2021年のデビュー作『How Beautiful Life Can Be』と2023年の2作目『From Nothing to a Little Bit More』で2作連続全英チャート1位を獲得し、英国ロック・シーンの新たな希望として確かな支持を集めているザ・ラサムズ(The Lathums)。マンチェスターとリヴァプールの間に位置するイングランド北部のウィガンでノーザン・ソウルの伝統に育まれた彼らは、流行に流されず、自分たちの音楽を貫くことでロンドンとの「南北格差」を乗り越えてきた。
音楽業界の流行や大手レーベルの意向に左右されることなく、「自分たちの音楽」を貫く姿勢は、サム・フェンダーやジェリー・シナモンらとともに、いま英国北部から湧き上がる新たなムーブメントの象徴でもある。待望の初来日を果たした彼らに、バンドの歩み、音楽哲学、そして4作目に向けた新たな挑戦について話を聞いた。

The Lathums──UKロックの新たな希望が語る、北部シーンの隆盛と「自分たちの音楽」

左からマティ・マーフィ(Ba)、アレックス・ムーア(手前:Vo, Gt)、スコット・コンセプシオン(奥:Gt)、ライアン・デュランス(Dr)
Photo by Ewan Ogden

バンドの歩み、ノーザン・ソウルのDNA

―みなさん日本は初めてですか?

アレックス:うん、でも昨日の夜8時頃に着いたからどこにも行けてないんだよね。それでも日本にいることだけでワクワクしているよ。

―初めての音源をリリースしてから6、7年が過ぎ去ろうとしていますが、バンドの道なりとしては平坦だったのか、それとも険しかったのか、もしくは思いもよらない道を進んでいるのか、どちらでしょうか?

アレックス:道中にはいつだって凸凹があるもので、どんな成功した旅路にも、その前段階にはうまくいかなかった年月があるものだと思う。でも、バンド全体として見れば本当によくやってきたと思うし、イングランド北部の無名の若者だった頃から今に至るまでの上り詰め方は、かなり……奇跡的じゃないかな。本当に驚くべきことで、いつも話していたように、僕らはウィガン出身の若い奴らで、ちっぽけでくたびれた街からやって来ただけなんだ。バンドのこれまでの旅は上がったり下がったりだけど、結局のところすべて良い方向に向かっていると思うよ。

―デビュー作の『How Beautiful Life Can Be』と2作目『From Nothing to a Little Bit More』が全英チャートで1位になってからしばらく経って、ようやく日本に来られましたよね。その上昇気流に乗って、もっと早く来日が実現してもおかしくなかったと思うのですが。

アレックス:一度にたくさんのことを制覇しようとするより、まずはひとつのことに集中するのが大事だと思うんだ。今は英国でかなり強い存在感を持てているし、その勢いをヨーロッパにも持ち込んできた。
だから積み木を積むみたいに段階的にやってきた感じで、あまりに早く行き過ぎて、先走ってしまうのは避けたかったんだ。そう言ってくれるのは素直に嬉しいし、この先も日本にまた戻ってくる機会はいつでもあるからね。

ライアン:これまで英国とヨーロッパ以外でギグを行ったのはバンコクのヴェリー・フェスティヴァルくらいで、オーストラリアとシンガポールも先週初めて訪れたんだ。アレックスが言うようにスローペースかもしれないけれど、ようやく日本に来ることができて夢がひとつかなったよ。

―では、アジアで演奏するのは今回が2回目という感じですね。英国と比べて、アジアの観客の反応はどうでしたか?

アレックス:観客はとても礼儀正しい……いや、悪い意味ではなく、もっと言えば敬意がある、というのがいちばんしっくりくるかな。僕たちの地元では演者と観客の境界線がほとんどないような感じなので、最初はちょっと驚いたんだ。アジアでは人がまっすぐにこちらへ来る感じで、僕らの演奏を聴いてすべてを受け止めてくれている。無秩序に飛び跳ねるというよりは、ちゃんと音楽に向き合ってくれているんだ。

―今日の日本でのステージも同じだと思いますよ。

アレックス:だったらすごくうれしいね!

The Lathums──UKロックの新たな希望が語る、北部シーンの隆盛と「自分たちの音楽」

2025年10月14日、代官山 SPACE ODDにて撮影(Photo by Hiroki Obara)

―ところで、あなたたちが生まれ育ったウィガンはグレーター・マンチェスターに属しながら、リヴァプールとも同じくらいの距離感にあります。このふたつの音楽都市が与えた影響というのはどんなことでしょうか。


アレックス:ウィガンは確かにグレーター・マンチェスターの一部なんだけど……、もともとはランカシャーに属していたんだよね。70年代半ばにグレーター・マンチェスターに編入させられて、地元ではそのことに不満を覚えている人が今もいるし、僕自身もランカシャーの人間だという意識が強いかな。イングランド北部には、小さな地域の中からものすごい音楽が出てきた場所があって、人々はフットボールのカルチャーと結びつけがちだけど、僕らには僕らの……自分たちの音楽があると感じているよ。

スコット:ウィガンは小さな街だけど地元感が強かったから、そのふたつの都市の影響からむしろ意識的に逃れようとしていたように思う。個人的にも、ある程度大きくなるまで、リヴァプールやマンチェスターに行くこともあまりなくて、ほとんどウィガンにいたしね。

地元ウィガンで約25000人を収容、ライブアルバムもリリースされた「Live From Robin Park」

―ウィガンで育ったことで、ノーザン・ソウルのDNAのようなものが内に備わったと思いますか?

アレックス:確かにノーザン・ソウル的な強い要素があるのは、その陰影のあるソウルフルな音楽が街の背景にあったからだと思う。ステージに上がるときは、よくアル・ウィルソンの「The Snake」をバックに登場していたしね。人が何を聴いて育ったかにもよるけど、人間はみんな同じ鼓動を持っていて、音楽はすべてを包み込むものだから、意識しなくても影響されると思うんだ。だから誰の中にもそうしたDNAはあるはずで、僕らはそれをうまく掴んだ、という感じかもしれないね。

アルバム3作を振り返る

―BBC Sound of 2021への選出や大型ツアーの決定、そしてデビュー作『How Beautiful Life Can Be』が全英1位という輝かしい結果が、以降のソングライティングやツアーに与えたプレッシャーや、逆にポジティヴな効果を与えたことはありましたか?

スコット:正直、僕らはそれほど大きなプレッシャーを感じていなかったんだ。周りはよくその話をしたけど、僕ら自身はあまり実感していなかったというか。とにかく目の前のことに集中して進んでいったんだ。


マティ:周りで常に物ごとが動いていて、足を止めて考える暇がない、という感じでもあったからね。その忙しい状況がポジティヴな結果を生んだとも言えるかな。

アレックス:もちろんプレッシャーみたいなものは意識はしていたけどね。自分が始めた頃は、拙い曲をいくつか、声とギターだけでやっていただけで、バンド用の曲を書いていたわけではなかった。だから自分でバンド感を掴んでいく必要があって、今でも試行錯誤は続いている。レコードを重ねるにつれて前に進んできたけど、プレッシャーというよりは乗り越える壁ということが近いかもしれない。音楽業界は流れが速くて、今クールなものが2年後には忘れ去られていることもある。だから僕らにとって一番大事だったのは、そういう流行や業界のしきたりに合わせず、常に自分たちらしさを貫くことだった。心から意味のある音楽を書き続けること。それがいちばん大事なことだったし、今もそうだよ。

スコット:アレックスが言うように「この路線を追わなきゃ」と考えたことはなくて、いつも曲に自然と導かれているんだ。「こうしなきゃ」という記憶は少なくとも自分にはないし、つまりもっと曲を突き詰めていける、さらに深くまで行けるはずだと思う。


―デビュー作のプロデューサーであるザ・コーラルのジェイムス・スケリーからは多くの経験や学びがあったと想像しますが、どうでしょう?

アレックス:逆に言うと、僕とスコットがジェイムスにギターのコードを教えたんだよ。Bフラット・ディミニッシュ7だね。それはちょっと誇らしい瞬間だった(笑)。彼と仕事をするのは良かったよ。ザ・コーラルでの彼や周囲の環境は、僕らの出自ととてもよく似ていたしね。豊かではない場所で、お金もチャンスも多くない中、リヴァプールの若者たちが挑戦して、とても成功したバンドになっていった。その歩みは僕ら自身の旅にも重なるところがあったんだ。レコーディングの過程では、お互いに発言し合って、やり取りしながら進んでいったよ。そういう小さな会話の積み重ねで、彼の経験や考えを少しずつ引き出していく感じだった。でも結局のところは個人的な領域で、それぞれが自分の中で仕分けていく必要がある。助言はもらえても、最後は自分で掴んでいくものだからね。

スコット:ジェイムス・スケリーから学んだことのひとつに、「ナッシュヴィル・チューニング」というギターの調弦法がある。
12弦ギターの高音側の弦を、通常のアコギやエレキに張って、普通のギターで弾くパートと組み合わせると、音に独特のテクスチャが出るんだ。ザ・スミスのレコードの多くでも使われていて、実際にやってみたときに目から鱗が落ちた。「何年も探していたのはこれだ」と思ったし、今でもデモ制作のときに使っているよ。とても貴重な学びだったね。

ライアン:自分は後からバンドに入ったので、最初のアルバムのときはいなかったんだけど、加入したときにその手法にまず驚いたんだ。見たことがなかったので。

―2作目『From Nothing to a Little Bit More』は「より内省的で成熟したトーンの作品」と評されたりもしましたが、その変化の背景にあったものを教えてください。

アレックス:個人的にかなり波乱含みの時期だった。それが音楽や言葉に滲み出たのかもしれないし、そのことがダークな側面を形作ったのかもしれない。はっきりとは分からないけど、僕らは曲に合うことをするだけで、何かに無理やり当てはめることはしない。だから曲は自然にそうなっていった、という感じで、あの時期はいろいろあったね。

スコット:とはいえ、きれいな曲も結構あって、「I Know Pt 1」みたいな曲も書いていた。


マティ:単純に僕ら自身が大人になっていく過程でもあったと思う。

―1曲目の「Struggle」などに見られる自己と社会への眼差しは、歌詞の言葉選びとアレンジにおいてよくある予定調和から遠ざかろうとする意思が感じられます。2作目ではそうした面も成長の一部として表れている気がしました。

アレックス:ありがとう。あの曲は最初は全然違う形だったんだけど、変えて、練り直して、構成やアレンジについても議論を重ねたんだ。そう言ってもらえて嬉しいよ。土台としてはいつも通りなんだ。本当に良い曲というのは、すべてを取り去って、ひとつの楽器とひとつの声だけでやっても良い曲であるべきだ、といつも思っている。僕らはいつもそこを掴んでから、バンドの編成に広げるようにしているんだ。それができなかったら苦戦する曲になるし、ボツになることもある。

―3作目の『Matter Does Not Define』(2025年)はまさに楽曲に確かな芯があって、アコースティック・ギターやピアノと声だけで成立するアルバムだと思いました。だからアコースティック・ヴァージョンが作られたんですね。

マティ:うん、3枚目のアコースティック盤は、これまでで一番良い出来だと思う。すごく時間をかけたし、まるで別の作品を作るくらいの姿勢で取り組んだ。全曲を見直して、まったく違う形にしているんだ。

アレックス:以前もアコースティック盤を出したことはあったんだけど、今回はまるで別のレコードを作るつもりで臨んだんだ。同じ曲でも、まったく違う光の当て方をしたんだよ。

スコット:そのアルバムのプロデューサーは、ザ・タンサッズというウィガンのバンドのギタリスト、ジョン・キャトルという人なんだ。リヴァプールのケニヨン・ロードで彼と本編を録って、アコースティック盤はウィガンで録った。彼はアコースティックの達人で、フォーク・ミュージックの世界ではトップクラスの存在なんだ。だから、良いアコースティック・アルバムを作るなら彼以外にいない、と思ったよ。昔、僕らのカレッジで教えていた人でもあって、そこで出会って以来、ちょっと……なんて言うか、メンターのような存在なんだ。

下が『Matter Does Not Define』アコースティック・バージョン

―3作目はそれまでのIslandではなく、デビュー期に所属していたリヴァプールのModern Sky UKからのリリースでした。古巣に戻ったのはどうしてでしょうか。

アレックス:気心の知れたスタッフがいて、ウィガンからも近いしね。それに考えを押し付けてくることもない。自分たちが思うがままにさせてくれるのが良かったんだ。

スコット:いわゆる売れっ子プロデューサーのところに送られる、みたいな話もあったけど、僕らのバンドはそうじゃない。アイランドだったらジョン・キャトルと組むことは難しかっただろうけど、Modern Skyならば僕らの考えを理解してくれる。「ロンドンだかどこだかの売れっ子プロデューサーと」と言われても、自分たちの音楽なんだから、自分たちが選びたいんだ。そんな環境に戻ったということだね。

北部シーンの隆盛、この先のビジョン

―あなたたちがデビューする前後あたりから北部とスコットランドでは、自分たちの置かれている状況や生活、社会をシンガロングできる親しみやすいメロディと共に歌うシンガー・ソングライターやバンドが多く登場してきた気がします。サム・フェンダーやジェリー・シナモンを筆頭に、ジェイミー・ウェブスター、ザ・レイトンズたちには共感や連帯感をおぼえていますか? また北部からこうしたスタイルのバンドが出てきているのはどうしてでしょうか?

アレックス:僕らはいつだって誰とでも関係性を築こうとしてきた。君が誰で、何をしていようと、話しかけるし、会話する。でも業界の他の人たちには、必ずしもそういう姿勢が共通ではないようにも見える。だから、僕らの連帯は、若い頃に始めた頃からのもので、人は来ては去り、また現れていくだろうけど、僕らは歳を取ってもここにいる。もしそこまで長く続けられるなら、僕らはずっと曲を書いて、会場をソールドアウトさせて、世界中を回り続ける。音楽は僕らにとって決して止まらないもので、それこそが僕らの連帯の形だ。そこにこそ僕らのスタンスがあるんだ。今、名前が挙がった彼らも同じなんじゃないかな。

―つまり、その連帯は地域的なものではなく、どこにでも当てはまるものだということですね。

アレックス:まさにそうだね。少し話をして、お互いをリスペクトし合う、そういうことだ。出自は関係なくて、大事なのはその場の空気、そこで交わされるものなんだよ。

―EMIがEMI Northをリーズで立ち上げたり、マーキュリー・プライズが初めてニューキャッスルで開催されたりと、イングランド北部は今、音楽的な充実期を迎えていますが、いまだにロンドンの音楽シーンとの温度差は感じていますか?

アレックス:ないね……いや、英国には確かに「北と南の大きな分断」というイデオロギーがあって、場合によっては本当に存在する。でも、僕らは南部で悪いショウをしたことが一度もない。ずっとソールドアウトで、まだ「ウィガン出身の北の方のバンド」としか知られていなかった頃でさえ、そうだった。ロンドンの公演が、マンチェスター辺りの公演より良かったことだってあるしね。ブリクストン・アカデミーもソールドアウトさせたし、結局は「良い音楽を作る」という話に戻るんだよ。出自は関係なく、良い音楽は人の心に残って、聴きに来てくれるんだ。

スコット:業界の関係者が「(ソールドアウトしたのは)北のバンドにはなかなかできないことだ」と言っていたよ。だから大きな達成だったね。

―良い音楽を作る、という点で、定義や守っているルールのようなものはありますか?

ライアン:アコースティックの曲であれ、バンドで作るインストゥルメンタルであれ、基礎となる曲がそこにあるか、僕ら全員が感じ取れてワクワクできるか、だね。

アレックス:全体的には同意だけど、少し付け加えると、今は素晴らしい音楽が本当に多いんだ。サウンドとして優れていて、プロダクションもみごとで、ソングライターが7人もクレジットされていたりする。でも、言葉がその「書いたはずの人」にとって本当に意味があるのか、ということは聴けば分かるんだ。人は騙せない、とさっき言った通り、みんなの中に同じビートがあるからこそ、何かが正しくないと感じれば、それも分かってしまう。僕らがステージに立つと、歌われる一言一句に意味があると、みんなが分かっているし、そこに本物があると感じてもらえる。今の音楽の多くは、その「本物らしさ」が欠けているようにも思う。もっとも、今の人たちは歌詞について深く考えたくないのかもしれないし、流行は変わる。でも社会が少し退行している今、また変わっていくはずだとも思うよ。

―今後の展望を聞かせてください。

スコット:最近、80年代のローランドのJunoシンセサイザーを買ったよ。次のアルバムでは新しいサウンドの特徴としてフィーチャーしようと思っている。楽しみだね。

アレックス:すぐにウィガンに戻って、曲作りに取りかかるよ。新しい素材はたくさんあるし、さっきの質問にもつながるけど、サウンドやアレンジの面で新しい領域に一歩踏み込んだと感じている。別のサウンドスケープへと少し超えていった感覚があるんだ。4作目でまた違った僕らの姿を見せられると思う。楽しみにして待っていてほしいな。

The Lathums──UKロックの新たな希望が語る、北部シーンの隆盛と「自分たちの音楽」

Photo by Hiroki Obara

The Lathums──UKロックの新たな希望が語る、北部シーンの隆盛と「自分たちの音楽」
The Lathums - Matter Does Not Define on Vinyl LP, CD | Rough Trade - (LP - Black, LP - Red, 2CD, CD) | Rough Trade

The Lathums
『Matter Does Not Define』
発売中
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