みんなが好きなものを僕が取り上げる必要はない
——『模型言論プラモデガタリ』はどのような経緯でスタートすることになったのですか?
廣田:ある日、(イベント第1回目のテーマである)『聖戦士ダンバイン』のプラモデルを作っていて、これはプラモメーカーの試みとして面白いことをやってるじゃないかと思ったんです。それをどうにかして伝えたくて、まずはホビー雑誌に企画を持ち込んだんです。10ページにも満たない小特集で良いので、『ダンバイン』に出てくるオーラバトラーのかつてのプラモを振り返ってみようっていう。
——『プラモデガタリ』はプラモのイベントでありながら、プラモそのものよりむしろ、プラモを通じて作品そのものを語りますよね。その、廣田さん独自の解釈をプレゼンしていく様が毎回とてもエキサイティングです。
廣田:造形から作品のテーマを解釈していくという、屁理屈みたいな理屈を積み重ねていくやり方はここ半年くらいで割と得意になりました。例えば第2回の『この世界の片隅に』の時に言いましたけど、アニメーションの制作素材を細かく分割して見ていくと、なぜその画面がそんなにキレイに見えるのかっていうことが分かるんです。でも、そんなこと雑誌もムックも滅多にやらない。ストーリーの説明が最初にあって、それじゃあここに出てきた飛行機なり戦艦を作りましょう、っていうのが模型雑誌におけるアニメの扱い方なんです。それが僕は我慢がならなかった。もっと作品をいろんな角度から観てくれと。
——6月のテーマは『スター・ウォーズ』の新三部作(エピソード1~3)です。人気があるのは旧3部作(エピソード4~6)ですし、タイムリーなのは続三部作(エピソード7以降)ですが。
廣田:みんなが好きなものを僕が取り上げる必要はないですからね。そもそもジョージ・ルーカスはエピソード4なんてイメージの20%もできてないって言ってるんですけど、新3部作のコメンタリーでは、「これが俺のやりたかったことだ!」とうっとりしてるんですよ(笑)。僕はそういうルーカスがもともと持っていた、50~60年代に作られた『ベン・ハー』とか『スパルタカス』みたいなクラシカルな超大作と30年代の『フラッシュ・ゴードン』なんかのイメージをミックスして、ルーカス自身にとってのものすごい映画を作ろうとした、っていう企画の部分が好きなんです。映画そのものの完成度は全然高くないと思うけど、作家であるルーカスがあれで100点以上だと言っている、そういう作品と作家の関係が好きなんですよ。自己資金でハリウッドの横槍も一切なくやりたい放題やって「これが俺のイメージだ!」とやっているのが新三部作。そこをリスペクトしないで、ルーカスが貧乏だったころの旧三部作で満足している感覚が僕にはわからない。侮辱だとすら思うんです。
「フレームアームズ・ガール」という“最先端”
——廣田さんが現在注目しているものは?
廣田:5月末に発売される『月刊ホビージャパン』に原稿を書いたんですけど、美少女プラモが最近、流行っているんです。90年代に完成品フィギュアがすごく流行って、当時は中国の工賃が安かったこともあり3,000円くらいですごい完成度のフィギュアが手に入ったので、それをいまパーツ状態にしてプラモで売るっていうのは割と自然な流れなんですよ。そんななかで、「フレームアームズ・ガール(FAガール)」っていうコトブキヤさんの武装少女シリーズがすごく売れている。
FAガールは関節が動くし武装も髪型も髪色も替えられるし、目を塗りたい人は自分で描いても良いし、ユーザーが独自に作ったオリジナルのデカールもある。決まりがないんですよ。しかも設定上はそのプラモが実寸なのか、実際は人間くらいのサイズの縮小版なのかというスケール表記もない。装備している武器についての説明もない。更に、もともとがコトブキヤさんのオリジナルロボットシリーズの二次創作だから、なにをどう作ってもなんらかのバージョン違いの一つになるんです。買ってきたキット内だけで完成させることもできるし、オリジナルを作りたい人向けに自作パーツを売ってる人もいるんですよ。許可を取れば売れるんで。その自由度がボーカロイドとかMMD(ミクミクダンス)に近いんです。コピーやアレンジ、カスタムで成り立っているそういう文化に近いところにFAガールは立っている。でも、そこに言及したメディアって一つもないんです。
『ホビージャパン』の原稿では東浩紀さんの『動物化するポストモダン』を引用したんですけど、今って美少女の記号がバラバラに存在していて、キャラクターはその組み合わせに過ぎない。巨大なデータベースがあって、そのデータベースにみんなでアクセスしているだけであると。
——固定されたストーリーがないんですね。
廣田:たとえば巫女さんの格好だとかポニーテールのキャラクターだとか、もっというとアスカと綾波どっちを選ぶみたいな文化があって、そういった膨大な蓄積を上手いこと使ってプラモデルという仕様に落とし込んでいる。それは予定調和じゃなくて、僕らはそういう時代を生きてるんです。データベースから抽出されたアレとコレの組み合わせの方が安心する。みんな勝手に「新しくなきゃダメ」って言うけど、“新しい”って何だよと。新しさがもう産まれないかもしれない時代のなかで、FAガールはとても活きの良いコンテンツなんです。
——それはすごい。
廣田:それなのに、今まではどうしたら上手に作れるかっていう紹介しかされて来なかった。
——めちゃくちゃ可能性があるじゃないですか。
廣田:そうなんですよ。すごいことやってる。最先端なんですよ。武装を一切つけないで布製の服を着せてあちこち持ち歩いて写真撮ってる女の子もいて、ドール文化やSNS文化とも繋がっている。
——それはイベントで紹介できたら最高ですね。
廣田:できるか分からないけど、やりたいですね。
現代の社会におけるプラモデルの価値
——すごく無責任なことを言わせてもらえると、『プラモデガタリ』を1年間は続けていただきたいんですが……。
廣田:難しいですね……。何せ資料を作る労力がシャレにならない(笑)。
できればこのイベントには生まれてから今まで一度もプラモを作ったことないような人に来て欲しいです。なんならその後、プラモを作って欲しいとも思っていない。別の繋がり方があると思うんです。
——と言うと?
廣田:さっき言ったFAガールの話って、プラモ作りが上手くなる方法ではないですよね。モノの見方だと思うんです。FAガールがそういうことをしてるんだったら、音楽や小説だったらこういうのがあるよとか、どんどん接続していって欲しい。そうしたら今、日本の社会で起きていることが見えてくるというか、視点を変える道具にプラモは成り得るはずなんですよ。そのことにプラモ業界は一切気づいていない。色を塗らなくても良いプラモもいっぱい出てるし、接着しなくて良いプラモだって各社で開発してるし、確実に流れが変わってるんですよ。