【WBA&WBC世界フライ級王座統一3.13決戦】消えたダブ...の画像はこちら >>

世界フライ級王座統一を果たし、喜びを分かち合う拳四朗(写真/北川直樹)
2020年の騒動を経た拳四朗は、「感謝」の大切さ、「仲間」のありがたみを実感。日々の「ありがとう」は、みなの心を動かし、勝利へと向かう大きな力に変わった。

2025年3月13日――WBA&WBC世界フライ級王座統一戦。固い絆と信頼で結ばれた「チーム拳四朗」は確かな決意を秘めて三度(みたび)の逆転に向けて動き出した。

*  *  *

2020年7月19日、拳四朗は、気の置けない地元の友人と久しぶりに再会した嬉しさのあまり深酒をし、酩酊状態で帰宅中、他人のマンション敷地内に無断で入り、車を傷付けてしまった。被害者とは示談が成立していたものの週刊誌で報じられ、事態を重く見たJBCから制裁金や社会奉仕活動などの処分を受けた。

処分は2021年3月1日に解除。一旦中止となった8度目の防衛戦は4月24日、会場はエディオンアリーナ大阪。対戦相手は変わらず、WBC1位・久田哲也(ハラダ)で再設定された。

新型コロナウイルス感染拡大が懸念され、緊急事態宣言が発令される可能性もあるなか、試合に向けた準備は、主催者はじめ関係者の並々ならぬ苦労と尽力、そして仲間の協力に支えられて進められた。

試合前は、久田とかつて日本王座を争ったOPBF東洋太平洋ライトフライ級王者・堀川謙一、元日本ミニマム級王者・田中教仁。そして、WBOアジアパシフィックミニマム級タイトルマッチを控えた川満俊輝という、三迫ジムが誇る軽量級トップボクサーが休日返上でスパーリング相手を務めてくれた。当時、指導に連日参加した横井はこう振り返る。

「拳四朗はとにかくいつも、『ありがとうございます』なんです。

『こうしてください』と、何かお願いされたことは一度もない。だからこそ、こちらも自然と力になりたいと思える。休日でもジムに来て、『拳四朗のためなら』と動ける。あの『ありがとう』がなければ、いまのチームはできていません。ボクサーとしての才能があったから世界チャンピオンになれたし、人並み以上の努力を積み重ねてきた結果、いまの立場がある。でも、最後にものを言うのはやはり、人間性です。才能と努力にあの『ありがとう』に象徴される人間性が加わったからこそ、『チーム拳四朗』はひとつになれた。私自身は、そう思っています」

日本政府は当時、4月25日から5月11日までの期間、東京、大阪、兵庫、京都の4都府県を対象に、緊急事態宣言を発令することを決定していたが、試合は、そのわずか2日前に開催された。拳四朗は「人生の再起戦」に3対0の判定で勝利し、8度目の防衛に成功。勝利後の恒例だったダブルピースはせず、何よりも先に謝罪し、そして支えてくれた仲間への「感謝」の言葉を口にした。

「自分の不祥事でたくさんの方にご迷惑をおかけしました。変わらず応援してくれて嬉しいです。

これからはもっとチャンピオンらしく、もっと強くなって、恩返しできるよう頑張ります」

久田戦で示された「感謝」は、さらにその後に迎えた矢吹正道との一戦を経て、より深いものへと変わっていった。王座を失い、再戦で雪辱を果たす――その経験は、仲間と共に戦う意味を改めて刻み込み、チームとの絆をいっそう強固にするきっかけとなった。その矢吹戦を経て、拳四朗はどう変わったのか――サブトレーナーの横井龍一は、こう語る。

「矢吹に敗れるまでは、加藤と二人だけでやっていました。もちろん、いまも二人で続けていますが、あの敗戦以降はすべてのことに感謝するようになった。その姿勢は、わたしも含め、加藤以外のスタッフや、応援や協力してくれる選手に対しても、より向けられるようになりました。そうしてすべての人たちと、本当の意味での絆が築かれていきました。人間的に成長していく過程を見せてくれる拳四朗は、我々が伝えたいことを体現する存在であり、まさに手本です。

ボクシングが強いことは確かに凄いと思います。でも、それだけで偉いわけではない。そうした我々の指導に耳を傾けられる拳四朗は本当に凄いですし、拳四朗を導いている加藤は、なお一層凄い。あれほどの実績を残してきたチャンピオンに対し、容赦なくダメ出しをし、叱咤できるトレーナーなど、そう多くはいないでしょう」

【WBA&WBC世界フライ級王座統一3.13決戦】消えたダブルピースと「感謝」「仲間」(12回連載/10回目) 
試合前、加藤に心身ともに整えてもらう拳四朗。加藤の存在が拳四朗を成長させてきた

試合前、加藤に心身ともに整えてもらう拳四朗。
加藤の存在が拳四朗を成長させてきた
困難を共に乗り越えた拳四朗は、加藤に全幅の信頼を寄せる。加藤もまた、拳四朗に対して信頼を置き、「感謝」の気持ちを抱いていた。

「これだけ多く世界戦に携われるなど、拳四朗と出会えていなければ、こんな経験はできませんでした。見たことのないような景色を見せてもらい、たくさんのことを学ばせてもらっています。

例えばバンテージを巻く作業ひとつとっても、海外の凄い選手の陣営から威圧的な態度で言いがかりをつけられるようなことがあったとしても、堂々と対応できる自信が持てるようになりました。ルールミーティング、調印式、公開採点の仕組みだったり、『世界戦』という大きな舞台の中で起きるあらゆる出来事をこれだけたくさん体験できていることは貴重な財産です」

加藤が拳四朗と積み上げた年月は、何ものにも代えがたい財産となっている。

■ファイナルラウンド――それぞれの「思い」それぞれの「覚悟」

WBC王者・拳四朗と、WBA王者・阿久井が激闘を繰り広げた世界フライ級王座統一戦は、大詰めを迎えようとしていた。

非公開の途中採点で、拳四朗は7、8、9回とポイントを重ね、9回終了時の合計は2対1(拳四朗側:84対87/86対85/87対84)と逆転に成功していた。このまま押し切るか――。そう思われた10回、阿久井は脅威としか言いようのない粘りでふたたび食い下がった。

阿久井は拳四朗の的確な左リードジャブを顔面に浴びながらも、構わず前進。1発打たれたら2発、2発打たれたら3発と、ガードの上から強引に拳をねじ込んだ。

その姿は、エヴァンゲリオン2号機で、アスカが裏コード999を発動し使徒化へと踏み込んだ瞬間――まさに「化身」そのものだった。

10回は僅差の「10対9」で阿久井に2人、拳四朗に1人が付け、阿久井は同点(阿久井側:96対94/95対95/94対96)に追いついた。続く11回は、さらにペースを上げて激しく打ち合い、10回とは反対に2人が「10対9」を拳四朗に付け、阿久井を支持したのは1人のみ。それでも合計では2対1(阿久井側:105対104/105対104/103対106)と、再逆転した。そして......。

最終12回を迎える前、最後のインターバル。

「阿久井、勝っとるで! ええでええで、この調子じゃ!」

ポイントリードを確信した守安はそう檄(げき)を飛ばした。

守安は現役時代、岡山にあるジム初の日本チャンピオン(スーパーライト)になると同時に、世界ランキングも3位まで上り詰めた。通算戦績は28戦12勝(6KO)16敗――。地方の弱小ジム所属ゆえ辛酸を舐め続けながらも千載一遇のチャンスを掴んだ、「リアル・ロッキー」と呼べるような物語があった。

30歳で現役引退、ジム経営を始めたのは33歳。「わしが育てる選手は、咬ませ犬になんかさせとうない」という思いから、自主興行「桃太郎ファイトボクシング」を打ち始め、日本チャンピオンを含む多くのプロボクサーを育ててきた。

しかし、地方の小さなジムで興行を打ち続けることは、苦労を自ら背負うに等しい。1999年と2001年には、秘蔵っ子・ウルフ時光(ときみつ)が世界挑戦に臨んだが王座奪取はならず、特に2度目の興行では、2000万円もの負債を抱えた。

守安ジムからは看板選手もいなくなり、14年間続けた自主興行、「桃太郎ファイト」も中止に追い込まれた。ジムの存続すら危うくなったそんなさなか、門を叩いたのが守安ジムのプロ1号選手、阿久井一彦の息子、中学2年生の「政悟」。いまから15年以上前の話だ。

70歳を過ぎた守安は、練習はすべて阿久井自身の考え方に任せ、黙って見守るだけだ。しかし、この一戦に懸ける熱量は、29歳の阿久井にも劣らない。現役時代さながら、握りしめた拳を何度も突き出し、パンチを繰り出す仕草をしながら阿久井を鼓舞し続けた。

【WBA&WBC世界フライ級王座統一3.13決戦】消えたダブルピースと「感謝」「仲間」(12回連載/10回目) 
【WBA&WBC世界フライ級王座統一3.13決戦】消えたダブルピースと「感謝」「仲間」(12回連載/10回目) 
現役時代は地方の小さなジム所属の逆境を乗り越えて日本王者になった守安竜也会長

現役時代は地方の小さなジム所属の逆境を乗り越えて日本王者になった守安竜也会長
蒼き炎の阿久井に、真っ赤な炎の守安が呼応。二色の炎は重なり、渦を巻く一つのうねりとなって、拳四朗へと迫った。

「あの子と一緒に、『もうちぃとだけ、夢の続きを見たい』という気持ちは、確かにあります。じゃけど、膝の具合が悪ゅうて、普段から歩くんもしんどいんです。

でも、やるからにはしゃんとした姿を見せにゃあいけません。ロープを担ぐ前にふらついて倒れてしもうたら、あの子に余計な心配をかけてしまいますけぇ」

去年11月、岡山・倉敷で初めて取材した際、守安はそう話した。この日の試合前は、密かに鎮痛剤を服用して花道を阿久井と歩み、ロープを担いだ。

僅差リードの阿久井は、「この調子じゃ!」という守安の指示に、2度3度と小さく頷いた。

一方、チーム拳四朗――。

「しっかり動いて! 徹底しよう」と加藤。

「拳四朗、あと3分やぞ!」と横井。

静かに、拳四朗の首裏にアイシングを施す篠原。

三度(みたび)の逆転に懸ける拳四朗は珍しく、セコンド陣の最後の指示に大きな声で、「ハアッ!」と気合を入れ直すように叫んだ。

ふたりに許された時間はあと3分。

雌雄を決する鐘の音が東京・両国国技館に響き渡った。

日本ボクシング史に刻まれる名勝負は、最終12回へと突入する。

【WBA&WBC世界フライ級王座統一3.13決戦】消えたダブルピースと「感謝」「仲間」(12回連載/10回目) 
現役時代は地方の小さなジム所属の逆境を乗り越えて日本王者になった守安竜也会長

現役時代は地方の小さなジム所属の逆境を乗り越えて日本王者になった守安竜也会長
■ユーリ阿久井政悟(あくい・せいご)*写真左 
1995年9月3日生まれの30歳。岡山県倉敷市出身。本名は阿久井政悟。父親と叔父も元プロボクサーという環境に育ち、中2から倉敷守安ジムで本格的にボクシングに取り組む。地元の環太平洋大学進学後の2014年4月にプロデビューし、翌年、全日本新人王獲得。2019年10月、日本フライ級王座獲得。2024年1月、アルテム・ダラキアン(ウクライナ)に判定勝利し、岡山県にあるジム所属として初の世界王者に。2025年3月13日、寺地拳四朗とのWBA &WBC世界フライ級王座統一戦では最終12回TKOで敗れる。通算戦績は25戦21勝(11KO)3敗1分け。

■寺地拳四朗(てらじ・けんしろう)*写真右 
1992年生1月6日まれの33歳。京都府出身。B.M.Bボクシングジム所属。2014年プロデビューし、2017年、10戦目でWBC世界ライトフライ級王座獲得。9度目の防衛戦で矢吹正道に敗れて王座陥落するも、翌2022年の再戦で王座奪還。同年11月には京口紘人に勝利してWBA王座獲得し2団体統一王者に。2025年3月13日、ユーリ阿久井政悟とのWBA &WBC世界フライ級王座統一戦でも勝利し、二階級で世界2団体統一王者に。2025年7月30日、リカルド・ラファエル・サンドバルに判定負けを喫して王座陥落。通算戦績は27戦 25勝 (16KO) 2敗。

取材・文・撮影/会津泰成

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