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映画『揺さぶられる正義』。社会問題となった「揺さぶられっ子症候群」の真実を「弁護士出身の報道記者」が追った問題作!

2010年代、乳幼児への虐待を示す「揺さぶられっ子症候群」が社会問題として大きく報じられた。

しかし、その報道の陰で医学的根拠の曖昧さから、後日多くの裁判が逆転無罪となっていたことは広く知られていない。

正義、真実、司法の闇、報道責任......多くの問題を投げかける衝撃のドキュメンタリー映画『揺さぶられる正義』。その監督であり、弁護士出身という異色の経歴を持つ報道記者・上田大輔氏が、8年間に及ぶ闘いの裏側を語った。

■わずか0.2%の無実をつかみ取る難しさ

「一回『こいつ黒なんやな』って思われたら、白に塗り替えるのは無理やと思う」

ドキュメンタリー映画『揺さぶられる正義』は冤罪によって日常を奪われた人々と、弁護士資格を持つ異色の報道記者・上田大輔氏の8年間に及ぶ闘いの記録だ。

冒頭の言葉は死亡した妻(当時)の連れ子への虐待死を疑われ、5年半もの間、大阪拘置所に勾留された今西貴大(たかひろ)氏のもの。彼は大阪高裁で逆転無罪となったものの上告され、現在も無罪を勝ち取るための闘いを続けている。

起訴されれば、ほぼ確実に有罪判決が下るといわれる日本の刑事司法。その有罪率は驚異の99.8%だ。わずか0.2%の無罪をつかみ取る難しさを、この映画は克明にとらえている。

記者として駆け出しの頃から「揺さぶられっ子症候群(Shaken Baby Syndrome)」、通称「SBS」について取材を続け、監督として本作を完成させた上田氏がその闘いの裏側を語る。

映画『揺さぶられる正義』があぶり出す冤罪の構造
映画『揺さぶられる正義』より

映画『揺さぶられる正義』より

■刑事弁護の道を挫折。テレビ局勤務へ

――弁護士資格を持つ記者という異例の肩書ですが、もともと弁護士になろうと思った理由はなんですか。

上田大輔(以下、上田) やはり無実の罪で捕まってしまった人々を救いたいという思いが大きかったですね。

ただ、実際に刑事弁護の現場を見ると、無罪を勝ち取るための壁が厚すぎると感じました。加えて、もし自分の依頼人が無実でありながら有罪になってしまった場合、精神的に耐えられないと思い刑事弁護を諦めました。僕にはそんなタフさがないな、と。

諦めて著作権やエンタメの分野で弁護士として活動しようと思っていたとき、関西テレビが企業内弁護士を募集していたので応募したんです。

――関西テレビの法務部門で7年間務めた後、記者というのは異例のキャリアです。

上田 刑事弁護を諦めたとはとはいえ、日本の刑事司法制度への懐疑的な思いはずっと心の奥底にありました。

例えば、検察は弁護士に比べて圧倒的な量の証拠を持っていますが、すべてを開示する必要がない。被告人に有利な証拠があっても、それを故意に隠せる。だから検察側の描いた有罪ストーリーに合う証拠だけを裁判所に見せることができてしまうわけです。

そうした制度的な課題に対して、自分ができることはないかと煩悶しているときに〝記者ならできることがあるんじゃないか〟と思ったんです。

映画『揺さぶられる正義』があぶり出す冤罪の構造
報道記者、映画監督・上田大輔氏

報道記者、映画監督・上田大輔氏

――企業内弁護士として活動中に、報道の現場に関わることもあったのでしょうか。

上田 現場の記者からの相談に弁護士として助言することはありました。

そのうち、自分だったら事件を取材するだけではなく、司法制度の構造的問題も視野に入れた取材ができるかもしれないと思うようになったんです。

記者なら無実の人を救うことはできないまでも、自分なりに突っ込んで取材して制度や運用に異議を唱えることはできる。それで会社に部署異動をお願いしたんです。かなったのは異動願を出し続けて4年ほどたったときのことなので37歳ですね。

――37歳の新人記者というのも珍しいですよね。

上田 はい。とはいえ、完全にド素人じゃないですか。しかも弁護士で頭でっかちな人が急に来たから、デスクとしては使いにくい。若手は火事や事件が起きたら「すぐ行け!」と言われるけど、僕は一拍置いてから「行けます?」と言われてました(笑)。

あとは、それまで文章主体だった頭を映像主体に切り替えるのも手間取りましたね。

映画『揺さぶられる正義』があぶり出す冤罪の構造
入社8年目で関西テレビの法務部から報道局に異動となった上田氏。「自ら希望したものの、いざ異動が決まると不安でした」

入社8年目で関西テレビの法務部から報道局に異動となった上田氏。「自ら希望したものの、いざ異動が決まると不安でした」
■調査と取材で無実への確信を深める

――記者1年目でSBSの取材が始まります。

作品中、取材した裁判がすべて無罪になるというのは前代未聞の出来事ですが、最初から無罪への確信があったのでしょうか?

上田 当初から無罪を確信していたわけではありません。ただ、検察の立証は薄いと感じていました。揺さぶりと断定する基準が曖昧だと。

虐待専門の医師の診断によって、似たケースが次々と虐待と決めつけられ起訴されていました。その診断基準が揺らげば、流れは大きく変わるかもしれないと思いましたね。

映画『揺さぶられる正義』があぶり出す冤罪の構造
本作の基となった関西テレビ制作「検証・揺さぶられっ子症候群」シリーズは文化庁芸術祭賞優秀賞など数々の賞を受賞

本作の基となった関西テレビ制作「検証・揺さぶられっ子症候群」シリーズは文化庁芸術祭賞優秀賞など数々の賞を受賞

――取材対象の人たちの無実を確信したのはどういったタイミングでしょうか。

上田 事件化したものを自分なりに調べていました。まず、検察が「これは虐待だ」と主張する根拠は何かを探しました。揺さぶられっ子症候群を主張する医者の証言や、根拠とされる医学文献を調べても、明確な根拠があるとは確認できなかった。

もうひとつ、その作業に並行して、当事者と近い距離で取材をしました。家の中に入れてもらったりしていると、その人が子供をどれだけ愛しているかは日常会話や家の様子で見えてくる。

そうやって医学面での調査と当事者取材を重ねて無実への確信を深めていきました。


■医者の権威に依存したSBS裁判

――しかし、最初に取材した母親・雪谷みどりさん(仮名)が一審で有罪となってしまいます。

上田 SBS裁判の有罪立証の柱は医者の証言なんです。これに根拠があるかの見極めはすごく難しい。検察側が用意した医者がいて、「この医者は権威がある。彼はSBSと診断をしている。だから虐待だ」となりがち。

そこに弁護側も医者を立てると、医者同士の論争になる。裁判官も医療については素人ですから、どちらの証言が正しいかわからなくなるんですよ。

映画『揺さぶられる正義』があぶり出す冤罪の構造
SBS検証プロジェクトは刑事弁護で多くの無罪を獲得している秋田真志弁護士(左から3人目)と刑事訴訟法の研究者・笹倉香奈氏(左端)が立ち上げた

SBS検証プロジェクトは刑事弁護で多くの無罪を獲得している秋田真志弁護士(左から3人目)と刑事訴訟法の研究者・笹倉香奈氏(左端)が立ち上げた

――裁判官が正確な判断ができない状況になる。

上田 実際、みどりさんの一審は、「検察側の医者は虐待分野に詳しい経験豊富な医者で信用できる。だから虐待だ」というふうに判決文に書いてあったんです。

ただ、みどりさんは一審で有罪だったのですが、懲役6年を求刑されたのに、判決は懲役3年、執行猶予5年なんです。懲役刑の年数を半分にしている。

これは通常はありえない。

有罪で懲役6年を求刑されているなら、例えば5年とか4年半の実刑判決となるのが通例です。ここからは裁判官が相当迷ったから、求刑の半分にして執行猶予をつけたというのが読み取れる。

「疑わしきは罰せず」が基本原則のはずなのに、「疑わしきは検察に乗っかって有罪」になってしまっている。この判決が出たとき、絶望的な気持ちになりましたね。

――つまり医者の権威に依存した判決を下していた。

上田 そういう評価もできると思います。

■記者も信じることから始めるべきか?

――虐待事件は非常に繊細なテーマですが、記者として取材時に配慮していたことはありますか。

上田 一番は当事者との関係性ですね。事件が起きればわれわれのようなメディアが逮捕報道をするわけですから、向こうから見たらメディアは加害側というマイナスからのスタートなんです。

だから、まずは人として信頼されなければいけない。そこが大変でしたね。

私の場合、自分の話をよくするようにしていました。「ひとりの人間として、こういう問題意識を持って取材している」と話していくことで、メディアではなく人間として少しずつ信用してもらえたように思います。

映画『揺さぶられる正義』があぶり出す冤罪の構造
虐待を疑われた赤阪友昭氏。その後の無罪判決で、裁判長は「5年余りの家族の苦悩は言葉では言い尽くせない」と語った

虐待を疑われた赤阪友昭氏。その後の無罪判決で、裁判長は「5年余りの家族の苦悩は言葉では言い尽くせない」と語った

――作中に登場する弁護士の影響で「記者も信じることから始めるべきだろうか?」と自身の取材スタンスを自問する場面がありました。結論は出ましたか。

上田 まだですね。ただ、今あえて申し上げるなら、「揺れ続けること」が大事なんだと思います。一方的に決めつけず、信じる場面と疑う場面、両方をにらみながら取材する。

映画のテーマのひとつですが、メディアの多くは事件が起きると逮捕報道後の状況をほとんど報じない。逮捕には関心があっても、その後には無関心なわけです。

――無関心というのは「揺れ」すら存在しない状態だと。

上田 はい。最初にセンセーショナルに報じたのであればその後の検証取材をする責任が発生する。

検証取材は信じることと疑うことの両極を揺れながら、暗闇の中を進むしかないのかなと思います。

時には取材相手を信じて進むことで、ある種の真相が見えてくる場面もあるのではないでしょうか。

●上田大輔(うえだ・だいすけ)
1978年生まれ、兵庫県出身。早稲田大学法学部卒業後、北海道大学法科大学院修了。2007年に司法試験合格後、09年、関西テレビ入社。社内弁護士として法務を担当。16年に報道局へ異動し記者に。大阪府政キャップ・司法キャップなどを経て現在『ザ・ドキュメント』(関西テレビ)ディレクター

■映画『揺さぶられる正義』
2010年代、乳幼児を激しく揺さぶることで脳が損傷を負う「揺さぶられっ子症候群」の疑いで、親などが逮捕、起訴される事件が続出。マスコミが事件を報道する一方、冤罪の可能性を検証しようとプロジェクトが立ち上がる。虐待をなくす正義と冤罪をなくす正義は激しく衝突し、やがて無罪判決が続出する前代未聞の事態へと発展する。ポレポレ東中野ほか全国順次公開中

取材・文/南ハトバ 撮影/渡邉りお  Ⓒ2025カンテレ

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