アルジェリアの入国ビザ。入国時にスタンプが押される。
連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第140話
次の出張先はアルジェリア。しかし、アルジェリアについての予備知識はなく、頼みの綱の海外旅行のバイブルでも特集されていなかった。体調もかんばしくない中、『遠き落日』を手に謎の目的地に向かう。
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■アルジェリアへ
2024年も7月半ばを過ぎ、梅雨が明け、東京でもセミが鳴き始めた。前回の弾丸バンコク出張(139話)とは違って、今回はかなり前から計画を立てていた、比較的長めの出張である。
最初の目的地は、北アフリカの国・アルジェリアの首都アルジェ。
アルジェリアについての予備知識はほとんどない。このような場合、頼りにしたいのはやはり「地球の歩き方」であるが、アルジェリアを特集する「歩き方」は現在発売されていない(!)。
この年の4月に訪れたエチオピアも、単独特集する「歩き方」はなかった。ただし、「東アフリカ」という地域を対象とする「歩き方」は発行されていた(115話)。それがアルジェリアの場合、「北アフリカ」のようにまとめられたものすら見当たらない。
■「カスバの女」?
こうなると、ネットの情報を頼るしかない。ネットでアルジェリアについての情報を漁っている中でやたらと出てきたのが、「ここは地の果てアルジェリア」というフレーズである。
なんのこっちゃと思い、これについて調べてみると、エト邦枝という女性歌手が1955年(昭和30年)に発表した、「カスバの女」という歌謡曲の歌詞であるらしい。さっそくApple Musicでこの曲を探して聴いてみる。
「70年も前の曲がいまだに代名詞として使われるほどにこの曲が著名である」ということもできる反面、これは「70年もの間、アルジェリアという国のイメージのアップデートがない」ということの裏返しでもある。
■まずはアルジェリア大使館へ
わが国のパスポートが"世界最強"なことは有名な話だが、これは190以上の国と地域に、ビザなしで入国できるからなのだ。しかし、そこにはもちろん例外もある。2024年現在、32の国に入国するためには、ビザの取得が必要となる。71話で訪問したサウジアラビアもそのひとつで、今回訪問するアルジェリアも該当する。
ビザの取得にはいろいろな方法があるが、今回は「訪問先から『招待状』を出してもらう」という正攻法で臨んだ。電子ファイルではダメとのことで、ハードコピー(押印入りの本紙)の「招待状」を訪問先から郵送してもらう。
それに加えて、往復の航空券、宿泊するホテルの情報、証明写真をすべて揃えて、東京都目黒区にあるアルジェリア大使館へと向かった。決して愛想のよくないスタッフが用意してくれた書類に記入し、ビザ申請費用4600円を支払う。書類に不備があればやり直し。
今回は幸い、一発パスでビザを取得することができた(それでも、申請から取得まで1週間ほどを要した)。

アルジェリア大使館。
■『遠き落日』と私の体調
フランクフルトまで14時間、そこで乗り継いでさらに3時間半。乗り継ぎ待ちを含めると、羽田から片道22時間の長旅である。
前回の弾丸バンコク出張(138話)で、研究に対する気持ちと姿勢が前のめりになったこともあるのか、ここのところ妙に読書欲が湧いていた。これは実は、私にとってだいぶ久しぶりの感覚だった。
コロナ禍の中、G2P-Japanの研究に全力疾走していた頃は、小説などはおろか、自身の研究に関わる論文もロクに読むことができていなかった。アウトプットに精一杯で、インプットに割けるほどの気持ちと脳みその余裕がなかったのかもしれない。
前年(2023年)のサウジアラビア・リヤド出張(71話)あたりからコツコツと読み進めていた『遠き落日』(渡辺淳一・著)が、下巻に入って劇的に面白くなってきたことも、読書欲を刺激するひとつの要因でだった。
本書は、野口英世の生涯を克明に描いた名著であるが、上巻は、福島・猪苗代での幼少期のエピソードや、蛇の毒についての研究の話に終始していた。
それに比べ、下巻ではいよいよ、病原体研究に関わるエピソードが展開される。梅毒スピロヘータという病原菌の研究成果(詳しくは54話も参照)による世界的評価の高まりから一転、それまでの研究成果に生じた疑義。
そしてそれを払拭するために、野口は、南米諸国の黄熱病のエピセンター(流行の発信源)に赴いてその研究に従事するようになる。
そして最期はアフリカで、黄熱病で命を落とすまでが、ジェットコースターのように描かれている。
野口の研究の「成果」については、この連載コラムでも触れたことがあるが(54話)、その功績のいくつかに誤りがあったのは事実である。しかしこの本に記されている、野口の研究に対する「姿勢」や「熱意」には頭が下がるものがあり、また学ぶところが多くあった。速筆なところも、私と似ているところがある。
そして、野口のアメリカでの破天荒な研究スタイルは、オミクロン株出現時にその研究に奔走していた頃の自身の姿(17話)を重ね合わせたりもした。私の場合は数日間だけだったが、野口はそれを毎日、当たり前のようにやっていたのである。
――と、そのようなことを考えながら、フランクフルト行きの機内でこの本をほとんど一気読みした。それに没頭したのには、そのダイナミックな展開に一気に引き込まれたことに加えてもうひとつの理由があった。実はこの時、私自身の体調があまり芳しくなかったのである。
出発の日の朝、喉の違和感と微熱を覚えた。出発は早朝であったため、通院している時間はない。
今回は上述の通り、手間のかかるビザの申請など、事前にかなり入念な準備をしての出張である。とても厳密なビザであるので(アルジェリアの入国日と出国日まで決められている)、旅程を変更したら、ビザの申請からなにから、すべて1からやり直しである。
さらに今回の出張には、アルジェリアの後にも旅程が組まれていた。背に腹は変えられない。咳はなかったが、念のためN95マスクをつけて、解熱剤と咳止めを飲んで、万全の体制を整えて家を出た。そして道中は、龍角散のど飴をひたすら舐め続けた。
この頃はちょうど、新型コロナの流行が広がり、「第11波」に入りつつある頃だった(57話)。「この微熱が、実は新型コロナによるものだったらどうしよう」ということももちろん頭をかすめた。
前年(2023年)に一度感染したが、そのときには症状が急激に悪化し、狼狽した記憶がある(49話)。せめてアメリカやヨーロッパ、行ったことのあるアジアの国ならいざ知らず、「歩き方」で特集もされないような、初めて足を踏み入れるアフリカの未知の国であのようなことが起こったら......。
真っ暗な機内で、薄明かりの中、微熱を覚えながら本書を読んだ。
※9月28日配信予定の中編に続く
文・写真/佐藤 佳