そのうちの1人は、チャクリー王朝の第5代のシャム国王である「ラーマ5世」だ。当時のタイは、すでに西洋列強との不平等条約を結ばされており、周辺国が次々と植民地化されている状況だったが、ラーマ5世は改革を断行し、封建制や奴隷制を廃止したと紹介した。
しかし、こうした国内改革も列強の侵略を押しとどめることはできなかったため、ラーマ5世は外交政策によってタイの独立性を保ったと指摘。英国とフランスの植民地に挟まれた地理条件を利用し、タイが緩衝地帯となることの利点を英仏両国に説くことで、植民地支配を免れたと説明した。
もう1人の英雄はプレーク・ピブーンソンクラーム氏だ。国名をシャムからタイへと改名したことで知られるピブーン氏は、第二次大戦中にやはり外交によってタイの独立性を保ったと紹介。日本による侵攻に際してはすぐに投降して日泰攻守同盟条約を締結し、その1カ月後には英米に対して宣戦布告したと説明した。
だが、その後日本の敗戦が色濃くなってくると、ひそかに英米と連絡を取り日本との関係を断ち切ったと紹介。戦後は、日本に脅されて日本に与しただけだと主張し、戦勝国側に入ることに成功しただけでなく、日本から賠償金まで獲得したとその外交力を高く評価した。
終戦前後の出来事とピブーン氏とは直接の関係はないと思われるが、いずれにしても当時のタイはうまく立ち回って自国の利益を確保したというのは注目に値する。このタイの外交力は確かに特筆すべきものだと言えるだろう。
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