【モーリーの考察】人種や移民をめぐる「衝突」のタネは日本にも...の画像はこちら >>
『週刊プレイボーイ』で「挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンが、米ロサンゼルス(以下、LA)で発生した「暴動」の背後にある構造的な問題について考察する。

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トランプ政権の強硬な入国規制と移民の一斉摘発に抗議するためにLAで起きたデモは、一部が暴徒化する「暴動」に発展。

それに対し州兵や海兵隊まで投入される事態となりました。

歴史的に、LAは異なる出自をもつ人々が混在して暮らしてきた都市で、時に社会の緊張や不満が膨張すると、マイノリティの存在を巡る暴力や衝突という形で現れてきました。

例えば、1871年に約500人の白人暴徒がチャイナタウンの中国移民を襲撃し虐殺した事件。白人警官の人種差別と暴力に対する黒人住民の怒りが爆発した1965年の「ワッツ暴動」や1992年の「ロドニー・キング暴動」。

それぞれ構図は異なれど、異なる文化や人種、立場を持つ人々のあいだにある差別・偏見・無理解・不平等が引き金となり、社会の亀裂があらわになったという共通項があります。

なかでも1943年の「ズートスーツ暴動」は、アメリカ社会の矛盾が凝縮された事件といえるでしょう。

1920年代からメキシコ系移民が急増していたLAでは、第二次世界大戦中の1940年代前半、その子供たちの間でジャズなどの黒人文化を取り入れた派手なスーツ(=ズートスーツ)が流行。ところが、これが白人社会では不安と嫌悪の対象となってしまいます。

ズートスーツをまとったヒスパニックや黒人の若者たちは「不良」「非国民」のレッテルを貼られ、白人兵による集団暴行の標的になったのですが、この卑劣な暴力行為を多くのメディアや一部の政治家が"愛国的行動"として肯定。最終的には、市がズートスーツの着用を禁止するに至りました。

ズートスーツは単なる流行ではなく、マイノリティの若者にとって「私はここにいる」という存在証明でした。白人社会はそれを「秩序を乱す異物」と見なしたのです。

それから80年以上がたった今も、文脈は違えど、根底にある大きな構造は変わりません。

アメリカは非白人移民、特にヒスパニック系移民を経済的に必要としながらも、しばしば同じ人権のない「不法移民」として扱ってきました。その過程で"まじめに働く良い移民"と"秩序を乱す悪い移民"という概念が社会に刷り込まれていったのです。

一方、グローバル化によって製造業の多くが中国など国外に拠点を移し、低賃金労働の需要が縮小したことで、アメリカ国内の労働市場は変容し、低所得層の白人が置かれた立場はより厳しいものになっています。

これはヒスパニック系の労働者にとっても同じはずなのですが、経済的に困窮する白人の間では、「自分たちの職を奪う移民に税金を使うな、やつらを追い出せ」という事実誤認が多分に含まれた"敵意"が蓄積されているわけです。

これに似た構造は、実は日本社会にも生まれつつあります。

サービス業、観光、介護、建設、農業など、あらゆる現場で外国人労働力への依存が進み、制度面では技能実習制度など「外国人を経済的に都合よく使う仕組み」が存在します。しかしながら、社会にはその人たちを"よそ者"として扱う空気が根強く残っている。

そして「行儀の悪いガイジン」がSNSやメディアで過剰に取り沙汰され、それに伴う根拠の乏しいデマが平然と語られ、広く共有・支持されているのです。

必要としているのに、心では受け入れようとしない。制度では呼び込み、世論は拒む。そんな矛盾の中で、いつの間にか"排除すること"が当たり前になってしまった社会は、「いつか自分も"排除される側"になりえる」という想像力を失っていきます。

私たちはザリガニではないし、移民は特定外来生物ではありません。言葉を持ち、互いを理解しようとする知性を持つ存在のはずです。

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