ポーランド・ヘルム駅、ここからウクライナの首都キーウを目指す
元米陸軍情報将校であり、アフガンで実戦も経験した飯柴智亮氏は、仕事でウクライナ戦争勃発後のウクライナを何度も訪れている。さまざまな事を見聞きし、体験した。
* * *
ウクライナに鉄道で行く方法は主に3つあります。①隣国ポーランドから、②ハンガリーの首都・ブタペストから、③モルドバのキシナウ経由という、3つの路線を走る列車を使うルートです。私はポーランドのヘイムという町から行くことがほとんどです。ここからだと首都・キーウまで、15時間の電車の旅となります。
電車意外だと長距離バスでの移動があります。これは自分もウィーン発キエフ行の便に1度乗りました。そして、対空兵器に撃墜される危険性があるため、空路は一切使えません。
米国首脳、NATO各国の首脳陣、要人もこの列車で首都キーウに入ります。つまり、この列車をロシア軍(以下、露軍)の戦闘爆撃機、ミサイルなどで攻撃すれば、一網打尽にできるわけです。しかし、今までどういうわけかこの鉄道は攻撃されていません。紳士協定なのか、露軍には無理なのか......それの理由はわかりませんが。
私は最初、この15時間の列車に身一つで乗りました。乗り心地は悪く、中はボロボロ。多分、ソ連時代の列車なんだと思います。それに車内販売もなく、初めて乗ったときはひどい目に遭いました。お腹は空くし、喉は渇くし、補給の途絶えた兵員輸送列車で最前線に行く気分でした。実際、向かっているのは戦地のど真ん中である首都キーウなので、あながち間違いではないのですが。
ただ二度目からは、寝台車なので半分寝ていますから、一食分だけポーランド領内で食べ物を買って持ち込みました。車内には列車の熱を利用した給湯器があり、コーヒーだけは売っていました。
乗車券はなかなか取れません。客室は二等車だと4人部屋、一等車だとふたり部屋です。ウクライナ人男性は国外に出ることができないため、相部屋の場合、相手はほとんど女性になります。一度、4人部屋で若い女子大生3名と同室になり、甘い匂いに囲まれながら楽しく過ごせました。
冒頭の写真は、一等車のふたり部屋の旅の日でした。背後に映る犬連れの初老のお祖母ちゃんとご一緒しました。仕事なので多くは語れませんが、お祖母ちゃんの豊富な人生経験を聞く15時間の旅の所感は、写真の私の顔に現れていますね。貴重な経験だったのかもしれません。

キーウ駅着。まず探すのはこれ
キーウの駅に到着してまず探すのは、防空壕の場所。トイレではありません。手持ちのスマホにインストールした空襲警報告知アプリは、滞在している場所への空爆の危険性が高まれば、24時間いつでも教えてくれます。
たいていの防空壕は地下の駐車場になっているのですが、私は対爆強度を疑います。飛来する兵器によっては、直撃を食らったらヤバいです。だから、駅の地下の方が安全だと思っています。

ブチャ近郊の戦闘の跡を見る飯柴氏
ウクライナには仕事で何回も行っています。最初の頃は元米陸軍情報将校として、なぜ露軍が緒戦で負けを期したのか、その理由が知りたかったのです。赴(おもむ)いた先は、露軍が多くのウクライナ市民を虐殺したブチャとホストメル空港でした。私は空挺部隊出身で、空港制圧任務は専門です。なので現場をどうしてもこの目で見ておきたかったのです。
まず最初に、町全体の戦いの跡を広い視野で観察し、全体像を見る。次に、壁などに残る弾痕の跡を細かく見ていき、可能な限り頭の中で戦闘を再構築する。そして、攻撃してきた露軍に対してウ軍がどう反撃したのかを推測すべく、現地の関係者の案内でウ軍の反撃した経路を歩きました。
関係者たちにかなり聞き込みをしましたが、あの時、ウクライナ軍、警察、民間は全力で防衛したそうです。
映画『スターリングラード』では、ソ連軍がふたりの兵士に1丁の銃と弾丸を渡し、「戦死した味方の兵から銃を奪え」と命令していました。しかし、そのときのウクライナでは、きちんとAK自動小銃と弾丸がフル装填したマガジンを全員に次々と渡して「行け行け」と。そして、市民一丸となって防衛に奮闘したというのです。
街のいたるところにある着弾痕を見て回ると、それは乱戦を物語っていましたが、一発必中でもフルオートの乱射でもなく、正確なバースト射撃(数発ずつフルオートで撃つ)でした。つまり、一人ひとりの住民が火力を発揮していた。つまり、その地を知り尽くしている地元民と警察・軍が、露軍相手に遊撃戦を展開していたことがわかるのです。
であるならば、地の利があるウクライナ民警軍が有利で、露軍は不利です。最初はウクライナ人たちは露軍に殺害されましたが、それを押し返したと現地のウクライナ人は言っていました。
同時にこれは、AK小銃の強みです。少し訓練を受ければ誰でも撃てて扱える。そのソ連で作られたAKが、攻めてきた露軍を駆逐したのです。

場所名の言えない最前線。露軍の砲撃で破壊された家屋
この写真、場所の名前は言えませんが、露軍装甲車両が入ってきて戦闘になりました。今、最前線は基本的に軍が展開し、民兵もいません。そして厭戦(えんせん)気分が高まり、「もういい加減にしてくれ」という感じで、軍人たちの士気も少し低かったです。
私が実戦を経験したアフガン最前線と、ウクライナの戦場には大きな違いがありました。
タリバン捜索で初めてアフガンの村の家に突入したとき、そこは歴史博物館というか、昔の村を復元したような場所に見えました。家には石の土釜などがあり、日本で例えるならば江戸時代のような中世の町です。
それに比べてウクライナは、電気・ガス・水道が完備された現代文化の街並みです。ちゃんとした文明があるところを戦火で破壊されると、その再建、復興はそう簡単には進みません。現代文明の復興は難しいですし、インフラ再構築には莫大な時間と資金が必要となります。

キーウのとある広場には、破壊された露軍戦車、歩兵戦闘車が陳列されている
私は米大学に日本から留学し、4年間ROTC(予備役将校訓練課程)に通いました。しかし、大学卒業と同時に米国籍を取得できず、一兵卒として米陸軍に入隊しました。
私が所属したのは対戦車戦闘小隊。そこではTOW(対戦車ミサイル)を武器に、露軍の戦車や装甲車との戦いに備えて日々、訓練に勤しみました。その露軍の破壊された戦車と敵装甲車が、ウクライナで私の目の前にあったのです。首都キーウの広場には、最前線で破壊し、鹵獲(ろかく)した露軍戦車、装甲車両が展示されていました。
一見すると露軍の旧式戦車は装甲が薄く前近代的で、TOWならば簡単に破壊できると実感しました。正直、「ざまあみろ」と思いましたね。やっぱり。これじゃ簡単にやられるわな、と。また、PT76だと思われる車両もやはり、装甲も含めて旧近代的な構造でした。TOWなら簡単に破壊できるし、ジャベリンなら確実にやれます。
さらにこのウクライナ戦争では、無人偵察ドローンの力を借りて、上空からの目があります。露軍戦車の位置を正確に掴み、とどめはジャベリンで。ジャベリンはTOWよりも安全な撃ち放し(Fire and Forget)が可能で、誘導機能も優れています。
ドローンの誘導で、薄い装甲の戦車の上面も狙うことができて、多くの露軍戦車を葬ったことは理解できます。BTR装甲戦闘車は、前面は傾斜の角度があるので跳ね返されますが、上の装甲が薄いので、ドローンのお陰で簡単に狙えるようになりました。
私も当初、露軍は長くても一週間から10日間ほどでウクライナ全土を掌握すると思っていました。ロシア人にしてみれば、ウクライナなんて虫けら同然ですからね。
しかし、現実は違いました。
諸説ありますが、ソ連軍の伝統を継ぐ露軍は、西側が思っていたほど強くはなかった、ということです。
そしてなにより、ウクライナ人の怨念です。今まで何度も独立して、そのたびにソ連、ロシアに虐げられてきたウクライナ。だからこそウクライナには、ロシアに対するすさまじい怨念があり、初期の頃は市民が一丸となって露軍を追い返せたのだと思います。
※後編に続く
構成/小峯隆生