アジアン・ヤング・ジェネレーション2~ボルネオ島(7)【「新...の画像はこちら >>

トミーが見つけた、ジャングルに咲く花。コロナウイルスのようにも見えなくもない?

連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第126話

3泊4日のジャンルグツアーを終えて気づいたこと。それは「私の本質は、子どもの頃とさほど変わっていない」、ということだった。

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■「ジャングルツアー」を終えて

このフィールドセンターを拠点として、私は3泊4日の時間を過ごした。

フィールドセンターに来て4日目の朝。大学院生のFとカーホンを残して、私とトミーのふたりは、フィールドセンターを後にした。往路と同じように、フィールドセンターのスタッフのティムが操縦するボートで船着場まで向かい、そこで車に乗り換えてサンダカンに向かう。

サンダカンに着くと、トミーとティムと一緒に、マレー料理の「バクテー」をランチに食べた。

アジアン・ヤング・ジェネレーション2~ボルネオ島(7)【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】
ティムとトミーと一緒にサンダカンで食べた「バクテー」。炒め物のような不思議なバクテーだったが、とにかくうまかった。

ティムとトミーと一緒にサンダカンで食べた「バクテー」。炒め物のような不思議なバクテーだったが、とにかくうまかった。

ティムは、秋に来日する予定があるようで、東京のことをいろいろ訊いてきた。屈強な彼が、不意に不安な顔を浮かべ、こんなことを口にしたのが印象的だった。

「東京はすごい数の人が密集した都会なんだろう? ここに来る前に、クアラルンプールにちょっとだけいたことがある。だけど、ゴミゴミした都会に耐えられなくて、1週間で離れた。それが嫌で、俺はジャングルに住んでいるんだ」

これはまさに、フィールドセンターに着いてすぐの私が痛感したことと、まるで逆の感想だった。

私にとっての「ジャングル」はある意味で、大泉洋にとっての「水曜どうでしょう」の「マレーシアジャングル探検」の「ブンブン」よろしく、「罰ゲーム」として記憶に残るような体験であった。

はやく「都会」に帰りたい、エアコンのある部屋に戻りたい、清潔なシーツが張られたベッドに横になりたい、そして冷たいビールを飲みたい――。そんな願望を、決して清潔とは言えないベッドの上で、眠れないフィールドセンターの夜に何度思い描いただろうか。

そんな私とは対照的に、フィールドセンターのスタッフであるティムにとっては、「都会(の喧騒)」の方が苦痛で、「ジャングル」にあるフィールドセンターの方が居心地が良いという。

やはり何につけ、興味やモチベーション、情熱や閾値、相性や嗜好というものは人それぞれであって、それによって適性や嗜好もさまざまである、ということに改めて気づかされるランチとなった。

■「ジャングル」を離れて

ティムと別れ、トミーとふたり、サンダカンからコタキナバルに戻る。この旅に出る前の私も、ジャングルから帰還した自分がある程度疲弊しているであろうことは想定していた(もちろん、その過酷さは想像以上だったわけだが......)。

それを見越して、自腹で奮発して、コタキナバルのマリオットホテルを予約していたのである。夢にまで見た冷房の効いた部屋に、きれいなシーツが張られたふかふかのベッド!

アジアン・ヤング・ジェネレーション2~ボルネオ島(7)【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】
宿泊したコタキナバルのマリオットホテルの一室。きれいなシーツが張られたベッド(左)に、清潔なトイレとシャワーブース(右)。123話に載せた、フィールドセンターの宿舎の写真と見比べてみてほしい。

宿泊したコタキナバルのマリオットホテルの一室。きれいなシーツが張られたベッド(左)に、清潔なトイレとシャワーブース(右)。123話に載せた、フィールドセンターの宿舎の写真と見比べてみてほしい。

ホテルにチェックインしてひと息をつき、日が暮れた頃にトミー再び合流。コタキナバルの夜の喧騒に繰り出して、これまた夢にまで見た、キンッキンに冷えたタイガービールで乾杯をした。

アジアン・ヤング・ジェネレーション2~ボルネオ島(7)【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】
夢にまで見た、キンキンに冷えたビール!

夢にまで見た、キンキンに冷えたビール!

翌日。コタキナバルの空港でトミーと別れ、そこからクアラルンプール、シンガポールと、往路と逆のルートをたどって東京に戻る。クアラルンプールでは、シンガポール行きの便が予約されていないという不可解な事故に見舞われたが、急遽、別のチケットを購入することでことなきを得た。

早朝に羽田空港に着いた私は、東京・三田にある銭湯に直行。ジャングルで染みついた全身の汚れをすみずみまで綺麗に洗い流し、ゆっくりと湯に浸かる。

――ゆったりとした気持ちで浴場の天井をぼんやりと眺めながら、今回の旅を振り返ってみた。

子どもの頃の私は、何事にも熱しやすく冷めやすく、そして、自分が心から興味を持つことにしか熱中することができなかった。

期せずして、今回の「ジャングルツアー」で私は、ジャングルというものの中に、私の心を揺さぶる"なにか"が秘められていることに気づくことができた。しかしその実、それは「野生動物の観察」のようなものではないこと、そしてそのようなもの・ことでは、私の好奇心は焚きつけられない、ということを身をもって知ることができた。

つまるところ、「私の本質は、子どもの頃とさほど変わっていないのだな」、ということに気づかされることとなった。

今回の旅で、ジャングルにはたしかに、私の好奇心の琴線に触れる「芽のようなもの」を見つけることはできたのだと思う。

しかし、ジャングルに潜むさまざまなハードルの閾値を超えて私の好奇心が勝り、その領域に足を踏み入れるのは、この時の私にはまだ尚早だったのかもしれない。

平たくいえば、「ジャングル生活の過酷さ」と「ジャングルに潜む、私の好奇心を焚きつけるもの」を天秤にかけたとき、まだまだ前者が勝っている、という現実を知った、ということだ。

そうやって、つい2日前まで身を置いていたボルネオ島のジャングルのことを思い出してみると、月並みな表現ではあるが、それははるか遠い世界の出来事、あるいは、夢の中の出来事であるかのようにも思えた。

そして不思議なもので、「たしかにいろいろあったけど、あれはあれでいい経験だったな」という思いが頭をかすめた。

――じゃあ、「ジャングル・リベンジ」しますか? と問われても、当分の間、私は「No」と即答するだろう。

しかし、東京に戻って改めて振り返ってみると、今回の「ジャングルツアー」が私に「罰ゲーム感」をもたらした大きな要因は、①宿舎の衛生環境が私の「閾値」を超えていたことと、②寝室が相部屋でプライバシーがなかったこと、の2点に集約されていることに気がついた。

トミーやカーホンらの香港大学のチームはもちろん、ティムをはじめとしたフィールドセンターの人たちもみんな親切だったし、食堂のある共同施設での生活は、非日常感が満載でワクワクするものであった。

そこから離れてみて、「都会」からそこでの出来事を改めて思い返してみると、ジャングルにはやはり、ワクワク感を焚きつける"なにか"が潜んでいるように思えてならなかった。

......まあやはり、そのような饒舌な感覚も、東京という大都会に戻ってきたからこそ、あるいは、その中の心地良い大浴場に浸っているからこそ浮かぶ、淡い幻想のようなものなのかもしれない。

そんなことを考えたりしながら、長湯を終え、脱衣場で身支度を整える。そしてその足で、東京・白金台にある自分のラボに顔を出す。およそ一週間ぶりの東京。

――さて、日常である。

文・写真/佐藤 佳

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