1981年に向けて、日本のゲームデザイナー、宮本茂はある問題に直面していた。自身にとって最初期となる作品を手がけるにあたり、彼は1930年代のアニメで有名な水兵「ポパイ」をヒーローに据えたいと考えていたのだ。当時、任天堂はポパイを題材にしたトランプや携帯型ゲームを作る権利は持っていたものの、理由は不明ながら本格的なゲームタイトルの承認は下りなかった。解決策はオリジナルのキャラクターを生み出すことだった。ポパイは単に「ジャンプマン」と呼ばれる配管工になり、粗暴な敵役のブルートは、作品名にもなった猿の「ドンキーコング」(彼自身もまた伝説的な存在だ)へと姿を変えた。
この即興的な誕生を経て、マリオは急速に進化を遂げた。1982年までには本名が与えられ、核となる要素も定まった。宮本には彼に関する細かい設定がたくさんあったわけではないが、基本となる部分は理解していた。「マリオは26歳前後で、口髭があります。それほど賢くないかもしれませんが、根性はあります。感情豊かで、心優しい男なんです」と、宮本はRolling Stone誌に語っている。
それ以来、このキャラクターの個性は、200以上のビデオゲーム、マンガやコミック、テレビ番組、そして複数回の映画化(直近では今年の『ザ・スーパーマリオ ギャラクシー・ムービー』)を通じて、確立されると同時に再発明も繰り返されてきた。
そして、誰もがマリオのことを知っている一方で、詳しく見ていくと、ゲーム界最大のアイコンには宮本が最初に掲げた信条以上のものがあることがわかる。マリオという概念そのものが一つのパラドックスなのだ。彼は常に不変でありながら、同時に何にでもなれる。そして、長年にわたって何度も変化してきた。書籍『The Unofficial History of Mario Games』の著者、ライアン・ジェーンズは言う。「彼はどんなシナリオに放り込んでも、ただそれだけで成立してしまう、そんなキャラクターのように思えます」
ゲームデザイナーの宮本茂がマリオと共にポーズをとる(Photo by Ralf-Finn Hestoft/CORBIS/CorbisGetty Images)
黄金時代の幕開け
初期の頃、マリオの境遇は厳しいものだった。8ビット時代の産物であった彼には、キャラクターとしての深みはほとんどなかった。特徴的な口髭とオーバーオールは、限られたピクセルの中で顔立ちを際立たせるのに一役買ったが、配色はその時々のゲームや販促用アートによって異なっていた。『ドンキーコング』の開発中には固有の名前すらなく、候補には「おっさん(Ossan)」や「ミスター・ビデオ」が挙がっていたが、最終的には「ジャンプマン」という極めて文字通りの呼び名に落ち着いた。
このキャラクターに本当の名前がついたのは1982年の『ドンキーコングJR.』でのことだ。
マリオはやがて任天堂の代役的な存在となり、ゲームプレイの必要に応じて投入できる、認識しやすいイメージとして重宝されるようになった。1983年の『マリオブラザーズ』では、緑色の弟ルイージが登場した。マリオの時と同様、ルイージの誕生もまた必要に迫られてのことだった。2人プレイのアーケードゲームには2人のヒーローが必要であり、単なるパレットスワップ(色替え)によって、開発者はシステムメモリを節約することができたのだ。
それでもなお、マリオの登場の多くは、ファミコン(日本のNESに相当)の『テニス』(1984年)や『ゴルフ』(1985年)、あるいは単独で発売されたゲーム&ウオッチのタイトルである『マリオズセメントファクトリー』や『マリオズボンアウェイ』(ともに1983年)といった、シンプルなスポーツゲームでの何気ないカメオ出演だった。職業もしばしば変えており、1985年の『レッキングクルー』では建設作業員、1987年の『パンチアウト!!』ではボクシングの審判を務めるなど、配管工の仕事は脇に置いて別の稼業に精を出していた。これらの初期タイトルによって、マリオの柔軟性という基準が確立された。彼は基本的に「空白のキャンバス」だったのである。
「どこへ行くにもスーツを着ているわけではありませんが、彼はあらゆる種類の職業に挑戦しようとする心を持っています。例えば『ドクターマリオ』のようなものを見るとき、私はいつも自分にこう言い聞かせているんです。
大きな転換期は、1985年のNES(ファミコン)用ソフト『スーパーマリオブラザーズ』によって訪れた。この作品は、ゲーム業界に地殻変動を起こすほどの爆発的なヒットを記録した。宮本の手によってデザインされた本作により、マリオの永続的な特性と能力が確立された。以前よりも俊敏で身軽になり、より遠く、高く跳べるようになったほか、ファイアフラワーや、自身のサイズを大きくするキノコといったパワーアップアイテムを獲得できるようになった。このゲームでマリオは、宿敵クッパ(当時はキングクッパ)から再び女性(ピーチ姫、当時の英語名はトードストール)を救い出すことになるが、これがその後数十年にわたる数え切れないほどの続編における、彼の普遍的な動機となった。
現代のゲーム業界に地殻変動を起こした『スーパーマリオブラザーズ3』におけるマリオ(GamesDB)
『スーパーマリオブラザーズ』の影響力は絶大だった。Atari 2600以降、低品質なソフトの乱造が原因で起きた業界の崩壊を経て、趣味としてのビデオゲームはもう終わりを迎えたと信じるに足る状況があった。任天堂、そしてマリオ自身は、この媒体の文化的再生に多大なる貢献を果たしたのである。「彼はゲーム業界の救世主と見なすこともできるでしょう。彼の作品は、設計と創造性におけるマスタークラス(最高傑作)です。
これに機を逃さず、任天堂はマリオビジネスへと本格的に舵を切り、(最近まで)日本限定だった続編『スーパーマリオブラザーズ2』(1986年)、欧米向けの『スーパーマリオブラザーズ2』(1988年、日本では『スーパーマリオUSA』)、そして歴史的名作『スーパーマリオブラザーズ3』(1988年)を次々と世に送り出した。これらに加え、パズルゲームの『ドクターマリオ』(1990年)のようなスピンオフも登場した。
しかしながら、当時の技術的な制約もあり、この時期のマリオは依然として平面的な存在に留まっていた。ゲーム内で彼を描写する余裕がなかったため、一人の完全なキャラクターとして肉付けされるには、外部からの力が介入するのを待つ必要があった。
メディアを越えた進化
80年代の終わりまでに、マリオの人気はプレイヤーの間で最高潮に達し、1989年にはシンジケート方式のテレビシリーズ『The Super Mario Bros. Super Show!』の制作へと繋がった。この番組は実写とアニメのハイブリッド構成で、プロレスラーのルー・アルバーノと俳優のダニー・ウェルズが、それぞれマリオとルイージを演じた。実写パートは配管業に苦心する兄弟を描いたベタなシチュエーション・コメディのパロディとして展開されたが、アニメパートはキノコ王国でのドタバタな冒険を描く、土曜朝のアニメらしい雰囲気を守っていた。
この『Super Show!』は、北米の観客がその後長年にわたって親しむことになる多くの癖や設定を確立したが、それらは当時のゲーム機側の乏しい公式設定とは矛盾するものだった。作中での兄弟は、大げさなイタリア訛りで話すブルックリン出身の若者として描かれた。こうした細かな設定は他の派生作品にも引き継がれ、その特徴的な声の演技はやがてゲーム本編にも逆輸入されることになる。パイロット版の早い段階で、後にマリオの決め台詞となる「マンマ・ミーア!」までもが定着していた。
全65話が放送された『Super Show!』の後には、アニメのみのシリーズとして1990年の『The Adventures of Super Mario Bros. 3』と、1991年の『スーパーマリオワールド』の2作が続いた。これら後続のシリーズはゲームの世界観により忠実なものとなり、キャストも一新されていた。
ところが1993年、実写映画版『スーパーマリオ 魔界帝国の女神』において、ちょっとした挫折を味わうことになる。ボブ・ホスキンスがマリオを、ジョン・レグイザモがルイージを演じ、デニス・ホッパーがキザなクッパ大統領を演じた作品だ。ホスキンスが演じたマリオは、有能だが少し抜けたところのあるヒーローという宮本の初期の構想によく合致しており、レグイザモはルイージを、それまで(そしてそれ以降も)見られなかったような大胆な性格の持ち主に仕立て上げた。『Super Show!』と同様、1993年の映画も任天堂の監修を受けずに制作されたため、ゲームには登場しないブルックリン出身という設定に固執していた。しかし、それを差し引いても、この映画は救いようのない大失敗作だった。
1993年公開の映画『スーパーマリオ 魔界帝国の女神』に出演したボブ・ホスキンス(©Buena Vista Pictures/Everett Collection)
混乱を極めた制作現場からは、多くのファンが抱くマリオ像とはかけ離れた、奇妙なサイバーパンクの安っぽい映画が産み落とされた。当時夫婦だったロッキー・モートンとアナベル・ヤンケル(架空の企業風刺キャラクター「マックス・ヘッドルーム」の生みの親)の両監督は、任天堂の著作物に対してほとんど敬意を払わず、スタジオの幹部や映画のキャスト、スタッフらと衝突を繰り返した。レグイザモ自身、現場の惨状に対処するためにセットで酒を飲んでいたことを認めている。公開されるやいなや、映画の興行収入は散々な結果に終わった。批評家からも、任天堂からも忌み嫌われたこの作品は、その後30年近くにわたり、同社が大規模な映像化に踏み出すのを躊躇させるほどのトラウマを植え付けたのである。
マリオのモダンな再定義
1993年の映画の失敗を受けて、任天堂はマリオの個性を確立していく手段を、関連メディアから再びゲームへと軸足を戻した。代わりに、ゲーム内容を多様化させることで、キャラクターに新たな層(レイヤー)を与えていく手法を採ったのである。
1991年、チャールズ・マーティネーという名のアメリカ人俳優がマリオ役に抜擢された(彼は後にルイージ、ワリオ、ワルイージなどの声も担当することになる)。マーティネーは、以前よりもさらに誇張されたイタリア人風の抑揚とともに、あの特徴的な高音をキャラクターに与えた。当時のビデオゲームでは音声の使用がまだ限られていたため、彼の主な役割は、展示会などでビジュアライザーやデジタルパペットの横でキャラクターを代表して喋ることだった。しかし、1996年の画期的な3Dアクション『スーパーマリオ64』において、プレイヤーはマーティネーによって命を吹き込まれた「本物のマリオ」と出会うことになる。
『64』において、任天堂は観客にマリオを再紹介したいと考えていた。ゲームを起動すると、プレイヤーは従来のタイトル画面とともに、初めて耳にする彼の声で「Its-a-me, Mario!(僕だよ、マリオだよ)」という宣言に迎えられる。すると場面は自動的に、艶やかな3Dで描かれたマリオの顔へと切り替わる。かつてのピクセル化されたヒーローとはかけ離れたこのマリオは、瞬きをし、呼吸をし、首をかしげ、まるで実在するように感じられた。それは革命的な出来事だった。
90年代半ばまで、ルールは単純だった。マリオはヒーローだが、意図的に非暴力を貫いていた。確かにクリボーの頭を踏みつけたり、宿敵クッパの尻尾を掴んで投げ飛ばしたりはしたが、本気でパンチを繰り出すことは滅多になかった。その常識を変えたのが、キャラクター初のRPGジャンルへの進出となった1996年の『スーパーマリオRPG』だ。『ファイナルファンタジー』シリーズを手がけるスクウェア(現スクウェア・エニックス)が開発したこの作品は、それまでの任天堂によるシリーズ展開とは一線を画しており、「マリオはどうあるべきか」という認識を塗り替えた。
ターン制RPGである本作において、最も顕著な違いは戦闘にある。マリオは依然としてジャンプをし、何気なくファイアボールを投げることもできるが、意図的に敵を「殴る」こともできるようになった。ビデオゲームのキャラクターとしては当たり前のことに聞こえるかもしれないが、これは当時としては特別な要素であり、同年の『スーパーマリオ64』や、1999年のクロスオーバー対戦アクション『ニンテンドウオールスター!大乱闘スマッシュブラザーズ』にも引き継がれていった。しかし、こうした稀な例外を除けば、マリオの拳闘術はすぐに影を潜め、ハンマーによる攻撃や子供向けの打撃へと取って代わられた。
だが『スーパーマリオRPG』でのRPGへの飛躍は、別の扉、特にマリオが他のキャストとどう関わるかという扉を開いた。本来、RPGは物語の語りに依存するため、当然マリオ自身も何らかの会話をする必要があるはずだ。しかし、任天堂らしく、20時間を超えるプレイ時間や台詞の多いシーンがあるにもかかわらず、ゲーム内でのマリオは無口なままである。だがそこには仕掛けがあり、それはマリオを「風刺の対象」にすることで、ヒーローの性格付けに新たな境地を開くものだった。
実のところ、『スーパーマリオRPG』のトーンは、キノコ王国のあらゆるものにコメディ的なひねりを加えている。カエルのようなマロや、さらにはクッパ自身といったお喋りなキャラクターたちは、多弁で皮肉屋であり、頷きや身振り手振りでしか意思疎通できないマリオのことを、執拗にからかい、馬鹿にする。
マリオ初のRPGで見られた不遜で自己言及的なライティングは、その後のシリーズの定番となっていった。RPG作品において、マリオとその仲間たちは、よりおどけたり愚かであったりすることを許されている。それは、本編のゲームには滅多に現れない、宮本が最初にほのめかした「コメディ的な抜けたところ」という側面に、より深く踏み込むものだった。しかし、これについても生みの親自身による説明がある。
2015年の『Game Informer』誌のインタビューで、宮本はマリオキャラクターたちのトーンの柔軟性についてこう語っている。「ポパイや昔のコミックのキャラクターに詳しければ、同じキャストが漫画やアニメの内容によって異なる役割を演じているのをよく目にするはずです。ある作品ではビジネスマンかもしれませんし、別の作品では海賊かもしれません。私は自分たちのキャラクターも同じように捉えていて、ゲームごとに異なる役割を演じることができると感じています。彼らは一つの大きな家族、あるいは一種の劇団のようなものなのです」
マリオの揺るぎないレガシー
2023年、最初の挑戦から30年の時を経て、任天堂とイルミネーション(『怪盗グルー』や『ミニオンズ』の制作スタジオ)は、映画『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』を公開した。これは、隠し要素や世界観の面でよりゲームに忠実に寄り添うことで、マリオの映画におけるイメージを回復させることを目的とした長編アニメーションだった。90年代以来初めて、マリオは完全な文章で話し、シンプルながらも映画にふさわしいストーリーを歩んだ。
クリス・プラットがマリオを、チャーリー・デイがルイージを、ジャック・ブラックがクッパを演じたこの新しい映画版は、より(意図的な)コメディ要素を強め、興行界においては子供たちを釘付けにする、いわば兵器級の破壊力を持った。あらゆる世代のマリオの歴史を融合させ、どの時代のファンのノスタルジーにも訴えかけるよう徹底的に計算された結果、批評家からの反応は芳しくなかったものの、10億ドルを超える興行収入を記録した。
クリス・プラットが主演を務めたアニメーション映画『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』は、かつての実写版とは比較にならないほど好意的に受け入れられた(©Universal/Everett Collection)
映画の脚本は、マリオの全歴史から引用された視覚的なリファレンスや音の演出、ロケーションが凝縮されており、ファンが求める要素を網羅している。さらに、兄弟のブルックリン出身という設定までもが復活した。マリオ自身はプラットによって概ね真面目なキャラクターとして演じられ、ゲームでの誇張されたイタリア訛りは抑えられたが、大きな使命を背負わされた「ブルーカラーの叩き上げ」という側面は維持された。
今年の続編『ザ・スーパーマリオ ギャラクシー・ムービー』も、すでに巨額の利益を上げている(日本版:4月24日全国ロードショー)。前作に比べてさらに倍以上のリファレンスが詰め込まれた『ギャラクシー』には、『マリオ2』の敵役から『スターフォックス』に至るまであらゆることが盛り込まれており、より大きな「任天堂シネマティック・ユニバース」の構築に向けた第一歩を刻んでいる。今の子供たちの多くにとって、これらの映画がマリオの記憶となるのだろうが、それはこのマスコットが持ち続けるイメージの、ほんの一部に過ぎない。
マリオのゲームが持つ魅力は明快だ。任天堂は仕組みと革新を優先しており、ゲームを覚えるのは簡単で、なおかつ飽きずに遊び続けられるように作っている。しかし、一人の文化的象徴として見たとき、その魅力は何なのだろうか。陽気な「空白のキャンバス」に等しい存在が、これほどまでの持続力を保ち続けているのはなぜか。その生みの親は、彼の「振る舞い」こそがその拠り所であると考えているようだ。
「マリオに関して言えるのは、彼は根本的にただ明るく、陽気だということです」と宮本は語る。「これは任天堂の全キャラクターに言えることかもしれませんが、特にマリオはその根本的な核を強く持っていると思います」
マリオの陽気さは、当たり前のこととして見過ごされがちだが、彼は何世代にもわたって生き残ってきたキャラクターであることを忘れてはならない。「マリオについて私が最も心打たれるのは、彼の本質的な善良さです」と、イルミネーションのCEOであるクリス・メレダンドリは言う。「彼は真心に満ちたキャラクターです。観客が彼を慈しむ理由の一つも、そこにあるのだと思います」
しかし、マリオの最も魅力的な側面は、親しみやすさを保ちながら、同時に究極的には「空白のキャンバス」であり続けるという、カメレオンのような能力かもしれない。確かに彼はアクションヒーローだが、ただの配管工でもある。あるいは医者であり、レーサーでもある。彼は、ファンが望む通りの存在になれるのだ。
「彼の正体を紐解いてみれば、派手な赤い服を着て口髭を蓄えた、ただの小太りな配管工です」とジェーンズは語る。「『どうしてそんな男がフランチャイズの、いや、そもそも何らかの主役になれるんだ?』と思うでしょう。でも、人々がマリオを愛する理由は、ミッキーマウスに対する感情に近いのだと思います。どんなシナリオにおいても成立してしまうキャラクターなのです」
さらに彼はこう付け加えた。「言葉に出してみると、それは全くのナンセンスに聞こえます。ですが、マリオの世界においては、何一つとしてナンセンスなことなどないのです」
From Rolling Stone US.
『ザ・スーパーマリオ ギャラクシー・ムービー』
2026年4月24日(金)全国ロードショー
公式HP:mario-movie.jp
![LDK (エル・ディー・ケー) 2024年10月号 [雑誌]](https://m.media-amazon.com/images/I/61-wQA+eveL._SL500_.jpg)
![Casa BRUTUS(カーサ ブルータス) 2024年 10月号[日本のBESTデザインホテル100]](https://m.media-amazon.com/images/I/31FtYkIUPEL._SL500_.jpg)
![LDK (エル・ディー・ケー) 2024年9月号 [雑誌]](https://m.media-amazon.com/images/I/51W6QgeZ2hL._SL500_.jpg)




![シービージャパン(CB JAPAN) ステンレスマグ [真空断熱 2層構造 460ml] + インナーカップ [食洗機対応 380ml] セット モカ ゴーマグカップセットM コンビニ コーヒーカップ CAFE GOMUG](https://m.media-amazon.com/images/I/31sVcj+-HCL._SL500_.jpg)



