エイサップ・ロッキーのニューアルバム『Don't Be Dumb』が、ついにリリースされた。前作から実に8年ぶりとなる新作である。その空白のあいだにラップシーンは大きく様変わりし、とりわけ若いリスナーの間では、彼の存在の重要性が十分に共有されていないのではないかという感触もある。下の世代が名前を挙げる「リスペクトされる存在」であり、ファッションの文脈で成功したラッパー──もしかすると、その程度の認識にとどまっている人も少なくないかもしれない。事実、2025年にはMet Galaの共同議長を務め、レイバンのクリエイティブディレクターに就任し、シャネルのハウス・アンバサダーにも名を連ねた。一方で、彼は一体どのようなラッパーなのか? その核心は、意外なほど多くの人にとって見えにくいままなのではないだろうか。
しかし、それも無理はない。というのも、他の大物ラッパーと比較したとき、エイサップ・ロッキーほど芯を食ったかたちで紹介しづらい存在は、あまりいないからだ。たとえば、ケンドリック・ラマーであれば「ヒップホップを思想とスキルの水準で更新し続けてきた唯一無二の存在」と言えるし、トラヴィス・スコットなら「音楽、ライブ、マーチャンダイズを含む総合演出によって、ヒップホップをテーマパーク化した巨大IP」と説明できる。プレイボーイ・カーティであれば、「意味やリリックから解放された、ムード/フォルムとしてのレイジサウンドを立ち上げた先駆者」という言い方が成立するだろう。では、エイサップ・ロッキーはどうだろうか。「サウンドとファッション、アートを束ねる編集的ラッパー」と称してみたところで、その説明にはすぐにタイラー・ザ・クリエイターの影がちらつく。
そういったわけで、本質をなかなか説明し難いラッパーなわけだが、実はそれは、彼の最も優れた点と表裏一体でもある。なぜなら、この奇才の凄みは、同時代の評価に回収されない歪さにあるからだ。新世代クリエイター/ヒップホップ集団エイサップ・モブの中心的メンバーとして活躍しながら、ソロとしてリリースした2013年のデビュー作『LONG.LIVE.A$AP』からしてそうだった。NYのハーレムから現れたスタイリッシュな趣きがありつつも、クラウド・ラップのフィールを持ち、Chopped & Screwedや南部のフロウもかぶせる。そうなると、既存の批評の語彙では語りづらいのは確かだ。ハイファッションを纏うスタイル先行のような受け止め方もされたことで、NYから久々に出てきたクールなラッパーでありながらも、作家としてというよりは「現象」としてその才能を評価されていたように思う。
2015年にリリースした『AT.LONG.LAST.A$AP』も同様で、商業的/批評的な成功を獲得した一方で、当時のシーンを決定づける一枚として語られることは少なかった。実験性やアート性は支持されたにもかかわらず、語り継がれ方が弱く感じられるのは、同時代にケンドリック・ラマー『To Pimp a Butterfly』が発表され、ドレイクがシーンを支配し、トラップの主流化が進行していたからだろう。ヒップホップ業界全体が黒人音楽史や政治性、そしてジャンル転換に集中していた中で、当作はその狭間にあったアルバムだった。ただ、やけに内省的で重いトーンには、エモラップの先駆とも言えるような要素も感じられる。
さらに、2018年の『Testing』になると、ますます価値判断は揺れていく。スケプタの参加やUKグライム的アティチュード、ミニマル/インダストリアル寄りのトラックといった実験性は、散漫で断片的で、賛否を呼んだ。しかし、声の置き方や鳴らし方、余白の使い方といったムード重視の作風は、むしろ2026年の現在の方が違和感なく聴けるように思う。
総じて、エイサップ・ロッキーとは、評価不能な存在だったのだ。2010年代においてあれだけカリスマ的に人気を誇りながらも、いまいち何が凄いのか説明が難しく、一方で存在感はどんどん熱を帯びていくという状況。つまり、彼の美点とは、時代の感覚が出来上がる前にエディトリアルしていくスピード感と、言葉に回収することのできないオリジナリティにあるのだ。それは完成度ではなく、感触として残る。ゆえに作品も、圧倒的なクオリティを誇るというよりは、歪で粗削りだがどこか刺さった骨が抜けずに気になって仕方ない──そういった性質を持っている。ある意味、アーティスト固有の美学に基づきテクスチャーやムードを追求していくような、現在増えている作り手に近い感覚をずっと持ち続けた人だ。その点で、いま時代はようやく彼に追いついたとも言えよう。8年ぶりのアルバム『Don't Be Dumb』は、まず以上のような前提をもって体験すべき作品なのである。
『Don't Be Dumb』──ルックとムードを操るラッパーの現在地
さて、そのような流れの上で今作を聴いてみると、実にエイサップ・ロッキーらしい一枚というのが分かるだろう。特に『Testing』以降、彼はもはや完成度一点主義の評価軸からは離脱している。レイジ的なテンションとロック的な誇張、突然のクラシックなラップ感──といった形で、さすがにもう少し整えて統一感を持たせることもできるだろうにと感じる瞬間はあるものの、一方でこの歪さがないと嘘になってしまうのではとも思う。平然と「きれいにまとまらないこと」を引き受けた作品であり、素材が多すぎる今の時代において、あえてその全部を鳴らしてしまう編集をしているとも言える。
そう、『Don't Be Dumb』は、とにかくアイデアの密度が凄い。元々彼の強みは、その審美眼で素材を集め、固有の味付けで料理し編集し、なぜかそれをポップに聴かせてしまうという点にあった。そういった意味で今作は、『LONG.LIVE.A$AP』のバロックな過剰性も、『AT.LONG.LAST.A$AP』のダークネスも、『Testing』の異物感や実験性も、過去の全てを2026年のテンポ感/ビートの圧で束ね直したような印象だ。キャリアの各モードを同時に鳴らしてしまうことで生まれた、わくわくする面白さと散漫さが同居した、エイサップ・ロッキーらしい進化の仕方をしている。
デビュー作から、ヒット・ボーイのクールなトラックと、スクリレックスによるダブステップを涼しげな顔で並列に置いていた彼のことだ──本作においても、まず参加アーティストの幅がとんでもないことになっている。ダニー・エルフマンがプロデュースに参加し、エイサップ・ロッキーがドレイクに対して〈お前は俺のフローを盗んだ、だから俺はお前の女を奪った〉と歌う「STOLE YA FLOW」からガツンとくるだろう。それでも、これまで共演のあったブレント・ファイヤーズが参加する「STAY HERE 4 LIFE」あたりまではまだ想像が追いつくものの、アルバム中盤以降の弾けっぷりはもはや異次元。トラップメタル人脈のスレイ・スクワッドと共演する「STFU」あたりを起点に、威勢よくブンブン言わせているウェストサイド・ガンとゴリラズの奇怪コラボ「WHISKEY(RELEASE ME)」、Loukemanらがプロデュースしジャズの名曲「キャラバン」のサンプリングに乗って俳優のような名演技を見せるドーチーとの「ROBBERY」等は、先の展開が全く予想できない楽しさ。
アートワークを手がけたティム・バートンのタッチも含め、ひとつのポップ・イベントとしての体験を生み出している本作。『Don't Be Dumb』を聴いていると、メインストリームがここまで幅広い異種参照を扱う際に、必ずしも硬派で必然的なテーマ性や巨大コンセプトを要しないことを示しているように思う。あるのは、エイサップ・ロッキーという人物固有の審美眼と編集力のみだ。彼は初期から一貫して、これはこういう音楽だということを語らず、ただ「こういう世界にいま俺は立っている」という視覚的・身体的なプレゼンテーションを先行させてきた。NYラッパーなのに南部的な酩酊感がある、ストリートなのにハイファッションに傾倒している、不良なのにどこか耽美、リリックのストーリーよりも先に感触を提示する──それらを説明せずに同時に成立させた姿そのものが、彼特有のメッセージだったのだ。つまり彼は、主張や説明ではなく、ルック(=見え方)とムード(=空気)を操るラッパーであり、そのアイデンティティが、これまで以上に発散的に、かつ自由に表現されたのがこのアルバムなのだろう。
多くのアーティストはキャリア中盤で整理や洗練といった方向へ向かうが、エイサップ・ロッキーの拡散性と過剰性、判断の揺れは、彼が自身の美学を重視し、引き受け参照するカルチャーの幅が広く雑然としすぎているという状況そのものの反映である。テンションのムラも、雑味たっぷりのサウンドも、このラッパーがもはやラップゲームを内側から相対化できる場所に到達していることを示している。勝ち負けや競争といったリングを超え、一段上の階層に立ったようにも見える『Don't Be Dumb』を聴いていると、本作をヒップホップ史のどこに位置づけようかとか、いかに評価しようかといった行為自体が馬鹿馬鹿しくも思えてくる。ドーチーとドラマティックに共演する「ROBBERY」も、最後にタイラー・ザ・クリエイターとムードだけ振りまいて消えていく「FISH IN STEAK(WHAT IT IS)」も、訳が分からないがひたすらにカッコいい。エイサップ・ロッキーは、野暮な説明を後景に退け、ルックとムードを差し出す。
エイサップ・ロッキー
『Dont Be Dumb | ドント・ビー・ダム』
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