「UKジャズのキング」とも称されたシャバカ・ハッチングスは、もともとパワフルに吹きまくるサックス奏者で、サンズ・オブ・ケメット、シャバカ・アンド・ジ・アンセスターズ、コメット・イズ・カミングといったプロジェクトを通じて世界的に知られるようになった。そこから突如、サックス奏者としての活動を休止すると発表。
尺八をはじめとしたフルート型の管楽器へと切り替え、それまでとは異なる瞑想的な音楽を奏でるように。日々の演奏をInstagramにアップし続け、その成果を2024年に『Perceive Its Beauty, Acknowledge Its Grace』として発表している。

そんなシャバカ(Shabaka)が今年、〈Shabaka Records〉という自身のレーベルを立ち上げ、そこから新アルバム『Of The Earth』を発表した。彼はフルート類の演奏だけでなく、Instagramにアップされた動画でも度々使っていたサンプラーのSP-404などの様々な機材でトラックを作り、2曲では自身でラップをし、それをみずから編集し、さらにミックスまで行なった。つまり、ほぼすべてを自分だけで作ったアルバムということになる。

その制作にあたって、シャバカはどんなことを考えていたのか。なぜ、自身ですべてを手掛けることになったのか。本人に尋ねた。

真の「創造性」とは何か?

―このアルバムのきっかけとして、新しい機材を購入し、それを使ったことが大きかったそうですね。どんな機材を導入したんですか?

シャバカ:例えばTeenage Engineering社のOP-1や、Roland社のSP-404だよ。SP-404はビート制作だけではなく、サウンドの処理のためにも使用した。制作した楽曲素材をSP-404を通して仕上げていったんだ。
他にはRoland社の比較的最近発売された小型ポータブル機器、AIRAシリーズのコードシーケンサーも多用した。あの小さなボックスを持って歩き回りながらコード進行を作り、そのボックスに作った案をたくさん詰め込んだ。とにかくボックスを可能な限りクリエイティブに活用したよ。ビートを作る小型ボックスのRoland-06もかなり使った。それから、RolandのHandSonicでドラム・ビートをたくさん作ったりもしたね。

―そういう機材をいつ買ったんですか?

シャバカ:2年半か3年くらい前だね。電子機材の旅路はコロナ禍中に始まったから、それ以前はほとんど何も持ってなくて、いろいろ調べながら1台ずつ新しい機材を徐々に増やしていった。その時の自分の技術力に応じて必要なものを購入するという、非常に意図的なプロセスだった。特定の機材に慣れていくにつれ、オンライン・フォーラムやYouTubeにある解説映像を見ながら、新たに必要な機材をチェックして購入したり、一歩ずつ進んでいく感じだったね。

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―自分で楽器や機材を触っていくことと、Instagramにアップするために動画を撮ること、そういった行為を曲にしてアルバムにすることの間には距離がありますよね。どのようにしてアルバムにまとめることを考えるようになったのでしょうか?

シャバカ:僕にとって、Instagramとは日々の音楽制作の中で実験し、クールだと思うものを記録したり、単に音楽体験を記録していく場所。アルバム制作とは別物だね。
初めて聴く時のワクワク感を大事にしたいから、自分のアルバム収録曲はオンライン上に投稿したくはないんだ。でも、山ほど楽曲制作しているし、自分の制作過程を公開することは好きだね。今まさに制作中の素晴らしい楽曲があるけど、それは自分が聴いて楽しむために作っているだけ。アルバムには収録するつもりもないし、発表することはないだろうね。そんなふうに、短いループやちょっとした断片的な音楽を作って、皿洗いをしている時や散歩中に聴くんだ(笑)。

―いいですね(笑)。

シャバカ:一方で、アルバムを制作するときは、まず最初にクリエイティブに大量の音楽を制作する。その後、アルバム発売日が決まったあたりで、Abletonのファイルを開き、自分が制作した素材の断片を整理して曲順を決めていく。そうすることで全体像を把握し、曲の流れや響きを確認できる。だから、曲順は非常に重要。アルバムは単なる楽曲の集合体ではなく、一編のストーリーのようなもので、オープニングから徐々に花開き、終盤へ向けて収束していく。その要素は必ずしも対称的(シンメトリー)だったり直線的である必要はなく、アルバム楽曲のテンポもスロウな曲から速いものへと移行する必要もない。
重要なのは、それぞれのアルバムが持つ独自のストーリーを見極め、それが自分の気分や雰囲気に合うかを考えることだ。なぜなら、曲順を決めたあとは、実際にアルバムと向き合うことになるから。

作品の曲順を決めたら、自分の日常生活の中で聴き、どんな感じかをチェックする。例えば、散歩中に聴いたり、家で流したり……様々な環境で聴き、自分が実際に楽しめるかをチェックするんだ。自分が楽しめたら、それは成功を意味する。退屈したり、どうもしっくり来ない場合は一からやり直し。アルバム制作中にツアーに出るメリットの一つは、進行中の作品を全く異なる環境で聴けること。空港ロビーで素材を編集したり、機内で聴き、到着先の大陸でもまた聴いてみるんだ。場所が変わると新たな視点がもたらされるからね。

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―不慣れなことも含めて、「すべて自分でやる」ことでアルバムを完成させたわけですよね。そうしたのはどんな理由があったんですか?

シャバカ:当初、一昨年までは2人のハープ奏者、グランドピアノ、シンセサイザー、そして僕がフルートという編成で演奏したけど、その編成で録音するかどうかが問題だった。スタジオ・セッション用に音楽家をブッキングする前に「自分が実際に取り組んでいる音楽は一体何か?」と考え直した際に、「自分のクリエイティビティ」であることに気づいた。
それは、電子音楽的な実験であり、音とグルーヴの追求だった。他のミュージシャンに自作曲を解釈して、演奏してもらうことも可能だったけど、ある時点で「ひとりでできるかも?」と考え直したんだよね。というのも、どんな音を求め、フレージングをどのように構成したいかは自分が一番よく解っているから。一方で、ミュージシャンに自分が望む演奏を再現してもらうためには多大な労力がかかる。演奏やアンサンブルは常に妥協の産物だよね。作曲家の意図と、演奏する他のミュージシャンの解釈の間には、常に議論と交渉が伴うから。

他のミュージシャンを使うかどうか迷っていた時点で、妥協するつもりは全くなかった。自分が望む形で音楽を作りたかったし、実際にひとりでレコーディングできるとわかっていた。 様々な楽器、特に異なるフルートを多数所有している利点は、異なる響きや音楽的質感が必要になった時、それを実現できるという確かな自信を与えてくれること。自分でできることをわざわざシンセサイザー奏者に頼む必要はないよね。そして、サンプリングの素晴らしさは、手元にない音があればサンプリングできる点で、「自分にこの挑戦を課したらどうなるのか?」という考えに至った。

それは、僕にとって「創造性とは何か?」という自分への問いかけになった。
創造性とは、自分が受けてきた訓練や、幼い頃から続けてきた得意なことを披露することなのか? そうじゃないよね。創造性とは自分が持つ能力を、創造的な方法で、型破りで新鮮かつ刺激的な手法で活用すること。僕の考えとしては、特定の楽器や機材の専門家である必要はない。重要なのは、目の前の課題に対して音楽的にアプローチを構想できるか。そして出来上がったものを聴いた時に、自分が「いい」と思えるかどうか。

そして、残念ながら……結果的にはいい出来に仕上がった(笑)。でも、僕はミキシング・エンジニアじゃないから、ミックスは特に難しかったね。学んだことも、経験を積んだこともなかったけど、これまで同席したミキシング・エンジニアの仕事ぶりを観察してきた体験を通してわかったのは、彼らの多くが「直感」に頼っているということ。彼らの仕事の多くは、音楽を深く聴き込み、調整に必要な特定のEQ設定やデバイスを把握することにある。もし完璧でプロフェッショナルなサウンドを聴かせたいなら、ジャズ・レコードでも参考にすればいい。でも、プロフェッショナルなサウンドのジャズ・レコードってどれも似たような音だし、個人的には退屈に聞こえる。ある程度の予算があれば一流スタジオに入り、完璧なサウンドのアルバムが作れるから。
でも、僕の場合は、DIYでレフトフィールドなヒップホップの教本からヒントを得た。グランジ的だったり、パンクっぽいサウンドもアリだと思うようになったから。

―なるほど、DIYで粗削りなパンクのアティテュード。

シャバカ:例えば、ピンク・シーフやビリー・ウッズのアルバムには生々しいサウンドがある。そういったサウンドはプロフェッショナルな人材からではなく、「生々しさ」から生まれる表現力に由来するものだと思う。実際のところ、音楽においてプロフェッショナリズムなんて何の意味も持たない。音楽とはあくまで「表現」するもので、オーディエンスに何を伝えるかが重要だから。だから、とにかく自分の耳を頼りにして音楽と向き合い、EQの観点で必要なレベルを深く聴き取った。EQのダイヤルを上下させ、自分がいいと思うサウンドに仕上がるまで調整して、自分が「これだ!」と思うサウンドに仕上がれば、それで良しとしたんだ。これこそが自分にとって最も重要なことだった。

「子供の瞳」を取り戻すために

― 『Off The Earth』というタイトルが付けられていますが、アルバムにすると決めてから、どんな作品にしようと構想したのでしょうか?

シャバカ:音楽的には、フライング・ロータスの作品のようなものをイメージしていた。様々な音楽の断片やコラージュが自由気ままに織りなす旅路のような。誰かの心に耳を傾けるような、遠くまで届くものにしたかった。リスナーが一曲聴いたあと、その次の曲がまったく違う曲調であることに驚き、脳にいい反応が生まれるような内容にしたかったんだ。まるで優れたDJの選曲みたいに(笑)。

―このアルバムでは「自分が何をしているのか分からなくても、それを受け入れること」「自分を卑下してしまう衝動に負けず、遊び心を持って実験を続けること」をテーマにしたそうですね。ただ、あなたのように熟練したミュージシャンがそれを実践しようとすると、どうしてもこれまでの経験や知識が邪魔をしてしまうこともあるのではないでしょうか。ざっくり言い換えれば「プロが子供みたいに音楽を作る」みたいな話ですよね?

シャバカ:そうだね。「子供」という言葉を使うと、まるで子供から大人へと成長していく過程のように語られることがあるけど、実際はそうではないよね。子供の前に楽器を置くと、彼らは思いっきり楽しみながら演奏する。プロとして音楽を作る上で、僕にとって重要なのはまさにそこにある。つまり、自分の中に湧き上がる喜びと熱意をオーディエンスに伝えたいという気持ち。それ以外のことは、長い期間、誰も退屈することなく持続的にそれを可能にするための単なる細部だ。

僕が取り組んでいるのは、音楽を作る喜びともいうべき、この基本的な熱意を掴み、それを自分の演奏に注ぎ込むこと。もし子供たちがそういった能力を備えているとしたら、僕らが目指すべきは子供のような存在になること。世の中を知ったような冷笑的な大人のようになったら、いかにも予算をかけたサウンドのアルバムと優秀なマネージャーがいるだけの、退屈なミュージシャンになってしまうから。

大人なのに「子供のように」演奏するのは一番難しい。音楽を「9時~5時までの仕事」のように扱うほうがずっと簡単だ。そんなの誰でもできるよ。でも、音楽を作るとき、誰もが目に輝きを宿し、感情の高まりが押し寄せるわけではない。でも僕にとっては、それこそがタイムレスな音楽を生み出すための源なんだ。巨匠と呼ばれる音楽家たちは、音楽と特別な関係にある。彼らは情熱に満ちていて、音楽づくりに完全に没頭することができる。もし子供たちが音楽制作を心から楽しんでいたら、その作業に夢中になっているはずだからね。

シャバカが語る音楽づくりの美学──退屈なプロフェッショナリズムを爆破し「子供の瞳」を取り戻すために

Photo by Joseph Ouechen

―今回、「Go Astray」「Eyes Lowered」であなたはリリックを書き、ラップもしている。これはInstagramでもやっていないことです。何かきっかけはありましたか?

シャバカ:実をいうと、スタジオで自分がラップしてる動画をインスタに1本投稿したんだけど、見過ごされそうな内容だったかもね。

―あ、すいません。見落としてました。

シャバカ:今こうして振り返ると笑っちゃうけど、かなり大胆だよね。僕はラッパーじゃないし、ラップ歴もないんだから。でも「自分でラップしてみよう」って思ったんだ。親友のコンフューシャスMCに「実はラップしてみたんだ」って話したら、「うん、絶対ラップしたほうがいい。君がステージで話してるのを聞いたとき、ラップしてるように聞こえたから」って言ってくれた。ビリー・ウッズも「やってみたいなら、とにかくやった方がいい」と応援してくれた。

そこで僕は、ラップは自分の音楽を構成する一要素に過ぎないと考えるようになった。言葉を使い、語彙を増やし、特定のリズムや抑揚を身につけ、練習を重ねる。自分の声の響きや求める音色を理解し、個人的なレベルで実現したい共鳴を把握し、ひたすら練習した。

―楽器と同じように考えると。

シャバカ:そう。最初に始めたのは、散歩中でも何をしている時でも、とにかく一日中頭の中でビートを奏でることだった。その次は、言葉ではなく、リズムを携帯電話のボイスメモに口ずさむこと。まだ歌詞はなかったけど、ラップしたいリズムや文構造はなんとなく分かっていたからね。

最近、シカゴ出身のラッパー、ヴィック・メンサとセッションしたんだ。彼が僕のためにいくつか曲を作ってくれて、僕は彼の近々リリースされる作品に参加した。ヴィック・メンサは僕が作ったビートを聴くと、携帯電話を取り出して、ただボソボソと呟き始めた。ビート全体を通してそれを繰り返した後、「OK! 残りは自宅で仕上げてくる」と言ったんだ。自宅では、頭に浮かんだ直感的なリズムを再確認し、その隙間を言葉で埋めるか、少なくとも歌詞の出発点として使うんだろうね。僕はその手法を基本的な枠組みとして応用した。口ずさみながらノートを持ち歩き、頭に浮かんだことを何でも書き留めた。ラップで語る内容は非常に本質的なことだから。自分と関連づけて、一体どんな内容がよさそうか考えた。

でも、深く考えすぎると、自分の思考が完全に停止してしまう。自分がラップしているリリックに込められた意味は何か? 表現方法は適切か? 言いたいことを十分に伝えられているか?──そんなことを考え始めてしまう。だから、そんな知的評価のプロセスは一切要らない。ただ頭に浮かんだことを紙に書き留め、あとでそのアイディアを上手く繋げればいいと考えることにした。目の前の光景、ニュースで流れていた内容、時事問題に対する自分の想い、人生全般など、歩き回りながら頭に浮かんだことを書き綴った。その後、編集過程でリズムを整え、文同士の繋がりを緻密にし、それをラップしたんだ。

―まるでトラックを作るような発想ですね。面白い。

シャバカ:あとラップに関しては、自分がラップしたいトーンを見つけるのが難しかった。ラップする際のトーンは、僕が会話するときの声より低い。というのも、普段と同じ声域でラップすると、声がすぐに疲れてしまうから。そのことに気づくまでに時間がかかったね。その後はまるで楽器を練習するように、ひたすら練習を重ねた。といっても、時間をかけて練習する余裕はなかったから、スタジオに入ってひたすら同じパートを何百テイクも録った。声を限界まで疲労させ、実際に声を枯らすようにしてみて、喉を傷めないように疲労を感じたら止めるようにしていた。筋肉持久力を養える限界まで自分を追い込み、リリックを完全に暗記し、無意識に発せるところまで持っていったんだ。ひたすら繰り返しラップしていくことで、 目を閉じてもライムが自然に口から流れるようになった。

―今作の先行シングルには、あなたが描いたアートワークがジャケットに使われています。この感じの絵が最初に現れたのは2022年で、もともとスケッチブックに描かれていました。そこからあなたは継続的に描き続け、2024年には二つのシングルのジャケットに採用されています。そして、今作でも再び採用されました。この印象的な絵のスタイルは、どんなアイディアから生まれたものなのか覚えていますか?

シャバカ:アート作品の制作は以前から続けていて、各アルバムの楽曲に関連した作品を制作してきた。事前にイメージを頭に描くことも、枠組みから始めることも全くない。普段は音楽を聴きながら、その音楽に合わせて自由に鉛筆やペンを動かしていくだけ。自由に任せて描き始めると、絵が自然と現れてくる。だから、まるで音楽制作のように取り組んでいる。つまり、何か基本的な形が確立されたら、その絵を構成する各部分で何が必要かを考えるんだ。ここにはもう一本線が必要、ここには別の線が必要、ここには陰影が必要……といった具合に。そして一つの絵に深く入り込むほど、より多くの形が自然と見えてくるんだ。

これは、ある意味、ダイヤモンドの採掘みたいなものだね。僕にとってのクリエイティブ・プロセスは、鉱山にダイナマイトを仕掛けるようなもの。鉱山を自分の潜在意識だとすると、クリエイティブな地帯に入って自分の「創造の鉱山」をダイナマイトで爆破させるんだ。そこで得られるのは、アイディアという名の原材料。その中に美しいものが存在するかもしれないけど、まだかなり荒削りな状態だろう。アマチュア・ミュージシャンなら、創造的な過程から生まれた原石の価値を見出せず、「これはひどい。自分は下手だし、もう諦めよう」と言うだろう。一方、プロのミュージシャンたちは、その原石の奥深くに潜む美しさを見抜き、コツコツと削り続ける作業を続けていくうちに、美しい小さなダイヤモンドを生み出していくんだ。僕がこのクリエイティブ・プロセスを「爆破」に例えるのは、アルバムを制作する過程で大量の音楽が生まれるから。大量の音源があるのに、アルバムとして最終的に使用するのはたったの45分程度。長い実験の過程を凝縮したものに過ぎない。

プロデューサーのアルケミストは、あるインタビューで「自分が作るビートの90%はゴミで、いわゆるアルケミスト・ビートと呼ばれるものは残りの10%だけ」と話していた。今まで聞いた中で、最も真実を突いた言葉だったね。創造性の山を爆発させてラフ案を得ても、その多くは使えないし価値もない。でも、それをひたすら削り続け、細部まで掘り下げていくうちに、ある時点で小さなダイヤモンドのように輝くアイディアが見えてくるんだ。

例えば、ドラムのビートを作るとき、僕はドラマーじゃないからそう簡単に素晴らしいビートを思いつくわけじゃない。だから、何度も演奏して、録音したものを全て聴き直す。その中から良い部分を抜き出してループさせ、素晴らしいドラムビートを作るんだ。たった1、2小節のループを手にするために、実際は20分もドラムを叩き続けている。そんなの誰もわからないだろうけどね。

「Dance In Praise」でもシャバカのイラストを採用

―あなたは様々な作品において、共通する印象的なフレーズを奏でることがありますよね。今作でもそうした場面がありますが、特定のフレーズを繰り返すことを自分に許している、あるいは意図的に奏でている部分もあるのかなと。その姿勢は「自分の耳やセンスを信じる」ということに加え、先ほどの話にもあったように、「どこか遠い源泉から流れてくる言葉をそのまま表現として出力する」ような感覚とも近いのでしょうか?

シャバカ:うん。そうだね。意識的に何かを作ろうとするのではなく、音楽や言葉が自分を通して流れだすままに任せることを目指している。でも、これは簡単じゃないよね。身を解放することは思った以上に難しい。基盤のない状態で手放すと、すぐに自分自身を疑い始めたり、何かを掴もうとしたりする。そして、実際に何かを掴もうとしても、上手くはいかないんだ。

―自然に出てくる状態というか、自然に手が動くみたいな感覚ですかね。

シャバカ:そうそう、いい例がある。 マルティニーク島やグアドループ島には、ベレ(bélé)という音楽と民族舞踊がある。この舞踊は、通常2人のダンサーがペアを組んで踊り、片方のダンサーは、ダンス中にまるで地面に倒れ込むかの如く、自分の身体を解放しなければならない。身体を宙に委ねたあと、地面に落ちる寸前に、自分の体幹と全身の筋肉を駆使して上手く立ち上がるんだ。

つまり、自分の身体を特定の方向に持ち上げる筋肉が備わっていないと、地面に激突してしまう。日々練習を重ね、足元を固め、筋肉のあらゆる部位を理解し、身体のあらゆる側面を把握し、フィジカルの可動域や均衡を保つための接触点を把握していれば、身を委ねる自信が生まれ、必要な瞬間に自分の身体を持ち上げる技術と筋力が備わる。一方、もし技術的に未熟な場合は、身を宙に委ねた瞬間から顔面着地するまでの間のみ、楽しい時間を過ごす結果になるんだ(笑)。

―その行為を自然に行うためには、必要な技術や体力みたいなものがあると。

シャバカ:僕にとって音楽とはそういうもの。ひたすら訓練、練習や研究を重ねる。そうしてある地点に到達すると、ただ身を任せ、瞳を閉じ、最高の着想を得ることになる。それを書き留めると、次に「ここには何を入れるべきか?」と考える。すると、いい案が浮かび、それを書き記す。その訓練は必ずしも教育機関のシステムにおけるトレーニングみたいなものである必要はなく、音楽を理解するための自己鍛錬でなければならない。日々深く聴くことでもいいし、教育機関での学びでもいいし、何でもいいけど、音楽への深い理解なしに、身を任せることはできない。中には制度的な学習や独断的な音楽学習法こそが唯一の学び方だと誤解している人がいるけど、僕にとって音楽の学びには多様な形があり、それはパーソナルなものなんだ。

シャバカが語る音楽づくりの美学──退屈なプロフェッショナリズムを爆破し「子供の瞳」を取り戻すために

シャバカ
『Of The Earth』
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