■「支那」と言い出したのは中国
まず最初に私の立場をご説明しておきます。私は「支那、シナ」という言葉を使おうとは思いません。理由は簡単。相手がいやがっているから。それ以上でもそれ以下でもありません。しかし同時に「支那という言葉を使うな」という中国人の主張にも、実は無理がある。この点についても、論じてみたい。
ご存知の方も多いと思いますが、支那という言葉に本来、見下す意味はまったくありませんでした。また、支那ということばが登場したのは、日本でではありません。中国国内です。
まず、支那の語源は「秦(チン)」。始皇帝による統一中国。
■記憶に残った王朝名が、中国の通称に
このあたり、日本でも似た現象が発生しています。日本が歴史上、最も大きな影響を受けたのは「唐」だった。だから、唐がとっくに滅びた後も、中国人を「唐人」などと呼ぶことが多かった。中国を「唐土」と呼ぶことも多かった。
王朝が変われば国号もころころ変わる。自分たちの地域や社会の中では問題なくても、外の世界に強制するのは難しい。だから、このような現象が発生しました。
インド、ペルシャ、アラビアなどでも中国を「秦」系統の言葉で呼ぶようになりました。「チーン」、「チーナ」、「シーナ」などです。ということで、仏典にも中国を指す国名として「チーナ」が登場した。さて、仏教はシルクロード経由などで中国にも伝来。おおむね後漢のことです。その後、中国は懸命に仏典の漢訳に取り組んだ。そこで、「チーナ」に「支那」の字を当てた。その他、「脂那」や「至那」の文字も使われました。また、インドの言葉で「秦国」をあらわした「チーナスターナ」という言葉は、「震旦」、「真丹」などと漢字化されました。
「チーナ」の語源が「秦」であることには、多少異説もあるようですが、「チーナ」が「支那」になったことは間違いありません。
仏典の漢訳には中国人僧だけでく、シルクロード諸国やインド出身の僧も多数、参加していましたから、「支那」の字を考えついたのは中国人とはかぎらない。ただし、「漢訳仏典」が中国社会で受け入れられたのは事実です。
■「チャイナ」と「支那」は同語源
さて、日本では江戸時代、ご禁制を犯して入国したキリスト教の宣教師がいました。捕らえられて訊問されましたが、その記録の中に「チーナ」という国名があった。すでにアジア、アフリカ、アメリカ大陸に乗り出していた欧州人が、この国名を使っていた。
日本人が「チーナとはいったい、どの国だ」と調べてみたところ、中国のことだった。「なるほど、国外では“唐土”のことをチーナと呼んでいるのか」と分かった。一方、仏典の中に「支那」という言葉を発見。つまり、「チーナ」=「支那」と判明。当時、欧米語の固有名詞は漢字で表記するのが一般的でしたから「チーナ」は「支那」と書くことにした。
「チーナ」はもちろん、英語の「チャイナ」の語源でもあります。
もう一度、繰り返しますが、私は相手にイヤがられてまで「支那」と呼ぼうとは思わない。不毛なことですから。でも「支那」を禁止するなら、「チャイナ」も禁止してもらわないと、理屈が合わない。
いや、本当に「チャイナ禁止運動」をしろとまでは言わない。中国人が「支那」を嫌う理由に、日中戦争などのトラウマがあることは分かっています。当時の日本は中国を従来どおり「支那」と呼んでいた。辛亥革命後、中華民国政府から「正式国名を使ってほしい。せめて“中国”と呼んでほしい」などと要請があったが、日本は無視していました。
■「いやだ」と言うなら、使いませんが……
日本との戦争は、少なくとも中国の一般庶民にとっては大変な災難。
ただ中国はすでに、かつての「落後した国」ではありません。多くの問題を抱えているとはいえ、発展を続けています。自らのレベルが高まってきた現在、「支那と呼ぶな」という主張には無理もあるということを知っておいてもよいと思うのですが、どうでしょう。(編集担当:鈴木秀明)
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