比嘉大吾、ラストマッチの内幕。見る者を惹き付けるボクサーの生...の画像はこちら >>

まさに不退転の覚悟でバルガスに襲いかかる比嘉
やり切れない夜だった。

7月30日、神奈川・横浜BUNTAIで開催されたプロボクシングのトリプル世界戦で組まれた王者アントニオ・バルガス(米国)に同級2位の比嘉大吾(志成)が挑戦したWBA世界バンタム級タイトルマッチは、ダウンを奪い合う激闘の末ドローに終わった。

試合後、比嘉は引退を宣言した。「自分の中でも負けと一緒。3度目があったのは、チームやプロモーターのおかげです。それで結果が出せなかった。自分の中で終わりだと思っている。引退します。はい」

その言葉通り、比嘉にとっては3試合連続での世界王座挑戦だった。2024年9月3日にはK-1から鳴り物入りでボクシングに転向した武居由樹(大橋)が保持するWBO世界バンタム級王座に挑んだ。11Rには王者からダウンを奪ったが、それまでの劣勢が響いて0-3の判定負け。そのときも比嘉は引退を口にしている。

だが、1カ月後、WBA世界同級王者・堤聖也(角海老宝石)から挑戦のオファーを受けると引退を撤回。高校時代からの親友との世界タイトルマッチに臨んだ。

このときも比嘉は9Rに左フックで先制のダウンを奪ったが、その直後右ストレートでダウンを奪い返されるという熱戦を演じた。

結果はドロー。またも王座奪取に失敗した。今回のバルガス戦は三度目の正直で、試合前から比嘉は「負けたら、引退」と宣言していた。ボクサーとしての比嘉の最大の魅力は何なのか。バルガス戦後、堤がX(旧:Twitter)で比嘉について確信をつく呟きをしている。

「(中略)大吾さんはいつも人の心を動かす試合をする。自分もそういうボクサーになりたい」

かつて二度も拳を交わした(初戦は2020年10月。このときもドロー)対戦相手の言葉なのだから、説得力がある。案の定、バルガスと対峙しても期待を裏切ることはなかった。こう着状態が続いた4R、いきなり左をクリーンヒットさせ、王者バルガスから先制のダウンを奪ったのだ。そのときの場内の盛り上がりといったらなかった。

ジリジリと橙色の炎を灯す線香花火を楽しんでいたと思ったら、いきなりドーンと打ち上げ花火を見せられた気分になった。

「今度こそ!」

場内には、いやがうえにも比嘉の戴冠ムードが高まった。しかしながら手放しに「行け!」と叫ぶわけにはいかなかった。武居戦も堤戦も先制のダウンを奪ったからといって、白星を得たわけではない。むしろ比嘉の場合、ダウンを奪ってからの詰めに問題があることは明白だった。

具体的にいうと、何が問題だったのか。理由はひとつ考えられる。比嘉はダウンを奪ったあと、必要以上に対戦相手の動きを見入ってしまうクセがあるのだ。案の定、この日もダウンを奪ったあとはそうだった。そのことは試合後長らく比嘉とコンビを組んだ野木丈司トレーナーも認めている。

見入れば見入るほど、バルガスが優勢に進めたラウンドが多いように映った。後半戦になると、わたしも含め何人かの記者は「比嘉はダウンは奪っているが、このままの流れだとヤバいのではないか」という空気になった。

そんな周囲の心配を見透かしたかのように、ラストラウンド、比嘉は勝負に出た。試合中、ボクサーはよほど大きなリードを奪っていない限り、喜怒哀楽を表情に出してはならない。もしそれが露骨に出れば、そこが弱点となり攻められる可能性だってあるからだ。

しかし、比嘉は感情を爆発させながら前に出ていた。気迫でバルガスを圧倒しようとしたのだろうか。キャリアを積み重ねたボクサーにはよく「円熟味が増した」と表現されることもあるが、この日の比嘉からは円熟味が感じられるどころか、逆にグリーンボーイ(新人ボクサー)のような必死さが感じられた。

比嘉大吾、ラストマッチの内幕。見る者を惹き付けるボクサーの生き様
8R、大吾コールの大歓声に乗せて渾身の左アッパーをヒット

8R、大吾コールの大歓声に乗せて渾身の左アッパーをヒット
そうした最中、バルガスの右を食らい、ダウンを奪い返されてしまった。

「二度あることは三度あるのか!」

心の中でそう叫ばざるをえなかった。ボクシングは最後まで何が起こるかわからない。その見本というべきダウンだった。勝負は判定へ。筆者はバルガスの勝利だと思ったが、アナウンサーは「ドロー」と告げた。

比嘉大吾、ラストマッチの内幕。見る者を惹き付けるボクサーの生き様
挑戦者の比嘉は最終Rに痛恨のダウンを喫した

挑戦者の比嘉は最終Rに痛恨のダウンを喫した
その刹那、観客席からはなんともいえないどよめきが起こった。そのどよめきは「最後のダウンさえなかったら、比嘉が勝っていたのか」という驚きを表しているように思えた。

比嘉も2試合連続ドローという予想はしていなかったし、したくもなかっただろう。筆者は比嘉の気持ちを慮(おもんぱか)った。壮絶なKO負けだったら諦めもつき、潔く現役に別れを告げることができたのではないか、と。

しかし、ドローとなると話は別だ。チャンピオンベルトを腰に巻いたわけでもなければ、キャンバスに倒れ込んだわけでもない。ある意味敗北より残酷なジャッジではなかったのか。

誤解を恐れずにいえば、「負けなくて良かった」のではない。「負ければ引退」という不退転の覚悟を胸にリングに上がったボクサーにとっては、介錯してもらった方がよっぽど気持ちがスッキリするということだ。

試合後の会見で、比嘉は12Rの攻防について自分らしさを強調した。「あそこで行かないよりは、前に出て倒れたほうが自分らしいかな、と」

地元沖縄の新聞記者から応援してくれた県民に対するメッセージを求められると、比嘉はしばらく黙考し、涙を潤ませながら言葉を紡いだ。

「ここまでいろいろあったけど、応援してくれたのはでかいっすね。感謝してます」

比嘉大吾、ラストマッチの内幕。見る者を惹き付けるボクサーの生き様
ドロー判定に観衆からなんとも言えないどよめきが起きる中、レンズ越しに見た比嘉の表情は清々しくも見える苦笑いだった

ドロー判定に観衆からなんとも言えないどよめきが起きる中、レンズ越しに見た比嘉の表情は清々しくも見える苦笑いだった
プロデビュー後、とんとん拍子でユース王座やOPBF東洋太平洋王座を奪取。2017年5月20日には無敗のままWBC世界フライ級王座を獲得した。しかし3度目の防衛戦で体重超過により王座を剥奪され、ボクサーライセンスの無期停止処分を下された。日本人の世界王者で体重超過が原因で王座を剥奪されたのは比嘉が第一号だった。結局処分が解除されたのは1年5カ月後。エリートから茨の道へ。本当にいろいろあった。

会見に臨んでいる最中、比嘉は自分が座っているところとは一番遠い壁際に堤の姿を見つけるや、マイクを通して声をかけた。

「堤、頑張って!」

休養中の現役世界王者は友のエールを聞き、涙を拭った。比嘉大吾はラストファイトを終えても人の心を揺さぶるボクサーだった。

やり切れない夜でも、陽はまた昇る。


比嘉大吾、ラストマッチの内幕。見る者を惹き付けるボクサーの生き様
中谷潤人と共にリングサイドで試合を見守った堤聖也と抱き合う比嘉

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取材・文/布施鋼治 写真/ヤナガワゴーッ!

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