パンデミック初期、ノースカロライナ州に住む母親ジョイ・コービットは、コロナで兄を亡くした。以来、14歳の娘リアを守るために神経を張りつめて暮らしていた。ニュースの数字を毎日確認し、外出を控え、家庭内でも消毒を徹底した。
だが2021年初め、リアは「ちょっと喉が痛い」と言い出す。数日で治るはずのその違和感は、何カ月、何年も続くことになる。極度の疲労、頭のもや、吐き気、記憶力の低下――以前は成績優秀で演劇にも打ち込んでいた彼女が、学校にも通えなくなった。
リアのような子どもは、いまアメリカに何百万人もいる。ロング・コロナ――感染後も長期的な症状が続くこの病は、成人だけでなく、思春期の子どもたちにも深く影を落としている。にもかかわらず、社会はその現実をまともに受け止めようとしていない。
見えない病を信じてもらえない子どもたち
CDCによれば、ロング・コロナは「感染後3カ月以上続く慢性的な症状」と定義される。疲労、集中力の欠如、睡眠障害など、症状は多岐にわたる。推計では、アメリカの成人2,200万人が一度はこの症状を経験し、そのうち900万人が今も苦しんでいる。
だが、診断までの道のりは険しい。感染当時に検査を受けていなかった子が多く、医師に「気のせい」「思春期の不調」と片付けられるケースも後を絶たない。「見えない障害は信じてもらえない」。そう語るのは、リアの母ジョイだ。周囲からは「元気そうに見える」「サボっているのでは」と誤解され、支援を得るどころか孤立を深めていく。
地方では、専門外来そのものが存在しない地域もある。全米に400ある成人向けクリニックに対し、小児専用は十数か所しかない。受診まで何カ月も待たされることも珍しくない。ノースカロライナ州の少年ダコタもそのひとり。感染後、めまいや失神が続き、記憶障害と四肢の痛みに苦しんだ。だが診断は「心因性の障害」とされ、ロング・コロナとは認められなかった。
学校という「もうひとつの戦場」
病そのもの以上に、彼らを苦しめているのが教育制度だ。体調不良で欠席が続けば、たちまち「怠け」「不登校」とみなされる。支援を受けるための制度――504プランやIEP(特別支援教育計画)――はあるが、学校側がロング・コロナを正式な障害と認めないことが多い。
リアは以前からADHDの支援を受けていたが、疲労や吐き気への対応を求めても「宿題を2日延ばす」「トイレは自由に行っていい」という形だけの変更で終わった。ダコタも特別支援の認定を得たものの、実際には授業も課題も以前と同じ量を求められた。
背景には、「ロング・コロナなんて存在しない」という教員や校長の偏見がある。制度が整っていても、それを運用する側が信じていなければ、子どもは救われない。
一方で、学校には出席率を維持しないと予算が減るという事情がある。そのため、欠席を繰り返す生徒への対応が”懲罰的”になる傾向が強い。ミズーリ州では、出席率が低い親が刑事罰を受ける可能性がある。インディアナ州では、欠席を「無断」と判断すれば家族が調査対象となる。診断書の提出を毎回求める学校もあり、慢性的な体調不良を抱える子どもほど不利になる。
「娘は病気で学校に行けないのに、制度はそれを”怠慢”と決めつける」とジョイは言う。リアが通う学区では、10日以上欠席すると自動的に科目落第となる規定があり、医療証明の更新が切れた瞬間、彼女の欠席は”違反”扱いに変わった。
「支援」から「排除」へ――オンライン学習の現実
結果として、多くの子どもがオンライン学習へと追い込まれている。リアは504プランを維持しながらも、欠席が相次いだことで在宅教育を選ばざるを得なかった。バーチャル授業で勉強は続けられても、友人との関係は薄れ、行事にも参加できない。「プロムにも行けなかった。みんなの中に自分の居場所がなくなっていく感じ」とリアは語る。
ダコタの学区では、彼を「オルタナティブ校」という別枠に転校させた。追加の支援はなく、本人は「病気ではなく怠け者と見なされた」と感じている。
教育省のデータでは、特別支援を必要とする生徒の数はパンデミック後に急増しているが、実際に適切なサポートを受けている子どもはごく一部だ。特別支援を監督する連邦機関も縮小され、監査や救済の仕組みは機能していない。
政府の後退と「忘れられた世代」
こうした現場の混乱を支えるべき連邦政策も、いま大きく後退している。
「数百万人のロング・コロナ患者がいるのに、連邦政府は背を向けている」と上院議員ティム・ケインは批判する。医療も教育も、支援の網がほどけていくなかで、病気を抱える家庭はますます孤立している。
「光を取り戻したい」――子どもたちの声
リアはようやく小児ロング・コロナ専門外来にたどり着き、塩分や電解質の摂取、薬の併用などで少しずつ回復し始めた。高校を卒業し、大学進学の準備を進めながら「新しい自分としてやり直したい」と語る。
一方のダコタは、「将来は外科医になりたい」と夢を描く。「人の話をちゃんと聞ける医者になりたい。意見や偏見が、誰かの回復を妨げてはいけないから」と。
母のミシェルは言う。「制度の隙間に落ちたまま、彼の光は少しずつ弱っていく。それが一番つらい」
”見えない障害”を、見ようとすることから
この記事が描くのは、単なる医療の問題ではない。
ロング・コロナという言葉は、もはや一時的な診断名ではない。教育、医療、政策――すべてのレベルで支援を失い、孤立した若者たちをどう支えるか。
ジョイが言った言葉が、その問いを端的に示している。「見えない障害を抱える人は、共感すら得られない。世界がもう先へ進んでしまったみたいに感じるの」
忘れられた世代の声に耳を傾けること――それが、回復への第一歩なのかもしれない。
from Rolling Stone Japan