ただ結成のニュースを耳にしたとき、座組の豪華さに驚きながらも、微妙にピンとこなかった人もいたのではないだろうか。80年代のクリムゾンは、再結成後の初作『Discipline』(1981年)こそプログレとニューウェイヴを繋ぐ歴史的名盤とされてきた一方で、他の作品は長らく扱いが難しい存在とされてきたからだ。しかし、近年になってライヴアルバムの大傑作『Absent Lovers』(1984年録音・1998年リリース)が若い世代から絶賛され、この時期のクリムゾンがポストロック/マスロックや先鋭的なメタルに与えてきた影響も知られるようになってきた。結果として、このBEATは1年以上にわたるツアーを続け、海外ではアリーナクラスの会場をも埋める人気を博している。まさに待望のプロジェクトだったのだ。
実際、BEATのパフォーマンスは驚異的に素晴らしい。8月29日に日本先行リリースとなるライヴアルバム『ライヴ~イン・ロサンゼルス 2024』も見事な内容だ。「Neurotica」のような勢いのある曲はほとんどブラック・ミディ、「The Sheltering Sky」などの静謐な展開はTOOLの瞑想的なパートをそのまま想起させる。どの曲でもヴァイのリードギターは(フリップとは別物の)あの独自のトーン、それでいて全体の印象は完全に80年代のキング・クリムゾン……という聴き味は魔法のようでさえある。
そのBEATが、9月1日に日本武道館で来日公演を行う。それにあたって今回は、バンドの中心人物であるエイドリアン・ブリューに話を訊くことができた。トーキング・ヘッズやデヴィッド・ボウイと共演していた当時のエピソードも飛び交う、とても興味深い内容になったように思う。
BEAT結成までの5年間
—BEATとしての来日公演は今回が初めてとなります。このバンドが結成された経緯を教えていただけますか? あなたは2019年からプロジェクトを実現させるために動いていたそうですが。
エイドリアン:そうなんだ。2019年に、80年代のキング・クリムゾンで僕たちが作った音楽(『Discipline』)の40周年がもう2年後に迫っているということに気がついた。そこで、僕はロバートに連絡して、僕たちの誕生日を祝うために何かやるべきではないかと提案した。そして、興味はあるかと彼に訊いたんだ。彼には参加できない様々な理由があったけど、「君がやりたいのであれば(If its something you want to drive)、私はそれを喜んで受け入れよう」と言ってくれたんだ。それで僕はそのことを考え続けて、Celebrating David Bowieツアーで一緒に仕事をしていたアンジェロ・ブンディーニにプロデュースしてくれないかと頼んだんだ。僕だけで話を進めるのは荷が重すぎたからね。かいつまんで言うと、彼はチームを組んでくれて、僕たちもプロジェクトに取り組み始めた。まず僕がやったのは、スティーヴ・ヴァイに連絡することだった。スティーヴ・ヴァイがロバートの役を担ってくれたら、実現させることができるのではないかと思ったからだ。

BEAT:左から、トニー・レヴィン、スティーヴ・ヴァイ、エイドリアン・ブリュー、ダニー・ケアリー
—そのスティーヴ・ヴァイとダニー・ケアリーは、いずれもこのバンドにとってこれ以上ないくらいの適任だと思います。この二人の魅力はどんなところにあると思いますか?
エイドリアン: 僕がずっと前に読んだ本にスティーヴ・ヴァイの記事が載っていたんだけど、そこでスティーヴは、80年代のキング・クリムゾンでロバートがやったことや、そのために彼が生み出したスタイルをどれほど好きなのかについて語っていた。それで僕は、もしかしたら彼は興味を示してチャレンジしてくれるかもしれないと思った。そして、まさしくそうなったんだ。
一方、ダニー・ケアリーとはずっと前から知り合いだった。彼はレス・クレイプール(プライマス)と一緒に、僕のソロ・アルバム(2005年の『Side One』と2006年の『Side Three』)に参加していたし、最初に会った時は僕のことをぎゅ~っと抱きしめてくれた!(笑)僕と出会えてびっくりしたんだって。80年代のキング・クリムゾンは彼の人生を変えたバンドで、あの音楽がなかったら今頃どうなっていたかわからなかったと言ってくれた。そして、彼と出会ってから何度も共演して、彼がビル・ブルーフォードを大好きなことも知った。だから、彼こそがうってつけのドラマーだと思ったんだ。
そして、最後の一人については、ピーター・ガブリエルがツアーを終えるまで待たないといけなかった。トニー・レヴィンを迎えることが、パズルの最後のピースだったんだ。トニーがいれば、それでバンドの半分は成立する。
BEAT「Frame by Frame 」ライヴ映像(『ライヴ~イン・ロサンゼルス 2024』より)
—2001年には、キング・クリムゾンとTOOLが一緒にアメリカ西海岸ツアーを行ないましたよね。憶えていますか?
エイドリアン:もちろん! 10回ライヴをやったんだ。あれをやった理由は、僕の友達であるTOOLのメンバーが、自分たちに影響を与えた音楽を彼らのファンに見せたかったからなんだよ。そのバンドこそが、キング・クリムゾンだった。
—その際、「Red」や「Frame By Frame」など一部の曲でダニーがドラムをプレイする場面もあったようですね?
エイドリアン:そうなんだ。彼は他にもそうしたことをやっていた。僕のトリオや、The Crimson ProjeKCt(エイドリアンとトニーのバンドが合体したもので2011年~2014年にかけて活動、実質的にBEATのプロトタイプと言えるグループ)への客演などでね。だから、彼はこのバンドのドラマーに完全にうってつけだったんだ。でも、確実に実現するとは思っていなかった。彼はやるかもしれないし、やらないかもしれなかった。
BEAT「Indiscipline」ライヴ映像、ダニー・ケアリーによるドラムソロ

—そういったことの全てが、BEATの活動につながったわけですね。
エイドリアン:そうなんだ。そして、それに5年もかかったんだよ。思い返してほしいんだけど、そのうちの2年間はコロナ禍が占めていた。コロナが終わっていろんなバンドがまたプレイし始めた頃に、僕はスティーヴに連絡して「まだ興味あるかい?」と訊いた。そしたら彼は「これまでになくエキサイトしているよ。やろうじゃないか!」と言ったので、僕たちはそこから続けていって、最終的に4人が1つの部屋に集まったんだ!(笑)あれは素晴らしい日だったな。
BEATの「継承」を超えたオリジナリティ
—スティーヴやダニーがそれぞれの特徴的なプレイスタイルを持ち込みながら、それが自然にこのバンドのカラーに溶け込んでいるのが素晴らしいです。「The Sheltering Sky」のライヴ演奏は好例で、パーカッションはほぼTOOL、リード・ギターも実にスティーヴ・ヴァイらしいものですが、それ以上にBEATならではのオリジナルとして響く。
エイドリアン:同感だね。
—BEATというバンド固有のマジックを、あなたはどう捉えていますか?
エイドリアン:このバンドは音楽に新たな命を吹き込んだ。最初に全員が集まった時、「エイドリアン、君がリーダーだ」と言われたけど、笑っちゃったね。僕は自分をいいリーダーだとは思っていないから(笑)。でも、彼らは「君が僕たちに何をしてもらいたいのか知りたい」と言ってきた。
なので僕は、「君たちには、曲の肝となるものをプレイしてほしい」と伝えた。その曲が成立するために必要なことは最低限やらなければならない。「Frame By Frame」でロバートと僕がやっているツインギターのパートとかがそうだ。でも、スティーヴとダニーにはこうも言った。「君たちにはビルとロバートの単なるそっくりさんにはなってもらいたくない。ダニー・ケアリーにはダニー・ケアリーに、スティーヴ・ヴァイにはスティーヴ・ヴァイになってもらいたい。オーディエンスが求めているのはそれだからだ」とね。
「The Sheltering Sky」に取り組んでいたある時のこと、スティーヴが「これは僕にぴったりかもしれない。
BEAT「The Sheltering Sky」ライヴ映像
—BEATのライヴで特にオーディエンスの反応の良い曲、またはあなた自身が演奏しながら特に手応えを感じる曲はどれでしょうか?
エイドリアン:僕のセットリストの組み方はこうだ。まず、すごく激しくて複雑でアグレッシヴな曲を2つやってガツンとかます。「Neurotica」をやって、それから「Neal And Jack And Me」へと続くと、その時点で素晴らしい反応が返ってくる。それから「Heartbeat」をやると、これまた素晴らしい反応が返ってくる。ほっと一息つけるからだ(笑)。「Sleepless」では、トニーのおかげで大きな反応が返ってくる。キング・クリムゾンではほとんどやらなかった曲もあるね。「Man With An Open Heart」はとてもウケているようだ。どれをとってもすごくウケているよ。
そして後半は、みんなが期待している曲が並ぶようにセットを組んだ。「Elephant Talk」あり、「Matte Kudasai」あり、「Three Of A Perfect Pair」「Indiscipline」ありというふうに全てが並んでいる。そこで大いに盛り上がるんだ。みんなが待ち望んでいたものだからね。
BEAT「Neal and Jack and Me 」ライヴ映像(『ライヴ~イン・ロサンゼルス 2024』より)

—BEATのメンバー編成は、キング・クリムゾンの過去から未来にわたる影響力を象徴していると思います。名盤としては『クリムゾン・キングの宮殿』や『Red』が挙がりがちですが、後世への影響という点では80年代作の方が上かもしれません。ドン・キャバレロなどのマスロック/ポストロックや、TOOLやメシュガーのように先鋭的なメタルも、80年代のクリムゾンなしには存在しなかったでしょう。彼らを介して、その影響は世界中に広まりました。そうした歴史を経てBEATの4人が活動することは、きわめて重要だと思います。あなたは80年代クリムゾンのレガシーをどう捉えていますか?
エイドリアン:インターネットが普及してから長年にわたってファンと交流してきて、何千もの人たちが本音でコメントを寄せるようになった。その声を受けて僕が行き着いた結論が、このバンドなんだ。多くのファンがこの時期のキング・クリムゾンをとびきり素晴らしいと考えているけど、若い世代はそれを生で観ることも体験することもできなかった。そして、当時からそこにいたファンもまた、このバンドの再始動を心から望んでいた。
ロバートもビルもやれない、もしくはやらないことがわかって、オリジナルメンバーでの再始動が実現しないことがわかってからは、僕はベストを尽くして自分が思い描いていた通りのものを組もうとした。あのフィーリングを再現するだけではなく、未来に向けて進化させたかったんだ。僕たち4人全員のプレイがいまも絶頂期にあり、それぞれ新しい挑戦を続けている。だから、このバンドがすぐに独自のサウンドを生み出したのも当然だろう。この音楽を引き継いでいくことは、本当にものすごく重要なことなんだ。
それに、この間のキング・クリムゾンが7年間活動していた時期(2014年~2021年、現時点での最終ラインナップ)に80年代クリムゾンの曲をほとんどプレイしなかったことで、僕は不安を覚えていたんだ。あの頃の曲が忘れ去られてしまうんじゃないかって。あれは僕の音楽だ。僕の曲なんだよ。全部が僕のものというわけではないけどね。だから、みんなにもう一度楽しんでもらって、忘れられないようにしたかったんだ。
80年代キング・クリムゾンを振り返る
—そもそも、あなたがどういう経緯でキング・クリムゾンに参加することになったのか、改めて教えてもらえますか?
エイドリアン:至って単純だよ。僕は当時、トーキング・ヘッズのギタリストとして1980年のツアーを始めようとしていた。ロンドンに到着した次の日の早朝、僕はロバート・フリップから連絡をもらった。かなり予想外だったね。彼は、自分とビル・ブルーフォードが、僕と一緒にバンドを始めたがっていると単刀直入に言った。もちろん、僕は驚いたよ(笑)。それはキング・クリムゾンではなく、何になるのかわからなかったけど、「やりたいかね?」と言われたんだ。僕はもちろん「イエス」と答えた。ロバートは当時、ベーシストが誰になるかわからないと言っていたけど、それも僕には驚きだった。トニー・レヴィンがロバートのソロアルバム『Exposure』(1979年)に参加したばかりだったからだ。僕はトニーと知り合いではなかったけど、バンドに加入すべきなのは彼だと思っていた。
その後、オーディションが行われた。今となっては、トニーがオーディションを受けないといけなかったのはバツの悪いことだけどね(笑)。オーディションが行われたのはニューヨークシティで、もちろん彼がうってつけの人材だった。彼が(チャップマン・)スティックを持ってやって来て、そのケースを開けてプレイを始めるや否や、僕たちの口は胸まで開いたよ。「なんだこれは? どうしてそんなものが弾けるんだ?」と思ったね(笑)。というわけで、彼は当然の選択だったんだ。
エイドリアン・ブリューはキング・クリムゾンに参加する以前、フランク・ザッパ、デヴィッド・ボウイ、トーキング・ヘッズとバンドを渡り歩いてきた
—80年代のキング・クリムゾンは、同時代のニューウェーブやポストパンクと多くの共通点があったように思います。あなたはもともとトーキング・ヘッズの『Remain in Light』にも参加してましたが、当時、彼らの影響や音楽シーンの潮流をキング・クリムゾンに反映しようという意図はあったのでしょうか?
エイドリアン:僕はすでにそういった音楽に取り組んでいたので、自然な成り行きだったんだ。「僕の人生の全てはここにあるんだ」ってね。「このバンドのために曲を作ってくれるかな?」と頼まれる前に、僕はもうそっちの方向に進んでいた。それこそがロバートの求めているものだったし、ビルにとってもそうだっただろう。それは新しくてエキサイティングで、キング・クリムゾンの昔のスタイルとは異なるものだった。
ちなみに僕は、昔のキング・クリムゾンの大ファンだったんだよ! 新しいクリムゾンはとにかくモダンで、僕たちはみんなそっちの方向に進みたかったし、それがメンバー全員に合っていたんだと思う。あのバンドが始まった頃、ロバートはすでに先に進んでいて、ガムラン・スタイルの速弾きピッキング・ギターをやっていた。トニー・レヴィンも(スティック奏者の先駆けとして)そこに到達していたし、ビルは僕が知る限り、最先端のエレクトロニック・パーカッションを駆使した最初のドラマーになっていた。そして、ロバートも僕も、真新しいエレクトリック・ギター・シンセを持っていた。考えてみると、全員が誰も試したことのない新しい楽器を導入していたんだ。そして、その手の楽曲に歌詞とメロディをつけて歌うことは僕の肩にかかっていたんだよ。その役割は最初かなり難しかったけど、こなせるようになると全てがまとまった気がしたので、僕たちはそのまま進んだ。もっと先まで行けていたらいいなと常々思っていたけど、仕方がなかった。ああなる運命だったんだ。
—80年代のキング・クリムゾンにおけるロバート・フリップのギターというのは、同じギタリストから見て、どのあたりが凄かったと思いますか?
エイドリアン:彼は真のオリジナルであり革新者だ。独自の道を行き、フリッパートロニクスやガムラン・ギター・プレイ、ソロの弾き方、音の出し方といった、いくつものユニークなスタイルを開発した。ロバートと僕は同じ種類の人間だと思うけど、ギターへのアプローチはそれぞれ個性的で異なるものだ。だから、僕たちは表裏一体という感じがするね。
キング・クリムゾン「Frame By Frame」1982年の映像。4人の個性と当時のプレイスタイルが伝わる内容

1981年、東京で撮影:左から、トニー・レヴィン、ロバート・フリップ、ビル・ブルーフォード、エイドリアン・ブリュー(Photo by Koh Hasebe/Shinko Music/Getty Images)
—「Elephant Talk」は、『Discipline』でのチャレンジを象徴する一曲になったと思います。あなたは同時期にトム・トム・クラブの「Lelephant」でもElephantギターを披露していましたが、この奏法はどのような経緯で生まれたのでしょう?
エイドリアン:あの頃、僕は新しいテクニックやサウンドを見つけるのが大好きだった。新しいペダルやギター・シンセといった製品がたくさん出回っていて、日本のRolandやElectro-Harmonixといったメーカーからも新製品がたくさん出てきていたんだ。そして僕には、それらの機材が”やりたがっていること”を引き出す才能があると思っていた(笑)。誰もやっていないことを僕が見つけられたら、それがギタリストとしての自分らしさになると思ったんだよ。他のギタリストたちはみんな、他の誰かと同じような音を出していたけど、僕はギターが本来出さないような音を出すことに興味があったんだ。
かいつまんで言うと、僕はついに”象の鳴き声”のようなサウンドを見つけた。そして、キング・クリムゾンに加入した後のある日、その象の鳴き声を弾き始めて、みんなであの曲をジャムりだしたんだよ。それで、僕が歌詞やメロディを書くところに差し掛かったんだけど……僕はメロディを歌いすらしなかった。単に言葉をシャウトしたんだ。その方が、エッジが効くと思ったんでね。(アルファベットの)AからEまで(それぞれが頭文字になった単語を叫んで)いって、Eになったところで「ここで止めるべきだな、歌詞はもう十分だ。最後に何を言えばいい?」と思ったから、それを”Elephant talk”にしたんだ(笑)。この曲には象の鳴き声が入っているけど、そこに意味を与えずにああいう音を出せばみんなの好奇心が駆り立てられる。そう考えた僕は、「The Lone Rhinoceros」(エイドリアンのソロ1stアルバム『Lone Rhino』収録)や他の曲でも同じことをやった。そしてそれこそが、80年代に僕が取り組んできたことの大きな一部だったんだ。
「待ってください」と武道館への想い
—「Matte Kudasai」は日本のリスナーにとって嬉しいサプライズでした。あの曲が生まれた経緯について聞かせてください。
エイドリアン:さっきも言ったように、重要なバンドのソングライターとしてやっていけるようになった僕は、辞書を持ち歩くようになったんだ(笑)。ポケット・オックスフォード辞典でAからEまで調べて、僕が「Elephant Talk」で歌った言葉を見つけたんだよ。
デヴィッド・ボウイと一緒に日本に行った時も同じ。あれはキング・クリムゾンより前のことだったな。トーキング・ヘッズにいた時のどこかで英和辞典を手に入れて、あの「Matte Kudasai」というフレーズを見つけたんだ。美しい響きのフレーズだな、そしてこれをタイトルにして「僕のことを待ってください」ということについての曲を作ったら素晴らしいなと思ったんだよ。当時僕はよくツアーに出ていてね。みんな僕のことを待っていたし、僕もみんなのことを待っていた。だから、これは素晴らしい感情だなと思ったんだ。僕が世界中をツアーし始めた時、他のどこよりも一番感動したのが日本だったんだ。今でも当時と同じくらい大好きなんだよ。これはお世辞じゃないよ! インタビューで「お気に入りの国はどこですか?」と訊かれたら、いつも「日本に行くのが大好きなんだ」と答えている。
—『Discipline』に続く2作、『Beat』(1982年)、『Three of a Perfect Pair』(1984年)も良い曲が多いですよね。バンド・BEATの活動は、過小評価されてきたこの2作の再発見も促しているように思います。この2作に対するあなたの評価や思い入れを聞かせてください。
エイドリアン:まず、『Discipline』は全くもって新しかった。これはハネムーン・アルバムと呼ばれている。新婚時代はすべてが完璧だからね。あのアルバムには多くの時間を費やした。でもアルバムを出すと僕たちは世界中をツアーしたから、新しい音楽を開拓する時間が以前よりずっと少なくなったんだ。ロバートと僕は、ツアーの合間にどこかの部屋で落ち合って、次の『Beat』用の楽曲を生み出さないといけなかった。そして、『Three of a Perfect Pair』に至った頃の僕たちは、時間が充分にないことに疲れきっていた。あと半年、そうでなくても6週間あったら、あのアルバムにはあそこまでインダストリアルなジャム曲が入ってはいなかっただろう。それが悪いわけではないけど、みんなでもっとよくできた曲に発展させることができたかもしれない。
この見解については、当時のメンバー全員が賛同してくれるだろう。でもまあ、なんとか作り上げることはできた。『Beat』と『Three of a Perfect Pair』を聴くと、この2枚を合わせれば完璧なアルバムができるんじゃないか、なんて思うよ(笑)。というわけで、3枚のアルバムが結果的に『Three of a Perfect Pair』(アルバム3枚で完璧なペア)になったわけだ(笑)。
—あなたのボーカルは、80年代クリムゾンやBEATの音楽で、楽器陣と同じくらい重要な要素だと思います。例えば「Dig Me」(『Three of a Perfect Pair』収録)はアヴァンギャルドな展開と不思議な親しみやすさが同居しますが、あなたの声はそのエキセントリックさとポップさを絶妙に兼ね備え、音楽性に自然にフィットしています。こうした声のキャラクターや曲想に合った歌い方の模索について、特に意識してきたことはありますか?
エイドリアン:過去のインタビューでもいつだって言ってきたように、僕がビートルズを大好きなのは、彼らが今言ってくれたことをやってのけたからだ。彼らは、覚えやすくて、みんなが一緒に歌える優れた曲を作りながら、同時にアヴァンギャルドな要素も取り入れることができた。「I Am The Walrus」はその好例だよ。世界一の人気バンドでありながら、とてもアヴァンギャルドなアプローチをしていた。
だから僕もキング・クリムゾンに加入した頃には、すでにソングライターとしてそういうことに取り組んでいたし、今でもそうしているつもりだ。常に片足はポップに、もう片足はアヴァンギャルドに突っ込んでおくのが目標なんだ。「Dig Me」を作っていたときも、音楽的にはかなり型破りなことをやりたかったけど、結果的にサビはポップ・ソングになった(笑)。つまり、そういうことなんだ。
—80年代のキング・クリムゾンに参加していた当時のあなたに、影響を与えたギタリストやシンガーを挙げるとしたら?
エイドリアン:あの頃になると、僕が受けた影響は既に目立たなくなってきていた。自分のスタイルを見つけようとしていたんだ。ある年齢になると、始めた頃に受けた影響はずっと残り続けて、その後に自分が生み出す数多くのパターンの土台になる。自分の場合は、ビートルズ、キンクス、ジミ・ヘンドリックス、ジェフ・ベックといった人たちで、僕はいまだに彼らのアイディアを拝借して自分のものにしている。
キング・クリムゾンに加入した頃には、「今の僕は自分のやり方で曲を書いている。ギタープレイもここ数年で変わった。ボウイやトーキング・ヘッズ、フランク・ザッパとの共演を経て、自分のものになったんだ」と思えるようになっていた。キング・クリムゾンのように世界的なバンドでやれることになったとき、最初は怖かったけど、「これこそが僕の待ち望んでいたものだ」ということに気づいた。当時は「その準備ができていればいいな」と思ったものだけど、今振り返れば実際にできていたんだと思う。

—BEATによって、日本で80年代キング・クリムゾンの楽曲がパフォーマンスされるのが今から楽しみです。来日公演への抱負について聞かせてください。
エイドリアン:日本にまた行けるというだけで、とてもエキサイトしているよ。日本のオーディエンスはもちろん、文化や人々、歴史も大好きだから、長いブランクを経て再び訪れることに個人的にワクワクしているんだ。バンドのメンバー全員も同じ気持ちだと思う。
それに加えて、武道館で演奏できるなんて光栄なことだ。アメリカでは、武道館は日本で演奏できる最高の場所と見なされている。いつかステージに立ちたいと誰もが願う場所なんだ。キング・クリムゾンでさえまだプレイしていないのに、BEATで出演するんだ。だからこそ、なおさら光栄だしワクワクしているよ。再び日本でプレイできることが嬉しいよ。
—キング・クリムゾンの初来日公演は『Discipline』発表後の1981年12月でした。これまで何度も日本を訪れていると思いますが、日本での思い出などがあれば教えてください。
エイドリアン:たくさんありすぎるよ(笑)。日本での素晴らしい思い出が多すぎる。日本に行くたびにワクワクするし驚かされるんだ。すごくユニークな文化だし、いろんな意味ですごく進化しているのに、美術も音楽もとてもスピリチュアルだ。僕くらい様々な国に行ってプレイしていると、すべてが一続きの映像となって頭の中を駆け巡る。鮮明に憶えている場面もあれば、単に人が通りを歩いている光景のような、ごく普通の記憶もある。だから「これだ」と言えるような瞬間を選ぶのは難しいけれど、日本での素晴らしい思い出はたくさんあるよ。

BEAT
『ライヴ~イン・ロサンゼルス 2024』
2025年8月29日(金)日本先行リリース
1)2CD+Blu-ray Version [完全生産限定盤] 《日本独自パッケージ》
●2CD:ライヴ音源
●Blu-ray:ライヴ映像+特典映像(クルー到着、ツアー開始時インタビュー、ツアー中盤時インタビュー、ツアー終了時インタビュー)※日本語字幕入り
●封入特典:ジャケット絵柄ステッカー
2)2CD Version [通常盤] 《日本独自編成》
※共通仕様:日本盤ブックレット(書下ろし解説 [片山 伸]、歌詞、対訳)、Blu-spec CD2
特設ページ:https://www.110107.com/s/oto/page/beat_live

BEAT - Performing the music of 80s KING CRIMSON
2025年9月1日(月)東京:日本武道館
開場18:00 / 開演 19:00
招聘・企画制作:キョードー東京 / EVENTIM LIVE ASIA
公演詳細:https://eventimliveasia.com/beatjp