【現地取材】トヨタが6年ぶりの「ニュル24時間レース」に挑戦...の画像はこちら >>

モリゾウにとってニュルは、2007年から続く「もっといいクルマづくり」の原点。今回、69歳という年齢を感じさせない走りを披露した

世界一過酷ともいわれるニュルブルクリンク24時間耐久レースに、トヨタが再挑戦! しかも、"モリゾウ"こと豊田章男会長も激走。

現地でその走りを見届けた自動車研究家・山本シンヤ氏が、舞台裏をリポート!

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■開始90分でまさかの停電!

ドイツ西部に広がる〝伝説の森〟――ニュルブルクリンク。170以上のコーナー、最大高低差300m、そしてうねる路面。1周20km超のこのコースは、サーキットというより峠道に近い。走るクルマすべてに試練を与える、〝車両開発の聖地〟。

そんな過酷な舞台で、年に1度だけ行なわれる〝地獄の祭典〟が、「ニュルブルクリンク24時間耐久レース」。今年の第53回大会は、日本時間6月21日23時にスタート。134台のマシンが昼夜を問わず激走する、まさに〝生き残り戦〟である。

ニュル24時間レースでは、毎年なんらかのアクシデントが起こる。だが今年は、その〝波乱〟があまりにも早すぎた。

レース開始からわずか1時間半でサーキットがまさかの停電。信号も、給油も、計時もすべてストップ。レースは長時間の赤旗中断に追い込まれた。それでも、ニュルの森に集まった28万人の観客の熱気は冷めなかった。

やがてエンジン音が森に響き渡り、〝地獄の祭典〟が再び動き出した。

■モリゾウがニュルに挑むワケ

今年の注目はニッポンのトヨタ。6年ぶりの参戦を果たした新チームはTGRR(トヨタガズールーキーレーシング)。GRとルーキーレーシングが融合したこの体制で、ステアリングを握ったのは、〝モリゾウ〟こと豊田章男会長。長男・大輔氏と共にGRヤリスDATでSP2Tクラスに挑んだ。もう一台はSP8Tクラスに参戦するGRスープラGT4 EVO2。

【現地取材】トヨタが6年ぶりの「ニュル24時間レース」に挑戦! モリゾウ(豊田章男会長)が亡き師匠にささげた「魂の15周」と「もっといいクルマづくり」の覚悟
トヨタのGRヤリスはWRCやスーパー耐久などで磨き抜かれた車両だが、今回のニュル参戦でその完成度の高さが証明された

トヨタのGRヤリスはWRCやスーパー耐久などで磨き抜かれた車両だが、今回のニュル参戦でその完成度の高さが証明された

モリゾウが、初めて〝地獄のサーキット〟に挑んだのは2007年。当時はトヨタの副社長だったが、チーム名に「トヨタ」の3文字を使うことすら許されなかった。そこで彼が選んだのは、自らが業務改善支援室の室長時代に立ち上げた「ガズー」の名。

クルマもネッツ群馬で購入した中古のセダン・アルテッツァ2台を改造しての参戦だった。社内の反応は冷ややか。世間の目も厳しく、「創業家の御曹司の道楽」と揶揄される始末。まさに、逆風の中、マイナスからの挑戦だった。

【現地取材】トヨタが6年ぶりの「ニュル24時間レース」に挑戦! モリゾウ(豊田章男会長)が亡き師匠にささげた「魂の15周」と「もっといいクルマづくり」の覚悟
モリゾウの運転の師匠がトヨタのマスターテストドライバーだった故成瀬弘氏。ニュル近郊の交通事故で亡くなり、今年で15年となる

モリゾウの運転の師匠がトヨタのマスターテストドライバーだった故成瀬弘氏。ニュル近郊の交通事故で亡くなり、今年で15年となる

誰からも応援されない孤独な挑戦を支えたのが、トヨタのマスターテストドライバー・故成瀬弘氏。当時、モリゾウが運転訓練で使っていたのは、すでに生産終了していた80系スープラ。

ほかのメーカーが最新のスポーツカーを走らせる中、トヨタには現役のスポーツカーすらなかった。そんな状況でニュルを走っていると、ほかのメーカーの開発車両が追い抜きざまにこう言ってきた。

「トヨタさんにはこんなクルマは造れないでしょ?」

モリゾウが振り返るその言葉には、屈辱と悔しさがにじむ。だが、その悔しさこそが、彼の原動力になった。そして、そんな孤独な挑戦を支えていたのが、成瀬氏だった。

「成瀬さんは何も教えてくれません。ただ、ただ、成瀬さんの後ろを走り、テールランプを見ながら、走り方を学びました」

モリゾウがそう語るように、成瀬氏の〝教え〟は言葉ではなく走りそのものだった。クルマの挙動を感じ、路面と対話する―それが彼の〝走りの哲学〟であった。

2010年、ニュル近郊の一般道で成瀬氏は事故に遭い、帰らぬ人となった。

だが、成瀬氏の哲学は今も、モリゾウの走りの中に生き続けている。

■ニュルに挑んだGRヤリス

今回のニュルで走ったGRヤリスは、WRC(世界ラリー選手権)、全日本ラリー、スーパー耐久など、過酷な舞台で「壊しては直し」を繰り返し鍛え上げられてきたマシン。だが、ニュルブルクリンクは未経験。つまり今回の挑戦は、GRヤリスが〝ニュルでも通用するクルマ〟だと証明する場でもある。

【現地取材】トヨタが6年ぶりの「ニュル24時間レース」に挑戦! モリゾウ(豊田章男会長)が亡き師匠にささげた「魂の15周」と「もっといいクルマづくり」の覚悟
トヨタのニュル挑戦は「壊しては直し」を繰り返し、市販車の性能を極限まで鍛えるもので、現在のトヨタの哲学を体現している

トヨタのニュル挑戦は「壊しては直し」を繰り返し、市販車の性能を極限まで鍛えるもので、現在のトヨタの哲学を体現している

今回のレースでモリゾウは、2度のスティント(走行区間)で計15周を走破。当初の予定よりも多い周回数だったが、走るたびに「もう1周、もう1周」となり、気づけばステアリングを握り続けていた。

「最高ですね。たぶん8速ATじゃなかったら、15周は無理だったと思います。モータースポーツって敷居が高いと感じている人も多いけど、このクルマは〝運転の楽しさ〟を伝えるツールになれると思います」

実はモリゾウ、今回の走行中に、亡き師・成瀬氏とこんな〝心の会話〟を交わしていたという。

「私が『成瀬さん、私、運転うまくなりました?』って聞いたんです。すると、心の中で成瀬さんがこう言うんです。『これ以上うまくなるなって言っただろ、おまえ。そうしないと、いいクルマはわからないよ』って」

でも、モリゾウは笑いながらこう返した。

「運転がうまくならないと、いいクルマの味見ができませんよ!」

このやりとりこそ、モリゾウが〝ドライバー〟としてだけでなく、〝マスタードライバー〟として、クルマづくりの本質を追い続けている証拠。そして何より、師・成瀬氏の教えを、今も深く胸に刻み続けていることを物語っている。

■モリゾウが語る新たなスタートライン

今回、ニュルに挑んだTGRRは、モータースポーツを起点にクルマづくりを行なうGRと、その車両を〝カスタマー〟として実戦で鍛え上げるルーキーレーシングが融合したもの。

中心にいるのはもちろん、モリゾウ=豊田章男氏だ。TGRRの最大の特徴は、エンジニア、メカニック、ドライバーが〝役職〟ではなく〝役割〟でつながっていること。上下関係ではなく、現場での連携と信頼がすべて。まさに、モリゾウが理想とする〝現場主義〟が形になったワンチームだ。

ちなみに今年のニュルは珍しく一度も雨が降らず、天候には恵まれた。だが、レースは荒れに荒れた。クラッシュが続出し、134台中完走できたのはわずか88台。まさに〝生き残り戦〟だった。

そんな中、TGRRの2台は大きなトラブルもアクシデントもなく、24時間を堂々と走り切った。完走する――それは簡単そうに見えて、実はとてつもなく難しい。

結果は、GRヤリスが総合52位でSP2Tクラス優勝。GRスープラGT4 EVO2は総合29位でSP8Tクラス4位。荒れたレースの中で、トヨタは確かな足跡を残した。

【現地取材】トヨタが6年ぶりの「ニュル24時間レース」に挑戦! モリゾウ(豊田章男会長)が亡き師匠にささげた「魂の15周」と「もっといいクルマづくり」の覚悟
現地でモリゾウ(手前)を徹底取材した山本シンヤ氏(右)。常にモリゾウの至近距離を確保して質問する

現地でモリゾウ(手前)を徹底取材した山本シンヤ氏(右)。常にモリゾウの至近距離を確保して質問する

モリゾウは、今回の挑戦をこう振り返る。

「20年前にはやりたくてもできなかったことが、今は仲間とできる。孤独だった〝もっといいクルマづくり〟に、たくさんの仲間ができたことが本当にうれしい」

かつては〝道楽〟と冷ややかに見られた挑戦が、今やトヨタの〝走りの哲学〟として根を張った。だが、モリゾウはその原点を忘れない。すべての始まりには、師・成瀬氏との絆があった。

「ドライバーとしては自分が目標としていた15周を周回することができました。クラッシュや荒れた路面でも安心して走れた。それは、かつて成瀬さんのテールランプを見て練習したことが役立ったから」

そう語るモリゾウの言葉には、師への感謝と仲間への敬意が込められていた。

「今回の完走は、この挑戦に関わったすべての人の成果です。本当にありがとうございました。そして、ご苦労さまでした」

最後に、モリゾウはこう締めくくった。

「でも、これはゴールではなく、〝もっといいクルマづくり〟の新たなスタートラインです」

■ニュル取材7年の金髪カメラマンが語る! 肉と熱狂と蚊にまみれた"地獄の24時間"

ドイツの森の奥深くで、肉が焼け、ビールの泡が飛び、音楽が鳴り響く。そんな"お祭り騒ぎ"の中で、世界屈指の過酷な耐久レース「ニュルブルクリンク24時間レース」は開催される。この"24時間の狂乱"にドハマリした男、関西出身のラリーカメラマンの山本佳吾氏が今年のニュルを語る!

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――ニュルの取材を始めてどれくらいですか?

山本 気ぃついたらもう7年ですわ。最初は「ちょっと行ってみよか」くらいのノリやったのに、今じゃ毎年恒例の夏の苦行(笑)。普段はラリー追っかけて世界中飛び回ってるんですけど、ニュルだけは別格。蚊に刺されるのも含めて、なんかクセになるんですわ。

――今、ドイツも暑いんですか?

山本 今年も例によってクソ暑いのにギャラリーは大熱狂。サーキットは山奥にあるんですけど、観戦エリアのギャラリーたちは、朝から肉焼いて、ビール飲んで、歌って踊って、ちょっとだけレース見るっていう。「いや、レースどこ行ったん!?」って思わずツッコみたくなるくらい(笑)。

――つまり、山フェスみたいな感じ?

山本 空気的には"田舎のカーニバル"。音楽ガンガン、煙モクモク、テンションMAX。レースはもはやBGM扱いですわ。

――今年は特に人が多かったとか?

山本 公式発表で28万人。もうね、森の中で人が湧いてるんちゃうかってレベル。渋滞もエゲツない。森の中で撮影して、サーキット戻ろう思たら、クルマが全然動かへん。

地元のカメラマンたちはバイクとか電動チャリでスイスイ抜けていくんですよ。こっちは裏道やダートの林道を駆使して渋滞回避。ラリーの経験が生きてるっちゅうわけやね。

【現地取材】トヨタが6年ぶりの「ニュル24時間レース」に挑戦! モリゾウ(豊田章男会長)が亡き師匠にささげた「魂の15周」と「もっといいクルマづくり」の覚悟
サーキット外の観戦エリア。空になった大量のビール瓶が!

サーキット外の観戦エリア。空になった大量のビール瓶が!

【現地取材】トヨタが6年ぶりの「ニュル24時間レース」に挑戦! モリゾウ(豊田章男会長)が亡き師匠にささげた「魂の15周」と「もっといいクルマづくり」の覚悟
肉を焼く人も多い。山本氏はごちそうに

肉を焼く人も多い。山本氏はごちそうに

――現地ではひとりで行動?

山本 基本はひとり。ラリーのときもそうやけど、ギャラリーに「肉食え」とか「酒飲め」とか「写真撮ってくれ」とか、やたら声をかけられる(笑)。そんなんもあって、撮影も移動も時間がかかるんですわ。

――でも、毎年ニュルに行きたくなるわけですね?

山本 肉の焼けるにおいと、ビール片手に踊るドイツ人、蚊に刺されるスリル。こういうの全部ひっくるめて、"ニュル"なんです。来年もたぶん、また行ってまうんやろなぁ(笑)。

撮影/山本佳吾 山本シンヤ

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