ドブネズミ捕獲大作戦!(後編)【「新型コロナウイルス学者」の...の画像はこちら >>

2021年7月29日、「ドブネズミ捕獲大作戦」当日の渋谷のセンター街。

連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第128話

果たして、ドブネズミたちの間で新型コロナ感染は広がっているのか? ドブネズミを捕まえる「捕獲班」と、解剖して検体を採取する「解剖班」に分かれて、ついに作戦を実行に移す!

※前編はこちらから

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■進む綿密なプランニング

2021年7月29日夜、「ドブネズミ捕獲大作戦」の幕開けである。

とはいえそれまでは、私が率いる実験ウイルス学の研究と、特任助教(当時。

現准教授)のIが率いるバイオインフォマティクスの研究を両輪に活動してきたラボである。東京都内とはいえ、「フィールド」に出て、ウイルスを探すために動物を捕獲しにいく、というような経験はない。

その経験に長けたI社のT氏と、T氏と共同研究をしている東京大学のK准教授に協力を仰ぐことができたのは、まさに渡りに船だった。

彼らは、事前にどのような手続きが必要なのか、どのような機材が必要なのか、どのようなチーム編成が必要なのか、どのような動線でそれぞれのチームが動くべきなのか、そのノウハウを惜しげもなく提供してくれた。

まず、数ある東京の街の中から、ターゲットを渋谷に絞る。いちばん若者が集まっていそうで、特に「路上飲み」が盛んだったことがその理由だ。

次にチーム編成。ネズミの捕獲は深夜に実施するので、「捕獲する人」と、「捕獲したネズミを解剖して検体を収集する人」は別々の方が良い。

つまり、深夜の渋谷の繁華街でネズミを捕まえる「捕獲班」と、翌朝にそれを解剖して検体を採取する「解剖班」の2班が必要になる。

「捕獲班」は、渋谷を拠点に一晩中行動する。さすがにひと晩ぶっ通しで捕獲に専念するわけにもいかないので、複数人による、交代交代での活動になる。交代・休憩するためには、渋谷に「本部」が必要になる。

ということでそのために、渋谷のEホテルのシングルルームを3部屋確保する(室料をちょっと調べてみると、2025年現在の5~10分の1の値段だった......)。

あとは、当日の動線である。「捕獲班」は、渋谷の繁華街でドブネズミを夜通し捕獲する。ネズミ捕りは、I社のものを使用させてもらう。ネズミ捕りをしかける場所は、T氏の指示に従う。

酔っ払いや、関わってはいけない人たちが闊歩する深夜の渋谷の繁華街である。揉め事にならないよう細心の注意を払ってネズミ捕りを仕掛ける。設置地点は、iPhoneのGoogle Mapsでログを取った。

時折、「捕獲班」のメンバーが交代しながら見回り、ネズミが捕獲されていないかを見回る。捕獲されていたら、ネズミ捕りごと、駐車場の隅の目立たないところに隠しておく。

■作戦開始!

そのようにして、その夜、作戦は決行された。T氏率いる「捕獲班」は、渋谷に集結する。

――と、実はこの作戦を決行するにあたっていちばん大きなハードルだったのは、「解剖班」が捕獲したネズミたちを解剖する場所であった。

「そんなのラボでやればいいじゃん」と思うかもしれないが、野生動物の解剖であっても、研究所内で動物を扱うためには、事前にそれを申請し、承認を得る必要があるのである。

これまでに紹介した通り、作戦の立案から実行まで、約2週間の突貫の作戦。どうしても東京オリンピックの開催中に実施したかったからだ。しかし、動物実験の承認を得るためには、申請からひと月以上かかることもザラにある。

どうするか? そんな議論をしていると、T氏があろうことか、自分の自宅を提供できる、という話を持ち出した。T氏の自宅は、千葉県の某所にあった。

そして当日。29日の夜、「捕獲班」は夜通しで奔走し、計27匹のドブネズミの捕獲に成功した。翌30日の早朝、ドライバー役の大学院生Aがそこに合流し、「捕獲班」は解散。

ドライバーAとT氏が、レンタカーの後部座席に捕獲したネズミたちを載せ、窓を全開にしてにおいが車内に篭らないよう細心の注意を払いながら、千葉県某所にあるT氏の自宅に向かった。

一方、私は「解剖班」の一員であった。こちらは、私が運転するレンタカーで、T氏の自宅にほど近いところまで行き、そこにある安宿に前泊。

翌30日の早朝に、ネズミを載せたT氏たちと、T氏の自宅で合流した。

ちなみに私は、渋谷の「捕獲班」の現場には立ち会わずにT氏の自宅に向かっていたので、これが私にとって、T氏との初対面であった。2週間もの間、面識もない私の作戦の立案と実行に協力していただいたT氏には、本当に頭が上がらない。

ドブネズミ捕獲大作戦!(後編)【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】
(左)T氏の自宅の軒先に並べられた、捕獲した27匹のドブネズミたち。(右)解剖の記録を残した実験ノート。

(左)T氏の自宅の軒先に並べられた、捕獲した27匹のドブネズミたち。(右)解剖の記録を残した実験ノート。

■「ドブネズミ捕獲大作戦」の顛末

7月30日の早朝、T氏の自宅の駐車場の片隅で、検体採取が行われた。解剖する人、検体を保管する人、記録をつける人と、それぞれに役割を分担。万が一の感染リスクを避けるために、ガウンを来て、ゴム手袋とゴーグルとN95マスクをつけての作業となった。

人通りのほとんどない千葉県の某所とはいえ、またある人の敷地内とはいえ、青色のガウンを羽織り、ゴム手袋とN95マスクをつけた数人がたむろして何かの作業をしていたさまは、かなり異様だったに違いない。

早朝とはいえ、7月末の真夏である。やがて蝉が鳴き始め、日差しも強くなる。玉の汗が流れ始める。

最初のうちは、肺の具合が明らかにおかしなネズミが見つかると、「これはやばい!」などと興奮しながら作業を進めた。

しかし暑さが増すにつれ、口数は減っていき、やがてみな無口になり、黙々と作業を続けた。すべての作業を終えたのは、午前10時になる頃であった。

T氏に改めて深くお礼を伝え、レンタカーで検体をラボに運び込む。必要な処理を施し、さっそく新型コロナの検査をする。

――結果はすべて陰性。懸案していた「ドブネズミによる変異株のるつぼ化」を示唆する結果が得られなかったことは、社会としてはホッとする結果ではあった。

しかし、仮説を検証する研究者の立場としては、「残念!」とまでは言わないまでも、ぐむむむ......と思わずにはいられないのであった。

いずれにせよ、慣れない計画を思いつき、協力してくれる仲間を集め、それを実行に移すことができた、という事実は、経験値として「今」に活きている。この経験の3年後、ボルネオ島のジャングル(120話)に分け入っていようとは、当時は夢にも思っていない。

そして、「捕獲班」にとっては、深夜の渋谷の繁華街でネズミ捕りを片手に徘徊したこと、「解剖班」にとっては、人気のない千葉県某所のある人の庭先で汗だくになりながらネズミの解剖をしたことは、ちょっとした「夏休みの思い出」のように記憶に残っている。

あれ以来、毎年夏になると、この一連の出来事を思い出すし、これに参加していたメンバーたちとは、「あの年はこんなことをやったねえ」などと、思い出話に耽ったりもする。

あれからもう4年、今年もまた夏がやってくる。

文・写真/佐藤 佳

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