『週刊プレイボーイ』でコラム「呂布カルマのフリースタイル人生論」を連載している呂布カルマ
ラッパーとしてはもとより、グラビアディガー、テレビのコメンテーターなど、多岐にわたって異彩を放っている呂布(りょふ)カルマ。『週刊プレイボーイ』の連載コラム「呂布カルマのフリースタイル人生論」では映画『国宝』について語った。
* * *
★今週のひと言「劇場で見て正解だった映画『国宝』の美しさ」
映画『国宝』をようやく見られたので、その余韻が抜ける前に。
とはいえ、公開中の映画の内容に触れるわけにはいくまい。ネタバレをする気はないので、安心して読んでほしい。
どーしよっかなって思ってまだ見ていない人には、ぜひぜひ公開中に劇場に足を運んでほしいからね。
冒頭で「見られた」と書いたのは、幼い子供がふたりいる俺にとって、『国宝』はなかなかにハードルの高い映画だったからだ。何せ上映時間が約3時間だ。まさか幼児を連れていくわけにもいくまい。
かといって、たまの休みに子供たちを嫁に任せて「ひとりで見に行ってくるわ」っていうのも、風当たりが気になる。
これはグチじゃないよ、幸せなことだけど、今映画館に行くとしても家族一緒にディズニーか仮面ライダー映画以外を見ることはきっと難しいだろう。
そんなこともあって先日このコラムでも書いたけど、いつかアパホテルのVODに追加されるのが先か、配信を待つかって感じで半ば諦めていたのだが、先日出演番組『誰でも考えたくなる「正解の無いクイズ」』(テレビ東京系)のLIVE楽屋で、4人中俺以外の3人は『国宝』を見ていて、俺だけが見ていない場面があった。
気まずさもありながら、俺も見たい気持ちがあることを伝えているのにもかかわらず、平気でネタバレ的な感想大会が始まった。慌てて俺はその話を遮ったが、これは配信を待つなんて悠長なことは言っていられない。
東京での仕事の合間に滑り込むように劇場へと走ったのだ。結果として劇場で見て大正解だった。
ストーリーには触れないが、『国宝』は今までの映画体験の中でも突出した映像美とサウンドだったからだ。
それも目を見張るようなVFXやド派手なアクションというわけではない。
客席からは見られないアングルからとらえた歌舞伎の舞台や、1960年代から始まる日本の風景、そしておっさんの俺が見てもほれぼれするぐらい美しい女形を演じる吉沢亮と横浜流星だ。
それらがどの場面を切り取っても美しく、緊張感にあふれた映像美で迫ってくるのだ。配信を待ってアパホテルのモニターで『国宝』を見ていたとしたら、劇場を逃したことをきっと後悔していただろう。
劇場の出口、俺の後ろを歩いていた40代ぐらいの夫婦の嫁さんが「すごくきれいだったけどさー、別に何か起こるわけじゃないしさー」とかほざいていたが、天才が芸事に向き合い、落ちていくようにそれに没頭し、上り詰める人生を見せられて、それが「きれいなだけ」としか感じられない感性なら恥じたほうがいい。
俺が女と一緒に『国宝』を見てその感想だったら、悪いけどひとりで帰る。おまえはマッチングアプリで知り合ったデカチンとほかの作品でも見とけ。
何百年と続く歌舞伎の世界は、俺には想像もつかないが、ラッパーとして表現者の端くれに身を置く者として、天才が天才であるゆえに孤独になっていく感覚は生意気にも共感できる。
俺は家族を持ち、いろいろとうるさいメディアにも顔を出し仕事をすることで、本当の意味で真っすぐに表現に向き合う、つまり芸以外のすべてを犠牲にするような生き方はもうできなくなってしまった。
自分にできなかった生き方を疑似的に体験させてくれる。それこそが映画の醍醐味であろう。
俺は『国宝』に憧れと哀れみの両方を感じた。
撮影/田中智久