ガーナ系イギリス人シンガーソングライター、ネクター・ウッド(Nectar Woode)が初来日を果たした。1999年生まれ、イギリス郊外のミルトン・キーンズ出身。
ガーナ人の父とイギリス人の母をもち、現在ロンドンを拠点に活動する彼女の音楽には、ソウル、ジャズ、フォークなどが交差する多文化的な息吹があり、コリーヌ・ベイリー・レイやリアン・ラ・ハヴァス、クレオ・ソルといった系譜に連なるもの。音楽シーンへの審美眼も健在の大御所エルトン・ジョンからは「ニーナ・シモンを想起させる」と評されるなど、その実力はお墨付きだ。

インタビュー前夜の恵比寿BLUE NOTE PLACEでの東京公演は、親密な雰囲気の中で観客と深くつながる特別な一夜となった。ステージに上がったのはネクター本人とキーボーディストのエイミー・ジャッグスの2名。客席との距離が近い分、音源よりも楽曲のメロディや声の繊細な表情がよく伝わってくる素晴らしいステージだった。MCでは時折冗談も交えながら、「How It's Gotta Be」ではオーディエンスにコーラスを委ねて声を重ねる場面も。ネクターも本取材で「観客からのエネルギーを感じ取ることができて良かった」と振り返っていたように、ハッピーで親密な空間があの時間にはあった。

今年7月にリリースされた最新EP『It's Like I Never Left』は、彼女が初めて父とともにガーナを訪れ、自身のルーツと向き合った旅から生まれた作品だ。ジョーダン・ラカイやガーナの音楽コレクティブSuper Jazz Clubとのコラボレーション、父親がサックスで参加した「Ama Said」など、家族やコミュニティとの紐帯が深く刻まれた全6曲は、2つのアイデンティティをめぐる葛藤と受容、そして「帰郷」の感覚を温かなサウンドに包み込んでいる。

イギリスで育ったネクターは、それまで訪れたことがなかった父の故郷ガーナについて、自身の一部が欠けているような感覚を持っていたという。そんな彼女がついにガーナで「まるで家にいるような感覚」を得た。この旅で彼女が見つけたものについて語ってもらった。


Nectar Woodeが語る初来日、音楽のルーツ、もう一つの故郷ガーナで見つけたもの

ネクター・ウッド、恵比寿BLUE NOTE PLACEでの東京公演にて(Photo by Kazumichi Kokei)

初来日を振り返る、音楽のルーツについて

―初めての日本ではどんな体験をしていますか?

ネクター:すべてを楽しんでいます! 本当に何もかもが素敵で、素晴らしい時間を過ごしています。特に食べ物が大好き。ショッピングはもちろん、東京の街を歩く人々の暮らしを見ているだけで楽しいです。

―好きな日本の音楽はありますか?

ネクター:90年代のロイ・ハーグローヴのような日本のトランペッターがいて、彼の大ファンなんです。イギリスで彼のアルバムを発見したんですが、本当に素敵でした。でも、名前がなぜか出てこない……。

―もしかして黒田卓也さん?

ネクター:そう! 彼は本当にクール!

Nectar Woodeが語る初来日、音楽のルーツ、もう一つの故郷ガーナで見つけたもの

Photo by Kazumichi Kokei

―出身地であるミルトン・キーンズには多様な文化があると聞きました。その環境は、音楽家としての方向性にも影響を与えましたか?

ネクター:間違いなく。そういう場所で育ったことは幸運でした。家にはガーナとイギリスの文化が常に一緒にありました。特に2010年以降、より多様な文化がミルトン・キーンズに移ってきたと思います。学校にもアフリカの様々な国やヨーロッパの各地から来た友人がたくさんいました。
家では両親と一緒にいる時の文化があり、学校にはイギリスならではの雰囲気がある。ハイブリッドな文化の影響力が強い環境でした。

―お父様はガーナ出身のサックス奏者ですね。幼少期はどんな音楽を聴いて育ちましたか?

ネクター:たとえばハイライフ(西アフリカ英語圏のポップ音楽、ダンサブルなリズムと軽快なアンサンブルが特徴)におけるパット・トーマスやエボ・テイラーのような、ガーナ音楽の古典的アーティストをたくさん聴いてきました。それから父は、ボブ・マーリーやピーター・トッシュのようなレゲエに、ジョシュア・レッドマンのようなジャズのサックス奏者も好きでした。常に音楽が身近にあって、そういう音楽をたくさん聴きながら育ちました。

エボ・テイラーのライブ映像

―最初に演奏した楽器は、昨夜も弾いていたギターでしたか? それともお父様と同じくサックス?

ネクター:実をいうと、最初に演奏しようとした楽器はクラリネットでした。でも難しかったんです。特に楽譜を読むのが難しかった。私は音楽理論がとても苦手で、楽譜の読み方が理解できませんでした。自分には向いてないと分かったので、すぐギターに変えました。ギターなら弾きながら歌う人もたくさんいるから。
15歳から17歳までに基本的なコードを学んで、そのコードを使って曲を書くようになりました。コードを探りながら自分を表現したり作曲したりするのは本当に良い方法だと思います。ギターでいろんな実験もしたりして、楽しかったので続けられました。

―歌い始めたのはいつですか?

ネクター:私の場合、音楽に囲まれて育ったので、だいぶ幼い頃から「歌いたい」と思っていました。なぜ歌いたかったのかとよく聞かれますが、そもそも他に選択肢がなかったんです(笑)。

―実際にギターを手に取って曲を書き始めた時、こんな風になりたいと思ったアーティストはいましたか?

ネクター:ローリン・ヒルですね。ギターを学び始めたときは、まだYouTubeに広告がなかった時代なので、ローリン・ヒルの『MTVアンプラグド』を中断せずに全部見ることができたんです。彼女は話すように歌い、ギターも弾いていて、観客も引き込まれて夢中になっている。その映像を見て、私もこんなふうになりたいと思うようになったんです。自分の作曲はもちろん、どんなふうにショーを進めて観客とコミュニケートするのかを考えるうえでも大きな影響を受けました。

―ここまでの話に出たソウルやジャズに加えて、昨夜のショーではフォークの要素も感じました。

ネクター:間違いないです。
キャロル・キングやジョニ・ミッチェルのようなソングライター、歌詞を第一に考える人たちにも大きな影響を受けています。特に昨夜のような親密なセットをするときは、歌詞や弾いているコードに焦点を当てたい。そのあたりは間違いなくフォークの影響だと思います。

もう一つの故郷ガーナで見つけたもの

―最新EP『It's Like I Never Left』には多くのコラボレーターが参加してますよね。ガーナのSuper Jazz Clubと、ジョーダン・ラカイの参加について話を聞かせてください。

ネクター:Super Jazz Clubとの「LOSE」では、曲のリズムやビートがどう感じられるかに焦点を当ててアプローチしました。そのあたりはガーナ音楽、つまりハイライフやアフロビーツから来ていると思います。一方で、私が初期から大ファンだったジョーダン・ラカイとの「Only Happen」は、伝統的なソングライターのようにコードを重点的に意識しました。コードが人をどういう気持ちにさせるのか? その背後にあるストーリーは何か?ということを話しながら作っていきました。Super Jazz Clubとの作業は軽快かつリラクシンな感じ、ジョーダンとの作業はディープな作風を追求するものになったと思います。その2つはまったく異なりますが、どちらも最高の体験でした。

―「When the Rain Stops」も素敵です。
コード進行に関して、ダニー・ハサウェイのようなレジェンドからインスピレーションを受けたようですが。

ネクター:ダニー・ハサウェイの影響は計り知れません。彼はクレイジーな感情を引き出すことに長けた偉大なアーティスト。幸せ、悲しみ、メランコリー、そして愛……一曲の中で、そういった感情のすべてを呼び起こさせてくれるんです。彼がコードに加える9度や7度の音も大好き。「When the Rain Stops」では、そんな彼のコード進行を少しだけ取り入れています。ずっとやってみたかったので。

―他のインタビューで見かけましたが、今回のEPを制作する前まで、ガーナを訪れたことがなかったことに後ろめたさのようなものを感じていたそうですね。

ネクター:異なる2つのルーツを持つことで、イギリスでも馴染みづらさを感じてましたし、かといってガーナに溶け込めるという自信もありませんでした。だからこそ、父と一緒に行って確かめたかったんです。ガーナは私のアイデンティティにおいて、ずっと欠けていたピースのようなもの。実際に行ってみるまでは不安で、ネガティブな感情もいろいろ抱いたりしましたけど、現地に到着したらすぐに受け入れてもらえて。
自分のホームみたいに感じられたんです。

―「Home Again」の歌詞にも、そのときの感情が表現されていますね。〈まるで家に帰ってきたみたい/最初からそこにいたような感覚〉。

ネクター:まさに。「Home Again」はガーナで感じた気持ちを歌った曲で、EP全体の背景にあるストーリーでもあるので、この曲でEPを終わらせたかったんです。聴き終えたときに物語が完結したと思えるように。それにもう一つ、これは恋愛関係についての曲でもあって。どのように関係を再構築するか、お互い違う人間ではあるけど、それでもうまくやっていけるように―だからこの曲には、2つの意味が込められているんです。

―「Ama Said」はガーナに向かう前、不安を感じていたあなたに妹さんが声をかけてくれたことをきっかけに生まれた曲だと、昨日のライブでも話されていました。

ネクター:彼女は私より8歳年下ですが、とても賢くてアドバイスが上手なんです。あのときもそう。私が困難な状況にある時に落ち着かせてくれました。それもあって、私がガーナに行く前、ただ落ち着いてありのままを体験するようにアドバイスをくれた妹についての曲を書きたかったんです。女性同士の会話をストーリーにした曲を書いたことがなかったので。

―旅を通じてガーナで見つけたものは何だったのか、最後に聞かせてください。

ネクター:たくさんあるので、ひとつに絞るのは難しいですね。でも、受け入れる心と温かさは、間違いなくガーナから持ち帰ったものだと思います。どこに行っても、みんなフレンドリーで親しみやすく、冗談を言い合って笑っているんです。人々の優しさや距離の近さでいうと、東京でもガーナと同じような空気を少し感じました。

ガーナの人たちは、私がイギリスから来たことを一発で見抜くんですよ(笑)。もともとその地で生まれ育った父でさえ、すぐにイギリスから来たとバレてしまう。額にタトゥーがあるようなものですね。でも、みなさん家に招き入れて、音楽や食べ物でもてなそうとしてくれるんです。ガーナに行く前は心配してましたが、実際に足を踏み入れてみたら、その不安は一瞬で消えました。自分がずっと前から「属していた」ことに気づいたんです。

Nectar Woodeが語る初来日、音楽のルーツ、もう一つの故郷ガーナで見つけたもの
EP Review: Nectar Woode - 'It's Like I Never Left' — When The Horn Blows

ネクター・ウッド
『its like I never left|イッツ・ライク・アイ・ネヴァー・レフト』
配信中
再生・購入リンク:https://NectarWoodeJP.lnk.to/ItsLikeINeverLeft

〈収録曲〉
Only Happen | オンリー・ハップン
LOSE | ルーズ
Ama Said | アマ・セッド
Light As A Feather | ライト・アズ・ア・フェザー
When The Rain Stops | ウェン・ザ・レイン・ストップス
Home Again | ホーム・アゲイン
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