新横綱・大の里のルーツを巡る旅【前編】 洪水や震災に泣いた町...の画像はこちら >>

師匠の二所ノ関親方(右、元横綱稀勢の里)から雲竜型の土俵入りの指導を受ける新横綱・大の里
第75代横綱・大の里が誕生! ルーツの地はどれほど沸いているのか!? 前編は小6までを過ごした生まれ故郷、石川県津幡町。現地の人たちの喜びの声を聞いて回った。

*  *  *

■大の里の故郷は犬だらけ!?

日本人としては元横綱稀勢の里以来8年ぶりとなる第75代横綱・大の里が誕生した。故郷の石川県はどれくらい盛り上がっている!? 現地に向かい喜びの声を聞いてみた!

まずは石川のターミナル駅、金沢駅へ。改札やらあちこちに「祝 大の里関横綱昇進」と書かれたポスターが張られたりと祝賀ムードでいっぱい。

そんな金沢駅でひときわ目につくのが観光案内所の入り口に設けられた石川県出身の関取の等身大パネル。

新横綱・大の里のルーツを巡る旅【前編】 洪水や震災に泣いた町の"救世主"へ
石川のターミナルである金沢駅には県出身の力士のパネルが飾られている

石川のターミナルである金沢駅には県出身の力士のパネルが飾られている
この関取パネルは北陸の相撲ファンにはよく知られているようで、大の里本人も二所ノ関(にしょのせき)部屋の入門会見の際に「金沢駅に上位力士のパネルが飾ってあるんです。自分のパネルも飾ってもらえるよう番付を上げていきたい」と語っていた。 

この宣言どおり、大の里のパネルは遠藤や輝(かがやき)に挟まれて「祝 横綱昇進おめでとう」というメッセージと共に飾られていた。

大の里の故郷・津幡町(つばたまち)は金沢駅からIRいしかわ鉄道で約15分。

駅を降りて驚いたのが、なぜか犬の置物がたくさんあること。設置された看板の「津幡の忠犬伝説」の説明によると1944年の大雨の日、ある犬のおかげで洪水から家や畑を守ることができたという逸話があり、それ以降、津幡の人は守り神として犬の置物を飾るようになったという。

町を歩くと犬の置物を11体も並べてある場所を発見。町内中心部「パピィ・1(ワン)商店街」の中にある酒店「岩井屋」前だ。

犬は紋付きはかま姿のコスプレをしており、横綱昇進の伝達式を表現しているのがすぐわかる。

気になったので、店主の岩井彩子さんに話を聞いた。

なぜこんなに大量の犬の置物が?

「商店街のお店1軒につき1頭の犬の置物を置きましょうということでやっていたんですが、1軒、2軒と店を閉めるところが出てきて犬の置物が放置されることに。これは良くないということで、1ヵ所に集めて管理することにしたんです。

でも、ただ置いておくだけでは芸がないので、着せ替えをして遊んでいます。今は横綱大の里誕生バージョンです」

新横綱・大の里のルーツを巡る旅【前編】 洪水や震災に泣いた町の"救世主"へ
津幡町では洪水の救世主として至る所で犬が祭られている。商店街にはタイムリーに横綱昇進伝達式を模したものも

津幡町では洪水の救世主として至る所で犬が祭られている。商店街にはタイムリーに横綱昇進伝達式を模したものも
大の里について、同じ商店街の米穀店「勝泉商店」の勝泉かおるさんも語ってくれた。

「大の里がこの津幡町にいたのは小学校まで。なので、町のほとんどの人が最初は存在すら知らなかった。私も学生横綱になったあたりで、友達から『津幡出身の人で相撲がすごく強い人がいるよ』と教えられて初めて知ったぐらい。

そこから応援するようになったんですが、その後、大相撲の世界に入るとどんどん番付が上がっていって、もう相撲を見るのが楽しみで仕方なくなって。それで、岩井さんのところの犬の置物に着替えさせていたのを、時々大の里バージョンにして応援するようになったんです。

やっているのは女性4人。

みんなこの商店街の店主。だから私たち『パピィ・1レディース』なんです(笑)」

そのもうひとり、化粧品店「化粧SCENE IKEMURA」を営む店主の池村治美さんは昇進までのフィーバーぶりをこう語る。

「もう町の挨拶が『おはよう』とか『こんにちは』ではなくて、『大の里勝ったね』『今日も勝つよ』と大の里の勝敗になっていきました。取組の時間が近づくと町内の道を走る車がほとんどいなくなるんです(笑)」

新横綱・大の里のルーツを巡る旅【前編】 洪水や震災に泣いた町の"救世主"へ

優勝した直後は?

「やったー!でしたが、私たちはワンちゃん(犬の置物)を優勝バージョンに着替えさせないといけなくて、喜びもそこそこに、それからの着せ替えのほうが忙しかったです」

4人目の「パピィ・1レディース」中川和恵さんは大の里を応援する理由についてこう語る。

「礼儀正しさに感動しています。ほかの力士は取組直前に手渡されたタオルで顔や脇、肩やおなかを拭いたりして、そのタオルを係の人にポイッと渡すことが多いんです。大の里はタオルでちょっと顔を拭くだけで、さらにそのタオルをきちんと折り畳んで係の人に手渡す。人間としてできた人だなといつも感心してます」

話は戻り、岩井屋の店主・岩井さんは大の里を暗いニュースばかりの石川県に現れた救世主のようだと語った。

「津幡町は去年のお正月の能登半島地震のときもけっこう揺れて、道路が波打ったりヒビが入ったりしたんです。それに地震の半年前には洪水で浸水する被害にも遭っている。ここ2年ほどは暗い話題しか町になかった。

そんな中、唯一の明るいニュースが大の里の活躍でした。

大の里が勝つと被災した暗い話題を一瞬でも忘れることができたんです。津幡町の人たちが大の里を応援するのは単に地元出身というだけでなく、町を明るくしてくれたヒーローだからなんです」

新横綱・大の里のルーツを巡る旅【前編】 洪水や震災に泣いた町の"救世主"へ
23年7月、町は洪水被害に

23年7月、町は洪水被害に
新横綱・大の里のルーツを巡る旅【前編】 洪水や震災に泣いた町の"救世主"へ
24年1月の地震で道路が波打つなど被災した

24年1月の地震で道路が波打つなど被災した
所変わって町役場方面へ。役場の外壁には祝いの懸垂幕が掲げられ、町の文化会館では大の里の特別展示が行なわれていた。懸垂幕が優勝直後にかかると、記念撮影をしようとする人たちが集まったという。特別展示ではこれまで獲得したトロフィーや賞状が飾られていた。

文化会館で大の里関連のイベントを担当する町の職員に話を聞いた。

「優勝が決まったときは役場でパブリックビューイングをさせていただきました。約350人が集まってそれはそれは盛り上がりましたね。確かに、大の里の取組の時間になると人通りや車の量も減りました。その時間はみんな家でテレビを見ていたんだと思います」

新横綱・大の里のルーツを巡る旅【前編】 洪水や震災に泣いた町の"救世主"へ
津幡町文化会館にある大の里の特別展示

津幡町文化会館にある大の里の特別展示

■やけっぱちのセールで大にぎわい

お祝いといえばセール! 津幡町ではどんなセールが行なわれていたのだろうか。

地元のスーパー「カジマートみなみ店」ではほぼ全商品1割引きと太っ腹な「横綱セール」を実施。店長の鍛冶郁生さんに話を聞いた。

「町のみんなが喜ぶニュースってそうそうないんですが、大の里関が横綱昇進してくれました。

じゃあ、われわれもみんなが喜んでくれるセールをしなければと考え、思い切って商品を限定することなく全商品1割引きにしたんです」

商売として大丈夫だったのでしょうか?

「1割引きを3日連続でやるなんて初の試みです。確かにお客さんは増えましたが、 利益は価格の1割分ぶっ飛んでますから、正直赤字です。でもいいんです。ご祝儀ですから(笑)」

スーパーのお客さんにも話を聞いた。

「やっばり何を買っても1割戻ってくると大きいですよ。私、今回5000円ほど買い物したんだけど、500円戻ってきたんです。ああうれしい。大の里さんのおかげ」(70代主婦)

「大の里が勝ち進むにつれて、町じゅうが元気になっていった感じがします。そういえば優勝して横綱昇進を決めた五月場所の15日間はお悔やみがなかった。ここは田舎なんで、新聞のお悔やみ欄は注意して確認するんですけど、津幡町では誰も死ななかったはずです。やっぱりみんな大の里が勝つと、明日も元気で取組を見ようと思ったんだと思います」(50代主婦)

新横綱・大の里のルーツを巡る旅【前編】 洪水や震災に泣いた町の"救世主"へ
大の里が帰郷のたびに通う、「鮨正」店主の小山圭介さん

大の里が帰郷のたびに通う、「鮨正」店主の小山圭介さん
津幡町のすし店「鮨正」は大の里の昇進ニュースなどで頻繁にメディアに取り上げられていた店。なんでも、大の里が故郷に帰ってきた際には必ずここにおすしを食べに来るそうで、わさびが苦手な大の里はわさび抜きのおすしを頬張るという。
そんな鮨正では大の里が勝つと生ビールを割引するセールをやっているというので、店主の小山圭介さんに話を聞いた。

「優勝して横綱昇進を決めた日はテレビカメラが5台も店に入っていました。それも地元のテレビ局だけでなくて、全国ネットの番組も来ていましたね。報道陣でごった返して、私はずっとインタビューを受けていたのですしを握る暇がなかったです。

生ビールの割引については、大の里が勝ったら100円引き。小結、関脇に勝つと200円引き。大関に勝つと300円引きで、横綱に勝つと400円引きになる大サービスです」

新横綱・大の里のルーツを巡る旅【前編】 洪水や震災に泣いた町の"救世主"へ
大の里が横綱に勝つと生ビールが400円引きになる大セール。横綱昇進後も続けるようだ

大の里が横綱に勝つと生ビールが400円引きになる大セール。横綱昇進後も続けるようだ
しかし、大の里が横綱になると、大関や関脇には簡単に勝ってしまいそうだが、このセールは続ける?

「続けますよ。まあ、赤字になったっていいじゃないですか(苦笑)。とにかくやり続けます!」

横綱フィーバーは隣の県にも波及。富山県小矢部(おやべ)市の洋食レストラン「よもぎ坂」では、横綱昇進が決まった5月28日から特大サイズの「横綱オムライス」をメニューに加えた。

直径30㎝の大皿に盛られたオムライスの量は通常の2倍。

かけるソースも通常は1種類だが5種類で価格は2800円(税込)。しかし、なぜ横綱オムライスを? 店主に話を聞いた。

「実は私、大の里のお父さんと同じ中学の同級生なんです。ただ......中学の同級生の相撲部にそういう人がいたなという記憶はあるんですが、話をしたことはありません(笑)。

最近になって息子さんが強いというのは同級生の間でもよく話に上っていたので、そこから大の里を応援していました」

新横綱・大の里のルーツを巡る旅【前編】 洪水や震災に泣いた町の"救世主"へ
富山県小矢部市の洋食レストラン「よもぎ坂」の特大、横綱オムライス(2800円)

富山県小矢部市の洋食レストラン「よもぎ坂」の特大、横綱オムライス(2800円)
そんな関係性からなぜ横綱メニューを?

「津幡町は富山県との県境にあるんです。この店は県境を挟んで富山県側にあります。大の里が大関になった頃から富山県のメディアの方が県内で大の里と関係ある人を探していて、私が津幡町出身でお父さんと同級生だとわかったみたいなんです。

そのとき、皆さんから『横綱になったときは何かやるんでしょう?』とか言われて、そんなに期待されてるならやろうかと。それで実際に横綱になられたので、横綱オムライスを始めることにしました。隣の富山からもエールを送っています」

■少年相撲教室を訪ねる!

続いては、相撲のルーツの地を探訪。大の里は小学校1年から6年まで津幡町にある津幡町少年相撲教室に通っていた。その相撲教室では当時と変わらず、津幡町総合体育館の中にある屋内の土俵で子供たちの指導が行なわれている。

話を聞いたのは西村幸祐コーチ。大の里が小学生の頃、指導していた。

「当時は正直まだそんなに飛び抜けて強くはなかったです。石川県で優勝したりしなかったりでしたから。今ここに通っている5年生の子のほうが、あの頃の大の里よりよっぽど強いです。

大の里は中学から新潟県に行って、その後の高校、大学でグンと強くなった。ひとりひとり強くなる時期が違うんです」

新横綱・大の里のルーツを巡る旅【前編】 洪水や震災に泣いた町の"救世主"へ
大の里のルーツ、津幡町少年相撲教室には現在小学生が15人、中学生が12人が通う

大の里のルーツ、津幡町少年相撲教室には現在小学生が15人、中学生が12人が通う
今の大の里の相撲について思うところは?

「根本は当時とそんなに変わってませんよ。攻め方は変わってますが、負け方は小学校のときとおんなじですから(笑)」

教室に集まる小中学生も増えたのでは?

「小学生が15人、中学生が12人います。中学生は県外から教室に通うために相撲留学してきた子もいます。小学生で大の里に憧れて入ってきた子はまだ2、3人ぐらいです。これからの伸びに期待です」

これからとはいえ、ひとつの土俵に10人以上が集まって相撲を取っている姿を見るとなかなか壮観だ。

新横綱・大の里のルーツを巡る旅【前編】 洪水や震災に泣いた町の"救世主"へ
金沢の「ちょい呑みダイニング貴」の店主、梅田貴夫さんは大の里の最初の指導者。

金沢の「ちょい呑みダイニング貴」の店主、梅田貴夫さんは大の里の最初の指導者。
金沢にもルーツを知る人が。居酒屋「ちょい呑みダイニング貴」の店主・梅田貴夫さんは、大の里が少年相撲教室に通い始めたときの最初の指導者。

「お父さんが小学生になったばかりの大の里を『厳しくお願いします』と連れてきたのが最初です。性格は明るかったですね。稽古はつらいんですが、ニコニコしていた印象があります」

やはり今場所中はお店も盛り上がった?

新横綱・大の里のルーツを巡る旅【前編】 洪水や震災に泣いた町の"救世主"へ
相撲に興味を持つ外国人観光客も「ちょい呑みダイニング貴」に集まる

相撲に興味を持つ外国人観光客も「ちょい呑みダイニング貴」に集まる
「毎日が相撲のパブリックビューイング施設みたいなもんですから、最高に楽しくやってました。

あと、うちの店は場所が終わったら海外のお客さんが増えるんです。国技館で相撲を見てきた海外の方がなぜか集まってくる。何かのガイドブックに書かれているんですかね、相撲のことを教えてくれる店ですとか。不思議です。

なので『あの白いものは何をまいたのか』とか『最後にたくさんもらった封筒はなんだ?』とかの疑問に答えてますよ(笑)。大の里のことも聞いてきました。『あの子は私の教え子だ』と言うとみんな驚きますね。『オウ。アメージング』とか言われます」

とにかく盛り上がりに盛り上がっている生まれ故郷。後編では中学、高校と相撲留学をした新潟県糸魚川(いといがわ)市を巡って喜びの声を聞いてみます。

取材・撮影/ボールルーム 写真/時事通信社(土俵入り)

編集部おすすめ