかったから、「全然歌えなかったらマズい……!」と思って、そこから歌の練習をはじめました。
―あはは!
村田 メロン記念日をやめてからも歌の練習をしなきゃいけない状況になるっていう。
柴田 面白い(笑)。
村田 そんなふうに、仕事とともに歌も頑張る生活をしばらく続けて、また別の仕事もしたり。そこからは私も斉藤と同じで、メロン記念日はハロー!プロジェクトに所属していたとのだから、どんな仕事が来ても、どんな大変な目にあっても絶対に乗り越える、逃げない、ということは自分の心にずっと誓っていました。たとえ仕事ができていなかったとしても、「でも、村田さんは最後まで諦めないよね」って思われたくて、ちゃんと真っ向から仕事と向き合っていました。それは今でもずっと続いていますね。だから今回、メロン記念日が……今回は3人ですが、再び集まったときに、全員が昔より前に出ているんですよ。今のほうがより意欲的というか、それぞれが自分の意見を持っていて、3人とスタッフさんが一致団結している感じがすごくします。
―15年ぶりの全国ツアーとなる「メロン記念日25 LIVE TOUR~熟メロン~」のテーマが「フェニックス」だというのも納得です。一度死んでも蘇る、という。
斉藤 いろいろ考えたんですよ。私たちはメインビジュアルをスカルにしていたから、蘇ってくるってことは……「ゾンビか?」とか(笑)。
村田 ゾンビにしなくてよかったね。
―あはは!
斉藤 フェニックスは「再生」や「蘇り」の象徴なので今の自分たちにぴったりだし、その想いをこの1年に込めようと。
村田 不死鳥はよりキレイに、よりパワーアップして帰ってくるので。
―どんなツアーになるんでしょう。
斉藤 「MELON'S NOT DEAD」の雰囲気はちゃんと持ってきてます。
村田 思った以上に攻めていると思います。
柴田 15年ぶりって誰も思わないくらい攻めてると思います(笑)。
―それはいいですね!
斉藤 よくこのセトリを組んだなって自分たちでも思いますよ。メロン記念日の持ち曲は64曲あるんですけど、そこからふるいにかけるわけですよ。やっぱり、ステージに上げられるのは20曲前後じゃないですか。なので、絶対歌いたい、歌ってみたいという曲を3人で選ぶところからセトリを決めて、スタッフさんからの意見も入ったんですけど、大部分は私たち3人の意見を押し通す形になりました。
8月9日に新宿ReNYで行われたツアー初日
―各地で後輩たちもゲストとして出演しますね。
村田 「この子がメロンに入ったらどんな感じになるんだろう……?」って今から楽しみです。
斉藤 私たちも未知だもんね。
柴田 みんなフレッシュで、私たちの年齢の半分くらいの子が一緒にステージに上がるわけで。
村田 自分の娘でもおかしくないから、娘のようにかわいがります(笑)。
―楽しみにしています! 今は当然、全国ツアーに意識が向いていると思うんですが、周年イヤーはまだ続きます。ツアー後もファンは何か期待していてもいいんでしょうか……?
斉藤 期待に応えられるように、今もいろいろと進めております。25周年イヤーなので、1年間しっかりと楽しみましょう!
8月9日に新宿ReNYで行われたツアー初日は、昼・夜公演ともにチケット即完。筆者も含め、彼女たちの復活を心待ちにしていたヲタモダチ(メロン記念日ファンの総称)で場内はパンパンとなった。
【ライブ写真ギャラリー(計7点)】
ライブは、本インタビューでメンバーが話しているように、かつてと変わらぬ攻撃的なセットリストで、楽曲に負けぬパワフルなパフォーマンスを展開。聴きたい曲が聴きたいタイミングで鳴り、歓喜の拳を突き上げる瞬間が何度も訪れた。観客の盛り上がりも当時を彷彿とさせる激しさで、ステージとフロアの間を強烈なエネルギーが飛び交った。その一方、セクシー系の楽曲では、表現力豊かなステージングで魅せ、かつてのファンだけが喜ぶような身内ノリではなく、新たなファンを獲得しようとする貪欲さすら感じさせた。これは、既存のファンはもちろんのこと、解散後に彼女たちの存在を知ったアイドルファンにも積極的にオススメしたいツアーだと断言できる。
このインタビューは、そんなツアーがスタートする数日前に、都内にある某スタジオで行われた。リハーサル前ではあったが、3人は柔らかな笑顔でインタビューに臨んでくれた。
―メロン記念日は、今につながるロック系アイドルの先駆けだったと僕は思っています。もちろん、それを狙っていたわけではないと思うんですが、今、ロック系アイドルシーンの活況を生み出すきっかけのひとつが自分たちの存在だったということについてどう思いますか。
3人 (恐縮しながら)ええええ~!?(笑)
斉藤瞳 狙ってできることではないので、本当に全く予期せぬ反応で。
周りの方からは「先駆けだった」とか「早すぎた」とかすごくありがたいお言葉を頂戴しましたけど、それは私たちの姿がなくなってからで、現役のときにそんなこと言われた記憶はないよね。柴田あゆみ 確かに。
―それは、現役の頃にそれに続くグループがいなかったからだと思うんです。
斉藤 ChatGPTが出たばかりの頃、試しに「メロン記念日って知ってますか?」って聞いてみたんですよ。そうしたら、「のちに、ももいろクローバーZのような盛り上がり方をするグループでしたね」みたいなニュアンスで返ってきて、ChatGPT的にメロン記念日はももクロちゃんみたいな雰囲気の位置付けにいるのね、と思って(笑)。
―アイドルとロックがクロスオーバーしてるような。確かに、そういうグループはももクロだったかもしれないですね。
柴田 メロン記念日はデビュー当時、ゲスト出演のライブはあったんですけど、ワンマンができるまで他のグループよりもちょっと時間がかかって、2002年の冬にやっとできたんですけど、ライブが始まったと思ったらお客さんがダイブをしだして、2階にいる関係者の皆さんも、私たちじゃなくてダイブしてるお客さんばかり見てたんです。私たちとしては、アイドルとしてアイドルのライブをやったつもりだったのに、なんだかすごい光景になってしまって……あれはなんだったんでしょうね。異様ですごい景色だったなと。
―それまでのライブでは何の予兆もなかったんですか?
柴田 なかったと思います。なので、「ええ、なにこれ?」って。
その日の東京は初雪が降って電車がちょっと遅延してたし、会場内が滑るから気を付けてほしいということを自分たちでアナウンスをしなきゃいけなかったりして、ただでさえライブでテンパってたのに、そっちのことも頭に入れなきゃいけなかったから大変だったんです。
村田めぐみ あの頃のライブは、お客さんの盛り上がり方も今とはまた違ってて、「香水」のようなミディアムバラードでもすごく盛り上がってた気がします。
―あはは!
村田 今はみんな静かに聴いてるんですけど、そのときは声を出してたような気がする。
―やっぱり、初の単独公演という興奮がそうさせたんですかね。
村田 それが爆発したのかもしれないですね。本来私たちは、前へ出ていくというよりは、ちょっとおとなしく整列してるようなタイプなんですけど、ロックが融合するようになったことですごく前に出る感じになって、そこはいつも不思議だなと思います。ステージで化けるタイプなんですかね。
斉藤 あははは!
―お客さんの盛り上がりに感化されるところもあるかもしれないですね。
村田 そうですね、確かに。
―僕が初めてメロンの単独ライブを観たのは、2003年春の「メロン記念日ライブツアー2003春~1st Anniversary~」のZepp Tokyo公演だったんですけど、その頃にはすでに「メロンのライブではモッシュとクラウドサーフが起きる」って噂になっていて、実際、この日のライブでもクラウドサーフが起こって大興奮したのを覚えてます。でも、あまりの盛り上がりに、その後のライブではモッシュ・ダイブ禁止令が出ました。そういったこともあって、その後のシングルが「チャンス of LOVE」から始まるセクシー路線に切り替わったのかと僕は当時勘ぐっていました。
斉藤 でも、つんく♂さんって同じ路線でいかないのがらしさというか。私たちも「そっち(ロック)じゃないんだ」って思ってましたから。
―ああ、そうだったんですね。
斉藤 でも、「これがつんく♂プロデュースか」みたいな雰囲気はあったかもしれない。変化球がつんく♂さんらしさというか。私たちは自分で曲をつくれるわけでもないし、「こういう曲が欲しいです」と主張できるほど確立したスタンスもできていなかったので、いただいた曲を一生懸命やるだけでした。毎回、「こっち!?」って思ってましたけど(笑)。
村田 どんどんセクシー路線が進んでいって、最終的には「肉体は正直なEROS」までいって、「とうとうここまで来たか!」と思ったんですけど、カップリングでは明るい弾けた曲も多かったのでバランスは取れていたのかもしれないですね。ただ、ライブではもう少しヲタモダチのパワーと闘えるロックな曲を増やしたいなっていうのはずっと思ってました。
―ああ、そういうことを思ってはいたんですね。その後、2010年にグループは解散して、15年の時を経て、今年の元旦に大谷雅恵さんを除いた3人による期間限定再結成が発表されました。みなさんはあの発表までどんな気持ちでいましたか。
斉藤 今年は、お正月がない……っていう言い方はおかしいですけど、もう全てメロンに捧げた時間でした。
村田 私も大晦日どころではなくて、「ゆく年くる年」を見ながらこんなに緊張したことはないっていうくらい、「来る来る来る……!」みたいな。ドキドキがすごかったです。
柴田 私はそれまでSNSをずっとやってなくて……。
―そうでしたね。
柴田 今ではインスタは割とできるようになってきたんですけど、Xが未だにわからなくて……。去年の年末の時点では今以上にわかってなかったので、クリスマスに村田と会って、2人で告知の文章を再確認するという作業をしてました。それ以降もずっと、「何月何日にこれをするから、こうしてこうして……。で、Xはこうやって……」って準備を重ねてました(笑)。

柴田あゆみ
―結果として、すごい盛り上がりになりましたけど、あれは想定内ですか?
斉藤 いや、上回ってくれたところはありました。解散から15年の間に単発でハロー!プロジェクトのステージに立たせてもらうことはありましたけど、こういった形で再結成を表明するのは15年ぶりなので、果たして私たちを待ってくれている人はどれくらいいるんだろう、と。
―なるほど。
斉藤 デビュー25周年というアニバーサリーイヤーだから何かをしたいというのは、私たちのわがままじゃないですか。これまで私たちは、「これがしたい、あれがしたい」ということを言ってきたグループではないんですけど、今回は私たち発信で事務所の方にお願いして進めてきたんです。とはいえ、どれくらいの人が待ってくれているかは未知だったので、不安もありました。なので、みなさんの反応は嬉しかったです。
―再結成の発表以降、YOSHIKO先生の主催イベント「445ナイト vol.2」に出演したり、ロフトプラスワンでトークイベントを開催したり、今回Blu-rayとして再発された『メロン記念日 FINAL STAGE "MELON'S NOT DEAD”』の爆音上映会があったり、様々な形でファンを喜ばせてくれていますよね。これらはどうやって進行した企画だったんでしょうか。
斉藤 当然、私たち3人だけでは到底ここまでは行き着かなかったし、以前の所属事務所であるアップフロントさんで解散当時のチーフマネージャーだった方が先頭に立ってアドバイスをくださって……私は今、新潟に住んでるし、柴田はママだから、できないこともあるんですけど、できる範囲でみんなでスケジュールを調整して、やれるものはやろう、と。で、今、こういう状況になっています。
―スタッフの方がいろいろとアイデアを出してくれたんですね。
柴田 ラジオの方々も、再結成の告知をしたら「お仕事お願いしたいです!」って連絡をくださったり。15年前はADだった子がプロデューサーになっていたりして、長い年月を経てまた呼んでいただけたりして、みなさんには本当に感謝でございます。
―なかでも、3月に行われた「ひなフェス」(「Hello! Project ひなフェス 2025」)出演は大きなトピックのひとつだと思います。
今、振り返ってみて、あの日はいかがでしたか。
村田 正直、不安はすごくありました。いろんな方々がネットで復活を喜んでくれているのは見ていたんですけど、ハロー!プロジェクトの大きなステージで、どれだけの人が実際にメロンの出演を喜んでくれるのかというのはすごく不安で。でも、客席が一面メロン色に染まりまして、その光景を見てすごく安心しました。
―柴田さんは泣いてらっしゃいましたよね。
柴田 はい。それはホッとしたのもあるし……私はもう、新人のつもりで、私たちのことを知らない人が8割9割だと思いながらステージに出ていったんですよ。昼公演の1曲目は「香水」だったんですけど、当然、自分の足で歩かないとステージには行けないじゃないですか。それがまず緊張で。
―ああ……。
柴田 しかも、イヤモニをしてるので、自分の耳の中はシーンとしてるんですよ。メンバーの顔を見たいけど、一列に並んでるからまっすぐ前しか見えない。もちろん、後ろも振り返れない。だから、ステージまでの数十秒がすごく緊張したし、ステージに立って、ちょっと暗めのステージにオルガンの音色が響いた瞬間の静寂もめちゃくちゃ緊張して。でも、パッと照明がついたときに感じたみなさんの温かい視線に、「これはヤバい……」と。もう、泣きそうで。あと、「香水」は「オー、イェー」っていうつんく♂さんの声がイントロで入るじゃないですか。それが、「大丈夫だよ、みんないってらっしゃい」って言ってくださってるようにしか感じられなくて、それがすごく心強くて。この曲は私が歌うパートが多いんですけど、大谷(雅恵)もいるし、つんく♂さんもいる――心でそう感じながら歌えました。何年ぶりかのステージだったけど、今の自分の最高のパフォーマンスができたので、私にとってすごい1ページになったなと。あと、こうやって過去を振り返るだけの価値がメロン記念日の10年間の活動にはあったんだな、と改めて感じました。
―めちゃくちゃいい話じゃないですか。
柴田 もう、すごい感動しちゃって。最高でした。
―斉藤さんはどうでした?
斉藤 昼と夜でセトリを変えるというチャレンジをしたのが、「攻めてんな」と思いました。でも、みなさんの期待に応えたいというか、25周年という1年の活動をここにいるお客さんに応援してもらうぞっていう気持ちだったし、いいものを見せないといけないという気合は入ってました。
―すごい。
斉藤 やっぱり、私たちのステージパフォーマンスを観るのが初めてだという方が大半だったと思うんですよ。あのときもMCで聞いたんですけど、メロンのパフォーマンスを観たことがあると手を挙げてくれた人は半分くらいだったかな。あとの半分は生では観たことがないということなので、その人たちが私たちのライブにまた来てくれるようにしないといけない、と自分の中で気を張ってた気がしますね。
―それは、今回の再結成がただの記念ではないという気持ちの現れですよね。そこまで攻めたセトリを組んだというのは、新規のお客さんを掴みたいという現役のときと変わらぬ強い気持ちがあるということだと思いました。
斉藤 でも、「なんでこんなにもこの曲が定着しているんだろう」「なんでこんなに盛り上がってくれるんだろう」「なんでこんなにコールくれるんだろう」って考えると、ハロー!プロジェクトはありがたいことに私たちのホームで、そこにいる後輩ちゃんたちが、ずっと私たちの歌を歌ってくれていたお陰で曲が生き続けられたんですよね。それでも、自分たちが本家であるということは譲れなかったし、「私たちが歌うとこうなるよ」というのはどうしても見せたかったんです。
―本家としてのプライド。
斉藤 それはありました。

斉藤瞳
―今、おっしゃっていたように、後輩たちがメロンの楽曲を歌い継いできたことは大きかったと思います。そのことについてはどう感じていますか。個人的には、道重さゆみさんが自身の卒コンで「赤いフリージア」を歌ったことがすごく印象に残っているし、Juice=Juice、アップアップガールズ(仮)、こぶしファクトリーなど、いろんなグループが音源やライブでカバーしていますよね。
村田 他のグループは、誰かが卒業して、新しい人が入って……という形で名前は続いていくし、曲も歌い継がれていくんですけど、メロン記念日は4人でデビューして、そのまま4人で解散していって。それでも、ハローのみなさんがメロンの楽曲をカバーしてくれることでファンの方も一緒に楽しんでくれているのは、すごく幸せなことだと思います。
―いろんなグループがカバーしたという話を聞くたびに気になるんじゃないですか?
村田 うん、気になりますね。「どんな感じで歌ってくれてるんだろう」「どんなふうになってるんだろう」っていうのは話を聞くたびに思います。

村田めぐみ
―「ひなフェス」のあとには15年前の解散ライブ「メロン記念日FINAL STAGE ”MELONS NOT DEAD”」の爆音上映会が池袋の映画館で開催されました。僕も参加させていただいたんですけど、ただの上映会と思いきや、なんだかとても感動的で。ちょっと独特な空気を感じました。
柴田 それが……私たちは「この後にツアーの告知ができる……!」っていう気分で観てたので……(笑)。
―告知で頭がいっぱいだったんですね(笑)。
柴田 「早く言いたい~!」みたいな。
斉藤 でも、改めて「いいグループだな」「いいライブしてたな」「これを形に残せて本当によかったんな」と思いました。
村田 私は昔の映像を観るのが本当に苦手で、ライブ映像もこれまでそんなに観たことがなくて。MVでさえあんまり観ていなくて、活動が終わってからやっと見られるようになってきたんです。
―そうだったんですね!
村田 だから、「MELONS NOT DEAD」の映像も指で数えるぐらいしか観たことがなくて、ちょっと印象が薄くなっていたので、「あ、ちゃんとやってたんだな」って客観的に思いました。上映会では、私たちが最前列で観ていて、その後ろにお客さんたちがいたので、一緒に盛り上がってくれてすごく心強かったし、いい上映会だったと思います。
柴田 私は解散ライブを観ると、いつも感動して涙しちゃうんですよね。だから、この上映会で決まってからは、このライブはしばらく観ないようにしようと思って我慢してたんですよ。で、上映会で「よし、泣こう」と思ったら、あのときは泣けなかった(笑)。でも、あれはメロン記念日史上最高のライブだったと胸を張って言えますね。
村田 いまだにあのライブを観れないっていうお客さんも多数いたので、それを25周年というタイミングでみんな一緒に観ることができたのはすごくよかったです。
―本作はBlu-ray化されて、7月30日にリリースされました。こちらも拝見したんですけど、映像がすごくキレイで、非常に意味のあるBlu-ray化だと思いました。
3人 (無言で笑う)
斉藤 ごめんなさい……一昨日サンプルをもらったんですけど、まだ観れてなくて……(笑)。でも、最高傑作をキレイな形で残していただけたというのは本当に幸せです。
村田 そうだねえ。
斉藤 当時は今以上に高額だったBlu-ray化にも耐えうるくらい、ハイクオリティな撮影をしてくださっていたということですからね。
―確かに、そのとおりですね。
村田 ……ということは、あの長いMCもキレイな映像で残っているんですね……。長くなかったですか?
―正直、ちゃんと長かったです。
柴田 あはは!
―トータル約3時間ですからね。
斉藤 長かったですね! 当時、終演が遅すぎて家に帰れなかった人もきっといたと思います。
村田 あの……私が「赤いフリージア」の曲紹介を何度も失敗しているのも入ってました? あれは人生の最後まで覚えてると思います。
―そんなに後悔してるんですか? しっかり入ってますよ(笑)。
村田 あ、そうなんだ……。
柴田 でも、あれのおかげで緊張がちょっと和らいで、「赤フリ」がちゃんと歌えたよ(笑)。でも、あともう1回間違えてたら笑って歌えなかったと思う(笑)。
斉藤 私はあのシーンを残せてよかったと思うよ。
村田 えー、本当にぃ?
斉藤 それがらしさだからね。最後の最後まで「メロン記念日の村田めぐみ」だったよ。
柴田 ただカッコよく終わらないっていうね(笑)。
村田 爆音上映会のときはMCが入ってなかったんで、もし家で観るとしたらすっごい遠くから観ます。徐々に近づいていきます。
斉藤 なんでだよ!(笑)
―あはは! 何にしても、しっかり高画質だったので、DVDを持っている人でも手に入れる価値があると思いました。
斉藤 そんなにキレイなんですね。嬉しい。
―今回の再結成は、解散後から15年にわたる生活があったからこそ実現したことだと思うんです。今振り返ってみて、この15年はみなさんにとってどういうものだったのか、今のメロン記念日に何を与えているのかお聞きしたいです。
斉藤 結局、15年間メロンから離れていたけど、やっぱり人生の一部であることに変わりはなくて。メロン記念日で築き上げたものが、斉藤瞳個人として生きていく上でも支えになっていると痛感せざるを得ないシーンがたくさんあって。私は今、ラジオパーソナリティとして活動していますけど、これまでの経験を活かせる職業につけたのも、メロン記念日があったからだと思います。あのときに得たものによってさらにパワーアップして、当時だったらできなかったことができるようになって、15年後の今に活かせている。この15年の道のりはずっと繋がっていて、一度も途切れていないんです。やっぱり、15年ともなると人生はいろいろあって、すっごい苦しいタイミング、悲しいタイミングもいっぱいあって。でも、後悔しないのが一番。今回も、15年という時を経て、「メロンをやりたい」と願ったらできた。もちろん、そんな簡単なことではないですけど、それを実現できるところまで持っていく原動力になっていたのは、自分がメロン記念日だったことなんですよね。結局、なんでもメロン記念日に戻ってくるし、原動力の全てはメロン記念日なんですよね。

―「元メロン記念日の斉藤瞳」ではなく、いち個人の「斉藤瞳」として見てもらいたい、メロン記念日の呪縛から逃れたい、みたいな感覚はありませんでしたか。
斉藤 一度も考えたことないですね! ちょっと角度の違う答えになってしまうんですけど、個人でお仕事をするにあたって、それまでが恵まれすぎていたということを痛感せざるを得なくて。いろいろと用意していただけること、段取りを組んでいただけること……。今は全部自分でやらなくちゃいけなくて、そもそも何一つできないところからスタートして、「あの頃の自分は恵まれていたんだな」と。だから、逃れたいというよりはこれまでの経験を生かさなきゃダメだという気持ちでした。もともと気が強いこともあると思うんですけど、「そういう世界にいたのにこんなこともできないの?」って思われたくなくて。
―ああ、その気持ちは想像ができます。
斉藤 そう思われてしまうと、メロンにも傷がついちゃう。「こんなにできないヤツがメロン記念日やってたの?」って思われたくなくて、メロンのイメージを崩さないように意識していました。私自身が今でもこうしてメディアに携わっていられるのは、そういう気持ちがあったからかもしれない。
―柴田さんと村田さんは斉藤さんとは立場が違うと思います。この15年の経験は、今のご自分に何を与えていますか。
柴田 私は、メロン記念日が解散してからソロで3年ほど活動させていただいて、その間、シングルとアルバムも出させていただいて、そこで自分ひとりの実力の限界を感じました。やっぱり、みんながいたから、メンバーがいたからなんだな、と。あとは、女性としての自分の人生を考えたときに、結婚して家庭にはいることにも憧れて、いろいろとタイミングが重なって結婚し、出産して、30代の10年間はずっと子育てをしていました。でも、メンバーとはちょこちょこ会って、子供にも会いに来てくれたりして、本当に感謝の日々だったんですけど、子供たちもだんだん大きくなってきて、自分の時間が増えてきたときに、「このままでいいのか」と。2013年には、カウントダウンライブ(「Hello! Project COUNTDOWN PARTY 2013 ~ GOOD BYE & HELLO! ~」)に出させていただいたり、「ハロ!フェス 2018」にお声をかけていただいたりはしていたんですけど、メロン記念日が2025年に25周年を迎えるにあたって、「なんかやりたいよな……」とだんだん考えるようになって。そんなときに、去年、ハロー!プロジェクトの先輩である太陽とシスコムーンの輝くステージを観て、「私ももう一度あっち側のステージに行きたいな……」と。”◯◯ちゃんママ”じゃなくて(笑)、あのキラキラした”あっち側”にまた行ってみたいなってすごく思うようになってきたんです。子どものためじゃなくて、自分のために。で、自分が頑張ってる姿、楽しんでる姿を子どもたちにも見せたいなと思うようになって。それで、いろいろとタイミングが合ったことと、以前のスタッフの方が「やりなよ」と背中を押してくださったり、サポートをしてくださったことで、こうなりました。
―そうだったんですね。村田さんはどうでしたか。
村田 私は、メロンが終わってから1年ほどそのまま事務所に所属して、舞台やラジオをやらせてもらってたんですけれども、自分の方向性がわからなくなって、「このままだと違うな」と思って、スパッとやめたんですね。そこからは、芸能とはまったく違う道を探ってみたいと思って、自分の場合、会社員の友達もいるし、「そっちの方向に行ったらどうなるんだろうな」と思って資格を取ったり。結局、知り合いの紹介でとある企業に入ったんですけど、その頃は電話を取るところから始めて、目の前の仕事に一生懸命で、もう何もわからなくて。でも、「メロン記念日の人が入ってきた」ということは会社全体に知られていたので、「みんなでカラオケ行こうよ」と誘われまして。でも、その頃は全然歌ってなかったから、「全然歌えなかったらマズい……!」と思って、そこから歌の練習をはじめました。
―あはは!
村田 メロン記念日をやめてからも歌の練習をしなきゃいけない状況になるっていう。
柴田 面白い(笑)。
村田 そんなふうに、仕事とともに歌も頑張る生活をしばらく続けて、また別の仕事もしたり。そこからは私も斉藤と同じで、メロン記念日はハロー!プロジェクトに所属していたとのだから、どんな仕事が来ても、どんな大変な目にあっても絶対に乗り越える、逃げない、ということは自分の心にずっと誓っていました。たとえ仕事ができていなかったとしても、「でも、村田さんは最後まで諦めないよね」って思われたくて、ちゃんと真っ向から仕事と向き合っていました。それは今でもずっと続いていますね。だから今回、メロン記念日が……今回は3人ですが、再び集まったときに、全員が昔より前に出ているんですよ。今のほうがより意欲的というか、それぞれが自分の意見を持っていて、3人とスタッフさんが一致団結している感じがすごくします。
―15年ぶりの全国ツアーとなる「メロン記念日25 LIVE TOUR~熟メロン~」のテーマが「フェニックス」だというのも納得です。一度死んでも蘇る、という。
斉藤 いろいろ考えたんですよ。私たちはメインビジュアルをスカルにしていたから、蘇ってくるってことは……「ゾンビか?」とか(笑)。
村田 ゾンビにしなくてよかったね。
―あはは!
斉藤 フェニックスは「再生」や「蘇り」の象徴なので今の自分たちにぴったりだし、その想いをこの1年に込めようと。
村田 不死鳥はよりキレイに、よりパワーアップして帰ってくるので。
―どんなツアーになるんでしょう。
斉藤 「MELON'S NOT DEAD」の雰囲気はちゃんと持ってきてます。
村田 思った以上に攻めていると思います。
柴田 15年ぶりって誰も思わないくらい攻めてると思います(笑)。
―それはいいですね!
斉藤 よくこのセトリを組んだなって自分たちでも思いますよ。メロン記念日の持ち曲は64曲あるんですけど、そこからふるいにかけるわけですよ。やっぱり、ステージに上げられるのは20曲前後じゃないですか。なので、絶対歌いたい、歌ってみたいという曲を3人で選ぶところからセトリを決めて、スタッフさんからの意見も入ったんですけど、大部分は私たち3人の意見を押し通す形になりました。

8月9日に新宿ReNYで行われたツアー初日
―各地で後輩たちもゲストとして出演しますね。
村田 「この子がメロンに入ったらどんな感じになるんだろう……?」って今から楽しみです。
斉藤 私たちも未知だもんね。
柴田 みんなフレッシュで、私たちの年齢の半分くらいの子が一緒にステージに上がるわけで。
村田 自分の娘でもおかしくないから、娘のようにかわいがります(笑)。
―楽しみにしています! 今は当然、全国ツアーに意識が向いていると思うんですが、周年イヤーはまだ続きます。ツアー後もファンは何か期待していてもいいんでしょうか……?
斉藤 期待に応えられるように、今もいろいろと進めております。25周年イヤーなので、1年間しっかりと楽しみましょう!
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