【WBA&WBC世界フライ級王座統一3.13決戦】夢見る力―...の画像はこちら >>

ユーリ阿久井(左)と妻の夢(右)。ふたりは試合前にある約束を交わした
2025年3月13日、東京・両国国技館で開催されたWBA&WBCフライ級王座統一戦、WBC王者・拳四朗とWBA王者・ユーリ阿久井の勝負は、稀に見る激闘になった。
その背後には、それぞれを突き動かす存在がいた。

拳四朗の背には、トレーナー・加藤健太という揺るぎない支え。そして阿久井の背には、妻・夢と交わした『約束』があった。力強く交わしたその約束が、阿久井の魂を支えていた。

*  *  *

阿久井が夢と知り合ったのは10代頃、ふたりは高校の同級生だった。

「彼がボクシングをしていることは、噂で聞いて知っていました。でもボクシング自体に興味はなくて、何か一つのことを真剣に頑張っている姿に惹かれました。わたし自身は、何かを始めても長く続かないタイプでしたので......。

高校生の頃って、友達と遊んでいたほうが楽しいじゃないですか。でも彼は、馬鹿が付くほど真面目に、ボクシングだけに打ち込んでいました。たまに友人皆で遊びに出かけても、夕方6時前に『俺、練習あるから』と言って、先に帰っていました。『政悟君って、めちゃくちゃ頑張り屋さんだな』と尊敬していました」

最初は仲の良い友達のひとり。

そして恋人同士に――。しかし、阿久井のボクシングに対する向き合い方は何一つ変わらなかった。デートは月に1、2回。阿久井自身の誕生日はもちろん、夢の誕生日、そして恋人同士の最大のイベント、クリスマスイブも、阿久井はボクシングの練習を優先した。

「クリスマスイブは、カップルって大体一緒に過ごすじゃないですか。まわりの恋人同士を見て、『わあ、良いな』って。ボクシングを一生懸命頑張っていることは知っていたので何も言いませんでしたけど、心の中では『一緒におってほしいよな』って気持ちもありました。

当時は漠然とですが、『この人と結婚することになったとしたら、自分が思い描いているような結婚生活は遠のくな』と考えたりもしました」

「馬鹿」が付くほど真面目で、ボクシング一筋。そんな阿久井に惹かれた理由は、もちろん他にもあった。落ち込んでいる時や悩んでいる時、自分の苦しみや悩みのように受け止めてくれた。その優しさに惹かれたからこそ、のちに恋人以上の相手、「夫」という人生のパートナーとして選んだのだった。

【WBA&WBC世界フライ級王座統一3.13決戦】夢見る力――ユーリ阿久井政悟の"約束"(12回連載/8回目) 
練習に顔を出した長女・千聖(ちさと)ちゃんとユーリ阿久井。思わず父親の顔を見せた

練習に顔を出した長女・千聖(ちさと)ちゃんとユーリ阿久井。
思わず父親の顔を見せた

■人生の選択――アオイハル

去年11月、倉敷にある守安ジムを訪ねて初めて取材した際、阿久井はこう答えた。

「岡山に残った理由は、『守安ジムが好きだから』というのが一番です。ただ当時は、『全国からボクシングエリートや猛者の集まる東京の大手ジムで続けられるだろうか』と自信もなかったように思います。東京でプロデビューしていたら、もしかしたら埋もれてしまっていたかもしれないですし、世界チャンピオンにもなれなかったかもしれないです」

もちろん言葉に偽りはなく、選手に活躍の場を作るため多額の借金を抱えてまで自主興行を打ち続けた守安竜也会長に恩返しをしたい気持ちが、ボクサーとしての原動力だったことは間違いなかった。

実際、ダラキアンに勝利し岡山にあるジム所属のボクサーとして初めて世界チャンピオンになった瞬間、阿久井はリング上の勝利インタビューで、

「(世界王者誕生は)『守安ジム3度目の正直』ということで、守安会長につけてもらいたいと思います」

と語り、自分自身よりも先に、隣で見守る守安会長の腰に、獲得したばかりの世界チャンピオンのベルトを巻いた。

ただそれとは別に、取材で本人は口にしなかったし、おそらく聞いても秘めたままだったかもしれないが、「プロボクサー」としての将来だけで考えれば不利になることは承知の上で、東京の名門ボクシング部のある大学からのスカウトを断り、ボクシング部のない地元の環太平洋大学に進学。卒業後も、地元企業に就職してボクシングを続けた大きな理由のひとつは、「夢」の存在が関係していたことは、想像に容易い。

8年の交際期間を経た2020年6月28日――。

25歳の時、ふたりは入籍。しかし、恋人から夫婦関係、つまり「家族」になることは、多少の誤解を恐れず言えば、「甘美な幸福」だけではなく「現実の苦味」を知ることも意味していた。

夫にとってボクシングは「情熱を燃やせる生きがい」だったとしても、ボクシングに興味のない妻にしてみれば、「平穏な家庭生活を脅かす難題」でしかない。まして幼い子供をふたりも抱えればなおさらである。

好きなこと、やりたいことは人それぞれ。

「家族」というチームで夫が果たすべき役割は、まずはしっかりと生活費を稼ぐことなのだ。

「結婚が決まったあと、すぐに長女を妊娠していることがわかりました。その時、まず最初の大きな喧嘩をしました。『結婚して子供まで生まれるのに、あなたはこのままボクシングを続けるつもり!?。本当に家族としてやっていけると考えているの!?』って」

阿久井は当時、日本フライ級王座決定戦で勝利し、日本チャンピオンになったばかり。「ボクサー」として見れば、ひとつ大きな夢を叶え、結果を残したと言えた。しかし、ボクシングは、日本チャンピオンという肩書きで食べて行けるような「職業」とは違う。世界チャンピオンでも輝きは一瞬。余程、名を馳せた人気選手でもない限りは、現役中のファイトマネーや、引退後も名声だけで生きて行くことは厳しい。同じ「プロ」と名の付くスポーツでも、野球やサッカーとは大きく違う世界だった。

「長女が生まれてからも『ボクシング』は常に、夫婦にとっては喧嘩の種でした。次女は2年後、2022年の12月7日に生まれました。

家族も増えて、生活費もさらにかかるようになり、家計の不安は増すばかりでした。お金の心配どうこうは、本当は言いたくありませんが、わたしひとりなら別に構わないけど、子供たちの将来を考えると......。

『いつになったらこの不安な生活は終わるの!? もう無理!』って思いました。普段は仲も良いし、いつも優しい夫であり、頼れる父親です。でも、ボクシングを続けるかどうかについての話題になると、毎回のように言い争いでした。

正直、『ボクシングはいますぐにでも辞めて欲しい』とずっと思い続けていました。それで、次女が生まれた2022年の大晦日に、『もう決めよう』って、彼に切り出しました」

【WBA&WBC世界フライ級王座統一3.13決戦】夢見る力――ユーリ阿久井政悟の"約束"(12回連載/8回目) 
ユーリ阿久井は無敗の王者、アルテム・ダラキアンに勝利し世界王者に(写真/産経新聞社)

ユーリ阿久井は無敗の王者、アルテム・ダラキアンに勝利し世界王者に(写真/産経新聞社)
2022年2月27日、阿久井は、日本フライ級王座で3度目の防衛成功した。2022年当時、社会は、ロシアのウクライナ侵攻を契機に世界的インフレと円安が進行。安倍元首相の銃撃事件、コロナ第7波などで国内外が揺れた激動の一年だった。

日本のボクシング界では、6月に井上尚弥がバンタム級でノニト・ドネアを2回TKOし、3団体(WBA/WBC/IBF)統一。当時国内では井上尚弥に次ぐ評価を受けていた拳四朗は3月、WBCライトフライ級王座を矢吹正道から3回KOで奪い返し、同年11月にはライトフライ級の世界王座統一(WBAスーパー/WBC)戦で京口紘人に7回TKO勝利した。

一方、地方の小さなジムに所属する阿久井は、長らく「世界チャンピオン候補」と期待されながら挑戦の機会に恵まれず、実力者ゆえに4度目の日本王座防衛戦も決まらない日々が続いていた。

そうしたなかで12月、阿久井家には第二子が誕生した。

2023年は、プロボクサーとしても父としても、より奮起を迫られる立場になった阿久井。それは夢も同様、母親としてさらに奮起しなければならなかった。

■約束――妻からの引退勧告

2022年の大晦日、夢は阿久井にこう訴えた。

「『あなたはいま、何を目指しているの? 全然、話してくれないから、わたしにはわからない。いまは日本チャンピオンかもしれないけど、いずれはどうしたいの?』と、問い詰めました。

彼は俯いて、聞こえるか聞こえないかのつぶやき声で、『まあでも、世界チャンピオン......かな』と答えました。

彼のその言葉を聞いた時は、少なからずショックを受けました。母親という立場では、ボクシングを続けることは反対でしたが、妻としては応援してきたつもりでした。わたしは素人でよくわからない。でも、『ボクシングの世界チャンピオンって、そんなフワッとした覚悟で、なれることなの!?』って......」

夢の問いかけに、阿久井はようやく顔を上げ、「頑張るから(ボクシングを続けることを)認めてほしい」と答えた。

「『もう決めよう。

もし次、試合が決まって負けるようなことがあれば、すぐに引退ね。もし勝っても、来年世界戦が決まらなければ、もうボクシングはやらせません』」

家庭生活を守るために、意を決して伝えた夢の言葉に、阿久井は、やや伏せ気味に視線をずらしつつも、「わかりました」と答えた。

夢に背中を押される形で、結果的に、「世界チャンピオンになる」という目標が明確になった阿久井は、年の明けた2023年1月4日、およそ3年間保持し、3度防衛した日本フライ級王座を返上した。

WBOとIBFのフライ級世界ランキングはともに5位、WBCは6位、同年1月31日付のWBA公式ランキングでは1位になり、2月4日、東京・後楽園ホールで開催されたダイナミックグローブのメインイベンターとしてリングに上がった。

「世界前哨戦」と銘打たれた試合の相手は、ジェイソン・バイソン(フィリピン)。一階級下のライトフライ級の地域タイトル現役王者で、WBC世界ライトフライ級14位、10勝(5KO)無敗という難敵だった。

阿久井は、試合直前の練習で左拳を負傷し、鎮痛剤を服用して試合に挑んだが、終始圧倒し、ジャッジ3者ともフルマーク(100対90)の3対0で判定勝利を収めた。

勝利の瞬間は淡々としたままで、見せたのは喜びよりも安堵の表情だった。しかし、インタビューで第二子誕生について聞かれると、「すごく可愛くて」と答えて満面の笑顔を見せ、

「これから大切な時期ですけど......。家族の成長とともに、自分も成長していきたいです。(世界)チャンピオンとるまで頑張ります」

と決意表明し、夢と交わした約束をまずひとつクリアした。夢――。

「彼は、本気で考えていること、心の底から大切にしていることは、簡単には口にしない、というか出来ない。良いかどうかは別にして、そういう性格なんですね。なので、やきもきしてしまうこともあります。

でも、きちんと本心を明かしてくれたおかげで、わたし自身も時々、守安ジムでの練習を見に出かけるようになり、初めて彼が、どれだけの覚悟でボクシングと向き合っているかを知ることができました。それからは自然と喧嘩も少なくなりました。彼が人生をかけて向き合っていること、『プロボクサー』としての阿久井政悟も、素直な気持ちで応援できるようになりました」

夫が練習や試合に専念できるようにと、夢は、SNS更新やグッズ販売の告知、後援会やジムとの連絡、取材やイベントのスケジュール管理など、本人でなくても出来る仕事は、マネージャーという立場で引き受けて支えた。2人の子育てに奮闘する「母親」と、ユーリ阿久井政悟の「マネージャー」。夢もまた、二足の草鞋を履いて、阿久井が約束を果たせる"その時"を一緒に辛抱強く待ち続けた。

2024年1月23日、エディオンアリーナ大阪 第1競技場――。

阿久井は、フライ級主要4団体を通じて最強と呼び声高い無敗のWBA王者、アルテム・ダラキアン(ウクライナ)相手に3対0(119対109/117対111/116対112)で判定勝利した。世界的なリングアナウンサー、ジミー・レノン・ジュニアが、語気を強めて「And the NEW!」と告げた瞬間、喜びを全身で表現するかのごとく両腕を大きく掲げてガッツポーズをし、雄叫びをあげた。

【WBA&WBC世界フライ級王座統一3.13決戦】夢見る力――ユーリ阿久井政悟の"約束"(12回連載/8回目) 
ダラキアンに勝利した瞬間、思いを背負って戦ったユーリ阿久井は雄叫びを上げた

ダラキアンに勝利した瞬間、思いを背負って戦ったユーリ阿久井は雄叫びを上げた
試合は本来、2023年11月15日に、東京・両国国技館で予定されていたが、同興行のメインイベントで出場予定だったWBAバンタム級王者(当時)、井上拓真(大橋)の負傷により、アンダーカードに組まれた阿久井の世界挑戦も延期になった。

一度は頓挫した世界挑戦――。ダラキアンの母国ウクライナは、ロシアによる侵攻の渦中で、仮にまた試合が決まっても、状況次第では来日出来ない心配もあった。プロモーターを務めた帝拳ジム・本田会長の尽力。そして、ウクライナからバスで18時間かけてポーランド・ワルシャワまで移動して飛行機に乗り換え、2日がかりで来日したダラキアン陣営の、「試合を実現することで、ミサイルや空爆で警報やサイレンが街中に鳴り響くウクライナの現状を世界に伝えたい」という熱意もあり、試合は無事に開催される運びとなった。

守安ジムのプロ1号選手でもある父の一彦が2人の愛娘をリングに上げると、阿久井は両腕で抱えた。勝利インタビューでは、

「(世界王者誕生は)『守安ジム3度目の正直』ということで、守安会長につけてもらいたいと思います」

と語り、自分よりも先に、隣で見守る守安会長の腰に、獲得したばかりの世界チャンピオンのベルトを巻いた。

守安ジム所属ボクサーとしては、かつてウルフ時光(ときみつ)がWBC世界ミニマム級で2度挑戦(1999/2001)するも敗れており、阿久井は、20年以上の時を経た3度目の挑戦で、守安ジムの悲願を達成した。

守安会長はじめセコンド陣、父・一彦、そしてふたりの愛娘――。関係者がリングに上がる中、妻の夢だけは観客席に残っていた。

アナウンサーから、夢の存在について話を振られると、阿久井は、

「結婚する前からプロ生活を支えてくれた存在で。日本チャンピオンになってからは子供も増えて。子供が増えた中で、『世界に挑む』というプレッシャーというか。子供も含めてなんですけど......。ストレスを与えて生活していたので、ちょっとゆっくりしてほしいですね」

と答えた。

思いがけない延期で、2023年の間に世界チャンピオンになることはできなかった。阿久井は少しだけ遅れて、夢との約束を果たした。

インタビューの終わり、阿久井は、言葉を噛みしめるように、もう一度――

「ゆっくりしようね」

と、夢に優しい眼差しを向けた。

夢は静かに、しかし何度となく頷いた。

【WBA&WBC世界フライ級王座統一3.13決戦】夢見る力――ユーリ阿久井政悟の"約束"(12回連載/8回目) 
「家族のような存在」と話す守安会長の腰に世界チャンピオンのベルトを巻くユーリ阿久井

「家族のような存在」と話す守安会長の腰に世界チャンピオンのベルトを巻くユーリ阿久井
※※※

「能天気な拳四朗に対して、神経質な加藤。でも、あれだけ一生懸命に拳四朗のことを考えているやつはいないと思います。ふたりの相性は、最高じゃないかな」

横井はそう話した。

拳四朗を支えるチームは隙のない団結力を誇る。しかし、最初から一枚岩だったわけではない。三迫ジムに来たばかりの頃は、外様大名のように見られることもあったという拳四朗。その空気を和らげ、輪の中へ馴染ませたのは加藤だった。

「世界チャンピオンが、一番上ではない」

加藤のその教えが、「チーム拳四朗」を誕生させた。それは......。

【WBA&WBC世界フライ級王座統一3.13決戦】夢見る力――ユーリ阿久井政悟の"約束"(12回連載/8回目) 

■ユーリ阿久井政悟(あくい・せいご)*写真左 
1995年9月3日生まれの30歳。岡山県倉敷市出身。本名は阿久井政悟。父親と叔父も元プロボクサーという環境に育ち、中2から倉敷守安ジムで本格的にボクシングに取り組む。地元の環太平洋大学進学後の2014年4月にプロデビューし、翌年、全日本新人王獲得。2019年10月、日本フライ級王座獲得。2024年1月、アルテム・ダラキアン(ウクライナ)に判定勝利し、岡山県にあるジム所属として初の世界王者に。2025年3月13日、寺地拳四朗とのWBA &WBC世界フライ級王座統一戦では最終12回TKOで敗れる。通算戦績は25戦21勝(11KO)3敗1分け。

■寺地拳四朗(てらじ・けんしろう)*写真右 
1992年生1月6日まれの33歳。京都府出身。B.M.Bボクシングジム所属。2014年プロデビューし、2017年、10戦目でWBC世界ライトフライ級王座獲得。9度目の防衛戦で矢吹正道に敗れて王座陥落するも、翌2022年の再戦で王座奪還。同年11月には京口紘人に勝利してWBA王座獲得し2団体統一王者に。2025年3月13日、ユーリ阿久井政悟とのWBA &WBC世界フライ級王座統一戦でも勝利し、二階級で世界2団体統一王者に。2025年7月30日、リカルド・ラファエル・サンドバルに判定負けを喫して王座陥落。通算戦績は27戦 25勝 (16KO) 2敗。

取材・文・撮影/会津泰成

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