ロストプロフェッツの結成と成功
イアン・ワトキンス(Ian David Karslake Watkins)は1977年7月30日、英国ウェールズのマーサー・ティドフィルに生まれた。後に同ウェールズのポンティプリッドに移り住み、ホーソン高校にて後にバンド仲間となるマイク・ルイスと同級生だった。大学ではグラフィックデザインを専攻し、優等で卒業しているとの経歴も持つ。
1997年、ワトキンスは幼なじみたちと共にオルタナティブ・ロックバンド「ロストプロフェッツ」を地元ポンティプリッドで結成し、リードボーカルを務めた。バンドは2000年から2012年にかけて5枚のアルバムを発表し、全世界で累計350万枚以上の売上を記録、高い人気を博した。「Last Train Home」「Rooftops」といった楽曲がヒットし、英シングルチャートでトップ10入りを果たし、米国のオルタナティブチャートで1位を獲得するなど国際的な成功を収めている。バンドは2012年4月に最後のアルバム『Weapons』をリリースし、同年11月14日にウェールズ・ニューポートで最後のライブ公演を行った。その翌月にワトキンスが逮捕されたことを受け、2013年10月に他のメンバー5人は公式声明でバンドの解散を発表し、15年に及ぶ活動に終止符を打った。
重大犯罪の発覚と有罪判決
2012年9月21日、南ウェールズ警察がワトキンスの自宅を麻薬捜索した際、複数のコンピューターや携帯電話、記録媒体を押収し、その中に児童虐待に関する画像や動画が保存されているのが発見された。
収監後の生活、刑務所内での刺殺事件
ワトキンスは一連の有罪判決を受けた後、イングランド北部のHMP(Her Majestys Prison)ウェイクフィールド刑務所に収監された。同刑務所は凶悪犯罪者が集まる高警備施設として知られ、ワトキンス自身「周囲は殺人犯、大量殺人犯、強姦犯、ペドフィリア、連続殺人犯と、最悪の人間ばかりだ」と法廷で証言している。実際、服役中のワトキンスは他の受刑者から標的とされる場面が度々あった。2019年には刑務所内で違法に所持していた携帯電話が発見され、追加の公判で有罪認定されて刑期に10か月が加算された。ワトキンスは公判で「他の受刑者2人に脅され、携帯電話を隠し持たされた」と主張し、「逆らえば喉を掻き切られると思った」と証言している。さらに2023年8月5日には、収監先の同刑務所で他の囚人3人組に一時人質に取られ、首を刺される事件も起きた。
2025年10月11日午前、HMPウェイクフィールド刑務所内でワトキンス受刑者が他の囚人に襲撃される事件が発生した。同日午前9時39分、刑務所職員から「受刑者が刺された」と警察に通報があり、駆け付けた救急隊員による救命措置が施されたものの、48歳の男性受刑者は現場で死亡が確認された。後に死亡したのがワトキンス受刑者であることが明らかになった。当局の発表によれば、ワトキンス受刑者は土曜朝に別の受刑者からナイフによる襲撃を受けたとされ、西ヨークシャー警察は殺人事件として捜査を開始するとともに、25歳と43歳の二人の男性受刑者を殺人容疑で逮捕した。襲撃の詳しい状況や動機については現時点で公表されていないが、引き続き捜査が進められている。刑務所当局も「現在捜査中の事案であり詳細はコメントできない」としている。かつて世界的な成功を収めたロックスターは、その後の凶悪犯罪による転落劇の果てに、獄中で惨劇的な最期を迎える結果となった。
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