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無事にホテルに届けられた私のスーツケース!!

連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第132話

今回のノースカロライナ訪問にはふたつの目的がある。ひとつは、感染症研究を進めるための世界的なネットワークに潜り込むこと、そしてもうひとつは、コロナウイルス研究の世界的権威に会うことだ。

※(3)はこちらから

* * *

■私がノースカロライナまでやってきた理由(1)

ノースカロライナ州の州都ローリーに加えて、同州のダーラムとチャペルヒルという3つの都市で形成される都市圏のことを「リサーチトライアングル」と呼ぶらしい。

連載コラムの27話で紹介した、国際共同研究を推進するための「ASPIRE」という大型研究費がある。

その海外カウンターパートはふたつ。ひとつがアメリカのロッキーマウンテン研究所(129話)であり、もうひとつがフランスのパスツール研究所である。

51話でもすこし触れたが、パスツール研究所は、さまざまな国に「サテライト」研究所を設立し、「パスツール・ネットワーク」という、感染症研究を進めるために重要な、世界的なネットワークを形成している。「ASPIRE」を介してこのネットワークに潜り込み、国際共同研究を展開していこう、というのが、私たちの魂胆である。

私と北海道大学のMは、「CREID」という、世界の感染症サーベイランス・ネットワークを統括するアメリカの研究グループが主催する集会に参加するために、ノースカロライナ州のダーラムまでやってきた。「CREID」には、私たちのパスツール研究所のカウンターパートも参加している。そういう経緯で、「ASPIRE」の私たちもそこに潜り込もう、というわけである。

「CREID」の会議には世界中の研究者が参加しているので、その多様性は目を見張るものがあった。数百人規模の集会だったと思うが、それでこれだけの多様性が垣間見えることはなかなかない。

ビジネススーツの英国紳士や、きれいに化粧したヨーロッパの貴婦人だけではない。クタクタのシャツを着た、いかにも「フィールドワーカー」という、マレーシアのジャングル(125話)にいそうな風貌の男、アフリカのカラフルな衣装をまとった人たちなど、見た目にもさまざまな人たちが一堂に介するさまは、それだけでなかなかにウキウキするものである。

そしてその中には、見覚えのある顔がいくつかあった。

そのひとりが、私が新型コロナウイルス学者となるきっかけとなった研究に関係し、2023年に出会うことができた、エクアドル・キトのパウル・カルデナス(Paul Cardenas)である(38話と45話に登場)。

アメリカやフランス、南アフリカなどで会ったことのある面々とも再会し、「what's a small world!」感や、点と点のつながり、これからの国際ネットワークの可能性を感じた。

【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】G2P-Japanアメリカツアー2024~ハミルトン、ダーラム、チャペルヒル(4)
私とパウル。約半年ぶりの再会。これを書きながら当時の写真を見て気づいたが、たぶん私、59話でエクアドルを訪れた頃から髪を切っていない......。

私とパウル。約半年ぶりの再会。これを書きながら当時の写真を見て気づいたが、たぶん私、59話でエクアドルを訪れた頃から髪を切っていない......。

このように非常に充実していた「CREID」の会議であるが、「CREID」はそもそも、アメリカの研究費の支援を受けた、世界の感染症サーベイランス・ネットワークである。大手規制メディアではあまり報道されていないが、2025年、アメリカの政権交代によって、感染症やワクチンに関するアメリカの研究環境が劇的に悪化した。

そしてその煽りを受けて、この原稿の筆をとっている2025年7月、「CREID」を支援する研究費は打ち切られてしまったのである。今年も予定されていた会議はもちろん中止になり、「CREID」の活動再開の目処はまったく立てられていない。

■私がノースカロライナまでやってきた理由(2)

ノースカロライナ大学チャペルヒル校は、その名の通り、チャペルヒルという「リサーチトライアングル」の一角を形成する街にある。

私が「CREID」の会議のためにノースカロライナを訪れることが決まってすぐに、コンタクトをとった男がいた。

その男の名は、ラルフ・バリック(Ralph Baric)。

コロナウイルス研究の世界的権威のひとりである。また、思い込みの激しい陰謀論者たちからは、「新型コロナパンデミックの首謀者」や「新型コロナウイルスを作った男」など、事実無根の誹謗中傷を浴びせられ続けてきた「大物」でもある。

彼とは、2023年の日本ウイルス学会学術集会で、同じシンポジウムに登壇したことで面識があった(7話)。それをダシに話題を作り、この機会に彼のラボを訪問させてもらえなないかと、事前に打診していたのである。

幸いにして、彼はそれを快諾してくれた。ある日、私は「CREID」の会議を抜け出し、ノースカロライナ大学チャペルヒル校を訪れた。午前中からランチまで、バリック教授はいろいろな話を聞かせてくれた。コロナウイルス学の新参者である私にとって、これほどありがたい機会はなかなかない。

キャンパス内のレストランで、バリック教授と一緒にランチを食べた。私は、アメリカ南部の料理という「シュリンプ・アンド・グリッツ(Shrimp and Grits)」というものを食べた。

【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】G2P-Japanアメリカツアー2024~ハミルトン、ダーラム、チャペルヒル(4)
「シュリンプ・アンド・グリッツ(Shrimp and Grits)」。皿の底に敷かれたのが、「グリッツ(Grits)」という、トウモロコシを粗く挽いたお粥のようなもの。なかなかに美味しい。

「シュリンプ・アンド・グリッツ(Shrimp and Grits)」。皿の底に敷かれたのが、「グリッツ(Grits)」という、トウモロコシを粗く挽いたお粥のようなもの。
なかなかに美味しい。

食事のときにも、バリック教授はいろいろな研究の話をしてくれた。そんな中、彼がコロナウイルスの研究を始めた頃の話になった。彼がその研究を開始したのは1982年。それは奇しくも、私が生まれた年だった。

※7月31日配信の(5)に続く

文・写真/佐藤 佳

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