「LOCALGREEN FESTIVAL '25」が2025年11⽉8⽇(⼟)と9⽇(⽇)に、神奈川県・横浜⾚レンガ倉庫にて開催される。Life with Greenをコンセプトに、グリーンとグッドミュージックが楽しめるフェスティバルとして2018年にスタートした同フェスティバル。
今年20周年を迎えた「GREENROOM FESTIVAL」の兄弟フェス的存在として、「緑が増えれば、海も⼭も、街も綺麗になる。緑が増えれば、もっと楽しく、もっと美味しく、⽣活が豊かになる」という理念とともに、グッドミュージックやさまざまなカルチャーを発信している。そんな「LOCALGREEN FESTIVAL」がどのように誕⽣し、どのような哲学とともにフェスを開催しているのか、本記事では主催者である釜萢直起に話を訊いた。

―2005年に「GREENROOM FESTIVAL」が、2018年に「LOCALGREEN FESTIVAL」が並⾏してスタートしました。まずは、「LOCALGREEN FESTIVAL」を⽴ち上げようと思った動機を教えてください。

釜萢:「GREENROOM FESTIVAL」は今年で20周年を迎えるんですけど、これまでずっとビーチクリーンなど海を中⼼とした活動を続けてきたんです。その中で感じたのが、20年経ってもなかなか海が綺麗にならないという現実で。もちろん⼈々の意識は上がっているけれど、海という最終地点でゴミを拾っているだけでは根本的な問題解決にはならない。ゴミは町から川を伝って流れ着くものということもあり、海の保全活動と同時に、町や陸の側からも意識を変えていかないといけないと思うようになったんです。海や⼭は、本来とても綺麗な場所なのに、町を通ることで汚れていく。その流れを考えたときに、海の活動だけでなく、緑や⾃然環境の側⾯も含めて、春と秋にそれぞれのフェスで発信していけたらと思ったのが、「LOCALGREEN FESTIVAL」⽴ち上げのきっかけでした。

―「LOCALGREEN」という名前には、どんな思いが込められているのでしょう。


釜萢:”ローカル”という⾔葉に込めたのは、まず⾃分たちの⾜元、地元を綺麗にしていくという意識です。緑を増やしたり、⾝近な環境を整えることが、やがて⼤きな輪につながっていく。いきなり世界全体を変えるのは難しいけれど、まずは⾃分たちの暮らす場所から。そんなコンセプトで「LOCALGREEN」という名前を付けました。

―釜萢さんは東京都・町⽥のご出⾝ですよね。町⽥で⽣まれ育ったことは、「GREENROOM FESTIVAL」や「LOCALGREEN FESTIVAL」をつくる上での原体験として、⼤きな影響があるのでしょうか。

釜萢:町⽥で育って、⼩⽥急線1本で鵠沼まで⾏けたので、学⽣の頃からサーフィンやスケートボードにどっぷり浸かっていました。町⽥にはライブハウスも多く、⾳楽の街でもありましたし、古着屋さんや個性的なお店もたくさんあった。そういう多様なカルチャーに触れてきた経験は、間違いなく今の⾃分をつくっていると思います。町⽥で育ったことが、「GREENROOM FESTIVAL」や「LOCALGREEN FESTIVAL」で発信しているカルチャーの基盤を育ててくれたと感じますね。

―海や町をきれいにするというメッセージを、直接的な啓発活動ではなく、カルチャーを通して伝えるというのは、釜萢さんの中で⼤事な部分なんでしょうか。

釜萢:そうですね。
海や緑の⼤切さ、⼼地よさを「⾳楽」「アート」「カルチャー」を通して伝えていく。それがどちらのフェスでも共通しているテーマです。

―⾃分ごととして環境を守る、町をクリーンにするという意識を持つようになったのは、なぜだったのでしょう?

釜萢:海のすぐ近くに住んでいるので、⽇々サーフィンをする中で、⾃然の変化にはとても敏感なんです。⽔の冷たさや濁りでも「今⽇は海が汚れているな」と感じることがある。⾃然とともに⽣きる⽣活をしていると、そうした変化を肌で感じるんですよね。さらに、⼦育てをしていく中で、”⼦どもたちの未来の環境”という視点も加わって、より他⼈事ではなくなった。⾃分は学者ではないし、アカデミックに語るのは得意じゃないからこそ、⾳楽やアート、映像などのカルチャーを通して、かっこよく楽しく伝えていきたいと思っています。

―その思いは、2005年の「GREENROOM FESTIVAL」を始められた当初からあったのでしょうか。

釜萢:「GREENROOM FESTIVAL」を始めたきっかけは、2003年にカリフォルニアのラグナという町で開催されていた「ムーンシャインフェスティバル」を観たことでした。当時の⽇本では、ビーチカルチャーやサーフカルチャーがまだ根付いていなかったけど、そのフェスには、⾳楽だけでなく、アートやファッション、ライフスタイル、そして”⾃然を⼤切にする”という意識がカルチャーの⼀部としてしっかり息づいていた。そこにすごく衝撃を受けたんです。

―当時のインタビューを拝⾒すると、最初は本当に⼿探りで始められたとおっしゃっていましたよね。
そこから20年続けてこられた原動⼒は、どんなところにあるのでしょうか。

釜萢:⼀番の原動⼒は、お客さんの笑顔ですね。それと、アーティストたちと⼀緒に、あの場の空気をつくれること。その喜びがすべてのモチベーションになっています。⾃分はもともと⾳楽業界の⼈間ではなかったので、最初は本当にゼロからのスタートでした。でも毎年続けるうちに、この仕事やフェスづくり⾃体がどんどん好きになっていったんです。

―⾳楽業界にコネクションがあったわけではないという点で、当初は、出演してくれるアーティストや出店者の⽅々に、フェスのコンセプトを伝えて賛同してもらう形だった?

釜萢:最初の頃は、今のように明確なコンセプトをしっかり共有できていたわけではなくて。それよりも、「サーフカルチャーやビーチカルチャーのフェスを⽇本でもやりたい!」という情熱が先にあって、その思いに共感してくれた仲間たちが少しずつ集まっていった感じです。ライブ制作の経験もなかったので、ブッキングもすべて⼿探り。出演してほしいアーティストの所属事務所やお店に⽚っ端から電話をかけてお願いしていました。

―本当に⼀から作り上げていったんですね。

釜萢:まさに、すべてが⼿探りのスタートでした。


―仲間が少しずつ集まっていったというお話がありましたが、最初はどういったメンバーでスタートされたのでしょうか。

釜萢:僕は「GREENROOM FESTIVAL」を始める前、ブランドのプロモーションやブランディングの仕事をしていたんです。主にアメリカなど海外のアパレルブランドやサーフブランドを担当していて、そこから⾃然とプロサーファーやペインターなど、さまざまなアーティストとのつながりができていきました。最初に声をかけた仲間たちは、そうした前職の頃から関係のあった⼈たちですね。初年度に出演してもらったトミー・ゲレロもその⼀⼈で。スケートボードやサーフィンといった共通のカルチャーを通して話が合い、そこから⼀緒にフェスを作っていこうという流れになりました。

―カルチャーを介したつながりの中から⾃然に形になっていったんですね。

釜萢:もちろん最初はプロモーターの⽅々にも相談には⾏ったんです。でも当時はまったく経験もなかったので、「何をやりたいのか分からない」と⾔われて断られてしまって(笑)。当時の企画書も、⾃分で⾔うのもなんですが、かなり無茶苦茶だったと思います。海外アーティストも呼びたいとか、いきなりスケールの⼤きなことを描いてしまっていたので、結果的に、「もう⾃分たちでやるしかない」と腹をくくって動き出しました。

「LOCALGREEN FESTIVAL」主催者が語る、ローカルという⾔葉に込めた意味、カルチャーを通して実現したいこと


―まさにDIY精神ですね。
そういった”インディペンデントであること”も、⼤切にされている部分なんだなと感じます。

釜萢:最初の5年間は本当にすべて⾃分たちでやっていました。ブッキング、制作、予算集めまで全部⼿作り。その後、開催から5年ほど経った頃にクリエイティブマンさんにお⼿伝いいただくようになりましたが、それまでは完全にDIYでしたね。今でもその精神は変わっていません。協賛企業や出店者、ミュージシャンのブッキングに⾄るまで、⾃分たちでしっかりキュレーションしたいという気持ちはずっとあります。

―1からすべての過程を経験しているからこそ、細部まで⽬が⾏き届く部分も多いのではないかと思います。最初の5年間というのは現在の礎として、すごく⼤きな意味を持っているのではないでしょうか。

釜萢:あの5年間は本当に濃密でした。初年度なんて、2⽉に開催していて、雪が降っていたんですよ(笑)。今思えば「なぜその時期にやったんだろう」と⾃分でも不思議に思います。それくらい何も分からないまま⾛り出していた。
知識のなさに驚くくらいです。

―やりながらと試⾏錯誤を重ねて、少しずつアップデートしていったと。

釜萢:本当に現場で学びながら、毎年少しずつ形を整えていきました。

―別のインタビューで、「フェスは地域との関係も含めて、成⽴するまでに5年、10年という時間を要するものだ」とお話しされていました。そういう意味で、時間をかけてフェスとして形になった感覚があったということなのでしょうか。

釜萢:まさにそうですね。10年を迎えたときに、「GREENROOM FESTIVAL」としてようやく⼀つの形になったな、と感じました。5年⽬の頃はまだ横浜の⼤さん橋ホールで開催していて、イベント⾃体も⾚字続き。⼿応えのようなものはまだなかったですね。なので、横浜⾚レンガ倉庫に移れたことは、すごく⼤きな転機でした。⾚レンガは横浜のシンボル的な存在で、歴史的建造物でもある。その場所で開催できるのは⼤きな意味がありましたし、10年⽬を境に初めてチケットがソールドアウトするようにもなりました。そのとき、「続けてきて本当によかったな」と⼼から思いましたね。

―⾚レンガ倉庫での開催に⾏き着いたのには、きっかけや理由があったのでしょうか。

釜萢:もともと開催していた⼤さん橋ホールはウッドデッキでできている会場なんですが、8000⼈近いお客さんが⼊ると、会場全体が揺れるほどで。ライブが盛り上がるたびに床がうねって、警報器が鳴ったり、ウッドデッキの板が割れてしまうこともあったんです。その年を最後に、さすがにこれ以上は安全⾯で難しいということで、ホールを借りられなくなってしまって。その頃から、対岸に⾒えていた⾚レンガ倉庫をずっと「いつかここでやりたい」と思っていたので、それが転機になりました。

―実際に⾚レンガへ移ってみて、フェスの開催地としての⼿応えはどうでしたか?

釜萢:「GREENROOM FESTIVAL」の特徴は、有料エリアと無料エリアを両⽴している点なんですけど、有料エリアではクオリティの⾼いライブを⾏い、無料エリアでは地元の⼈たちと⼀緒にマーケットやアートエリアをつくる。フェスを閉ざさずに開く。つまりオープンサイドで展開することを⼤事にしています。その点で、⼤さん橋ホールはホール的な構造上、オープンな雰囲気を出しづらかった。⾚レンガに移ってからは、そのコンセプトにより近い形でフェスを表現できるようになったと感じています。

―横浜の街中というロケーションも、フェスの魅⼒を⼤きくしていると思います。同じ神奈川でも、川崎・東扇島公園のような会場とも、雰囲気がかなり違いますよね。街の中であることは意識されていたのでしょうか。

釜萢:やっぱり街の中にあるからこその魅⼒がたくさんあると思っています。すぐ近くには中華街もありますし、野⽑で飲みに⾏ったりもできる。フェスだけでなく、横浜という街そのもののカルチャーを⼀緒に感じてもらいたいという思いがある。みなとみらいの夜景も美しいし、観光も⾷も楽しめる。ホテルも多いので、海外アーティストや地⽅から来るお客さんにとってもアクセスが良い。そういう意味でも、横浜・⾚レンガは⽇本の中でも屈指のフェスにふさわしい場所だと思っています。

「LOCALGREEN FESTIVAL」主催者が語る、ローカルという⾔葉に込めた意味、カルチャーを通して実現したいこと


―「GREENROOM FESTIVAL」「LOCALGREEN FESTIVAL」におけるアーティストのブッキングについてですが、選定のテーマや軸のようなものはあるのでしょうか。

釜萢:⼤前提として、グッドミュージックというのが、どちらのフェスにも共通するテーマですね。ジャンルにとらわれず、⼼地よく良質な⾳楽を届けることを⼀番に考えています。

―ブッキングは釜萢さんご⾃⾝が中⼼で担当されているんですか?

釜萢:チームで動く部分もありますが、最終的な決定は僕がしています。⾳楽やフェス全体の世界観を統⼀するためにも、⾃分の判断で決める部分は⼤きいですね。

―現在「LOCALGREEN FESTIVAL」は11⽉に開催していますが、年間を通して開催するというのも、続けてきた中でみつけた流れだったのでしょうか。

釜萢:春~初夏、そして秋という、いちばん気候の良い時期にフェスを開催したいというのがまずあって。以前は9⽉に「LOCALGREEN FESTIVAL」を開催していたんですけど、近年は暑さが厳しくなってきていて。コンセプト的にも「GREENROOM FESTIVAL」と少し重なってしまう部分があったので、より”緑”や”街の暮らし”に焦点を当てられる11⽉の開催に変えました。11⽉のほうが街の空気感も落ち着いていて、「LOCALGREEN FESTIVAL」が伝えたい世界観をより表現しやすいと感じています。

―気温や季節の雰囲気も含めて、ベストなタイミングということですね。

釜萢:そうですね。僕らの年間スケジュール的にも理由があって。5⽉に「GREENROOM FESTIVAL」、7⽉には「OCEAN PEOPLES」というイベントがあるので、9⽉に「LOCALGREEN FESTIVAL」をやるとなると、どうしても制作やクオリティの⾯で妥協が⽣まれてしまう。やはりどのフェスも全⼒で作りたいので、5⽉と11⽉、半年ごとに分けて開催することで、ブッキングから演出まで丁寧に作り込めるようにしています。

―そういう意味では、「GREENROOM FESTIVAL」と「LOCALGREEN FESTIVAL」は、⼀続きの流れとして計画されている部分があるんですね。

釜萢:基本的には”2つで1つ”というイメージです。「GREENROOM FESTIVAL」と「LOCALGREEN FESTIVAL」は、それぞれテーマは違っても、同じ理念のもとにある兄弟フェスのような存在です。

―2025年に関しては、どのような⼀連のテーマや流れで考えられているのでしょうか。

釜萢:「GREENROOM FESTIVAL」は”海のカルチャー”をテーマにしていますが、「LOCALGREEN FESTIVAL」は”グリーンのカルチャー”。ただ、ローカルグリーンのほうはもう少し広い解釈をしています。たとえば、今年は新たにヴィンテージマーケットを設ける予定なんです。古着や雑貨など、モノを⼤切に⻑く使うという考え⽅もグリーンカルチャーの⼀部だと捉えています。植物を販売するお店もたくさん出ますが、街に緑を増やすというのは、ただ植栽を促すだけではなく、もっと⽇常の中にグリーンの感覚を取り⼊れていくこと。そのために、⾳楽やファッション、ライフスタイルといったカルチャーを通して伝えていきたいと思っています。

「LOCALGREEN FESTIVAL」主催者が語る、ローカルという⾔葉に込めた意味、カルチャーを通して実現したいこと


―来場者に植物の種を配布されているというのも拝⾒しました。

釜萢:初回からずっと続けています。まずは地元の緑を増やすというのがフェスの根本テーマなので、来場者⼀⼈ひとりに種を配って、実際に育ててもらうという取り組みです。

―毎年来ているお客さんの中で、そうした活動へのリアクションや印象的なエピソードなどはありますか?

釜萢:たとえば今年はネモフィラの種を配るんですが、毎年それを育ててSNSに写真を投稿してくれる⽅もいます。そうやって実際に植えて育てるだけで、グリーンを⼤切にする気持ちが⾃然と芽⽣えると思うんです。シンプルで直球な活動ですが、これからも⼤切に続けていきたいですね。

―そういうリアクションを直接感じられるのは嬉しいですよね。

釜萢:意外と皆さん、種をまいて植物を育てるって、⼩学⽣以来やっていなかったりするんですよ。だからこそ、フェスで配った種をきっかけに、久しぶりに⼟に触れて、⽔をあげて、花が咲く過程を楽しんでもらえたら嬉しい。⾳楽と同じように、そういう⼩さな体験を持ち帰ってもらうのが理想ですね。

「LOCALGREEN FESTIVAL」主催者が語る、ローカルという⾔葉に込めた意味、カルチャーを通して実現したいこと


―「LOCALGREEN FESTIVAL」は2018年にスタートして、その後コロナ禍の影響で2年間は開催できない時期がありました。コロナ前後で、何か変化を感じる部分はありますか?

釜萢:コロナの期間中は、みんなが家にいる時間が増えたことで、⾃然に触れる機会も増えたと思うんです。キャンプやアウトドアを楽しむ⼈もすごく増えましたよね。その流れもあって、コロナ後の⽅がむしろ「グリーン」というコンセプトに共感してもらえるようになった感覚があります。それがすごく良い⽅向につながっていると思います。フェスを毎年続けていくことで、海のことも、グリーンのことも、少しずつ伝わっていく。そういう意味で「LOCALGREEN FESTIVAL」はまだ成⻑途中ですが、年々広がりを感じていますし、これからさらに深めていけたらと思っています。

<イベント情報>

LOCALGREEN FESTIVAL '25
⽇程:2025年11⽉8⽇(⼟)9⽇(⽇)
会場:横浜⾚レンガ倉庫
OPEN 11:00 START 12:00 CLOSE 21:00
住所:神奈川県横浜市中区新港1丁⽬1
主催:ローカルグリーンフェスティバル実⾏委員会
後援:J-WAVE、FMヨコハマ
出演:
11⽉8⽇(⼟)
ウルフルズ
Jeremy Quartus (Nulbarich)
iri
SIRUP
JP THE WAVY
スカート
eill
MONO NO AWARE
Novel Core
DJ KOCO aka SHIMOKITA
DJ Mitsu the Beats
DJ KENTA
DJ KRO
11⽉9⽇(⽇)
ASIAN KUNG-FU GENERATION
PUNPEE & BIM
MONKEY MAJIK
SHISHAMO
⽔曜⽇のカンパネラ
TENDRE
I Dont Like Mondays.
ザ・おめでたズ
Billyrrom
grooveman Spot
YonYon
Minnesotah
MASATO

チケット好評発売中 https://localgreen.jp/tickets/
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