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『キン肉マン』週プレ連載500回記念として、甲本ヒロトとゆでたまご嶋田先生の対談が6年ぶりに行なわれた!!

『キン肉マン』週プレ連載500回記念として立てられた企画「ゆでたまごのこの人に会いたい!!」。原作担当のゆでたまご嶋田隆司先生が指名したのは、ザ・クロマニヨンズ、ザ・ハイロウズ、ザ・ブルーハーツなどでの活動で日本のロックシーンに金字塔を打ち立てたボーカリスト・甲本ヒロトだった。

実は、プライベートでも飲み友達でもあるふたりに、出会いや裏エピソード、漫画と音楽という「好きなこと」を仕事にした人間としての覚悟を語ってもらった! 
*7月28日発売32号掲載版とは異なるロングバージョン(使用写真も別カット)でお送りします!

●「ヒロト君との出会いは第二の青春なんです」(嶋田) 

――おふたりは旧知の仲だそうですね。

甲本ヒロト(以下、ヒロト) 先生から電話がかかってきて、「じゃあ一杯行きますか」なんて飲みに行くような関係ですね。

ゆでたまご嶋田隆司(以下、嶋田) 本当によく付き合ってもらっています。最近も一緒に白鵬(第69代横綱)の店に行きましたよね。そこで相撲の話をしたら、ヒロト君、めちゃめちゃ詳しかったんです。それまで知らなかった一面が見れました。

ヒロト いやいや。自分、相撲はそんなに詳しくないんですよ。ちょこっとかじってるだけで。

――最初に出会ったのはいつ頃ですか?

ヒロト いつだっけな?

嶋田 確か、プロレスラー天龍源一郎さんの飲み会「天龍会」じゃない?

ヒロト あ、そうだ! 天龍会だ!

嶋田 あれは僕がまだ30代の頃で、ちょうどジャンプ(『週刊少年ジャンプ』)との契約が切れそうな時期だったんです。そんなとき、後楽園ホールでプロレスの試合を観てたら、ケンカに巻き込まれそうになってね。それを止めてくれたのが、たまたま現場にいらした当時の楽太郎師匠(6代目三遊亭円楽)。すると師匠が「おお、君が『キン肉マン』のゆでたまご先生か。

今度、天龍さんの飲み会に来ない?」って誘ってくれたんです。

飲み会の会場には阿修羅・原(あしゅらはら)さん、三沢光晴さん、川田利明さん、小橋建太さんとか有名なプロレスラーがわんさかいた。その中になぜかザ・ブルーハーツのヒロト君がいたんです。自分から挨拶させてもらった記憶がありますね。

ヒロト 僕は花岡献治さん(バンド「憂歌団」のベーシスト)に誘われました。それで嶋田先生とお話をしたら、お若いのでびっくりしました。自分とあまり年齢の変わらない方だったんです。僕は岡山に住んでいた頃から『キン肉マン』を読んでいたので、勝手にすごい年上の方が描いてらっしゃるのかなと思っていた。嶋田先生って早熟だったんだな、って驚きでしたね。

【Web完全版】『キン肉マン』週プレ連載500回記念対談 甲本ヒロト×ゆでたまご嶋田隆司「〜夢に追いかけられる覚悟〜」
甲本ヒロトといえば、革ジャンということで、嶋田先生にも着ていただいた。「おふたりならぜひ!」と快く嶋田先生へ貸していただいたルイスレザーズさんにも感謝!!

甲本ヒロトといえば、革ジャンということで、嶋田先生にも着ていただいた。「おふたりならぜひ!」と快く嶋田先生へ貸していただいたルイスレザーズさんにも感謝!!

嶋田 それをきっかけによく遊んでもらいました。当時の僕はプライベートの友達がいなかったんです。

8年間、必死に『キン肉マン』を書いてきて、同時進行で『闘将!!拉麺男』(たたかえラーメンマン、1982年~89年連載)も作っていたので。そんな激しい日々が少し落ち着いてきた時期だったので、ヒロト君との出会いは本当に嬉しかった。第二の青春みたいなもんですよ。

――なるほど。しかもヒロトさんは『キン肉マン』の大ファンだったそうですね。

ヒロト もちろん! 今も自宅の本棚にはコミック全巻、キン肉マン図鑑(『学研の図鑑 キン肉マン「超人」』)とか置いてあります。嶋田先生と各プロレス団体がコラボした興行『キン肉マニア2009』(同年5月29日、JCB HALLにて開催)もしっかり観に行ってます。しかも現場で泣いてますからね。

『キン肉マニア2009』ってプロレスラーたちが『キン肉マン』の超人になりきって、リング上で戦ったんです。僕からしてみれば、今まで漫画やアニメでしか見れなかったシーンがリアルに具現化されてしまった。本当に感動しました。

だって、『キン肉マン』のあの世界が、今まで自分たちが熱望してきた世界が本当にそこにあるんですよ。

あの日の観客にはリングに走るイナズマが見えたはず。フェイスフラッシュを浴びて、汚いドブ川も魚が泳げるくらいよみがえるくらいのパワーをもらったんです!

嶋田 『キン肉マニア2009』は自分でやった興行だったんです。僕自身がいろんなスポンサーさんに頭を下げにいったりもした。なので、そこまで言ってもらえるとやってよかったな、って心底思いますね。

――ちなみに今日はヒロトさんお気に入りの『キン肉マン』グッズを持ってきていただいたとか?

ヒロト はい。今日は自家製の缶バッチつけてきました! 

嶋田 じ、自家製?

ヒロト これ、自分で缶バッジマシンを買って、パソコンでロゴをスキャンして作ったんです。何年か前に作って、今日がやっと晴れ舞台です。

この缶バッチ、「ロンドンバッジ」って言うんですけど、サイズが小さいんです。僕ら70年代のパンクロックが好きな人たちはこのバッチじゃなきゃ駄目でして。これ、裏の針がむき出しになってるんですね。刺さっちゃう可能性があるから、最近は安全性の問題から売っちゃいけないと言われている。

でも、僕はこれしか駄目なんです。

普通の安全ピンがついてるヤツだと、缶バッジが浮いてカチャカチャしちゃう。ジーンズとか革ジャンにピタッと付くのはこれだけなんですよ。 あ、もちろん、これ売ったりとかはしてませんよ(笑)。

嶋田 良かった(笑)。今度、僕用に作ってくださいよ。

ヒロト 実は今日持ってきてるんですよ。あとでお渡ししますね!

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●「ヒロト君がカラオケで西城秀樹を歌ってくれました!」(嶋田) 

――ところで、嶋田先生はヒロトさんの音楽を聞いてらっしゃいますか? 

嶋田 ええ、大体聞いてますよ。最初にヒロト君の音楽に触れたのは、ドラマ『はいすくーる落書』(TBS系/1989年)の主題歌でした。それでザ・ブルーハーツを知ったんです。なんて曲だったっけな?

ヒロト 僕、そういう記憶はまったく駄目で(笑)。申し訳ないです。

――調べたところ、ドラマ『はいすくーる落書』パート1の主題歌が「TRAIN-TRAIN」(1988年)、パート2の主題歌が「情熱の薔薇」(1990年)でした。

嶋田 そうだ、そうだ。

そのどっちかだ。

ヒロト 同じような曲ですみません(笑)。

嶋田 いやいや。それではじめてザ・ブルーハーツを聞いてカッコいいなぁ、って素直に感動して。よくカラオケでも歌ってましたね。

――ライブに行ったことは?

嶋田  2回ぐらいありますよ。30年前くらいなので、ザ・ブルーハーツの後期か、ザ・ハイロウズの初期だったと思うんだけど。

ステージのヒロト君はめちゃかっこよくてね。すごくクレイジーでパンクロッカーっていう感じで、飲んでいるときのヒロト君とはまったく別人。プライベートのヒロト君は虫や魚のことをずうっと語ってるからね(笑)。

ヒロト そんな話したことあったっけなぁ?

――嶋田先生がお好きなヒロトさんの曲ってあります?

嶋田 ヒロト君の曲は全部好きですよ。でも記憶に残ってるのは、知り合った頃、「今度出す歌があって。

西城秀樹みたいな歌なんです」って聴かせてくれた曲があって。それが後にリリースされた「情熱の薔薇」だったんです。実は西城秀樹さんの曲には「情熱の嵐」(1973年)、「薔薇の鎖」(1974年)という曲がある。そのふたつを合体させたのかな?と思いました。

――「情熱の薔薇」は西城秀樹さんが元ネタだった?

ヒロト 別に意識はしてなかったんですよ。自分の頭の中にあるブラックボックスのようなところから様々な言葉が湧(わ)いてくるだけで。でもタイトルを付けた後に、「あれ? これは西城秀樹さんっぽいぞ」ってなりました。作った後に気づいたんです。

嶋田 でも「情熱の薔薇」は本当に最高の曲でね。歌詞の中に「でたらめだったら面白い そんな気持ち分かるでしょう」ってフレーズがあるでしょ? ある種、漫画も「でたらめだったら面白い」世界。ヒロト君の言葉は心の端々に引っかかってくるんだ。

ヒロト (照れた表情で)そんなに褒めないでくださいよ。

嶋田 そういえば僕の10周年のパーティーを開いたとき、ヒロト君に「何か歌ってください!」って頼んだんです。失礼ながら。そしたら西城秀樹さんの曲を歌ってくれたよね、覚えてる?

ヒロト 恥ずかしい! 僕は普段、カラオケはやらないんですよ。でも先生に言われるがまま、ついついヒデキを歌ってしまった(笑)。

嶋田 しかも曲は「YOUNG MAN」(1979年)だからね。サビの「素晴らしいY.M.C.A.」の部分でみんな踊ったよね。ヒロト君とダチョウ倶楽部の竜ちゃん(上島竜兵)がノリノリだった記憶がある。あれ、ビデオで撮っとけばよかったなぁ。

ヒロト 勘弁してくださいよ(笑)。

嶋田 でも、なんで「YOUNG MAN」なんだろう?って思ったんですよ。よく考えてみたら、あれは当時の僕への応援歌だったんでしょうね。歌詞の中に「さあ、立ち上がれよ」ってフレーズがあるから。あの頃は仕事があまりうまくいってなかった時期だった。だから本当にうれしかったなぁ。

●「僕たちは漫画とロックンロールに取り憑かれているんですよ」(ヒロト) 

――ところで、おふたりは漫画と音楽をお仕事にされています。嶋田先生は小学校の頃から漫画が好きだった。ヒロトさんも中学校の頃から音楽の世界に憧れていた。いわば「夢」を叶えてらっしゃるわけです。一方で「夢」を続けるのは大変だと思うのですが。

嶋田 僕も週プレでの連載が500回を迎えて、なんでこんなに長く続いたんだろう?って考えたことがあるんです。

僕は昔から闘争心が強い子供だった。漫画家になってからは『ジャンプ』がアンケート至上主義だったので、常に1位を獲らなければいけないと思っていた。『北斗の拳』『キャプテン翼』『DragonBall』とかと絶えず戦っていた。そういう『ジャンプ』の黄金世代の中にいたので、いまだに若い漫画家には負けられないって気持ちがある。長く続けられるのは、こういう経験の賜物だろうなぁ。

ヒロト 一方で、僕らは、もうこの仕事をやめられなくなってるんじゃないか?って思うこともありますね。取り憑かれている感じです。嶋田先生は漫画に、僕はロックンロールに取り憑かれている。 

よく「夢を見ろ」とか「叶えろ」とかいうじゃないですか。子供の頃、学校で「君の夢はなんですか?」って聞かれるのがすごく嫌だった。そんなもんないもん。なくて当たり前なんだから。

【Web完全版】『キン肉マン』週プレ連載500回記念対談 甲本ヒロト×ゆでたまご嶋田隆司「〜夢に追いかけられる覚悟〜」

――といいますと?

ヒロト 僕ね、「夢」っていうのは追いかけるもんじゃなくて、追いかけられるもんだと感じるんです。夢に見張られて、夢にムチ食らわされて、夢に縛られて働かされるんです。「てめえ、怠(なま)けてんじゃねぞ!」みたいに。だから、ちっとも楽じゃないんだよ。でも、楽しい。

いつだってやめられるはずなんです。やんなきゃいいだけだから。僕が歌を作らなくたって誰も困らないし。なのに、なぜかやめられないんです。「休め! もうやんなくていいよ!」って言われても、たぶんやっちゃうんだ。

嶋田 すごくわかるなぁ。月並みな言葉だけど、僕は需要がある限りはやろうと思っているし。

ヒロト いや、先生は需要がなくても、また何かを書きはじめて、結局それを誰かが読むことになるんじゃないかな? 少なくとも僕は絶対に読むし。先生も僕も何かを作ってないとダメな人なんだと思う。

嶋田 確かに。やっぱり、お話を作っちゃうんです。だから『キン肉マン』も自分からスピンオフを作り始めちゃった。普通の作家はスピンオフなんか編集部から依頼されてやるものですよ。スピンオフを作るのはとっても大変なことだから。でも僕はやっているうちに、それが楽しくなってしまう。だからやめられない。

ヒロト 世の中には、やめられないものに出会ってしまう人がいる。もちろん、出会わない人もいる。どっちでもいいと思う。僕らはたまたま、それに出会ってしまったんでしょうね。言葉は悪いですけど、中毒になるようなものに出会ってしまい、それに取り憑かれてしまった。それを世間の人は「あの人は夢を叶えた」という風に見るかもしれないけれど、僕らは夢の言いなりになっているだけなんですよ。

――それはファンの期待に応えなければいけない、というプレッシャーですか?

ヒロト いや、他の人は関係ない。自分から捕まって逃げられなくなっただけだから。そして自分は幸せだなあと感じます。

でも、これは一般的な幸せのイメージとは違うかもしれない。お金持ちになって裕福な生活をして、家族やと友達にも恵まれるみたいなこととは違うんです。むしろ、そういうものを諦(あきら)めないといけない場面もあると思う。ほら、夢って苦しそうでしょ(笑)。でもね、すげえ楽しいんです。楽じゃないけど楽しいんです。この楽しさのためなら楽じゃなくていいんだと思えるものに出会うことが、夢を見るってことなんじゃないかな。

――なるほど。実際に諦めたものってあるんでしょうか?

ヒロト いや、諦めるというよりどうでもいい。ロックンロールできればそれでいいんです。

嶋田 そういうことだよね。僕も漫画が描ければそれでいい。

ヒロト 僕らはそういう「漫画が描ければいい」って言うような人の漫画を読みたいんです。先生はたぶん「他のことはどうでもいいや」って思ってるから、あんな面白い漫画が書けるんじゃないかな?

――嶋田先生、今のヒロトさんの言葉を聞いてどう思われました? 

嶋田 ヒロト君と話をしてると、けっこういいこと言うなっていうのがいっぱいあるんです。以前、『キン肉マン』の話をしていたときに、ヒロト君がすごい名言を言ったんだ。「キン肉マンは泣き虫だけど、弱虫じゃない」って。それがすごく響いて実際に『キン肉マン』の中で、キン肉マンソルジャーがブロッケンJr.に向かって言うセリフとして使わせてもらいました。その節はお世話になりました(深々とお辞儀をしながら)。

ヒロト ありがたいです!(深々とお辞儀をしながら)

【Web完全版】『キン肉マン』週プレ連載500回記念対談 甲本ヒロト×ゆでたまご嶋田隆司「〜夢に追いかけられる覚悟〜」

【Web完全版】『キン肉マン』週プレ連載500回記念対談 甲本ヒロト×ゆでたまご嶋田隆司「〜夢に追いかけられる覚悟〜」
寡黙でいながら、時に放つ言葉には凄まじい力を持つキン肉マン ソルジャーのセリフの誕生に甲本ヒロトさんが関わっていたというのは感慨深い(JC71巻より)

寡黙でいながら、時に放つ言葉には凄まじい力を持つキン肉マン ソルジャーのセリフの誕生に甲本ヒロトさんが関わっていたというのは感慨深い(JC71巻より)

――お互いにインスパイアされる関係というわけですね。まさに友情パワーだ! それではヒロトさん、最後に嶋田先生へのエールをお願いできますか?

ヒロト 『キン肉マン』はネバーエンディングストーリーだと思ってます。終わらない物語です。信じてます! 物語。先生にはこれからも元気に作品を書き続けて欲しいです!

嶋田 もちろん! まだまだ続けますよ!! ヒロト君も僕と一緒に走り続けて欲しい!!

●甲本ヒロト(KOHMOTO HIROTO)
1963年3月17日生まれ。岡山県出身。ザ・ブルーハーツ、ザ・ハイロウズなどを経てザ・クロマニヨンズのボーカリストととして活動。嶋田先生との出会いは天龍源一郎さん主催の会「天龍会」で30年来の仲とのこと。9月17日には、28枚目のシングル『キャブレターにひとしずく』が発売される

●ゆでたまご嶋田隆司(SHIMADA TAKASHI)
1960年10月28日生まれ。大阪府出身。作画担当の中井義則先生との共同ペンネームである漫画家ユニット「ゆでたまご」の原作シナリオ部門を担当。たまご企画代表。1979年『週刊少年ジャンプ』誌上にて『キン肉マン』で連載デビュー。以降、漫画家生活46年を迎える現在も『週刊プレイボーイ』『週プレNEWS』にて同作の週刊連載を継続中 

取材・文/尾谷幸憲  撮影/榊 智朗  ヘアメイク/佐々木篤(GLUECHU) 衣装提供(ゆでたまご嶋田)/Lewis Leathers Japan

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