アジアン・ヤング・ジェネレーション2~ボルネオ島(5)【「新...の画像はこちら >>

私がこの原稿の初稿を書いていた、フィールドセンターの食堂の机。そして、この写真の撮影時には絶賛停電中。

連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第124話

ジャングルという「現場」に足を踏み入れて、初めて気づかされたことがある。それは、「野生動物にはさほど興味がない」という事実であった。

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■ジャングルに来てみて気づいた衝撃の事実

私はもともと寝つきが悪く、真っ暗で静かな環境でないとうまく眠りに入ることができない。深夜、何の明かりもないこの環境では、目を閉じても開けても漆黒の世界が広がっている。

しかし、フィールドセンターの寝室には窓ガラスがない。二重の網戸が貼られた窓の外から聞こえてくるのは、虫かもサルかもわからない謎の生き物たちの大合唱。つまりここには、「暗闇」はあるが、「静寂」はなかった。

そして、睡眠導入のために、寝酒の晩酌をしてから床に就くのが私の日常なのだが、フィールドセンターでは飲酒は厳禁。これもまた私にとって、ジャングル生活の過酷さを植えつけるひとつの要因となった。

......そもそも、である。「ジャングル!」「冒険!」「水曜どうでしょう!」などと出発前に息巻いていた私は、自分のことを、比較的アウトドア指向の人間だと思いこんでいる節があった。

子どもの頃にはよく釣りに出かけたし(107話)、山形市内を流れる馬見ヶ崎川で、素っ裸で泳いだりしていたこともある。

――しかし、いざ冷静になって思い返してみると、そもそもキャンプなんて、子どもの頃に家族に連れられて一度やったことがあるくらい。虫も好きではない。

最後に山登りをしたのは中学生の頃の遠足などだろうし、高尾山にすら登ったことがない。

フィールドセンターの初夜は、「そんな経験しかない男が、いったいどの口で『ジャングル!』などとほざいていたのか」と自責の念に駆られ、ほとんど眠りに就くことができなかった。

どんなことであっても、興味や情熱、モチベーションがどこまでもはてしなく広がっていくわけではない。どんな困難も、熱意や努力だけで解決できるというわけではない。大抵の場合、必ずそのどこかに、「閾値」という限界がある。

たとえば、私がこのボルネオ島のジャングルに至るまでの経緯をすこし振り返ってみる。私の場合、私の情熱の根源はウイルス学であり、「分子ウイルス学」という専門分野を入り口に、研究の世界に飛び込んだ。

そして、新型コロナの研究をきっかけにその幅を広げ、「感染症の現場」と「最先端のウイルス研究」をシームレスにつなぐ、「システムウイルス学」というあたらしい学問を創成することを標榜するようになった(103話)。これが、ボルネオ島のジャングルに足を運んだ、2024年5月時点での私の「現在地」である。

「感染症の現場」にはいろいろなものがあるが、そのひとつに、私が研究対象とする、「human-animal interface(ヒトと動物の接点)」というものがある。チンパンジーからヒトへ、あるいは、コウモリからヒトへと、動物から人間にウイルスが「スピルオーバー(異種間伝播)」する「現場」を指す専門用語である。

そして、「human-animal interface」に注目した研究を進めるためには、その「現場」、つまり、野生動物やウイルスの生息地を理解する必要があり、今回の出張の目的はまさにそこにあった。

つまり、繰り返しになるが、私は「分子ウイルス学」を出発地として研究を展開する中で、「human-animal interface」に興味を持った。そしてそれを軸として、標榜する「システムウイルス学」の実現のために、興味の裾野を広げるに至った。

そのためには、「human」のみならず、「animal」にコンタクトする必要がでてきた。そしてその実現のために、野生動物にアクセスできる施設、つまり、ボルネオ島のジャングルのど真ん中にあるこのフィールドセンターにたどり着いた、ということになる。

現実を目の当たりにしなければ、自分のことでも気づかないことはある。このジャングルという「現場」に足を踏み入れて、私は初めて、「私は、野生動物にはさほど興味がない」という事実を知った。

「フィールドセンター」とは、野生動物や自然の保全を主たる目的とした施設であり、基本的には、それに関連する研究や野外活動に興味がある人たちが集まって活動するための施設である。

しかし私がここに来た目的は、野生動物の保全などではない。上述のとおり、「システムウイルス学」の延長線上にあるもののため、「human-animal interface」の「現場」を知るためだ。

すこし振り返ると、コタキナバルの夜の喧騒(122話)には、私を高揚させるものがあった。しかしその一方で、これは自分自身でも驚いたのだが、「ジャングルで野生動物を観察する」という行為は、私の琴線に触れるものではなかったようだ。

■「ワンヘルス(One Health)」とは?

やや逆説的ではあるが、ここに来たことによって、私の興味はやはり、ヒトと動物の「接点(interface)」にあることに気づいた。

しかし軸足となる片足は、人間活動や人の営み、つまり、「ヒト(human)」の方に根づいているのだ、ということを痛感することとなった。

ここで重要なのは、「次のパンデミック」もおそらく、人獣共通感染症、つまり、動物から人間社会に持ち込まれるウイルスによって引き起こされるだろう、という事実である。エイズも鳥インフルエンザも、SARSもMERSもそうだし、そしておそらく、COVID-19もそうだろうと考えられている。

つまり、「次のパンデミック」に備えるのであれば、「ヒト(human)」の側だけを見ていてはダメで、だからこそ私は、「human-animal interface(ヒトと動物の接点)」に着眼し、それを「システムウイルス学」として展開させていきたいと考えているわけだが、それをさらに発展させたコンセプトが、「ワンヘルス(One Health)」と呼ばれるものだ。

「ワンヘルス」とは平たく言えば、「人間の感染症のことだけを考えるのではなくて、動物や環境も含めて、地球全体の『健康』を考えましょう」というものである。

もう少し噛み砕くと、「人間も家畜も野生動物もすべて、地球という『ひとつの生態系』の構成成分である。『次のパンデミック』に備えるために、人間社会の健康だけを考えるのではなくて、地球全体を『ひとつ(One)の生態系』として捉えて、その『健康(Health)』について考えましょう」ということになる。

これまでの私のラボは、新型コロナパンデミックのように、「人間社会の感染症」、つまり、「human-human interface(ヒトとヒトの接点)」に焦点を当てていた。

そしてそこから、「次のパンデミック」に備えるために、「human-animal interface(ヒトと動物の接点)」へと焦点がシフトしつつある。動物からヒトへの、ウイルスの「スピルオーバー(異種間伝播)」の原理を理解するためだ。

これを「ワンヘルス」のコンセプトに沿ってもっと深掘りをすると、人間社会に至るすべてのウイルスは、野生の世界からもたらされている、という事実に着地する。

つまり、「human-animal interface」の背後には、野生の生態系における無数の「animal-animal interface(動物と動物の接点)」があり、その中をさまざまなウイルスが循環している、ということになる。

それも含めて、すべてを「総体」として考えましょう、というのが、ざっくりとした「ワンヘルス」のコンセプトになるわけである。このようなコンセプトを、私は「分子ウイルス学」を起点としたウイルス学の延長上に見ているわけだが、俯瞰的に見ると、これはもはやウイルス学というよりも、生態学の範疇に近い考え方のようにも思う。

――と、このように思いを巡らせてみると、「分子ウイルス学」を入り口に、ずいぶんと遠くまでやってきたものだな、などと、ボルネオ島のジャングルの中で思い至るのであった。

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文・写真/佐藤 佳

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