『週刊プレイボーイ』に登場する女性たちに「初グラビア」にまつわるエピソードや当時の想いを聞く連載、『初グラビア物語~My First Gravure Story~』。今回は、2018年に芸能界を引退した、レジェンド・谷桃子(たに・ももこ)さんが登場! その前編をお送りする。
谷さんは2006年に芸能界デビュー。2006年に『週刊ヤングサンデー No.38』で初グラビアを披露し、以降、グラビアアイドルとして、DVD、雑誌、テレビなど多岐に渡って活動。2009年には『ゴッドタン』(テレビ東京)に出演し、「芸人キラー」「哺乳類最悪」などと呼ばれる破天荒なキャラクターで一躍大人気に。バラエティでも大いに活躍した。
『週刊プレイボーイ』には2006年49号に初登場。以来、21回にわたって誌面を飾ってくれた。今回はそんな彼女にデビューまでの経緯や、初グラビアに関するエピソードを聞いた。
『週刊プレイボーイ』2006年49号(撮影/塔下智士)より
ーー超!お久しぶりです! まさか谷桃子さんに再びお目にかかれるなんて! 大感激です! 現在、いかがお過ごしですか?
谷 主人と娘二人の家族四人で、福岡で暮らしています。主人が美容室を経営しているんですけど、店舗に関するお仕事や、オリジナルのヘアオイルのプロデュースなどをしています。
ーー芸能のお仕事は?
谷 一切やっていないです。地元番組のリポーターとか、お話はいただくんです。でもまだ娘たちも小さいので、なかなかやってみようって気にはなれなくて。
ーーそうなんですね。でも幸せそうでなによりです! 今日は、そんな谷さんに初グラビアに関するお話をお伺いしたいと思います。まずはデビューに至るまでの経緯を教えてください。
谷 たまたま原宿に遊びに行ったところをスカウトされました。ものすごく怪しいと思ったんですけど、あまりに熱心に誘ってくださるのでやってみようかなって。
ーーもともと芸能界に興味はあったんですか?
谷 地元の携帯電話ショップで働いていた頃、茨城トヨタのキャンペーンガールに母親が応募して、受かってしまったんです。年4回、新車の出るタイミングで、地方に行ってプロモーションするというお仕事だったんですけど、それが楽しくて。人前に出る仕事に憧れはありました。でも本当に芸能のお仕事をするとは思ってなかったけど。
ーーその後、広告などのお仕事をするように。グラビアはどういうきっかけで?
谷 いろんな媒体に挨拶回りに行ったんですけど、最初に『週刊ヤングサンデー』さんから声をかけていただきました。
ーー2006年38号(8月17日発売)に登場しましたよね。それが谷さんの初グラビア。「YS乙女学院」という人気企画に2ページに登場し、その時の芸名は「藤田咲」でした。
谷 そうそう。藤田咲! みなさんに本名のほうがいいと言われて数ヶ月で改名しちゃったんですけどね(笑)。懐かしい~! でも最初、グラビアのお仕事にはすごく抵抗があったんですよ。
ーーというと?
谷 地元は海が近いのでよく行っていたけど、いつもTシャツに短パンだったし、水着も学校で"競泳用"を着るくらい。グラビアってビキニじゃないですか。事務所の社長に勧められたときは「絶対無理です!」って言いましたもん(笑)。でも話し合う中で、少しでも多くの人に自分を知ってもらうため挑戦してみようってなりましたけど。

ーーその時はスタジオでビキニと制服姿の2ポーズを撮影しました。最初に衣装を見た時の印象は?
谷 水着が小さい!って(笑)。
ーー撮影はスムーズに?
谷 水着に着替えたんですけど、いざ撮ろうってなったらやっぱり恥ずかしくて。楽屋に20分ほど閉じこもっちゃいました。最後はスタイリストさんにお尻を叩かれてカメラに向かいましたね(笑)。で、撮影に入ったら入ったで、緊張するし、どうしていいかわからないし、もう直立状態。ひたすらカメラマンさんの指示通りに動きました。
ーー無我夢中に?
谷 本当にそう! あっという間に終わりましたね。でもスタッフのみなさんが私をキレイに撮ろうとしてくれて、すごく嬉しかったです。ちょっと恥ずかしいけど、早く自慢したいなとも思いましたもん!(笑)
ーー掲載誌は買いに行きました?
谷 もちろん。
ーーあははは。可愛い~! 反響はどうでした?
谷 まだSNSとかなかったからそこまではわからないけど、それなりにあったと思います。地元の友達からもメールが来ました。信じられないかもしれないけど、学生時代の私ってものすごい恥ずかしがり屋で、赤面症だったんです(笑)。だからみんなに「びっくりした」「大丈夫だったの?」って散々言われました。
ーー『週刊プレイボーイ』は、2006年49号(11月20日発売)に初登場。最初は編集部に顔見せにいらっしゃったんでしたっけ?
谷 そうです。事務所の社長と一緒に行きました。週プレさんって有名な雑誌じゃないですか。

『週刊プレイボーイ』2006年49号(撮影/塔下智士)より
ーー撮影の思い出は?
谷 これは沖縄でロケしたんですよ。私、沖縄に行ったのは生まれて初めて。ワクワクしながら行ったけど、当日はあいにくの土砂降りで。「大丈夫かな」「どうなるんだろう」と不安はあったんですけど、逆にその雨の雰囲気を生かし、しっとり憂いのある女のイメージで撮影してもらいました。誌面には載らなかったけど、雨に飛び込んでびしょびしょの姿も撮影しましたね。
ーーなるほど。この時も緊張はしました?
谷 いえ。その時点で1st DVDも出ていたし、緊張はなかったです。でもこうしてみると、初々しいですね。
ーーこのグラビアが出たくらいの頃から、谷さんはさまざまな雑誌の誌面を飾るようになり、翌年、日本テレビのイメージガール「日テレジェニック2007」にも選出。注目度は上がっていきます。
谷 グラビアが出るとファンの方が「このカットがよかった」「この表情が良かった」とか、当時やっていたアメブロにたくさんコメントをくれるんです。それを見るのが楽しくて。すると自分も「ファンの方はどんな表情をしたら喜んでくれるかな」「こんなポーズかな」とか、逆に考え始めるようになって。最初はめちゃくちゃ恥ずかしかったのに、いつの間にかグラビアに出ることに病みつきになていました(笑)。
ーー初期の週プレのグラビアで印象に残っているものはあります?
谷 雪の中で撮影したことは覚えていますね(2007年8号/2月10日発売)。

『週刊プレイボーイ』2007年8号(撮影/熊谷貫)
ーーおーっ! すごくキレイです。
谷 ですよね。自分もそう思います(笑)。でもこの時はめちゃくちゃ寒かったんですよ。しかも雪がすごく降ってきて、手はかじかんでくるわ、視界も悪くなってくるわで。スタッフの皆さんと文字通り必死になって、撮影しました。この後、温泉でも撮影したんですけど、その時は本当に染み入るというか、ここは天国かっていうくらい幸せでしたね~。あと他に印象に残っているといえば、グラビアではないけど、自衛隊に入隊して撮影したことがあって。
ーーえ!? じ、自衛隊に入隊ですか? なんですか? それ?
谷 うふふふ。それは、自分の芸能人生の中で一番と言っていいくらい、本当に大変なお仕事で。それは次回、詳しくお話ししますね(笑)。

谷桃子(たに・ももこ)
1984年9月9日生まれ 茨城県出身
2006年デビューし、グラビア、バラエティ、ドラマ、映画、競馬中継などで幅広い分野で活動。2018年結婚し、同年12月芸能界を引退。
現在は福岡在住。美容室を経営する夫の店舗に関する仕事や、"hana-koi"ピュアオイルのプロデュースなどを手掛けている。
取材・文/大野智己 撮影/荻原大志