飛行機から初めて見た富士山の全景。左手に駿河湾、右に見える湖はたぶん芦ノ湖。
連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第138話
「鉄は熱いうちに打て」。一通のメールをきっかけに、すぐさまタイ・バンコクに飛び、共同研究の詳細を詰めていく。ウェブ会議やメールではなく、筆者が現地にわざわざ赴く理由とは?
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■一通のメールにいざなわれて
2024年7月上旬、急遽、バンコクに飛ぶことにした。
事の発端は6月の下旬、私のラボのタイ人ポスドクのCに届いた一通のメールである。ハノイ(137話)から戻った直後に私に転送され、事態が一気に動き出す。
それは、共同研究を打診する、タイ・バンコクにあるチュラロンコン大学の研究者からの一通のメールだった。タイ人ポスドクのCと、そのプロジェクトに密接に関わるギリシャ人ポスドクのSの3人で、その真意を読み解く。
「むむむ、これはもしや」と直感したわれわれは、さっそくチュラロンコン大学の研究チームとのウェブ会議を取りつけた。その内容は期待通り、あるいは期待を超えるものだった。
それに大きなポテンシャルを見出したわれわれは、その翌週に弾丸でバンコクに赴き、共同研究について詳細を詰めることにしたわけである。
■わざわざ現地に赴く理由
「打ち合わせだけならウェブ会議でもメールでもできるのに、なぜわざわざ現地まで?」という質問を受けることがままある。しかし、ちょっと考えてみてほしい。
「共同研究」を「ビジネス」と置き換えるとイメージしやすいかもしれない。異国の人と、対面での面識もないまま、また信頼関係もままならないまま、ビジネスを始められるだろうか?
しかも今回の場合、専門分野がすこし違うジャンルどうしでの共同研究の相談だった。
このような場合によくあるのが、「それでは、xx月に、ある研究集会の機会に会いましょう」というパターン。しかしこの場合、その時点からxx月まで、その話が凍結してしまう、後回しになってしまう、ということを意味する。
それはたった数ヵ月のことかもしれないが、「外向きのチャレンジ(27話)」を標榜する私としては、一刻も早く話を進めたい。
そして経験上、タイの研究者と、国際学会などで顔を合わせるチャンスはなかなかない。つまり、意図的に会うシチュエーションを作らないと、なかなか学会で「遭遇」はしない。
今回の場合、「それでは、いつ頃であれば都合がよろしいでしょうか?」などと遠回しに探りを入れる必要もない。先方の打診から始まった話だからだ。そうであれば、鉄は熱いうちに打て、である。
私が折に触れて読む沢木耕太郎氏の『深夜特急』の時代とは違い、いまはネットもメールもウェブ会議もリアルタイムにできる。これによって世界が小さくなったのは間違いないし、それが新型コロナ研究を推進するひとつの動力となっていたことについては、この連載コラムで何度も触れてきたとおりである(17話、 22話、29話、38話、45話など)。
しかし、これまでの経験上、「しっかりと手のひらに残る質感」こそが、共同研究の成功に欠かせない重要な要素であると私は思っているし、そのためにはやはり、対面での打ち合わせは欠かせない。
まして今回は、私が模索を続けてきたことにドンピシャの提案だったわけで、このチャンスを活かさない手はなかった。チュラロンコン大学の研究チームとのウェブ会議の後、すぐにタイ人ポスドクCとギリシャ人ポスドクSを招集した。手をこまねいている時間など必要ない。
7月のスケジュールを確認する。翌週火曜日以降は細々とした用事が目白押しだったが、幸いにして、ちょうど次の月曜日にはさしたる予定は入っていなかった。「それでは、来週の月曜に会いに行きます」、とすぐにメールを送る。翌週にバンコクに飛び、話を詰めることを決めた。
■アジアを拠点に研究をするということ
2024年だけでも、5月のマレーシア(120話)に6月のベトナム(137話)と、東南アジア出張に赴いた私としては、体感的に、東南アジア出張は国内出張とあまり変わりのないものとなりつつある。
飛行時間も6~7時間、時差もほとんどない。ベトナム出張(137話)のように弾丸で旅程を組めば、1泊3日(復路は機中泊)で東京に戻ってくることができる。今回は、日曜の午後の便で羽田を発ち、火曜の早朝に帰国する1泊3日の弾丸ツアー。これであれば、私のラボの不在は月曜の1日だけで済むのである。
そしてなにより、アジア圏の出張は、アメリカやヨーロッパへの出張に比べたら、体力的にも精神的にも、そして時間的にも、ストレスははるかに少ない。
欧米中心の研究であれば、極東にはさまざまな意味で短所がある。地理的、時間的、文化的な壁があることがままある。しかし裏を返せば、アジアを軸とする研究をすることができれば、これは長所となるはずなのだ。
■出張コラムの位置づけ
ここのところ、私の出張旅行記のようなコラムが増えてきたことは、熱心な読者の方々はすでにお気づきのところかと思う。できることならもっと臨場感のある、リアルタイムな発信ができたらとも思っているのだが、「アカデミア(大学業界)」での基礎研究には、どうしても秘匿性はつきものである。
そのためこのコラムも、リアルタイムではなく、半年から1年ほどの時差をもって公開するようにしている。そしてその秘匿性のために、奥歯にモノが挟まったような表現が続くことについてはご容赦いただきたい。
しかし、この出張旅行記のようなこの連載コラムによって、「このようにして研究が日進月歩しているのだ」という空気感だけでも伝わればと思っているし、そしてなにより、そのようにして進んだ研究が論文として公表された際には、それらがすべて伏線となって回収されるはずである。
そのような日を1日でも早く手繰り寄せるためにも、私たち研究者は日々研鑽(けんさん)し、そして私は、今回も例に漏れずに世界を飛び回るわけである。
※後編はこちらから
文・写真/佐藤 佳