【サッカー日本代表 板倉 滉の「やるよ、俺は!」】第42回 ...の画像はこちら >>

日本代表・板倉 滉を育てた家庭環境とは?

普段から温厚で知られる板倉だが、その性格を形成したのは両親の温かさだったという。彼の考える理想の家庭とは? ルーツとも言える家庭環境や育成年代について語ってくれた。

■スポーツを愛する温厚な両親の下で

シーズンイン後の好調の要因としては、長めのオフでしっかり休めたのが大きい。休暇中、僕が主宰する社会貢献活動・KCPも京都と神戸で無事成功を収めることができた。あらためてご来場くださった皆さん、関係者の方々には感謝したい。

京都、神戸でのKCPには、僕の両親も駆けつけてくれた。昔から、板倉家は家族仲がすごくいいとよく言われる。そうした家庭環境や育成年代での日々があって、今の僕は成り立っている。

スポーツを始めたのだって両親の影響だ。東京六大学野球で青春を過ごしてきた父、バレーボールに打ち込んできた母。ふたりともスポーツ好きなので、僕もサッカーに限らず、必然的に体を動かすことが好きになっていた。

中学1年までは、毎年夏になると、祖父の生まれ故郷である福島県に妹を含め家族4人で出かけて、大自然の中で大いに遊んでいたアウトドアな一家でもある。

もちろん、僕らの小中学生時代はゲームがはやっていたし、僕も多少は遊んでいた。でも、しばらくやっていると頭が痛くなるので、僕は外で体を動かしていることのほうが多かった。

母からは「勉強しなさい」とたびたび言われていたけど、小3以降、学校帰りは川崎フロンターレ・アカデミーに直行するサッカーざんまいの毎日で、帰宅はいつも夜10時過ぎ。

勉強なんてまったくする気にはならなかった。

そんなサッカーひと筋だった僕も、プロになるまでずっとそうだったわけではない。中学では成長期の壁にぶつかり、周りの子たちがどんどん成長していく中で自分だけが取り残されたように感じてしまい、すっかり荒れていた。高校では荒れてこそいなかったけど、決して優等生とは言えなかった。

中学時代には、友達とアカデミーへ行く途中にイタズラをしでかしたことで、親も呼び出しの上、こっぴどくられた。友達はその場で親にぶっ飛ばされていたけど、僕は父から諭されたものの、鉄拳を振り下ろされるようなことはなかった。とにかく父は温厚な人で、それが僕の性格にも影響を与えていると思う。

高校時代にも、友達が夜中に迎えに来て、こっそり家を抜け出して遊びに行く、あるいは勉強と称してファストフード店に行き、朝まで帰らないといった問題行動をやっていたけど、怒られることはなかった。

ただ、それは単なる甘やかしというのではなかったと思う。僕の自立を信じて、両親は怒らなかったのだろう。家の外では〝鬼の〟髙﨑康嗣コーチにずっと怒られていたのもあって、家の中ぐらいはギスギスしないように、なるべく好きにさせてくれていたようにも思う。

■将来、自分の子供にやらせたいことは

いざ、家庭を持ち子供が生まれたとしたら、体を動かすことはやらせたい。

僕がサッカー選手である以上、父親としていちばんの楽しみを提供できるのは、アクティブに体を動かすこと=スポーツになると思う。仮に、僕の子供がサッカーに興味を持ち、やってみたいと言ってくれたら、友達感覚で一緒にボールを蹴り、楽しさを教えてあげたい。

「なんでこれができないんだ!?」と、いちいち詰めるようなスパルタ教育はしたくない。僕も両親から「ああしろ、こうしろ」と強制されたことは一度もないからだ。

とにかく、純粋にスポーツが好きな子に育ってほしい。どんなことでも、好きであることがうまくなるための大前提だ。学生時代は荒れていたこともあるけど、僕も結局サッカーが好きだから続けてこられたし、今がある。

僕から親御さんたちにお伝えしたいのは、できるならば好きなことを好きなようにやらせてあげるのが子供の成長につながるということ。

プロになる、ならないは関係なく、スポーツがもたらす影響は大きくて、僕もいろんな方と出会う機会があるが「あ、この人はスポーツをやっていたんだろうな」と、すぐわかるときがある。礼儀がしっかりしていて、人としての真っすぐさを感じるのだ。

スポーツをやっていると、言葉にできないほどの歓喜の瞬間を味わうこともあれば、逆に時には悔しい目にも遭う。でも、それらの経験が、たとえスポーツから離れたとしても、生きていく上で大きな糧になっていく。

人間的成長という面でも、やっぱりスポーツは最高だ。

【サッカー日本代表 板倉 滉の「やるよ、俺は!」】第42回  日本代表・板倉 滉を育てた家庭環境とは?

板倉 滉

構成・文/高橋史門 写真/アフロ

編集部おすすめ