Ivy(アイヴィー)が14年ぶりとなるニューアルバム『Traces of You』をリリース。共同創設者アダム・シュレシンジャー(ファウンテンズ・オブ・ウェイン)の死で終焉を迎えたと思われたバンドが、保管庫に眠っていた音源を掘り起こし、奇跡の再始動を遂げた。


アンディ・チェイスとドミニク・デュランは、自分たちのバンドに何が残っているのかを確かめる必要があった。時は2021年。高く評価されたインディ・ポップ・グループ、Ivyとして最後のアルバムを作ってから10年が経過しており、バンドの3人目のメンバーであるアダム・シュレシンジャーがコロナ感染によって突然悲劇的に亡くなってから1年が経っていた。そこでアンディとドミニクは車を借り、ニューヨークからロードアイランドへ向かった。前年にIvyのアーカイブをすべて保管庫に預けていた場所だ。

「僕と彼女は脚立に登ったり、箱の上に立ったりしていた」とアンディは振り返る。「そこには24トラックの2インチ・リールテープからDATテープ、ハードドライブまで、ありとあらゆるものがあった。つまり、まるで音楽録音の歴史を集めた博物館のようだったんだ」

当時の彼らの望みは、Ivy最初の3枚のスタジオ・アルバムの再発に収録できるボーナストラックを少しでも掘り出すことだけだった。だが代わりに見つけたのは、バンドの18年にわたるスタジオ活動の中で生まれた未完成の楽曲、デモ、スケッチの宝庫だった。その後の2年間、彼らは元サポート・キーボーディスト兼ギタリストのブルース・ドリスコルの助けを借りながら、それらの中から最良の曲を完成させ、新しいアルバムへと仕上げていった。こうして完成した『Traces of You』が9月5日にリリースされた。これは、Ivyの洗練されたダウンタウン・サウンドを愛するファンにとって予期せぬプレゼントだ──1997年の「Ive Got a Feeling」や2000年の「Edge of the Ocean」を初めて耳にしたときにいた場所へと一瞬で引き戻し、奇跡スレスレの輝きを再び呼び覚ます、そんなポップのタイムマシンである。


アダムの卓越したメロディの耳と茶目っ気のあるユーモアセンスは、彼が手がけたすべての作品に表れていた。もっとも成功したバンド、ファウンテンズ・オブ・ウェインでの音楽はもちろん、『すべてをあなたに』や『クレイジー・エックス・ガールフレンド』といった映画やテレビ作品のために書いた楽曲にも宿っていた。2020年のパンデミック初期に52歳で彼が亡くなったことは音楽界に衝撃を与え、数え切れないほどの友人や共作者たちを深い悲しみに沈めた。そして、マルチ奏者のアンディとパリ出身のシンガーであるドミニクと共に、まだ無名だった頃に始めたバンド、Ivyの終わりを意味するのは確実だと思われた。

6月下旬に私たちが会ったとき、Ivyの中心にいた元カップルは、ブルース・ドリスコルとともにホテル・チェルシーのロビーバーでソファを分け合っていた。そこは90年代後半に彼らが暮らしていた場所から数ブロックの距離にあり、かつてアンディとアダムがスマッシング・パンプキンズのジェームス・イハと共に運営し、現在は閉鎖されたレコーディング・スタジオ「ストラトスフィア・サウンド」からもほど近い。アンディはジェムソンのロックを片手にしていた──アダムと彼のお気に入りの酒だと彼は言う。一方、ドミニクはラテを口にしていた。

アダムと過ごした最後の日々

長年別々の道を歩んでいるとはいえ、ドミニクとアンディはいまも親しい友人であり、昔を懐かしんだり(あるいは今でも子どもたちと一緒に出かける家族旅行の話をしたり)する姿からは、互いへの愛着と敬意がはっきりとうかがえた。彼らによれば、2010年代初頭に始まったIvyの活動休止は、夫婦関係の問題というよりも、むしろアンディとアダムの間に長年くすぶっていた衝突が原因だったという。アダムが亡くなる前の10年ほどは、2人はほとんど口をきいていなかった。

「Ivyは正式に解散したことはなかった。
でも2012年前後の僕は、できる限りアダムから距離を置きたいと思っていたんだ」とアンディは当時の気持ちを振り返る。「90年代初頭から彼は僕の人生のあらゆる面に絡みついていて、僕は幸せじゃなかった」

彼は、人気スタジオ「ストラトスフィア」の経営方針をめぐる考え方の違いを引き合いに出す。そこは長年にわたり、デペッシュ・モード、R.E.M.、ザ・ストロークス、ヤー・ヤー・ヤーズなど数多くの大物ロックアーティストを迎えてきた場所だった。「彼は僕のビジネスに対するレッセフェール(放任主義)的な態度に苛立っていたんだ」とアンディは言う。「僕はあのスタジオが儲かるなんて思っていなかった──実際には儲かっていたけどね──でも僕にとっては、そこがクラブハウスのように感じられることの方が大事だった。彼の態度はもっと白黒はっきりしたビジネス的なものだった」

アンディとドミニクは共に、アダムが誰にでも愛想よく振る舞う一方で、強烈な創作意欲と議論好きな性格は、最も近い協力者にとっては厄介になり得たと指摘する。「すごく強い精神力と、自分に対する確固たる感覚を持っていなきゃならなかった」とアンディは言う。「そうじゃないと、彼は意図せずとも自分のアイデアを追い求めるあまり、容赦なく相手を押しつぶしてしまうんだ」

Ivyが語る復活劇の裏側、今は亡きアダム・シュレシンジャーと過ごした記憶

左からドミニク、アンディ、アダム。1995年撮影(Photo by Robert Weinstein)

2011年の前作『All Hours』以降、そうした緊張関係は無視できなくなった。「ある時点で僕はただ言ったんだ。『もうこんなのクソくらえだ、彼もクソだ、このスタジオもクソだ、俺の人生もクソだ』って」とアンディは言う。「それは何て言うのかな……あれだよ。
中年の危機。僕はミッドライフ・クライシスの真っ只中にいたんだ」

ドミニクは、たとえ文字通り取っ組み合いになったとしても、アダムとの意見の食い違いをうまく処理できていた。「初期の頃、彼らはよく取っ組み合いのケンカをしていたんだ」とアンディは言う。「ある晩、僕は高速道路でバンを止めざるを得なかった。彼女がアダムの急所を掴んでひねり上げて、彼が叫んでいたんだ。まるで犬猿の仲だった」

「私たちはお互いに爆発するところがすごく似ていたの。でも30分もすれば(わだかまりは)全部消えて、問題なんてなかった」と彼女は言う。「私はアダムを理解していた。健全な関係だったの」

「君たち二人ともさそり座だからな」とアンディが口を挟む。

2005年のライブ映像、Rolling Stone誌のスタジオで撮影

アンディがアダムと疎遠になっていた時期、ドミニクはしばしば彼に旧友と再び連絡を取るよう促していた。「君はいつも言っていたよな。『アダムは君がなぜ怒っているのか分かってない。
ただ一緒に飲めばいいのに』って」と彼は彼女に向かって言う。「ドミニクの強い勧めで、僕らは5年の絶縁を経て再会した。酒を飲んで、僕は不満や愚痴を全部ぶちまけた。二人のユダヤ人の老人が互いに文句を言い合っているみたいで、本当にカタルシスだった。そして、ドミニクがそうしてくれたおかげで、僕らは再びつながることができたんだ」

2019年にニューヨークで一緒に酒を飲んだ後、アンディとアダムは再び一緒に遊ぶようになった。2020年2月、3人のバンド仲間はロサンゼルスで夕食を共にした。子どもたちの大学見学で全員がそこに滞在していたのだ。アンディは、みんなで新しい会場──「ちょっとしたスピークイージー(隠れ家的バー)みたいなもの」──を開く話をしたことを覚えている。さらに新しいアルバムの話題にも触れた。「Ivyを潰す一因になってしまったことを申し訳なく思っていたから、その話を持ち出したんだ。すると彼は『そうだな、そのことは話し合うべきだ』って言ってくれた」

同じ頃の別の会話をドミニクは覚えている。アダムが彼女に、ハリウッドでの成功に完全には満足していないと打ち明けたのだ。
「アダムはとても忙しくて、たくさんのことをしていたし、それらを楽しんでもいた」と彼女は言う。「でも彼はこう言ったの。『バンドにいること、ソングライターであることが恋しいんだ』って。私は彼に『そんなことするには歳を取りすぎてるって思わない? ツアーに出るなんて。ねえ』って言ったの。でも彼は『いや、恋しいんだ』って答えた」。その数週間後、アダムはいなくなってしまった。

そして再始動へ

翌年、アンディとドミニクがロードアイランドの保管庫の中身を整理し始めたとき、彼らは膨大な量の音源を発見した。その多くはすでに忘れ去られていたものだった。スタジオで彼らが好んで使っていた、ふざけた仮タイトルはほとんど手がかりにならなかった。「アダムと僕はタイトルを付けるのが本当に下手だった」とアンディは笑う。「『Stupid Cat』っていうトラックがあったんだ。
ほかにもおかしなアイデアがあって、『Lucy Doesnt Fuck Jews』なんてものも──僕らがユダヤ人だからそう言えるんだけどね。何年も経った後ではまったく意味をなさないような、めちゃくちゃなタイトルばかりだった。だから結局、可能性のあるものを全部かけて確認するしかなかったんだ」

およそ60曲にものぼる未完成曲──バンド初期から最後のセッションまでを含む──を前にして、彼らは信頼できる協力者を招く必要があると悟った。「このプロジェクトにアダムがゴーサインを出すだろうと思える人物は、実際ひとりしかいなかった」とアンディは言う。ドミニクも同意する。「ええ。だってアダムは大半のミュージシャンを認めていなかったから。彼は厳しい人だったの」

その人物とは、2005年頃からツアーメンバーとして彼らに加わっていたブルース・ドリスコルだった。「僕は何よりまずIvyの大ファンで、それがきっかけで彼らと出会ったんだ」とブルースは語る。「本当に思うけど、もしIvyが60年代や70年代に存在してたら、世界最大級のバンドのひとつになってただろうね。メロディは最高だし、ドミニクは歴史上でも屈指の歌声を持ってるから」

Ivyが語る復活劇の裏側、今は亡きアダム・シュレシンジャーと過ごした記憶

左からブルース、ドミニク、アンディ(Photo by Michelle Shiers)

彼らはまずマサチューセッツ州マーサズ・ヴィニヤードにあるアンディの自宅で、その後にはフロリダ州フォートローダーデールに新設された彼のスタジオで、『Traces of You』に収録される10曲を丹念に作り上げていった。再訪した楽曲の多くはさまざまな段階で放置されていたが、すべてにアダムの演奏がはっきりと刻まれていた。

「アダムとアンディとドミニクがスタジオで楽しんでいるのが聴こえてきた」と、新作で多くの歌詞を手がけたブルースは言う。「僕らはずっとアダムの存在を感じていた。本当に特別なことだった」

『Traces of You』の1stシングル「Say You Will」は、もともとアダムが弾いて放置していたベースラインから始まった。「面白いのよ。だってそれを聴いたらきっと『何でもないじゃん』って思ったはずだから」とドミニクは言う。「でもアダムが関わっていたから、『これは素晴らしい曲にしなきゃ』ってなったの」

アルバムのオープニング曲「The Midnight Hour」は、2000年代に頓挫した映画プロジェクトのために書かれたものだった。「最初のヴァースは20年前の私の歌声なの」とドミニクは言う。「そして2番目のヴァースは今の私」

「そう、でも全然わからないよ!」とブルース。

「気づかないね」とアンディ。

彼女は笑いながら言う。「すごいでしょ? あんなにタバコを吸ってるのに」

セッションが進むにつれて、彼らは曲を完成させるためにおなじみの顔ぶれも呼び寄せた。ファウンテンズ・オブ・ウェインのギタリストであるジョディ・ポーターと、ドラマーのブライアン・ヤングだ。さらに現在はオアシスと共にスタジアムを揺らしているセッションの名手ジョーイ・ワロンカーを招き、いくつかの曲でドラムを叩いてもらった(アンディとドミニクは、Ivyが1995年秋にオアシスのニューヨーク初公演の前座を務めたことを思い出す。「彼がオアシスで演奏してるなんて、なんだか不思議だよな」とアンディ。「かわいそうに」とドミニクが付け加える)。

最終的に彼らはダブルアルバムを作れるほどの曲を揃えたが、『Traces of You』は引き締まった40分の作品にとどめ、同じセッションから来年には続編をリリースする計画だ。そして当初はIvyとして再びツアーを行うなんて絶対に無理だと思っていたものの、ファウンテンズ・オブ・ウェインが再びツアーに出ているのもあり、考えを改め始めている。

「最初は絶対に無理だと思っていた」とドミニクは言う。「アダムなしでは絶対にできない気がしたから。でも今では、たくさんのファンからお願いされているの。だから、もしかしたらね」

From Rolling Stone US.
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