運命を変えた出会い
―あなた(ライアン・ユ)は移民二世とのことで、つまり両親が韓国からアメリカへ移住されたんですよね? そのあたりのルーツについて教えてください。
ライアン:そうそう、両親が70年代に移民としてアメリカに渡ってきて、自分は90年代生まれだから韓国系移民の二世ではあるんだけど、韓国に帰ると自分が韓国人と名乗るのがちょっと恥ずかしいっていうか、韓国語があまりにも下手すぎて(笑)。韓国に行ったときもコミュニケーションは全部英語だし、お恥ずかしいかぎりだけど、自分はアメリカに育ってるからそこはどうか見逃してくださいって感じ(笑)。当然、影響を受けてる音楽もアメリカの音楽が中心だよ。
―幼い頃、何に夢中でしたか? どんな匂いや音、風景を覚えていますか? これが自分の原風景だと思えるような瞬間はありますか?
ライアン:物心ついたとき、それこそ読み書きができる前から音楽に興味を示してて……自分の一番の原風景は父親が家でクラシックを聴いてる光景で。父親に「ねえねえ、なんでこの曲聴いてるとこんなに悲しい気持ちになるの?!」とか、「この曲聴いてると元気になる!」とか言って、そんな子だった。それとLAで育ったことも大きくて、LAの太陽と乾いた空気とその中を走り回っている小さい頃の自分と……その背景に当時LAで流行ってたものを中心に色んな種類の音楽が流れてっていう、自分の子供の頃の原体験ってそのあたりと密に結びついてるように思う。
―ラジオから流れてくる曲をよく聴いてたということですが、幼い頃はどういった音楽が好きだったんですか?
ライアン:ロックの中でも主にポップ・ロックが好きだったね。
―渋い子供ですね!
ライアン:父親がジャズなどのドミニカ音楽が好きでよく家でも聴いていて。だから、自分の音楽なりメロディにあるドゥーワップとか年代もののソウル・ミュージックへの愛着みたいなものも、そういうところから来てるのかも。実際、メロディを作るときにも子供の頃に聴いてたドゥーワップやジャズにものすごく影響を受けつつ、そこにポップ・ロックの要素が入ってきてるって感じかな。
―家庭では韓国的な価値観が、社会ではアメリカ的な価値観があったと思います。その間で、少年~青年時代のあなたはどんなことを感じていましたか?
ライアン:自分はLAの郊外出身なんだけど、LA自体がすごく多様性があって、いろんな人種なりカルチャーなりを背景に持つ子達に囲まれて育ってるんだよね。今振り返ってみても、本当にいろんな人生のバックグラウンドを持っている人達が集っていたんだなあって感じる。韓国系アメリカ人として育ったのも自分にとってはすごくスイートな思い出っていうか、学校のランチに韓国料理とか持ってくと、まわりの子たちが色めきたって「一口ちょうだい!」ってなったりね。本当にありとあらゆる人種の子に囲まれて育った。自分が実際に韓国に行ったのはつい最近になってからで、2023年なんだよ。
―つい一昨年じゃないですか。
ライアン:そう、最近になってから(笑)。カルチャー・ショックや戸惑いっていうところでいうなら、初韓国のときのほうがむしろ強烈だったかも。どこに行ってもどっちを向いても自分と同じ見た目の人達に囲まれてるっていうのが、自分にとっては生まれて初めての経験だったから。
―UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)で音楽を学んでいたんですよね? どのような領域を学んでいたのでしょう。
ライアン:専攻はギターだったんだけど、あの大学の音楽カリキュラムってちょっと変わっていて。大学における一番大きな出来事としては二つあると思う。まず一つ目は、授業で初めてディアンジェロの音楽と出会ったこと。自分がミュージシャンとして一番敬愛してる存在と言ってもいいかもしれない。初めて『Brown Sugar』を聴いたとき完全に心を鷲掴みにされた。その後、『Voodoo』に夢中になり、ディアンジェロ経由でおそらく自分が最も影響を受けているであろうプリンスについて知り……っていうように、ディアンジェロからプリンスへ、プリンスからスライ・ストーン、ジェームス・ブラウン、そしてジミ・ヘンドリックスへ、リトル・リチャードやアルバート・キングへって一段ずつ階段を上っていった。大学の課題でディアンジェロについてプレゼンする機会があったんだけど、その内容がそのまま自分の音楽的DNAになってるよ。まさに自分の人生の方向性を変えるような出会いだった。
もう一つの重要な出来事は、自分のメインのコラボレーターであり共同プロデューサーでもあるニック・ヴェレスと出会ったこと。彼は大学の同級生で、ジャズ専攻のドラマーだったんだけど、これまた自分が多大な影響を受けているジェイムス・ブレイクのファンだったっていう。それが自分の運命を変えた、まさに自分の人生に転機をもたらしてくれた出会いだよ。
「少年性」と「人生」の同居
―その後、バンド・mmmonikaで活動しています。mmmonikaへは、どういった経緯で加入したのでしょうか?
ライアン:うわ、すごくいい質問。今までmmmonikaについてあまり話す機会がなかったからね。mmmonikaが始まった頃には、すでにboylifeの曲をかなり作っていて。boylifeとして最初に作ったのが「church」って曲で2016年なんだけど、リリースされたのは2020年で。当時は憑りつかれたようにその曲作りに取り組んでて……boylifeの音楽を作るのって、自分にとってはすごく難儀で骨が折れる作業なこともあり、1年にせいぜい3曲くらいしか作れなかったけど、曲作り自体は常に続けてたんだ。だからmmmonikaは、もうちょっと気楽に構えるためのエクササイズとして始めてるんだよね。そこで自分に課したのが「最初の閃きがベストな閃き」っていうルールで、最初に思いついたアイデアをそのまま形にして、あとはとにかく前進するっていう方法だった。反対にboylifeの方は意図的でありたかったし、すべてにおいて純然さを保っておきたくて。
―バンドでは、あなたはどういった役割で貢献していたのでしょう?
ライアン:基本、自分が全部の曲を書いて、歌って、ギターも弾いてるし、実際のところ全楽器パートを自作自演みたいな(笑)。もちろん、後になってリリースされた曲の中には友達の手も入ってきてるけど、それだって「一緒に遊ぼうよ」的なノリで声をかけただけだったんだよね。だから、ほとんどの曲は自分一人で作ってるか、せいぜいコラボレーター一人と一緒に作ってて、本当に純粋に楽しむためにやってたプロジェクトなんだ。いや、それにしても 、mmmonikaについてここで訊かれるなんてびっくりした!
―さっきギターを専攻していた話もありましたし、boylifeはギターも割と印象的に使われています。あなたにとってギターとはどういう楽器で、どのような関係性を生んでいますか?
ライアン:なんて素敵な質問だろう! ギターは自分にとって一番身近な楽器だよ。自分のギタリストとしての実力に限界を感じることもあるとはいえ……ただ、ギター自体はものすごく表現力のある楽器。それこそピアノなんかと比べて色んな形でインタラクトできるし。例えば弦をベンドしたり、ハンマー以外にも親指、爪、ピックスライドなんかを使って弾くこともできる。あるいは、音の間を滑らせるように移動することもできるし、チューニングも自在に変化させられる。だから、ギターという楽器自体はすごく表現力豊かだし、とくに自分が惹かれやすい感情……それを何と表現したらいいものか……切望とか、切羽詰まった感情や、扱いづらい感情に対しては、ギターの音色だったりテクスチャーだったり偶然弾いちゃった音がソングライティングに直接影響を与えることもある。
―その後、ソロアーティストとしてboylife名義で活動するようになった理由は?
ライアン:boylife名義で音楽を発表する前は、mmmonikaもやっていたし、メインのコラボレーターであるニック・ヴェレスと一緒にコモン・ソウルズっていう小さなデュオもやっていて、その傍らでboylifeをやってたんだよね。boylifeと他のプロジェクトの最大の違いは、自分自身の主観をできるだけ具体的に表現しようというところ。コモン・ソウルズやmmmonikaでは一応他のメンバーの視点も反映させていかなくちゃいけないと思ってたので。boylifeに関しては、僕にとって特別で大切な感情や経験のために取っておくようにしていて……例えば「chuch」や「lush」みたいな、ちょっと物議を醸すかもしれない内容や露骨な表現を含む曲を自分以外のメンバーに背負わせるのはさすがに重すぎると思ったし(笑)。だからこそ一緒に音楽を作ってる友達に気を遣わずに、等身大の自分自身を完全体として表現できる場としてboylifeっていうアウトプットが自分には必要だったんだよね。
―boylifeという名前には、「少年性」と「人生(life)」が同居しています。あなたがこの名を選んだ時、どんな感情がありましたか? また、ライアン・ユとboylifeは、あなたの中でどんな関係にありますか?
ライアン:うわ、これまた美しすぎる質問……っていうか、今の質問の中にすべてが美しく要約されてる気がする。若さゆえの純粋さと未熟さと人生経験がこの一言の中にギュッと凝縮されてるような。
―コーディ・チェズナッツの『The Headphone Masterpiece』だったりプリンスの『Sign o' the Times』を影響に挙げていたり、一人で作った宅録的なモードをboylifeからもすごく感じるんですけど、そうした感覚もやはり自分が音楽を作る上で重要だったりするんですか?
ライアン:そうだね、そういった側面もあるんだろうけど……ただ、レコーディング技術も感情を表現するためのもう一つの階層であるように思う。自分の中ではまず音楽とメロディがあって、それが言葉よりも先に存在してる。それが一つの階層で、ただメロディを聴くだけで悲しいとか、懐かしいって感情が湧き起こってきたり、安らかな気持ちになったり。そこに言葉を加えると、さらに別の次元が開かれていく。言葉によって感情が広がったり、ディテールが生まれたり別の層が開かれる感じ。それと同じように、レコーディングのクオリティも感情表現に別の次元を生み出してくれるものだと思うんだよ。
それで言うならコーディ・チェズナッツの『The Headphone Masterpiece』を聴くと、すごく無防備で繊細な独特な宅録感覚が伝わってきて、本当に彼が自分一人でベッドルームで録音してる絵がリアルに蘇ってくるみたい。あるいはプリンスの「Purple Rain」とか聴いてると、バンドがステージで演奏する音がそのまま伝わってくるような、まるで浮世離れした音楽が目の前に開かれるような感覚に襲われる。自分の感情を表現するために、ただ成り行きではなくそこにちゃんと意志を込めて取り組んでいきたいんだよ。だから曲によってはデモのままの方がより完全体に近くて、感情的にも深く響いたりもする。自分の曲で言えば、「amphetamine」がまさにそういう感じで、ホーム・レコーディング感満載でいかにも自作自演プロデュースみたいな。ヴォーカルもピッチ処理されていてね。その一つひとつの小さなテクスチャーが曲を完全体のものとして成り立たせてる。逆に「jones」とか他の曲はもっと壮大で広がりのあるサウンドになってるし、他にも「tanlines」っていう曲には、美しくて大きなストリングスが入っていてまた別の感情を呼び起こすような音と構成になってる。
韓国系アメリカ人として生きること
―プロデューサーとしてのあなたについても訊きたいです。2022年にはブロックハンプトンのアルバム『The Family』にプロデュースで参加していますね。彼らとは、どのように知り合ったのでしょうか。
ライアン:そう、最初のきっかけは友達のキアラン(・マクドナルド)経由で。ちなみに彼はBearface名義のあと今はCiarán名義で活動してるんだけど、もともと友達なんだ。そこにケヴィン・アブストラクトことイアンが加わって、そのまま3人でエネルギーに乗っかってった感じ。当時はブルックリンに住んでたから、朝起きたらとりあえず2ブロック歩いて近所のレコード・ショップに行って、買えるだけレコードを買い漁って、家に帰って、早速サンプリングを始めてひたすらビートを量産するっていう。そこに後からイアンがふらっとやってきて自分とキアランがその日作ったビートに合わせてラップし始めるっていう、そうやって気がついたらアルバムが丸々一枚完成してたんだ。
―デビューアルバム『gelato』では、「church」で〈Don't make me go back to the church(教会に僕を連れ戻さないで)〉と歌っています。キリスト教や信仰について、あなた自身はどのようなことを経験されてきたのでしょうか。
ライアン:いやもう、これに関してはものすごく複雑で、嫌なこともたくさんあったし、素晴らしいこともたくさんあった。今でも自分に近しい友人の何人かは教会で出会ってるし、自分が今でも大事にしている価値観の多くは教会で教わったものだし……聖書の中にある「兄弟姉妹のために自分を犠牲にすることほど尊い愛はない」っていう言葉なんてまさにそう。自分の音楽について思うとき、誰かの人生に彩や潤いを与えたいって想いが強くあるんだろうなっていうのを自分でも感じるし。ただまあ、その一方でキツいなあって思うことも山ほどあって(笑)。自分は在米韓国人が集う教会のコミュニティの中で育ってるから、さらに特殊なんだけど。ただ、自分が教会に行かなくなってから気づいたこととして、いわゆる韓国系アメリカ人の教会って自分が子供の頃に思ってたよりも、もっと色んな繊細かつ複雑なニュアンスのもとに機能してきてるんだなってことで。自分もそこからすごく色んなことを学んできたよ。
―「superpretty」で〈Young and colored in America/Got a couple things I need to say/I know you'd never love me as I am/America, I wanna bury ya(アメリカに生きる有色人種の若者として/いくつか言わせてもらうなら/わかってるって、決してありのままの自分としては受け入れてもらえないってことぐらい/アメリカよ、お前を土に葬り去りたい)〉と歌っていました。この言葉が生まれた時、あなたの心の中にどんな光景がありましたか?
ライアン:LAで育ったことは自分にとって、今でも大切な思い出であるんだけど、それとはまた別の側面として、韓国系アメリカ人としてアメリカという国に生きることのしんどさみたいな部分も確実にあって。アメリカってそうやって色んなものが複雑に絡み合ってるから、決して一筋縄ではいかないというか。自分があの曲を書いたのは2020年だったんだけど、当時のアメリカはものすごい緊張状態にあった。ちょうどブラック・ライヴズ・マター運動が盛り上がってて、自分自身も積極的にそこに参加していたし、今でも注視してる。ただ、あの曲を作っていた頃は自分の中で一番それに対する思いがピークに達してた時期で。だいたいいつもその日自分の頭の中にあるものがそのまま曲になって、最終的にレコーディングされるパターンが多いんだけどね。当時のロサンゼルスにはいろんな種類の緊張感が走ってて、しかも自分がboylifeとして音楽をやっていく上で色んな批判や攻撃を浴びせられた時期でもあり、 白人の音楽の盗用とも、黒人の音楽の盗用とも、他のカルチャーの音楽からの盗用とも言われたし、しかも複雑で厄介なことに、ポップ・カルチャーの中で韓国系アメリカ人のアーティストって公に活動してるアーティストの数ってそうそう多くないわけで。前例がないのもあって、どうしても矢面に立たされがち。そういうことが自分の中に渦巻いていた時期で……自分はただ自分に正直でありたかっただけで、ありのままの自分の感情を自分が心から美しいと思える形で伝えたかっただけ……。自分はただ自分であるだけなのに、それが望んでいるような形では思いのほか受け入れられてないのかもしれないって強く実感していた時期だった。
―『gelato』と『jones』では、どんな内面的変化が音に影響したと思いますか?両作を並べたとき、あなたにとっての成長はどこにあると思いますか?
ライアン:2枚のアルバムの間に、恐ろしく色んなことがあった。『jones』は制作の始まりから終わりまでちょうど1年きっかりなんだ。2枚のアルバムの間はほぼ4年開いてるけど、そのうちの2年半から3年くらいは、ひたすら学びと生きることに注力していた時期で……あー、もうホントに色んなことがありすぎた(笑)! これまで生きてきた中で一番しんどかった時期かもしれない。前作の『gelato』の中でも何度か触れているけど、自分は双極性障害を抱えていて、日々それをコントロールしながら生活してるんだよね。そういうメンタルヘルスの問題があり、それ以外にももう本当にいろんなことが……それまで一緒にやってきたマネージャーやビジネス・パートナー、チーム全員が自分から離れていった出来事もあった。それと自分の音楽に自信が持てなくて疑心暗鬼に陥っていた時期でもあり、自分の伝えたいことを十分に表現できていないっていう悶々とした状態の中にあって。
そんなときに転機が訪れて、自分が昔から敬愛していたアーティストと一緒に曲を作る機会に恵まれたんだよね。何時間もかけて曲を作り上げたんだけど、制作が終わったあと、「さっきからずっと横で見てたんですけど一体どうやってるんですか?」って、そこから1時間ぐらいメロディの作り方から曲の構成から、「フロー状態に入るって一体どんな感じですか?」ってひたすら質問攻めにして。その会話の後、彼からもらったアドバイスを毎日実践したんだよ。 本当に毎日欠かさずに。『gelato』は最終的には12曲で、 たしか全部で15曲を作ったはず。しかも、その15曲を作るのに5年近くかけてるんだよ。 それが『jones』の場合、制作開始から完成までちょうど1年で、その1年の間に60曲を作り上げた。その間に起きた一番大きな変化としては必死で努力して練習に練習を重ねて、自分に与えられた才能をできる限り磨こうと努力していったっていう、それが2枚のアルバムの間の決定的な違いかもしれない……ごめん、ちょっと話が長くなっちゃって。でも、本当にそれが自分の率直な実感なんだよね。
―ちなみに、そのメンター的なアーティストっていうのは我々も知ってるような有名な方ですか?
ライアン:いや、これはちょっと明かせないんだ(笑)。ただ、一緒に音楽を作らせてもらって、自分は本当に恵まれていたし光栄で、しかもものすごく多くの知識を惜しみなく分け与えてくれた。本当に心から感謝でいっぱい。
『jones』で追求したテクスチャー、ボーイ・バンドへの共感
―『jones』では、サウンドの質感がより豊かになっている印象です。あなたは、いつも多彩なフォルムやテクスチャーをどのように発見しているのでしょうか。
ライアン:そのへんに関してはただひたすら実験を繰り返していて、大半は正直まったく使いものにならない代物ばっかりなんだけど(笑)、それでもたまにヒットしたときにはとことん突き詰めて最後まで形にして作品に活かそうとしてる。今回、『jones』ではテクスチャーの部分で大きな変化があって、新たなコラボレーターとしてダニエル・チェ(Daniel Chae)が加わってるんだよ。さっきから話に出ているニック・ヴェレスは昔から一貫してboylifeのメインの共同制作者だったけど、 『jones』ではダニエルが加わったことで、一気に音の世界が広がった。しかもDanielはミキシングおよびレコーディング・エンジニアのプロでもあるから、 録音技術や機材の知識について彼からたくさんのことを学ばせてもらった。
『jones』では、ずっと言われてきた「ベッドルームポップ」という肩書をどうしても払拭したかったんだ。自分がその言葉から思い浮かべるのは、 ローファイで、録音の仕上がりもスタジオで作るよりも若干粗削りな感じのイメージなんだけど、『jones』ではまったく新しいサウンドであり録音のテクスチャーを発明することだった。まさに自分が生まれて初めて『Voodoo』と出会ったときの衝撃のように、何もかもが自分がこれまで知っているサウンドとは違うっていう感覚を求めてて。あのアルバムってミックスの仕方が何しろ奇妙で、ヴォーカルはやけに静かなのに対して、ドラムとベースはやたらと大きくて、まるで空気というものが存在していない空間にいるような、何とも言えない奇妙な感覚に陥る。リヴァーブも使われていないから余計そう感じるんだろうね。『jones』では、一貫した音楽言語を作り出したいと思って、そこですごく意識していったのはディストーションと豪華なテクスチャーのバランスってところ。ヴォーカルやストリングスは、豊かで深みのある響きに、ドラムや他の要素は脆くて乾いた質感にしていきたくて。それによって自分だけの音楽的言語を生み出していきたかったんだ。
―『jones』には各所で「美しさ」と「崩れた不完全さ」の共存がありつつも、決して実験的には聴こえず、ポップソングとして成立しています。楽曲をポップな形にキープさせている秘訣は、何だと思いますか?
ライアン:うわ、めっちゃ嬉しいんだけど! マジで感激。ポップソングを作ることを目標にしてきたから、そう受け取ってもらえたならすごく嬉しい。メロディはボーイ・バンドとかガール・グループっぽくしつつ、音の世界観はそれとは真逆のものにしたかったんだ。一番こだわったのは、曲の構成とメロディで、その一つひとつに意図が込められてること。具体的には、プリンスとかマックス・マーティンとかフランク・オーシャンとかディアンジェロとか、ポップと実験音楽の境界線を軽々と優雅に渡り歩いてる人や、その両極端のどちらかに思いっきり振り切れてる人たちを自分なりにさんざん研究し尽くして、そこで学んだことすべて自分の曲作りに応用していった感じ。一番の基準値は「うちの母親が聴いて楽しめるかどうか」(笑)。もちろん、全部の曲がそれに該当するわけじゃないけど、いくつかの曲に関しては。アルバムの中にはもっと実験的な曲も入ってるし、そういうのに関しては思いっきりそっち方向に全振りしていった。
例えば「big strong」は、テクスチャーや空間がテーマになっててどう転がってもポップソングにはならないなと思ったから、あの曲に関してはああいうものとして無理やりする必要ないと思ったし。逆に「tanlines」みたいな曲は、道でたった今すれ違ったばかりの人に聴かせられるようなものにしたかった。一回聴いた後に、メロディを1つか2つは記憶に残ってるようにする感じ。要するに伝統的なソングライティングの手法を自分なりに研究して、それに従っていった感じだよね。
―『jones』の収録曲「Baby Chop」はどのように生まれたんですか?
ライアン:「Baby Chop」と「junior」は今回一番てこずった曲なんだ。どちらも最初のきっかけは同じで、メインのコラボ相手であるニック・ヴェレスがギターとヴォーカルで作ったちょっとしたフレーズを丸投げしてきた。それを元に、自分が丸々一曲完成させるという難しいことに挑戦してる。特に「Baby Chop」は、たぶん200パターンくらいメロディを書いたんじゃないかな。でも、曲としてはすごくコンパクトにしたかったからお手上げ状態になり、とりあえず友人のノー・ロームに歌ってもらうことにしたんだけど。で、最終的に「これは絶対に外せない」って決め手になったのがロームの作ったメロディで。そのあとも曲作りをしていく中でブラック・ノイズにも声をかけて……彼はアール・スウェットシャツとかともコラボしてる恐ろしく才能あるプロデューサー。そのブラック・ノイズがスタジオに来て、自分がそこまで作った音に耳を傾けてくれて、「この曲は余計なものを必要としていない、今のシンプルな形のままでいい」ってアドバイスしてくれたんだ。
それとケニー・ビーツのところにも音を持っていった。言うまでもなくケニーも名人クラスのプロデューサーだよね。ケニーが言ってくれたのは「自分の直感を信じて。絶対に他の奴にいじらせるな」ってことで。すごく貴重なアドバイスとして受け止めたものの、やっぱり苦戦して、最終的にヒューストンまで飛んで友人の助けを借りた。2人して一日中メロディと格闘して、その日中に何とか1バージョンは完成させたものの、次の日にロスに戻って全部一からやり直して……もっともっと削ぎ落としていきたくてね。最終的に完成した曲の構成は、ロームの作ってくれたパート、keshiの作ってくれたパート、自分のパートに加えて、アウトロには別の友人のCiaránのパートを入れて全体を形作っていったんだ。自分ではボーイ・バンドの曲みたいなイメージというか、実際にそういうのを参考にしてたんだ。サビだけ共通にして、各バースはそれぞれのメロディを採用しようと思って。それが一番、色んなアイデアをコンパクトに一つにまとめる方法だと思ったから。
―ボーイ・バンドの話が出ましたが、具体的にどんなものから影響を受けていますか?
ライアン:自分が子供の頃、何度も繰り返し聴いてたCDの一枚が、バックストリート・ボーイズの『Millennium』でさ(笑)。あのアルバムにはマックス・マーティンの曲がたくさん入ってて、ものすごく影響を受けてる。それとK-POPも大好きで、子供の頃に大好きだったバンドの一つがBIGBANG。あと最近だったらNewJeansとかぜひまた復活してほしいよね。曲がマジで最高すぎる。ああいうのこそ自分が目指してる方向性かもしれない。後から好きになったパターンではボーイズIIメンとか、それこそブロックハンプトンにもインスピレーションを受けまくってる。自分の中でのボーイ・バンドの定義を塗り替えて、現代的にアップデートしてくれたバンド。個人的にボーイ・バンドの曲の何が好きかって、メロディがコンパクトかつシンプルで、覚えやすいところだよね。最初からスーッと馴染んできて好きになれるから、その余力の部分でメンバー一人ひとりの個性を深掘りする余裕がある。そういうところもめっちゃ好き。
keshiからの学び、日本への想い
―ベッドルームポップやインディR&Bと紹介されることが多いと思いますが、あなたの音楽を聴いていると、ジャンルはあくまで表現手段のひとつであり、その中心にはあなたのアイデンティティやエモーションがあるように感じられます。『jones』で、中心にあった感情はどういったものでしたか?
ライアン:いやもう、それに関してはほんとタイミングというか。ちょうど自分がソングライターとしてもっと成長したいと思って、ポップソングの原則を夢中になって学んでるのと同時に絶賛傷心中にいたわけで。その結果、今回作った曲のほとんど全部がBrownie (ブラウニー)なる人物について歌ってる。それで先ほども言った通り、1年のあいだに60曲以上作って、日々欠かさずそれらの曲に向き合ってた。しかも、傷心の真っ只中にいたからね、自然とそうした感情が音楽のほうにも雪崩れ込んでいったんだと思う。
それからジャンルってものについて言うなら、自分にとってはただのツールなんだよね。自分の感情を表現するための、もう一つの階層。さっきの話にもあったように、メロディ、歌詞、レコーディング、プロダクションっていう階層があるのと同じで、ジャンルもその中の一つ。自分の感情をどう届けるかってところにおける手段の一つなんだ。しかもジャンルってただの枠組みとかテンプレートを提供するだけじゃなくて、一つの機会として捉えることもできる。ジャンルとそこに付随されるイメージや期待と戯れる可能性を、余白として含んでいるというかさ。例えばロックだったら、「こういう音が来るだろうな」っていうリスナーからの期待があるわけで、そのテンプレを使って曲を作るときに、期待に応えることもできるし、逆に裏切ることもできる。その裏切り方をどこまでやるかっていうのも含めて、ジャンルってすごく面白いツールだなって。
ただ、『jones』では『gelato』のときほどジャンルについて意識してなくて。『gelato』ではジャンルを積極的にいじって、こっちのジャンルとあっちのジャンルを掛け合わせてどうなるか? みたいな実験をしてた。対して『jones』はすごくシンプルで、僕の声とギターだけに還元しても、曲の本質はそこまで変わらないはず。わりとジャンルに無頓着だった。それでもジャンルってもの自体はすごく重要だと思っているし、ジャンルを使って遊ぶのも好きなら、ジャンルの枠の中に自らディープにハマりにいくのも好き。それで言うなら、『jones』を作ってたとき自分が一番聴いてたジャンルはレゲエだったりしてさ(笑)。とりわけラヴァーズ・ロックって言われる種類のレゲエ。 ラヴァーズ・ロックって、あくまでも自分個人の実感だけど、子供の頃よく聴いてたドゥーワップとすごく通じるものを感じるんだよね。
―あー、なるほど!
ライアン:違いがあるとすればリズムだけで、感情やコードやメロディの部分では昔からよく知ってた感じっていうか、まるで実家に帰ってきたみたいな感覚になる。しかも、そのリズムがワクワクするような楽しい感じで、楽器の配置の仕方も変わってて、それこそ『Voodoo』に近いインパクトを感じるんだよね。グルーヴ、リズム、間の取り方が重要な鍵になっていて、ミックスの仕方も相当変わっててさ。まさに『Voodoo』と同じで、AirPodsで普通に聴いただけでは伝わらないものが起きてる。基本ラヴァーズ・ロックって巨大なサウンドシステムで再生される前提で作られていて。あのやたらめったらデカいベースとか、あるのかないのかわかんないくらい後ろに引っ込んでリズムのサポート役にまわってるギターとか。ドラムもすごく抑制されて控えめで、その影響が『jones』にも色濃く出ているんだ。もしあのアルバムに影響を与えたジャンルを一つだけ挙げるなら、間違いなくレゲエだよ。『jones』を作る上での指針になってくれている。とはいえ、あのアルバム自体はまったくレゲエではないんだけどさ。レゲエの衣だけを借りてきたような音にはしたくなかったし。ただ、レゲエのアーティスト達が世界をどう見ているか、音楽をどう捉えているかについてはできる限り知りたいし、吸収してみたいっていう気持ちだった。
―日本公演(今年2月)を含むアジアでkeshiのツアーに帯同されて、大きな会場で多くの観客にパフォーマンスを届けたことで、あなたの中にどのような変化が起きましたか?
ライアン:いやもう、何て言うか、あれをやったことでステージでの度胸が鍛えられた(笑)。あれだけ大勢の観客の前でも普通に自分らしく演奏できるようになってる自分がいて、その経験があったことで、今度は単独でこの規模のステージをやれるようになれたらいいなって目標ができた。まだ道のりは長いけど、それでもいつか必ず実現したいし、自分はステージに立つのが好きなんだなってことを実感できたよ。それと、メロディの力について改めて思い知らされた。すごくこぢんまりとしたセットだったし、おそらくお客さんの大半はそれまで自分について知らなかっただろうけど、例えば「1Time」とかメロディが相当強いと自分で自負してて、曲の演奏中にたった今初めて聴いたはずの人たちがすでにあの曲を口ずさんでくれてるのが見えて、「ああ、自分、この曲でいい仕事したんだな」って感じたよ。反対に「あれ……?」って思う曲もあったけど(笑)。でも、本当に素晴らしい経験だったし、一緒に連れてってくれたkeshiに心から感謝してる。それとすごく印象的だったのは、国や文化によってライヴの接し方やカルチャーがまったく違うっていうのを目の当たりにしたことで。国によってお客さんのリアクションが全然違ってて、それによって自分が観客にどう話しかけるか、どういうふうに自分を見せるかまで変化していくものなんだってことを体感できた。
@yehjao keshiツアーのオープニングアクトを務める最中、誕生日をお祝いされるboylife
―BiKN Shibuyaでの来日が迫っていますが、東京という街のエネルギーから、どんなパフォーマンスが生まれそうですか?
ライアン:もう本当に本当に楽しみにしてるよ! 東京が大好きだし、日本っていう国自体が本当に好きで。keshiのツアーで東京に行ったのが初だったんだけど、その前に京都や大阪には行ったことがあって、どちらも美しくて感動した。東京でのライヴもすごくよかったし、日本のお客さんにきちんと音楽を聴いてもらってる、受け止めてもらってるって実感できた。 音楽的にも、共通のDNAみたいなものがあるって感じたしね。ライヴの後、日本のファンの人達からたくさんDMが送られてきて「この曲のメロディがすごく好きだった」とか具体的に指摘してもらえて、実際にそこが自分が力を入れて作ったパートだったりしたから、それにも感激した。また日本で自分の音楽を直にシェアできるのが楽しみで仕方ない。
前回はオープニングアクトとしてkeshiのファンが喜んでくれそうなセットを意識して組んだけど、今回は自分の世界観を直に伝えられる機会だから、若干緊張してるけど本当に楽しみにしてる! BiKNに呼んでもらって本当に感謝してるよ! あと、あまりそういうイメージはないかもしれないけど、自分は食マニアで、もしかしたら音楽よりも食への関心が強いかもしれない(笑)。 東京で過ごした数日間は、美味しいご飯とコーヒーとカクテルを満喫しまくって、もうそれだけで最高だった。 最高の時間だったし、またすぐにでも戻りたいと思ってる。
―ちなみに日本のアーティストで興味のある人はいますか?
ライアン:それが結構いてさ。おとぼけビーバーがめっちゃ大好きで、彼女たちもBiKNに出ると知ってめっちゃテンション上がった! 新しい学校のリーダーズも好きだし、子供の頃に大好きだった曲の一つが宇多田ヒカルの「Simple And Clean」で。『キングダム ハーツ』にハマってたから、あの曲が自分の奥深くまで染みついてる。それと言うまでもなく、坂本龍一さんも尊敬してるし、心からご冥福をお祈りします。その人生まるごと通して、色んな変化をもたらしてくれた人だと思うよ。もともと坂本さんがイエロー・マジック・オーケストラにいたことも知らなくて、ソロとしてもあの名作もあの名作も坂本さんが手掛けているの? っていうことを後から知ったとき、すべての糸が繋がったみたいな、「うわ、やっぱそうだよな、そりゃ天才だよな」ってすごく腑に落ちた。他にも影響を受けた日本のアーティストはめちゃくちゃいるよ。自分が今こうしてミュージシャンとしてやっていく上で、日本のアーティストには大きな貸しがあるというか、ものすごく恩恵を受けてるよ。
―今日はどうもありがとうございました。韓国も日本に近いので立ち寄れたらいいですね。
ライアン:そう、ぜひそうしたいところなんだけどね! 韓国もすごく好きなんだよ。できれば中国と韓国にも立ち寄りたいと思ってるんだけど、まだいろいろ調整中。自分は完全にインディペンデントでやってて、レーベルとかもないし、全部自分でやりくりしていかなくちゃなんないから、脳みそのキャパが扱える範囲内でしか活動の幅が広げられないんだ(笑)。でも韓国とか中国にも行けたら理想的だよね。今日は素敵な質問ばかりありがとう! めちゃくちゃ感激した!
『BiKN shibuya 2025』
日時:2025年11月30日(日)OPEN 11:00 / START 12:00
会場:東京・渋谷 Spotify O-EAST(Main / Sub / 3F Lobby) / Spotify O-Crest / duo MUSIC EXCHANGE
主催:BiKN 2025 実行委員会
https://linktr.ee/biknshibuya


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