南西部リムリックにあるリムリック大学で学んでいたエディ・キーホ(Vo, Gt)、フィッツことエイン・フィツギボン(Ba)、マッグーことイーハン・マクグラス(バンジョー)が、バンド活動を始めたのは5年前のこと。2022年にシングル「Flowers-Fire」でデビューし、地道なツアーとこまめなシングル・リリースでじわじわとファンを増やしてきた彼らは、さる4月にシングル「Killeagh」で国内チャートのナンバーワンを獲得。しかもこれが、アイリッシュ・トラッドの様式に則った、フィッツの故郷の村のハーリング(木製のスティックと革のボールを使ったアイルランドの伝統的な球技)のチームの応援歌だという極めてローカル色の濃い1曲で、なんと7月後半になって1位に返り咲き、以来4週連続でトップを独走するという異例の事態が起きている。ちなみに、普段は英米のポップ・アーティストがチャート上位を占めるアイルランドで、トラッドの曲がこれほどの大ヒットを記録するのは80年代以来らしい。
とはいえ3人は決して単なるトラッド・バンドではなく、バンジョーを擁する編成をフォークポップやインディ・ロックに落とし込み、この3年間に表現の幅を拡大。満を持して発表する1stアルバム『Halcyon』には既発曲を多数収めつつ、一方ではアンセミックにスケールアップし、他方で王道バラードと呼べる曲にも挑戦して、進化の過程をドキュメントしている。
すでにヨーロッパ各地や北米でも続々ソールドアウト公演を行なっているそんな彼らは、想定外の展開をどう受け止めているのか? 誠実さがにじみ出る歌詞を綴るエディと、自らハーリングの選手でもあったフィッツが、飾らない素朴なキャラを全開にしてキングフィッシャーの驚くべきストーリーを紐解いてくれた。
バンドは酪農場で生まれた
―メンバーはリムリック大学に在籍していた時に出会ったそうですが、みんな周辺の町の出身なんですか?
エディ:大きな括りで言えばみんな南部の人間で、アイルランドがテディベアだとしたら、僕はお尻に位置するウェクスフォード、フィッツは足にあたるコークの出身で、マッグーの故郷はヘソの辺りのティペラリーだよ。大学で一緒にエンジニアリングを専攻していたのに、どういうわけかこうしてバンドをやってる。エンジニアとして有能じゃなかったんだろうね(笑)。
―やはり音楽好きだという共通項あってこそ仲良くなったんですか?
エイン:いや、共通項はビール好きってことだ(笑)。マジな話、音楽とスポーツとビールを介して仲良くなって、だんだん似た者同士だってことが分かったという感じかな。
エディ:パンデミックがバンドを始めるために必要な時間とスペースを与えてくれたことは、間違いないね。その仲間たちもバンド活動が軌道に乗るまで応援してくれたし、今ではサポート・メンバーとして参加してもらったりして、バンドを中心に大きなコミュニティが形成されつつある。成功した僕らが、そうやって周囲の人たちを巻き込んでいく必要があると思っているんだ。

左からエディ・キーホ(Vo, Gt)、イーハン・マクグラス(バンジョー)、エイン・フィツギボン(Ba) Photo by Henry Pearce
―ちなみにアイルランドの音楽界において、南部出身のバンドとダブリン周辺のバンドの間には、感性や考え方において明確な違いがあるんでしょうか?
エディ:どうだろう? そもそもアイルランドは小さな国だから、出身地に関係なくみんな何らかの共通項があるんだろうけど、やっぱりダブリン出身のアーティストだけはフレイバーが違うのかな。ちょっとお高く留まってるというか(笑)。僕ら南部の人間は田舎者だけど、彼らには世界の他の大都市の住人たちに近いアイデンティティがあるように思う。例えばフォンテインズD.C.の音楽的言語は、まさしく都会的だよね。
―公式の資料には「バンドはティペラリーの酪農場で生まれた」との不思議な一文もあります。
エディ:それが何を意味するのかというと、まずアイルランドの主産業は農業であり、この国では農業をとりまくカルチャーが重要な位置を占めていて、マッグーはまさにそのティペラリーの酪農場で育ったんだ。バンド活動をしていない時はいつも牛小屋の掃除や搾乳といった作業をしていて、そういう日常の延長でバンジョーを弾いているようなところがある。つまり生活の中心に農作業と音楽があると言えるのかな。
―アルバム『Halcyon』のジャケットに写っている家がそうなんですか?
エディ:ここじゃないんだけど、すごく似ていて、場所も遠くない。アイルランド人なら誰もがこういう家を知っているんだ。それは恐らく、みんなの祖父母が住んでいた家で、そこに人々が集まって音楽をプレイする伝統があって、その周りにコミュニティが構築されていて……。そういうアイルランドのカルチャーに、アルバム・ジャケットで言及したかったんだよ。
―このジャケットに限らず、アートワークやMVに映し出されるアイルランドの野山の風景とキングフィッシャーの音楽は親和性が非常に高いんですが、自分たちを取り巻く土地そのものから得るインスピレーションが大きいんでしょうね。
エディ:そうだね。アートは、自分が身を置いている具体的な場所から生まれると思う。少なくとも萌芽の段階ではね。

『Halcyon』アートワーク
―音楽的な方向性については、結成当初から何らかのヴィジョンがあったんですか?
エディ:これといってなかったよね。
フィッツ:今もないよ(笑)。まだ探しているところ。ただ、自分たちが好きなアーティストからは必然的に影響を受けるよね。僕らの場合、それはマムフォード&サンズやダーモット・ケネディであり、U2であり、マッグーはトラッドの世界に軸足を置いているから、その要素も反映されている。そういった輪郭の部分は変わっていないけど、着々と進化していて、最近はもっとロック寄りの曲やポップな感じの曲を試してみたり、色んな可能性を掘り下げているんだ。しかも僕らは、出来上がった曲をどんどんリリースして、自分たちが試行錯誤する過程をみんなに見せてきた。公衆の面前で成長してきたんだよ。
エディ:今の時代、曲をリリースするのは簡単だからね。実はすでに2ndアルバムも半分くらい出来上がっているんだ。
アルバム『Halcyon』で描く「幸福な日々」
―では、これまでのバンドの歩みにおいて重要な転機になった出来事というと?
フィッツ:幾つかあって、ひとつは「Shot in the Dark」という曲を書いたことかな。
エディ:うん。去年の春リリースした「Shot in the Dark」は、メンバー全員がほかの仕事を辞めてバンド活動に専念する決意を固めた時に、”邸宅”のキッチン・テーブルを囲んで書いたんだ。〈If it all falls apart, at least we enjoyed it(全てが失われたとしても楽しむことができた)〉というくだりがあってね。結果がどうだろうとバンドに賭けてみよう、ダメだったら、夢を見るのはやめて現実に戻ればいいと、自分たちに言い聞かせるために作ったんだよ。で、ライブでプレイしてみると大きな反響を得て、毎回の見せ場になり、ネット上でも評判になって、「何かが起きているぞ」という確かな手応えが得られた。バンドに全てを賭けることを歌う曲が、聴き手によって大きな原動力に転換されるというのは、ある意味でポエティックな展開だよ(笑)。
―そしてさらに1年後に「Killeagh」が大ヒットしたというわけですね。内容もサウンドもナンバーワン・シングルになるとはちょっと考えにくい曲だと言っても失礼には当たらないと思うんですけど……。
エディ&フィッツ:その通り!(笑)
エディ:ほんと、ナンバーワンになるなんて夢にも思わなかったし、アイルランドの外に住んでいる人にとっては意味不明な曲だと思う。海外で歌う時は毎回、ハーリングについて説明しなくちゃいけないし。
フィッツ:キラーっていうのはコークにある僕の故郷の村でね。ハーリングのコーチだった友人から、キラーのチームが試合に勝った時に歌える曲を書いて欲しいと頼まれたのが、全ての始まりだった。最初は断ったんだけど、地区トーナメントの決勝に進んだら作ってあげようかという話になって、驚いたことに本当に決勝まで勝ち抜いたんだよ。すぐに、「約束を守れよ」って催促のメールが来た(笑)。それで、マッグーがバンジョーで作っていたムーディーでダークな曲に、僕とエディがものすごくハッピーで陽気な歌を乗せたんだ。ものの15分くらいで完成して、なかなかいい出来だとは思ってたけど、まさかこんな結果になるとはね……。
エディ:でも、ハーリングを知らなくても関係ないんだよ。「Killeagh」は究極的に、コミュニティについて、そして故郷に抱く誇りについて歌っているわけだからね。
上掲の「Killeagh」ライブ動画でフィーチャーされているのが、アイルランドの国民的球技ハーリング
―アルバム『Halcyon』の方向性については、具体的なイメージを描いていましたか?
エディ:タイトルそのものがアルバムをうまく言い表していると思うよ。”halcyon(穏やか、のどか)”は複数の意味を持っていて、例えばカワセミを指す言葉であり、実はキングフィッシャーと同種の鳥なんだ。そして”halcyon days”と言えば”幸福な日々”を意味していて、そういう日々を記憶に留めたいという想いも込められている。ただ当初の僕らは、過ぎ去ってしまった”幸福な日々”に関する曲を集めているような気がしていたんだ。例えば初恋のことだったり、様々な初めての体験について抱いた想いに関する曲をね。そのうちにふと、「そうか、自分たちが生きている今こそが”幸福な日々”なんだな」と悟った。そしてその今という”幸福な日々”は、これらの曲がもたらした果実であって、かつ、今後の僕らを後押ししてくれる。そういう意味での”halcyon”なんだよ。
フィッツ:何しろこれは1stアルバムだし、たくさんのシングルを発表してきた3年間を経て、アルバムでバンドの第一章にピリオドを打つというのが、タイミング的にもすごくいい。うん、間違いなく第一章の終わりに辿り着いた気がするよ。
エディ:とにかく、僕ら3人がどういう人間なのかを物語っていると思う。過去3年間の僕らの日記みたいなものだね。
―アルバムの終盤に「Someday」という曲があります。すごくメッセージ性が強くて、バンドとしての理想みたいなものを描いているように感じたんですが、どんな想いを託したんですか?
エディ:この曲は言うなればジョン・レノンの「Imagine」に近い内容でね。世界で起きている全ての不幸な出来事が終わることを願っているというか。理想主義に走り過ぎているのかもしれないし、僕は決してユートピア志向の人間じゃないから、あらゆる問題を解決できるとは考えていない。でも、善良な人間であろうとすること、昨日よりいい人間になろうと努力すること、目標を達成できないとしても努力を惜しまないことが、重要だと思っている。ある意味で「Shot in the Dark」とも似ていて、人間はどこかで必ず挫折を体験するけど、常に上を目指す努力をして、ほかの人たちと仲良くして、平和を志して、時には楽しんで、与えられた時間を有効に使うことが重要なんだと訴えているんだよ。
―最後に余談ですが、アイルランド南部を旅するならどこに行くべきか、オススメはありますか?
エディ:そうだな、まずはディングルという町に行くといい。アルバム・ジャケットはそこで撮影したんだ。ディングルがあるケリー県の沿岸はどこも素晴らしいし、ダブリンになんか行かなくていいよ!
フィッツ:クレア県のウエスト・クレアも薦めたいな。本当に美しい場所だよ。もちろんコークもね。
エディ:何よりも人が素晴らしいんだ。そしてコミュニティに根差したカルチャーが素晴らしい。人々の心の広さと優しさは本当にスペシャルで、みんな、自分の子どもに接するのと同じくらいの親しみを持って歓迎してくれるはずだよ。

キングフィッシャー
『Halcyon』
再生・購入:https://kingfishr.lnk.to/halcyon