(編集部註:本記事の文字数は全部で 1 万 6,236 文字あります)

 いまから 9 年ほど前、日本のデジタルプラットフォーマーとも呼べるある企業グループの IT 系子会社でセキュリティを担当する技術者をインタビューする機会があった。仮にA社のB氏とする。


 記者はその人物がかつて商社系セキュリティ子会社に在籍していたときに一度か二度取材して話を聞く機会を持っていたのだが、人から顔と名前を覚えられない特技を持つ記者を、果たしてその技術者の方はすっかり忘れていた。要は先方は完全に初対面の人間として記者と接していた、ということを言いたい。

 なごやかな雰囲気のもとでインタビューは進行し、過不足なく話を聞いて取材が終わり、最後にエントランスで社名ロゴを背景に写真撮影などをして立ち話をした際に、A社B氏がかつて商社系セキュリティ子会社在籍時に同僚だったある男の名前を口に出すと、これまで終始おだやかな笑顔を浮かべていたその人物の顔が厳しく険しい表情に一瞬で変わった。

 柔和な仮面の下に隠されていたザラザラしたハードボイルドな人柄、あるいはメッキの下の地金(じがね)が見えたような気がして職業的に記者として興奮したのを覚えている。こういうのを自在に引き出せたらそれが優れた取材者である。そのためにわざわざ失礼なことを言って積極的に怒らせる人も優秀な編集者や記者にはよくいる。

 終始穏やかな、なんならヒゲがセクシーな「イケてるおじさん」のペルソナでインタビュー対応の役を全うしていた人物の心をそれほどかき乱したかつての同僚の名は松野真一。脆弱性診断やセキュリティ診断の業界では多少知られている。松野は日本のサイバーセキュリティ業界の歴史上二度、セキュリティ診断のパラダイムを変えるという仕事に深く関わった。

 「松野?」と厳しい表情に豹変したA社のB氏は記者の目をまっすぐに見てそう問いかけてきた。「松野だと貴様? おまえいま松野って言ったか?」完全にそういうトーンだった。心の中のオートマチック拳銃のスライドが前後して弾倉から銃弾が薬室に送り込まれ、金属同士が互いに親密に一体となる不吉な音が聞こえたような気がした。

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