井上尚弥に憧れる19歳のボクサーと、長谷川穂積を育てた62歳...の画像はこちら >>

③「今は1000万円なんて本当にどうでもいい」。穴口一輝が4度倒されても勝負を捨てなかった理由(連載・第3回)

(前回までのあらすじ)

2023年12月26日、東京・有明アリーナで開催された、井上尚弥4団体統一記念杯、バンタム級モンスタートーナメント決勝。

試合結果を聞いた直後、足が痙攣し始めて自力で立てなくなった穴口は控室で意識を失った。右硬膜下血腫――。救急車で搬送されて手術を受けたものの、意識は戻らないまま、翌2024年2月2日、午後5時38分に永眠した。

穴口は最終10回、終了まであと数秒という所で4度目のダウンを奪われて勝利を逃した。勝者が眩しいスポットライトと歓声を浴びる中、リングを下りた穴口。そしてこの試合がボクサーとしてのラストファイトになった。

*  *  *

■山下が得たかけがえのない時間と後悔

もし明らかに続行不能に思えるようなダウンをしていれば、山下は、例え穴口優勢でも躊躇(ちゅうちょ)なくタオルをリングに投げ入れて試合放棄していたかもしれない。

山下は7年前の2018年、当時WBO世界ミニマム級王者だった教え子の山中竜也(真正)が試合後の検査で頭部の硬膜下血腫が認められてライセンス失効し、現役引退した経験をしていた。

日本ボクシングコミッション(JBC)はその後、「頭蓋内出血と診断された選手は、条件さえクリアすればライセンス再発行を認める」と規則改定し、山中は2022年3月に現役復帰して2024年6月まで現役生活を続けた。しかし山下は、ボクシングという競技の危険性を改めて実感し、普段の健康管理も含めて、以後はより選手の安全面に気を配るようになった。

ボクシングは常に命の危険と隣り合わせ。それはわかっていてもなお、レフェリーが試合をストップしたりやセコンドがタオルを投げ入れるタイミングは、極めて難しい事だった。

ボクサーにとっての1敗は、同じプロとして活動する他競技の選手とは比較にならないほど重いものだ。

現役生活を続けられる期間は短く、経済的な問題や怪我など犠牲を払わなければならない事も多い。リスクの大きさの割に報酬は高いとは言えない。

世界チャンピオン級でもよほどの人気者でもない限り、「現役時代の稼ぎだけで引退後は安泰」という話にはならない。ましてそれ以下のボクサー、例えば日本ランカーの場合、上位ボクサーでも1試合の報酬は一般サラリーマンの月給程度だったりもした。

ボクサーはそれでも「プロ」であることを誇りに、過酷な減量に耐えながら極限まで肉体を追い込む練習を毎日続け、勝利を掴むために血反吐をはくような努力を積み重ねてリングに上がる。そんな努力を誰よりも理解し間近で見守り続けたセコンドが、良い事かどうかは別にして、仮に戦況が厳しい試合でもそう簡単にリングにタオルを投げ入れて試合放棄する事など出来るわけがなかった。

まして穴口は、最後まで闘志を失わず、4度ダウンを奪われたとはいえその度に立ち上がって反撃し、相手を追い込んだ。命の危険を予測させるような状態ではなかったと、試合中は観戦していた大半の人たちも思っていたのではないか。むしろのちに年間最高試合にも選ばれる好勝負に誰もが熱狂し、試合後も井上尚弥の4団体統一戦が始まる直前まで、史上稀に見る日本タイトルマッチの余韻に酔いしれていた。

「リング禍」という最悪の結果を招いてしまった同試合について、レフェリーや陣営の判断を責めるような声は聞こえてこなかった。しかし山下は、トレーナーとしてセコンドに付いていた自分を責めた。

会長と2人で過ごす時間ってほんま俺に取って掛け替えのない時間。
必ず世界まで会長と一緒に行かないといけない。
そんな気持ちでいっぱい。

まずは12/26日本チャンピオンなって更にその先に行く。
やるしかない。
 
決勝戦の直前、穴口がInstagramに投稿していた感謝の言葉を見るにつけ、胸が締め付けられる思いがした。

穴口は高校時代、選抜と国体で優勝。大学進学後も1年生ながら関西学生リーグで全勝、バンタム級階級賞を獲得した穴口は人生のすべてを東京五輪出場にかけていた。それがよもやの予選敗退。自信喪失し目標を失った穴口は、ボクシング自体から離れてしまった。出稽古で何度か真正ジムに来ていた穴口がボクシング自体からも離れてしまった事を知った山下は直接スカウト。穴口のボクシングセンスを高く買っていた山下は、「必ず世界チャンピオンまで育てる」と約束して再起の道を作った。

必ず世界チャンピオンにまで育てるーー。

山下の言葉を信じ、プロで再起を誓った穴口は、大学3年で中退。真正ジム選手として2021年6月にB級テストに合格し、1ヶ月後の7月24日にプロデビューした。

デビュー戦は3回に2度のダウンを奪うTKO勝利。新型コロナウイルス感染拡大防止の影響もあり、デビューした2021年、翌22年合わせて4試合しか出来なかった。しかし、心折れる事はなかった。いつも寄り添って励まし、時に厳しく鼓舞して共に戦ってくれる存在がいたからだ。

プロボクサー穴口一輝にとって、山下はかけがえのない存在――。

穴口のスマートフォンの待ち受け画面はリングで山下とふたり、戦いに挑む姿だった。

辛抱強く時を待つ間に実力を養った穴口は、2023年1月に開催決定した「井上尚弥4団体統一記念杯、バンタム級モンスタートーナメント」のエントリーメンバー8人のうちのひとりに選ばれた。

プロ転向後、初めて掴んだ大きな飛躍のチャンス。トーナメント2試合を勝ち上がり、デビュー以来6連勝で迎えたのが、堤聖也との決勝だった。

井上尚弥に憧れる19歳のボクサーと、長谷川穂積を育てた62歳のトレーナーの物語【連載・彼らの誇りと絆】(5回連載/第3回)

決勝10日前、穴口は自身のInstagramにこんな投稿を残した。

1000万の事も考えられへんぐらいとにかくこの試合を勝つためだけに8月勝ってからやってきた。
今は1000万なんて本当にどうでもいい。とにかくベルトが欲しい。

山下は、穴口の回復を祈る一方、ある程度覚悟もしていた。しかし、いざ実際に愛弟子を失う当事者となった時、苦しみは想像を絶するものだった。

長谷川穂積との出会いがきっかけで36歳の時、警察官を辞職して取り組み始めた「トレーナー」という仕事。それからおよそ四半世紀、男子3人、女子4人という複数の世界チャンピオンを育てた。長谷川穂積と二人三脚で世界タイトルを獲得した際には、同年度、最も活躍したトレーナーに贈られる最高の名誉、「エディ・タウンゼント賞」も受賞した。そんな栄光や名誉も、愛弟子を失くしたいまはどうでも良い事のようにも思えた。

毎晩、布団の中で目を閉じて浮かぶのは穴口の顔ばかり。

自然と涙が溢れ出して目尻を伝い、枕を濡らした。

60代を迎え、穴口とはトレーナー人生の集大成を懸けて向き合っていた。両肩に痛み止めの注射を打たなければミットを構えられない日も多い。コンディションを確認するため、自ら選手のスパーリング相手を務めたりもしていたが、それもだいぶ厳しくなった。伊藤に真正ジムを紹介した井上夕雅が減量に苦しみ、試合前日の計量をクリア出来なかった時、残り1.2キログラムの体重が落ちるまで1時間半以上、一緒にサウナに閉じこもったりもした。

「選手に寄り添い、身を削って一緒に戦う」という覚悟を貫いて選手と向き合える時間も残り少ない。トレーナー引退を意識するようになった。そんな時に出会ったのが穴口だった。「必ず世界チャンピオンまで育てる」と約束して作った再起の道。果たしてそれは良かったのかどうか、山下はわからなくなってしまった。むしろ後悔の念の方が大きかった。

俺はいつまでも、勝った時は、選手と思い切り喜びたい。 

負けた時は、選手と悲しみたい。

 

それだけなんです。

山下は、かつて日記替わりに書いていた自身のブログにそう記した。しかし「もう2度と、選手を指導することはない」と思った。

悩み苦しむ山下。それを救ってくれたのは穴口の母親、美由紀の言葉だった。

穴口が天に召された同日、両親はSNSを通じて下記のコメントを発表した。

皆様のご厚意、本当にありがとうございました。
感謝の言葉しかありません。
こんなに沢山の方々が息子の応援をしてくれているのかと思うと胸がいっぱいです。
息子は昨日まで、家族、山下会長をはじめ、ボクシング関係者、ファンの皆様の期待に応えようと必死に戦ってくれました。
凄く誇らしいです。
皆様には息子を愛していただきありがとうございます。

穴口

山下は葬儀の際、息子の夢を一緒に追いかけ、最後の瞬間まで傍で付き添ってくれた事について、母親である美由紀からあらためて御礼の言葉を頂戴した。

東京2020五輪出場を目指していた頃とは違い、息子の一輝は、自分のためだけに戦っていたのではない。山下始め支えてくれるスタッフ、応援してくれる仲間の期待に応えたい一心で戦っていた。だからこそ何度倒されても立ち上がり、最後まであきらめる事なくファイティングポーズを取り続けたのではないか、と美由紀は話した。

試合中、穴口はコーナーに戻るたびに「俺、勝っているよな」と、山下ほかセコンド陣に対して何度も聞いて来たそうだ。

最終10回開始のゴングが打ち鳴らされる直前、椅子から立ち上がった穴口は山下に身体を寄せると、耳元で「絶対、取って来ます」と、残り3分に懸ける覚悟を伝えた。
大歓声に沸く有明アリーナに甲高いゴングの音が鳴り響く中、山下は「わかった」と答えた。山下が右拳を向けると、穴口も右拳を出してタッチをし、リング中央に向かった。それは山下が愛弟子と交わした最後の会話、心を通わせ合った瞬間だった。

山下は、穴口の母親である美由紀から感謝の意を伝えてもらうと同時に、ある願いも託された。

「一輝のためにも、これからも選手を育てて欲しい」と。

真正ジムには当時、穴口と同じように才能に溢れ、世界を期待される逸材がいた。まもなくプロデビュー戦を控えた、当時18歳の伊藤千飛だった。

井上尚弥に憧れる19歳のボクサーと、長谷川穂積を育てた62歳のトレーナーの物語【連載・彼らの誇りと絆】(5回連載/第3回)

■伊藤千飛(いとう・せんと) 
2005年6月25日生まれ、19歳。兵庫県伊丹市出身。元プロキックボクサーの父親の影響で4歳からキックボクシングを始め、同時にボクシングにも取り組む。興国高校に進学後はボクシングに専念し選抜2冠、アジアユース&ジュニア選手権で銅メダル獲得。2024年1月にB級ライセンス取得し同年4月20日にプロデビュー。現在の戦績は4戦4勝3KO。OPBF東洋太平洋バンタム級11位、WBOアジアパシフィック同級9位。

■山下正人(やました・まさと) 
1962年4月30日生まれ、63歳。高知県生まれ。真正ボクシングジム会長兼チーフトレーナー。2歳で兵庫県伊丹市に引っ越し現在も同市在住。高校卒業後、兵庫県警警察官となり、主に暴力団対策本部の刑事として勤務。35歳の時、体を鍛える目的で入会した千里馬神戸ジムで長谷川穂積と出会い、36歳で警察官を退職しトレーナーとして共に世界を目指した。24歳の時、バンタム級で世界王者になった長谷川は以後、3階級制覇達成。2005年度、優れた実績を残したトレーナーに贈られる最高の名誉、エディ・タウンゼント賞受賞。

■穴口一輝(あなぐち・かずき) 
2000年5月12日生まれ。大阪府岸和田市出身。芦屋学園高時代は選抜&国体二冠(フライ級)。芦屋大進学後は東京五輪出場を目指すも予選敗退。ボクシングから離れるも山下にスカウトされて再起。プロデビュー以来4連勝で井上尚弥4団体統一記念杯バンタム級モンスタートーナメント出場を決め、2023年12月26日の決勝ではのちWBA世界同級王者になる堤聖也と激闘を繰り広げた。同試合直後に右硬膜下血腫で意識を失い翌年2月2日永眠。生涯戦績7戦6勝(2KO)1敗。享年23歳。

取材・文・撮影/会津泰成

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