一度に接種した6つのワクチン。右肩に3本、左肩に3本を同日に接種した。
連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第121話
感染症リスクのある地域で「リスクある行動」をするためには、いくつかのワクチンの接種が強く推奨される。しかしそれを完了しておらず、あわててワクチンを接種することになったが......。
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■慌ててワクチン6連発(!)
「ジャングルツアー」は決まったものの、エチオピアのアディスアベバ(115話)から帰国したばかりの私には、急ピッチで進めなければならないことがあった。
それは、感染症リスクのある地域に赴くことに備えた、ワクチンの接種である。ちなみに、黄熱病のワクチンだけは、エチオピア出張前にすでに接種していた(115話)。
しかし、感染症リスクのある地域で「リスクのある行動」をするためには、黄熱病ワクチンだけでは不充分であるという。
これからの「外向きのチャレンジ」(27話)、そしてその中でも、103話で紹介したような、「『感染症の現場』から『最先端のウイルス研究』までをシームレスにつないで、それを全部やる」ことを標榜する、私の研究室の名前でもある「システムウイルス学」を実現するためには、「感染症の現場」に足を踏み入れなければならない。
今回の「ジャングルツアー」は、まさにその最たるもののひとつともいえる。
そして、今回同行する大学院生のFや、アディスアベバ(115話)に同行したポスドクのUやフィリピン人大学院生のJをはじめ、「感染症の現場」に足を踏み入れる覚悟を決めた私のラボメンバーたちは、そのために必要なワクチンをすでに接種していた。
しかし、いささか恥ずかしい話ではあるが、「感染症の現場」に足を踏み入れたとしても、自ら「リスクのある行動」をするつもりがあまりなかった私は、必要なワクチンの接種を完了していなかったのである。
トミーたちと打ち合わせをする中で、どうやら私自身もジャングルに足を踏み入れる必要があること、そして、ジャングルに足を踏み入れる行動そのものが「リスクのある行動」に該当するということが判明。自ら「リスクのある行動」をする以上、黄熱病のワクチンだけでは不充分、というわけである。
そこで私は、大学院生のFに連れられて、私の職場でもある、東京大学医科学研究所附属病院の渡航外来を受診し、マレーシアのジャングルに分け入るにあたって気をつけるべきことの指南を受けた。
そして、渡航までの時間が限られている私は、受診したその日に、なんと6つものワクチンを同時に受けることとなったのである。
1日に6つのワクチンなんて、そんな無茶苦茶な、なんという罰ゲーム! そう思わなくもなかったが、旅程はもうすでに決まっている。背に腹は変えられない。幸いにして副反応もなく、無事に免疫バッチリな体を作り上げることに成功した。
■ワクチンでは対応できない熱帯病
とはいえ、「これで完璧(ドヤァ)」というわけには残念ながらいかない。ワクチン接種を受けたこれらの感染症以外にも、ワクチンでは対処できない熱帯感染症はたくさんある。
たとえば、マラリア。マラリアとは、黄熱病や日本脳炎と同じように、蚊によって媒介される感染症。ウイルスではなく、マラリア原虫の感染によって引き起こされる感染症であるが、これを予防するためのワクチンはまだない。
そのため、「マラロン」という抗マラリア原虫薬を、滞在中ずっと飲み続ける必要がある。

マラリア予防薬「マラロン」。渡航前日から帰国1週間後まで、これを毎日1錠ずつ、決められた時間に飲み続けなければなない。
マラリアや黄熱病以外に、蚊によって媒介される熱帯病で有名なのは、デングウイルスによって引き起こされるデング熱。
デング熱ワクチンについては、2024年以降、ベトナムやタイなどの東南アジアの国々で臨床応用が進んでいるものがある。しかし、この原稿を書いている2025年7月現在、このワクチンは、日本ではまだ認可されていない。
つまり、デング熱の発症を避けるためには、「蚊に刺されない」というきわめて原初的な対処しかない、ということになる。
――と、熱帯病について考えを巡らせる中で想起されるのはやはり、120話でも触れた、「水曜どうでしょう」の「マレーシアジャングル探検」である。この番組の見どころ(?)のひとつに、主演の大泉洋には目的地を告げずに参集し、彼を半強制的に連行する、というものがある。
つまり大泉氏は、今回私が受けたワクチン接種のような事前準備がなにもないまま、マレーシアのジャングルに突入した(させられた)、ということになる。しかも、ジャングルのど真ん中にある、窓のないツリーハウスのような「ブンブン」で、終始Tシャツに短パンという出で立ちで。
この番組が放送されたのは1998年。当時の私はまだ高校生、今回同行する大学院生のFはなんとまだ1歳(!)である。時代背景が違うのはもちろん、コンプライアンスの概念が現在とはまるで違うことは明らかである。
そして言わずもがな、新型コロナパンデミックという感染症有事を経験したことによって、感染症への意識が高まったことの影響もある(私の場合にはさらに、職業上、一般に比べて感染症に理解がある、ということもある)。
しかしそれでも、同じような境遇に身を置くことを改めて考えたとき、この番組のあまりの無防備さと、今や大河俳優にまで上り詰めたこの大俳優には、畏敬というか畏怖というか、平たく言えば開いた口が塞がらない念を新たにしたのであった。
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文・写真/佐藤 佳