
『明日に向かって撃て!』(1969年)
古き良き時代、風景、文化、自然を刻んだ作品たち
レッドフォード作品のもう一つの特徴、それはアメリカの原風景への郷愁だ。彼が子供の頃に愛していた風景、文化、自然。
『明日に向かって撃て!』(1969年)では時代の変化によって強盗稼業が難しくなったブッチー&サンダンスが南米に拠点を移すも、徐々に逃げ場所を失っていく。アウトローたちはもはや消えゆく存在。それでもなお、時代の波に抗い続ける姿にもはや善悪を超えた二人の矜恃がほとばしる。

『大いなる勇者』(1972年)
『大いなる勇者』(1972年)も厳しい自然の中に身を投じ”伝説”と化していく一人の男の生き様を、信じがたいほどの壮大な映像と共に描いた。また、逆境を乗り越え30代半ばでメジャーリーグに挑む『ナチュラル』(1984年)は、1930年代という時代の魔法がセピア色の輝きを放つ作品だ。
過ぎゆく時代を映画に刻もうとする傾向は、監督作においてなお一層強まった。若きブラピの才能を見出した『リバー・ランズ・スルー・イット』(1992年)では、地上の楽園のごとき水辺の物語を心揺さぶるタッチで描き出した。『バガー・ヴァンスの伝説』(2000年)もまた、レッドフォードが生まれた30年代を背景に、主人公が失った人生を取り戻そうとする物語だ。
レッドフォードが未来へ遺した功績、サンダンス

サンダンス映画祭(2019年)
レッドフォードが都会の喧騒から遠く離れたユタ州の大自然を定住の地に決めたのも、反逆児、もしくはアウトサイダーとしての生き方と共に、変わりやすい時代の波に飲み込まれることなく、彼が愛する自然や動物たちに囲まれながら日々を重ねたいとする生き方によるものだろう。
遡るとその伝説は、60年代に購入したワサッチ山脈ふもとの2エーカーの土地と、そこに建てられた山小屋から始まった。
さらに『白銀のレーサー』(1969年)以降、映画製作に乗り出した彼は、世の中に映画製作を実践的に学べる研修施設がないことを知り、思案の末、自らの手で非営利団体『サンダンス・インスティテュート』を立ち上げる。若き新人クリエイターたちがベテランの手ほどきを受けながら、脚本、演技、監督、撮影、編集の腕を磨ける『学びの場』を提供したのである。いつしかそこには人が集まり、とりわけサンダンス主催の映画祭(パークシティで開催)は、観客はもちろん、作り手、バイヤー、マスコミが集まる映画業界の重要な聖地となっていった。
サンダンス映画祭を通じて世の中に巣立った才能は数知れず。スティーヴン・ソダーバーグもそうだし、クエンティン・タランティーノやポール・トーマス・アンダーソンもここでの上映で映画界進出のきっかけを手にしている。
サンダンスが縁をもたらした最後の主演作
サンダンスは、レッドフォード自身にも新たな主演作に挑む機会をもたらした。J・C・チャンダー監督はサンダンスで自作が上映された際、レッドフォードに直接『オール・イズ・ロスト』(2013年)の構想を伝えて、主演を直談判したのだとか。駆け出しの新人と雲の上のレジェンドがこれほど近い距離で接することができるのも、ハリウッドでは決して得られない魅力だ。

『さらば愛しきアウトロー』(2018年)撮影中
さらに、レッドフォード最後の主演映画『さらば愛しきアウトロー』(2018年)の監督を務めたデヴィッド・ロウリーもまた、サンダンスで上映された短編や長編作をきっかけに成功を掴んだ気鋭である。
レッドフォード自身が「これで俳優引退」と宣言した『さらば~』は、老齢ながら拳銃を手に銀行強盗と脱獄を繰り返す、実在した”黄昏ギャング”の物語だ。
感傷的な描写はなく、楽しく、コミカルな中に矜恃を感じさせる本作。訃報を受けた今、改めて鑑賞すると、過去に彼が映画史に刻んだ様々な役柄、描写、心意気が随所に見てととれて、本当にたまらない気持ちになる。
89年の壮大な人生の旅を終えた彼。しかし遺した作品、功績、価値観はこれからも末長く生き続ける。そうやって、ことあるごとに私たちの胸に語りかけてくることだろう。
参考資料:
「アクターズスタジオ・インタビュー」
『大統領の陰謀』ブルーレイ収録ドキュメンタリー映像
https://www.theguardian.com/film/2025/sep/17/robert-redford-sundance-american-independent-cinema
https://variety.com/2025/film/news/robert-redford-dead-all-the-presidents-men-1236520246/
文=牛津厚信 text:Atsunobu Ushizu
photo by AFLO