約5年ぶりに発表されたニューアルバム『This Ones Personal』は、母であり、ひとりの女性でもあるティワが、タイトルどおり”自分自身に向き合う”ために制作した作品だ。ナッシュビル、ロンドン、サンフランシスコで録音され、スケプタやPa SalieuといったUK勢も参加。心の痛みや再生を繊細に描きながら、アフロビーツを軸にR&B、ジャズ、レゲエの要素が豊かに溶け合っている。
そんな彼女とのインタビューが、先日プライベートでの来日中に実現した。聞き手は音楽ライターの渡辺志保。
ジャンルの境界を超えた活動の原点
―今日はお時間をいただき、ありがとうございます! 日本に来るのは初めてですか?
ティワ:はい。本当に初めてなんです。昨日着いたばかりなので、これからの滞在がすごく楽しみ。
―今回は息子さんの誕生日旅行だと伺いました。
ティワ:そうなんです。今年、息子が10歳の誕生日を迎えて、プレゼントは何がいい?と聞いたら、「東京に行きたい」と言って。
―そもそも、歌手を志した時はどんなアーティストにインスパイアされましたか?
ティワ:私はもともとR&Bが大好きで、ブランディやメアリー・J・ブライジ、SWVなどを聴いて音楽にのめり込んでいったんです。なので、基本的にはそうしたR&Bシンガーたちが音楽を始める大きなきっかけになったという感じ。
ブランディとの共演曲「Somebody's Son」(2021年)
―実際に「歌手になりたい」と思ったのはいつ頃でしたか?
ティワ:今となっては笑えるんですけど、高校生のときに好きな男の子がいて、その子が音楽科にいたんです。それで音楽の先生に「私も音楽をやりたい」と言って音楽科に編入したの。でも彼は、私に全然気づきもしなくて、恋は成就しなかった。でも、結果的にそれで良かったなと思います。歌手として活動している今の私につながっているから。
―あなたはアフロビーツのパイオニアであり”クイーン・オブ・アフロビーツ”とも呼ばれています。今やアフロビーツは世界中で広がっているムーブメントにもなっていますよね。この状況をどう感じていますか?
ティワ:率直に、歴史の一部になれてうれしい! 神様が私を使って、アフリカで長く愛されてきた音楽を広めてくださっていると感じているの。
―ちなみに、アフロビーツが広まるとともに、アフリカにルーツのないアーティストやミュージシャンが自分の音楽にアフロビーツの要素を取り入れることに対しては、どのように感じていらっしゃいますか?
ティワ:私はとても良いことだと思っています。それぞれが混ざり合って、お互いに学び合うということですから。私自身にとっても、外に出てその土地のカルチャーやサウンドを学んで、それを自分の表現に少し取り入れてみることは、とても意味があることだと思うの。実際に日本に来て、こちらのカルチャーやファッションに触れるだけでも大切な経験になると思いますし。いずれ、世界には”音楽ジャンル”という境界がなくなって、アフリカの音楽やR&B、アジアの音楽など、さまざまな要素が融合した状態になっていくと思うんです。それに、それこそが私たちが進むべき方向では、とも感じています。ジャンルというものは、どうしても人を枠にはめてしまい、限界をつくってしまうものだから。
―ありがとうございます。デビューシングルの「Kele Kele Love」がリリースされたのが2010年ですよね。この15年間で、グローバルな成功を収めてきました。
ティワ:本当に感謝しています。音楽業界はとても移り変わりが激しいので、1年、2年活動できるだけでも素晴らしいのに、10年以上も続けられたなんて信じられない。まだ昨日スタートしたようにも思えるし(笑)。これからもまだまだリスナーのみんなに与えられるものがあると感じています。だから、これからの10年も楽しみにしているところ。
―ナイジェリアに生まれて、その後、家族でロンドンに移り、まずケント大学で会計士の勉強をして就職した後にアメリカのバークリー音楽大学へ進学しています。最初から歌手デビューが約束された状態ではない中、自分のキャリアを模索していたという感じだったのでしょうか。
ティワ:私が育った国の文化では「学校に行きなさい、大学に行きなさい、音楽なんて無理」と親に言われるのが普通のことでした。だから、音楽をやりたくて両親を説得するまでに長い時間がかかったんです。自分の周りは、みんな16歳とか18歳でデビューしているわけだし、当時は自分の環境に対して腹立たしく思ったけれど、今では結局、それがいい効果をもたらしてくれたと思っています。18歳や25歳の時に掴むチャンスとは別物だったなと思うし、若い頃に夢を諦めた人でも、私を見て「まだできる」と思ってほしい。ある程度、年齢を重ねていたとしても、それに関係なく夢を持ってほしいなとも思います。
―特に、女性は「若ければ若いほどいい」という価値観に苛まれることも多いですよね。
ティワ:はい。でも、歳を重ねないと、本当の自分は見つけられないと思っているんです。私にとっては、それがよかったことですね。今の方がちゃんと地に足を付けていると実感するので。
Photo by Svenja Ava
―アメリカから、祖国であるナイジェリアに戻ったのはいつ頃だったのですか?
ティワ:29歳くらいの時。当時はロサンゼルスでソングライターとして活動していたのですが、ふと「ナイジェリアには女性アーティストが少ないな」、と気がついたんです。なので、リスクを承知で挑戦してみようと思って帰国を決めました。当時はまだ若かったし、責任も何もなかったので、そうやってリスクを取ることができたんですよね。
―怖くはなかったですか?
ティワ:「失うものは何もない」と思っていました。でも実際に戻ってみると、改めてナイジェリアでは女性への制約が多くてびっくりしたんです。たとえば「こういう服を着ろ」とか「タトゥーはダメ」とか「こういう言葉は使っちゃいけない」とか。
―この業界で長く続けていくための秘訣は何だと思いますか?
ティワ:私にとって大事なのは「地に足をつけること」と「良いチームを持つこと」。大きなチームである必要はなくて、小さくても、本当に信頼し合えて、リスペクトし合えるチームがあるということ。それがとても大事です。そして、謙虚でいることですね。
―実際に「これだ!」と思えるチームを作ることは大変でした?音楽業界って本当にいろんな人がいるだろうから……。
ティワ:10年以上も業界にいると、こちらに来る人もいれば、去っていく人もいる。長く一緒にやってきた人と別れるのは悲しいことですしね……。でも今は本当に強固(ソリッド)なチームがあります。そこに辿り着くまでには何年もかかりました。
ヨルバ族女性としての誇り
―今、タイラやテムズ、アマレイ(Amaarae)といったアフリカの女性アーティスト──アマレイはガーナ系アメリカ人ですが──が次々に登場し、世界を席巻しています。こうした後進たちの動きに対しては、どうお感じですか?
ティワ:もう、本当に最高です!今、あなたが名前を挙げたアーティストたち、全員のことが大好き。アマレイとは一緒に曲もやっていますし、彼女の雰囲気やスタイルは最高。私がキャリアをスタートした頃と比べると、今は女性アーティストが格段に増えている。「もう孤独じゃない」と思えることが、とてもうれしいですね。
アマレイとの共演曲「Tales By Moonlight」(2021年)
―ナイジェリア出身のソロ女性アーティストとして活動していくにあたり、困難さもありましたか?
ティワ:本当に大変でした。さっきも言ったように、制約が多いと感じましたね。私はシングルマザーでタトゥーもあって、そういうことでたくさん批判されました。でも、男性は同じ内容でジャッジされることはなくて、男女に向けられるそもそもの基準が違うんだなって感じます。でも、今は少しずつ良くなっていると感じるんです。十分って程じゃないですけど、確実に環境は良くなっていると感じるし、もっともっと変わる余地があります。
―まさに、あなた自身がその変化を生み出したパイオニアだと感じます。
ティワ:はい、そういった努力はしてきましたね。
―あなたが2019年に発表した楽曲「49-99」にとても衝撃を受けたんです(※註 「49-99」はもともとフェラ・クティが提唱した言葉。ナイジェリアのバスの中では49人は座れるが、残りの99人は立っていなければならないという状況を指しており、転じて、富やチャンスが一方に偏っているという意味)。社会的メッセージをご自身の音楽に込めることは重要だと感じていますか?
ティワ:アーティストであれ、ミュージシャンであれ、エンターテイナーであれ……呼び方は何でもいいんですけど、私たちは音楽そのものを越えたプラットフォームを持っていると思うんです。もちろん、誰もが社会的あるいは政治的なことについてオープンであるべきとは思いません。でも、社会問題や道徳的な問題に対して声を貸すことはできるはず。私は女性の権利を強く擁護しているからこそ、特定のテーマに触れることがとても大事だと思っていて。ただ壇上に立って説教するのではなく、音楽をツールとして使い、そうした問題について語りかけたかったんです。
―「49-99」に対して、特に女性たちからはどういう反応がありましたか?
ティワ:最初は、楽曲の本当の意味を理解していない人も多かったんです。でも、やがて深く掘り下げて考えてくれるようになったかな。結果的に、女性のためだけではなく、人々に対する不公平さ(injustice)についてのメッセージとして受け止めてくれるようになったと感じています。
―ちなみに、ナイジェリア国内における女性の状況は良くなってきていると感じますか?(※註:ナイジェリアのジェンダーギャップ指数は、世界経済フォーラムが発表した「ジェンダーギャップ指数2025年版」において148カ国中146位。日本は118位だった)
ティワ:難しいですね。女性たちにとって、依然としてとても難しい状況にいると感じますし、私たちの文化は、女性たちに”それ”を簡単にはさせようとしない、と感じています。だからこそ、人々が声を上げ、問題について議論し、私たちのプラットフォームを使って状況を改善しようとすることが大切なんです。でも、それって世界中どこでも共通の問題だと思うんですよね。
―まさに、日本とナイジェリアの女性の状況には似ている部分もあるのではと思うんです。家父長制の問題は常に我々の肩に重くのし掛かっているし、問題の元を辿っていくと、それは宗教的な価値観や、先祖の代まで遡るほど深くじっとりと根付いている。
ティワ:そうですね。しかも、声を上げると「反逆者」扱いされる。でもそれでも私は自分の音楽で声を届けたいと思っています。
―デビュー以来、一貫してアフロビーツとR&B、ポップのスタイルを融合させているのがティワ・サヴェージの魅力だと思います。その音楽スタイルはどうやって生まれたのですか?
ティワ:リスクもありながら、ただ実験していったんです。当時はうまくいくか分からなかったけど、私はもともとR&Bが大好きで、そしてアフリカ人ですから、両方を融合させたいと思ったの。結果的に、本当にうまく組み合わせることができたと思っています。今回のアルバム『This Ones Personal』はもっとR&B寄りのサウンドになっているの。なので、そういったサウンドの変化も楽しんでほしいなと思います。
―これまでにアメリカの名だたるR&Bアーティスト、例えばビヨンセやブランディとも共演して来られました。ナイジェリアとアメリカの間に、文化的な壁やギャップなど感じたことはありますか?
ティワ:うーん、私はありませんでしたね。アメリカに住んでいたこともあるので、もともとその土壌のカルチャーに馴染んでいたから。確かに、アフリカのアーティストの中にはギャップを感じる、という人もいます。でも今はアフロビーツの人気もあるので、そのギャップはさらに小さくなっていると個人的には感じています。
ティワが参加した『The Lion King: The Gift』収録曲「KEYS TO THE KINGDOM」
―あなたの歌詞には、ヨルバ語(※註:ナイジェリアの西部を中心として話される言語。ナイジェリアには250以上の部族がおり、それぞれ話す言語が異なる。公用語は英語)が登場することも少なくありません。アフリカのアーティストはそれぞれ、自分たちの部族の言葉を混ぜながら英語で歌う方も多いですよね。自分たちの、しかも特定の部族が喋る少数言語をポップ・ミュージックとして歌詞に取り入れるということに対しては意識的でいらっしゃいますか?
ティワ:はい、とても大事なことだと思っています。なぜなら、それこそが私が育ってきたカルチャーですし、私は自分がヨルバ族の女性であるということに対しても誇りを持っているから。例えば、私がブラジル音楽を聴いて、その歌詞の意味が分からなくても音楽が心に響くように、私の曲の中に登場しているヨルバ語も、きっと世界の人に届くと信じています。
自分をさらけ出したニューアルバム
―新作『This Ones Personal』についても聞かせてください。前作のフルアルバム『Celia』から数えると5年ぶりのアルバムです。
ティワ:しばらく時間がかかりましたが、その間もずっと楽曲はリリースし続けていたので。このアルバムの制作には実質2年かかりました。『This Ones Personal』と名づけたのは、本当の自分をさらけ出したかったから。リリースされて、みんなから多くの愛を感じているし、本当に幸せです。そして、このアルバムを日本にももっと広めたいと思っているんです。ここにもR&Bやヒップホップ・ファンがたくさんいるでしょう?
―「今だからこそ、自分をさらけ出すタイミングだ」と感じるきっかけがあったのでしょうか?
ティワ:今はたくさんの音楽が溢れていますが、心や魂に語りかける音楽も必要だと思うんです。私自身、この2年で失恋やいろんな経験をしてきたの。だから同じような経験をしている人に届けることがすごく大切だなと思って、こうしたコンセプトのアルバムになりました。
―パーソナルな感情を歌うことは容易くなかったのでは?
ティワ:いえ、そんなに難しくはなかったです。時間をかけて、素晴らしいライターやミュージシャンたちと一緒に作っていったんですけど、彼らが私の求める感情をうまく引き出してくれて、本当に満足のいく形に仕上がったと思っています。
―レコーディング期間中、一番エキサイティングだった瞬間を教えてください。
ティワ:今回は、アルバムの大部分をナッシュビルでレコーディングしたんです。ナッシュビルって、まさに音楽の街でしょう?なので、実際に現地のスタジオで生のドラムや、ベース、ギター、ホーンセクションをレコーディングした時は鳥肌がたちましたね。
―リードシングルの「On The Low」ではスケプタと共演していますよね。レコーディングはどうでしたか?
ティワ:実際に彼と一緒にレコーディングしたわけではないんですけど、本当に素晴らしい出来になりました。スケプタとは長年の知り合いで、彼もナイジェリア出身だし、ファッション・アイコン的にも尊敬している。だから参加してくれてすごくうれしかったです。女性ファンからの反響もすごかったですね。
―しかも、あのスケプタがいつものアグレッシブな感じではなく、ロマンティックなヴァイブでラップしてますよね!そこもすっごくいいなと思ったんです。
ティワ:そうなの(笑)! 彼がそういう面を見せてくれたのがうれしくて。しかも、それを私の曲でやってくれたことは本当に光栄だったなと思います。
―常に新曲を出し続けるのは大変なこと?
ティワ:いえ、楽しいです。つまらなく感じたことはありません。本当に大変なのはビジネス面ですね。ミーティングやマーケティング、分析……そういう部分かな。スタジオでの制作やステージでのパフォーマンスは、いつまでも楽しいので。
―どうやってクリエイティブなマインドを保っているのですか?
ティワ:ただ、自分の人生を生きているだけなんですよね。自分が経験していることとか、どんなふうに愛されたいかとか。自分の子供の頃のことや息子のこと……そうしたいろんなことを、文字通りそのまま歌詞にしているだけなので。
Photo by Svenja Ava
―母でありアーティストでもある今、二つの役割をどのように両立していますか?ママとしての時間と、グラマラスなアーティストとの時間にはギャップもあるかと思うのですが。
ティワ:全然グラマラスじゃないですよ(笑)。パジャマ姿で『フレンズ』を観ながら過ごすこともありますし、基本的にはいつもチルな感じで過ごしているんです。さっきも言ったように、私には素晴らしいチームがいる。まるで強力なサポートシステムのようで、息子には素晴らしいナニーと私の母がついているし、私が不在のときも安心なんです。本当に感謝しています。
―10年前、妊娠・出産のタイミングでキャリアを休むことに不安はありませんでしたか?
ティワ:デビューしてまだこれから、という時だったと思うのですが。当時は臨月までステージに立っていました。出産後も3~4か月で復帰したんです。でも今振り返ると、あのときは心身にすごく負担がかかってましたね……。もしもう一度やり直せるなら、もっと休んだと思います。
―50代や60代になった自分のことを想像することはありますか?
ティワ:あります! ステージに立っていると思います。きっと75歳になっても歌っているはず(笑)。
―今、まさにアルバムが出たばかりですが、この後は?
ティワ:まずはツアーですね。このプロジェクトで世界中を回りたいと思っているんです。新しいマーケットにもチャレンジしたいと思っているし、もちろん日本にも戻ってきたいです。それから映画のプロデュースもしたいなと思っていて、それに向けて新曲も準備したい。あと、『This Ones Personal』のデラックス版も準備しているんです。なので、これからまだまだ続けるつもり。
―デラックス版!?
ティワ:そう。まだ詳細は決まっていませんが、レコーディングを続けているところ。
―日本のファンにメッセージをお願いします。
ティワ:アリガトウ! 近いうちに必ず日本でショーをしたいと思っているので、ぜひ直接私に会いに来てください!いつも応援してくれて、本当にありがとうございます。
ティワ・サヴェージ
『This Ones Personal』
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